宇宙の穴
『宇宙にも、穴はあるんだよな』
そんなくだらない動機一つで、あの人は宇宙飛行士になってしまった。
受かる確率は0.04%未満……難しいことはよくわからないけど、兎に角そんなしょうもない思いつきから、まさか本当になってしまうなんて。人間、拗らせすぎると何をしでかすかわからない。まったく、おかしな人だった。
でも、だからこそ、僕はあの人を――――。
『――――あ〜あ〜、聞こえ―――こえますか。こちら第ハチマル―――有人探査船、パエニテンティア号。聞こえていたら応答願います――――。
……なんて、返ってくるわけないか。
さて、これが何度目かはもうわからないが、皆さんお待ちかねの定期通信の時間だ。もっとも、こう地球から離れすぎてしまっては、俺の声が届いているのかどうかさえ判らないが。
まあ、永らく宇宙空間を彷徨ってるわけだから、寂しさのあまり頭がどうにかなってしまってもしょうがない。そういうことにしておいてくれ。
それじゃあまずは近況報告をしておこう。簡単にいうと、俺はじきに死ぬ。もっと簡単に説明すると、船長がホームシックにかかってな。後戻りなんて出来やしないのに、脱出艇を無理やりパージしちまった。そのときのいざこざで船体に穴が開いたんだ。ついでに俺以外のクルーは全員死んでしまった。しかし船はなんとか形を保っているから、それは大した問題じゃあない。
酸素が底をついた。
以前から供給機の調子は悪かったんだが、今回の騒動が致命傷だったみたいだ。メカニックも仏になっちまって、それこそもう手を合わせて祈るしかない。
別に死を悲観してるわけでもないし、もとより行きのチケットしかないのは分かっていたことだ。今更それをとやかく言うつもりはない。
ただ、何の刺激も無い旅を、果たせるかも分からない宇宙開拓を掲げた旅なんて続けていると、やることは限られてしまうもんでな。ここ最近は、ずっと“ やり残してきたこと ”ばかりを考えてしまう。
船がこうなってしまって、己が死を理解してしまって、俺はどうしても言っておかなければならないことがあると……いや、正しくないな。どうしても“ 言いたかったこと ”があると気づいたんだ。
地球を発って十三年。あれからもう十三年。そちらが予定通りなら、今頃はもう新型の船が続々と宇宙へ打ち上げられているはずだ。仮にこの通信が届いたところで、こんな古い探査船の報告を心待ちにしているやつなんて居やしないだろう。だからこそ、きっと“ お前は ”、お前だけは聴いてくれると信じてる。
だから、“ これ ”はお前に向けて発信する。
……とは言ったものの、はてさてどう切り出したらいいものか。いざかしこまってお前に話すってのも、なかなかやりにくいな。
えー、あー……そうだな、俺たちが知り合ったのは確か……俺自身、自分が周りとは違う、もうどこかおかしいってことを自覚していた頃だから、七歳か八歳くらいだったかな。
校舎裏の倉庫――自分がサンドバッグにされ続けた場所なんてあまり思い出したくはないが、お前が俺を助けてくれたことだけは……今でも鮮明に覚えてる。ま、悪ガキどもをばったばったと張り倒したなんて景気の良い話でもないが、俺を庇って殴られてくれたお前は、そりゃあカッコよかったさ。
あの時は礼の一つも言えずにすまなかった。まさか俺みたいなニンゲンを助けようなんて物好きがこの世にいるとは、露にも思ってなかったからな。なにより普段は大人しくて自分よりも体の小さいやつに、まさかあんな度胸があるなんてさ。まあ……なんだ、ありがとな。
ああ、助けてくれたと言えばそれだけじゃあない。進学するときもそうだった。学校で学ぶことなんて無駄でしかないと思ってた俺に、根気強く勉強の楽しさを、群に属することのメリットを教えてくれたのはお前だ。そのおかげで学校生活を楽しめたし、今こうして宇宙を優雅に泳げてるのも、お前との成果が活かされてるってもんだ。
……いや、勉強自体は今でも嫌いではあるが。それでも、周りからつまはじきにされていた俺がそれなりに馴染めるようになったのは、本当に大きかった。
それから、いつだったか……俺のことを本当の兄弟みたいだって言ってたよな。軽く受け流してしまったけど、まあ嬉しかったんだ。産まれて初めての友達で、兄弟で。それまでは何をするにも一人でそれが当たり前だった俺に、お前はいろんな楽しさを教えてくれたよな。
一度、お前にこっぴどく怒られたことがあっただろ? 商店街の外れにある、あのオンボロの本屋でさ。あのときお前を誘って“ 悪さ ”しようとしたのは、それまでのお礼のつもりだったんだ。
あれを正当化するわけじゃあ無いが、ただ……あの頃の俺は他人を喜ばせようなんて考えたことすら無くて、そんなことしか思いつかなかったんだ。あの時も、店のおやじから二人して殴られたっけな。お前には悪いことをしてしまった。本当にすまなかった。
ついでにもう一つ、お前のお袋さんにも謝っておいてほしい。あんなに世話になったのに何も返せないまま、何も言わないまま宇宙へ飛び出したこと、ごめんなさいって。それと、こんな俺にも温かい食事を、温かい家族を味わせてくれてありがとうございますってさ。ああ、よく叱ってくれたことも実は感謝してたんだって、そこは念をおして伝えておいてくれ。
……しかしこう思い返してみると、俺たちいつも殴られてばかりだな。なんなら、お前に殴られたこともあったな。高校の修学旅行、グループの仲間とはぐれた時のことだ。
ほら、お前が俺に『好きな人はいるのか』ってさ。あんなベタな質問、同じことを聞き返してくれって言ってるようなものだろ? だからそうしただけだってのに、いきなり殴ることはないだろ。まったく、いつだって冷静なお前があんなに取り乱すなんてな……。
まあ、なんだ。要するに、お前には本当に感謝してるってことだ。俺を人間扱いしてくれてありがとう。なによりも、俺は一人じゃあないって、そう思わせてくれたのはお前だけだったから。
だから、さ……だから俺はお前に、謝りたいことがあるんだ。いや、謝らなきゃならない。
………わかってたんだ。
本当はわかってた。ずっと昔からお前の側に居たから。誰よりも近くで、お前をみてきたから。
お前、いつか言ったよな。『僕たちいつまでも友達だよね?』ってさ。それで俺はこう答えたんだ、『そうかもな』って。途端にお前はしゅんとしちまって、まあわかりやすいのなんのって。
でも、だからこそ、俺は宇宙飛行士になると決めたんだ。お前に、俺と同じ悲しみを味わせたく無かったから。
周りと違うってのは、なかなかに辛いもんだ。何気ない日常の中のほんの些細な違いでさえ、いつか心に突き刺さる。噛み合わない会話、揃えられない足並み、自分一人だけの、他の誰とも重ならない選択。
その一つ一つは小さすぎて自分では何も気づけない。だが、やがてそれらは“ 仲間外れ ”という分かり易いものへと形を変え、一気に襲いかかってくる。
まるで世界から見捨てられたような、或いは初めからここに存在してはならないものだったかのような、そんな感覚。
あんなもの、お前には味わってほしくなかった。お前の気持ちが誰かに悟られれば、それを“ 世間 ”の中で露わにしてしまえば、今度はきっとお前が不幸になる。
だから、俺は何も知らないふりをした。いつしかお前の気持ちに気づいていながら、いつも素知らぬ顔ですごしてきた。それがお前のためなんだと、それが最良なんだと。
お前がそれを直接口にすることはなかった。でも、それが色褪せることもなかった。このままではいつかきっと……。
だから、俺はお前から離れようと思った。お前のもとを離れることが、お前のためになるんだと。
それが、それだけが唯一なんだと。
………だが、どうやら違ったみたいだ。いや、正しく言えば『違うと胸を張っておくべきだった』……だな。
気づいちまった。いや、知っていたわかっていたはずなんだ。
お前だけじゃない、俺の、俺自身の気持ちを。
こんな状況になって初めて
自分が死ぬんだとわかって初めて
今頃になって初めて……
誰より何より
俺は、お前に助けられたってのに!
お前が、お前だからこそ気づかせてくれたのに!
お前だけが……お前を、お前だけを!
俺が、俺もお前のことだけをッ!
なのに
どうして、俺はなぜ
こんなところで
“ また ”
ひとり、に………………
……………………………』
それはきっと、終わりのないコウカイ