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カンパイ!  作者: 石野けい
9/14

9話目

 それと今夜は寒い。風が強くて店に入り込んでくる。俺らは入り口のドアを完全に閉めた。比較的暖かい秋口まではまだしも、こう寒くなると叶わなかった。大丈夫だ。表の看板が点滅してるので閉店しているとは思われないだろう。ドアを閉めると店の中はすぐに暖まった。これは暖房によるものだけではなく、厨房にある大きな鍋の熱気が室内の温度を一気にあげていた。

「外、相変わらず寒そーっすね」

「ああ、そうだな」

 経験上、こういう日はあまり客が来ないだろう。そりゃそーだ。ワザワザ外出するくらいなら家でテレビでも見ながらゆっくり飯を食う方がいいに決まってる。こんな時は店の掃除をするに限る。俺らは雑巾やホースやデッキブラシを使い、店内の床やカウンターの上などを洗い始めた。掃除して体を動かしたので、額に汗が滲んていた。たまに掃除すると、心の奥まで洗われる気がして気持ちがスッキリする。それから数名の客が来て、俺らはいつも通りの仕事をこなした。いつも通りの仕事をこなすいうこと、それも大人の大切な日課の一つなんだろう。分からないけどそれがやがて大きな何かへと繋がるんじゃないか。その代わり、少年時代の濃縮な時間は減ってしまうんだろうけど。まあ俺ももう27歳だ。油断してるとすぐ30、40になるぞ。今を懸命に生きないと。そうしないと、あっという間に置いてかれる。


「ところでお笑いの方はどうっすか」

 恋のことや劇団での活動など、自分のことで精一杯になっていたので最近聞けてなかったが、スギウラさんの動向も気になっていた。

スギウラさんは俺よりもずっと長くこのラーメン屋にいて、歳も5つ違うが本当に気が合う。祐介のように同じ歳じゃないし、また付き合いの長さも比較にならないけど、ヤツと同じくらいに仲が良い。ただその関係性はまったく別だ。祐介が「いろんなことを共有して来た幼馴染」ならばスギウラさんは「良き兄貴分」である。俺がここに入ったのが3年〜3年半くらい前だから知り合ってからまだ短いが、その関係性はもう20年くらいの気がする。もちろん祐介は特別な存在だが、地元で仲よかった誰とも今は連絡を取ってないし、会いたいとも思わない。それよりも夜ここに来てスギウラさんとする話の方がよっぽど楽しい。初めて会った時の印象は無口で「とっつきにくそうな人」であった。だが仲良くなっていくととてもフレンドリーで気さくな印象に変わった。また悩み事などを真剣に聞いてくれる誠実さを持っていて、俺はすぐにスギウラさんのことが大好きになった。もちろん聞いてもらうばかりじゃなくて、スギウラさんの話もいろいろと聞いた。悩み事から恋愛話まで。まあ俺に話すことが解決策となるかはともかく、俺らはこれ以上ないくらいにいい関係を築いている。スギウラさんは、

「お笑いか。まあ、ボチボチだな」

「そうすか」

 スギウラさんがボチボチという時は大抵、相変わらず厳しい、という意味合いが込められてる。まあおおよそライブでウケがイマイチとかオーディションで審査員にボロクソ言われたとかだろう。俺はそういう場合、自分から話を聞き出そうとしない。なぜならどんなに親しくても年下だから。たとえばこれが劇団の若いヤツなら無理にでも聞いたかもしれない。しかしスギウラさんにそれは出来ない。話したければスギウラさんから言ってくるだろう。過去にもそういうことはあった。そんなわけで俺は話題を変えた。


 休憩の時に、俺らはいつも通り店の裏に行った。裏の狭いスペースはなんか落ち着く。理由はハッキリとは説明出来ないが。その場所でいつも缶コーヒーを飲んで一息つく。喫煙はしないけど。俺がタバコをやめて数年経つが、休憩中に缶コーヒーを飲んでる時なんかは無性に吸いたくなる。あと喫茶店で寛いでる時とか目覚めの紅茶を飲む時に、やっぱり今でもあの煙を吐き出す心地良さを思い出す。コーヒーとか紅茶とタバコの相性を、いつまで覚えてるだろうか。子供の頃の忘れられない思い出のようにいつまでも記憶してたら嫌だなあ。そしたら10年後や20年後もタバコの味が忘れられないのか。あの心安らぐひと時が。そうだったら、嫌だなあ。

「タケオ、役者の方はどうだ。うまくいってるか」

 俺がタバコのことで愚にもつかないことを考えていたら、急にスギウラさんが聞いてきた。

「まあ、俺も相変わらずボチボチですね。ただ近いウチに劇団の公演があるから今はそれに向けて練習を重ねてますよ」

「へえ。それはいつやるんだ?」

「確か、12月20日です。まあキャパ50人〜60人の小さな劇場ですけどね。ウチの劇団に若い連中が入ってからそういう機会はまだあんまなかったんで、年内に一度やっとこうって話になって」

「いいな。楽しみだな。20日ね。俺も都合つけて見に行くよ」

「まじっすか。楽しみにしてます」

「ところでよ…」

 スギウラさんはそこで語りかけた。明らかにいつもと様子が違うなと、俺は感じていた。それは二人の関係性によるものだろう。これが、もしそれほど親しくはない人間だったら特に気づかなかったと思う。だが先述したように俺らは信頼し合える友であった。よってスギウラさんの微妙な感情の変化を俺は見逃さなかった。始めは、またお笑いの方で何か上手くいかなかったんだろうと特に気にしなかったが、この日は明らかに違っていた。それから俺は言葉の続きを待った。

「まあ、いいや。今度ゆっくり話す」

 そう言ってスギウラさんはよっこらせと立ち上がり、店内に戻った。俺とスギウラさんの仲だ。まあどういう内容かはいくつか想像がつくが、これ以上詮索するのはルール違反だと思ったのでやめにしておいた。それから店に戻ると2、3人の客がいた。俺らはまた「ラーメン屋」に戻り、客の空腹を満たしていった。それにしても今日の寒さはナカナカ鋭かった。風が強いせいもあって、さっきここに来る時もコートの襟を立てたりポケットに手を突っ込んでる人を見かけた。それからマフラーやニット帽、手袋などを身につけ防寒対策を完璧にしている人たちもいた。町中が冬支度を整えている気がした。

 ところが、翌日は打って変わって快晴だった。風もほとんどなく過ごしやすいポカポカ陽気だった。これが1、2月とは大きく異なるところである。1、2月みたいな真冬だったらほとんど毎日寒い。凍てつくようだ。しかし、たとえ冬でも12月のうちにはまだ秋のような一日が突然来ることがある。まるで、もう冬が始まってるのに秋がそれを認めないようである。そしてそんな日の街は、再び秋に戻る。厚着をしている人はおらず、ワイシャツなどの腕をまくってる人もいるくらいだ。そんな陽気に戻るのもいい。「秋」と「冬」が戦ってるようだ。


 「やめろ、やめろって」

公演も近くなり、劇団の練習もいよいよ佳境に入っていた。そんな中、若い連中の二人が喧嘩を勃発させたのである。諍いを起こしたのは当然男同士で、片方は熱血型でもう片方は斜めに物事を見るクールなヤツだった。彼らは日頃から仲が良くなく、互いに正反対な性格を嫌っていた。まあ彼らがいつも揉めてるわけじゃないけど、会話を交わしてる場面はほぼ見たことがなかった。当然同じくらいの連中やもっと若い子たちは俺やぐっさんに喧嘩の仲裁を求めた。しかしぐっさんは、

「お前らで解決しろい」

 と言って練習場を出て行ってしまった。ヤバイ、困ったことになったぞ。全員がコッチを見ている。訴えるような眼差しで。そこで俺は寅さん風に、

「お前ら、この金渡すから二人で飲んでこい」

 と言い5千円札を出した。幸い周辺には日中から開いてる飲み屋が何軒かある。しかも安い。5千円あれば二人で十分だ。彼らは、

「ありがとっす。何かすいません」

 と言った。俺は、

「いーんだいーんだ。その変わりじっくり話してこいよ」

 と言い、喧嘩を収めた。アレ、今ひょっとして格好良くねえ?気のせいか女性陣から羨望の眼差しが向けられてるような。それから数十分後にぐっさんは戻って来た。おおかたどこかでコーヒーでも飲んで休んでいたのだろう。

「終わったかあ」

 と言いつつ、アクビをしながら戻って来た。その行為だけで言ったら逃げたとも思われがちだが、立ち上げの頃から知ってる俺は、それがぐっさんなりの気遣いであることが分かっていた。若い奴らの間で喧嘩が始まった時、既に外出する準備をする彼を見て、ぐっさんも歳取ったなあと思ったものだ。というのも、劇団の立ち上げ当初、今とほとんどメンバーが違う中で俺は一人の団員と仲が悪かった。挨拶もろくに交わさないどころか目すら合わせようとしなかった。そんなある日、ついに俺らの間に激しい火花飛び散るバトルが起きた。周りの人間はみんな間に入って、俺らを説得してみたりやたらとその場を明るくしようとする者など様々だったが、ぐっさんは財布からおもむろに1万円札を出しそれを渡して、

「これで二人で気が済むまで話してこい」

 と言った。要するに当事者同士で解決しろと言うことだ。結局飲み屋に二人で行った俺とそいつは、始めのうちお互い無言でただ目の前にある酒やつまみを無心で摂取していたが、気がつくと喧嘩の内容とかそれまでのいざこざなどすっかり忘れてしまい、店を出る頃には互いに完全に打ち解けていた。それ以降、そいつとは良き友人として接するようになった。だから俺はぐっさんに感謝している。以前ぐっさんにそのことを話したら、

「照れるからやめてくれ」

 と言って交わされた。この日ぐっさんがすぐに出て行ったのは、(もうここの実質的なリーダーはタケオ、お前なんだぞ。だから喧嘩を止めて、若い連中の心を掴め。俺はそういう立場ではもうないから)というぐっさんの気持が伝わってきた。と、同時に、時間の流れを感じて胸にこみ上げる思いがあった。


 練習が終わり、みんなで近所の飲み屋を探したら、見つけた。さっきまで大げんかしてたのに二人で楽しそうに飲んでるじゃないか。まあこれで、俺が金を渡した甲斐があったというものだ。

「で、どうします?俺らも加わりますか」

 若いヤツの一人が聞いてきた。俺は一瞬迷ったが、

「イヤ、今日はアイツらだけで楽しんでもらおう。俺らは、今日はいいだろ」

「そっすね。じゃ、帰りますか」

 だが俺は帰るわけにいかなかった。珍しくぐっさんから飲みの誘いがあったからだ。最近のぐっさんは練習が終わったら真っ先に帰る準備をして、彼女と住むアパートに帰宅する。だから、俺もそうだが若い連中などがぐっさんを飲みに誘うなんてことはなかった。普段だと練習後に、

「この後どーする?」

 なんて話してる時には、もうぐっさんは帰宅しているというわけだ。新人が入ってきて、歓迎会みたいなものをやる時もぐっさんは長くても2時間以内に帰る。早い時は1時間ちょっとで。

「じゃ、俺はそろそろ」

 と言い残して颯爽と帰っていく。何年か前まではそんなではなかった。むしろ飲み会に積極的に顔を出しては自分の演技論とやらを熱く語ってた。ところが立ち上げのメンバーが次々に抜けていき、今の若い連中が数多く入ってくると、ぐっさんは飲み会には顔を出さなくなった。立ち上げメンバーが辞めていった理由の一つにぐっさんの酒グセの悪さも影響してたからかもしれない。ぐっさんはアルコールが入ると暴力を振るうようなタチの悪い人間ではなかったが、とにかく熱く語り出す傾向があった。そして、それが当時揉め事の原因となったことも多かった。ぐっさんは俺みたいな年下であろうが自分と同じ年齢以上であろうが容赦なく口撃した。とにかく言いたい放題であった。それが直接の原因だったかはともかく、立ち上げ当初のメンバーはどんどん辞めていった。それから新規メンバー募集ということで若い世代が入ると、ぐっさんは飲み会にほぼ顔を出さなくなった。同世代がいないからなのか、それとも少なからず自分がメンバーたちを辞めさせたと責任を感じてるのか、ハッキリとしたことは俺には分からない。ただそのぐっさんから飲みの誘いがあった。こんなこと、メンバーを入れ替えてから初めてじゃないか。てっきり今日も彼女が待つ自宅に速攻で帰るものだと考えていた。しかしこの日に限っては俺と一緒に飲み屋に入った。久しぶりだった。練習後にこうしてぐっさんと歩くなんて。本当に、久しぶりだった。


 

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