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2.秘め事

 ラシールは自分の家まで辿り着いた。


 普段と同じように家に入ろうとして躊躇する。



 まだ母は父の死を知らない。



 どんな顔をして、どんな言葉で父の死を告げればよいのか――。



――おれを殺したことはだれにも話すな。



 死ぬ間際の父の言葉を思い出す。


――だれにも……。


 その中には母や妹も含まれているだろうか。


 警吏に気をつけろとも父は言っていた。


 たとえ仇討ちや安楽死のためであっても、殺人は死刑である。護身のためでも、殺人を犯せば生涯、国家の厳しい監視下に置かれてしまう。


 警吏は唯一、殺人が認められていた。犯罪者を捕まえるときなどに、やむを得ず、殺してしまうことがあるからだ。だが、それにも回数の制限がある。


 たとえ家族であっても、ラシールが父を殺したことが知られれば、警吏に情報が漏れる可能性がある。そしたら、ラシールは処刑台行きだ。


――だから、お父さんはだれにも話すなと言ったのだろう。


 まだ幼い妹には話すべきではない。だが母は……。母くらいは――。


――おれを殺したことはだれにも話すな。


 また父の声が脳裏にこだまする。


――だれにも……。


 父は、母も――つまり自分の妻も含めて、そう言ったのだろうか。


 ラシールが決断を下すまえに、家の扉が開かれた。


「ラシール!」


 母が扉から飛び出してきた。


「――よかった……」


 母はしかとラシールを抱きしめた。


――なにも……よくない。


 ラシールはそう虚ろに思った。


「どうして、黙って外泊したの」


 抱擁を解いた母は咎めるような口調になる。


「帰ろうとしていたら、だれかに追われて――」


 ラシールは慎重に言葉を選んで言った。


「だれか? だれかって?」

「わからない……。それで、暗くて道を見失ってしまって……気づいたら東の森あたりにいて――。心配かけてごめんなさい」


 ラシールの声は(はなは)だしく震えていた。


「あなたが無事でよかったわ。お父さんは?」


 ラシールは黙り込んだ。


「お父さんも帰ってきていないのよ。ラシール、なにか聞いていて?」


 ラシールは無言で首を横に振った。


「お父さんは仕事が長引いたのかもね。そのうち戻ってくるでしょう」


 警吏を引退してからは文官をしていた父は、時々、仕事が終わらず、家に帰ってこないことがあった。


「お父さんのことだから、大丈夫でしょう」


――大丈夫じゃない……。


 母はとりあえずは父に関しては心配していないようだった。


 ラシールは父がもう死んでいることを言わないことにした。


 言ってしまったことを、なかったことにはできない。だが、言わなかったことを、後で言うことはできる。


 いまは父に関しては、黙っていることの方が得策なように思われた。


 だが、すべてに関して嘘をつくと、どこかでボロが出るかもしれない。

 父のこと以外は、すべて正直に話しつつ、様子を見ようとラシールは決断したのだった。


「だれに追われたのかしらね。人さらいかしら――怖いわ」


 人の密輸を商売とする人間については聞いたことがあった。

 王都の南西の花街のあるあたりが、人売りの主な巣窟であるという。中流階級以上の人間は滅多に足を踏み入れない場所だ。


「警吏に連絡しましょうか」

「しなくていい」


 ラシールは即答した。

 母が眉根を寄せる。ラシールの反応を不自然に思ったようだった。


「警吏に言っても、たぶん犯人は見つからないだろうし――。事情の聴き取りをして、それで終わりだろうから」

「でも――」

「お父さんも言ってたでしょう。ほとんどの小さな犯罪の犯人はつかまらないって。人を売ったり、買ったり、攫ったり、虐待したり――そういうのは多すぎて取り締まりきれないって」

「――そうね……」


 母はとりあえずは納得したようだった。


「お父さんって――」


 そう言って、ラシールはまた泣きそうになった。だが、涙をこらえて、できるだけ自然なふうを装って続ける。


「――お父さんって、どうして警吏をやめたの?」

「それは――」


 母は口籠もった。


「どうしたの? 急に――」

「ちょっと、気になっただけ」


 母は言葉を続けようとはしない。


「どうして、警吏なんていう名誉ある仕事をやめたの?」


 ラシールは母を促す。

 母は答えない。


「言えないようなこと?」

「――そうではないけれど、お父さんが帰ってきてから、お父さんに聞きなさい」

「お父さんは人を殺したの?」


 母は目を見開いた。


「まさか――その追われたっていうその人たちと、なにか関係があるの?」

「それは、わからない。けど――お父さんは人を殺しているのね」

「わたしからはなにも話せないわ」

「何人殺したの?」


 母が怒ったような顔になった。


「いい加減にしなさい。お父さんに聞きなさいって言っているでしょう」

「聞けないわ」


 ラシールは呟いた。


「きっとお父さんは教えてくれるわ。ラシールも、もう二十五なんだから」

「――それでも聞けない」


 ラシールはそれだけ言って、浴室へと向かった。



 鏡に映った自分の顔を見つめる。


 酷く疲れた顔をした少女の姿が映っていた。


 ラシールの成長は十七かそこらで止まった。それからは老化の一途である。


 成長の速度はだれもが変わらない。強い力を持った貴族の赤ん坊が五年も十年も赤ん坊でいるわけではない。少々の個人差を除けば、成長の速度は力の大きさにかかわらず一定だ。


 大きな力を持つ人間ほど寿命が長いのは、力が大きければ大きいほど老いる速度がゆっくりだからだ。


 ヴィラス大陸全体の平均寿命は百歳程度――その平均の人間と比べると、ラシールは一年半ほどで一歳老いる。


 ラシールが警吏であった父と貴族であった母から生まれた子であることを考えると、平均よりも少しだけ老化が遅いのは道理だった。


 だから、鏡に映った二十五歳のラシールの外見は二十かそこらにみえるのだった。

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