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カンパイ!  作者: 石野けい
7/14

7話目

ヤツは熱くなることがなくなったと言ったが、役者を続けて自分の道に向かっている俺すら熱くなることはだいぶ減った。夢だの目標だので胸を膨らませていた頃に比べると。それからこうも考える。もし仮に、俺が役者を目指してなかったら、と。決まってた地元の就職先に入り、地元で結婚して子供がいただろうか。もしくは上京して東京で進学してコッチで就職していただろうか。いずれにせよ何らかの職に就き、今よりも安定した暮らしを送っていたかもしれない。そして幸せかもしれない。それは分からない。なぜなら今の俺は、売れない役者とラーメン屋であって、就職もしなかったし結婚もしていない。だからって、人生をやり直せることは絶対にないし、高校を卒業してからの自分が選んだ道のりを後悔したくない。たとえそれが間違っていたとしても。心からそう思う。


 気がつくとさっきまで俺らと話していた初老の男がレジのところで会計をしていた。座ってた時は外していたようだが洒落たマフラーにロングコート、それからハットを被っていた。本当に俳優のようだ、何か只者じゃないオーラを醸し出している。会計を済ませ帰ろうとする男を呼び止め、俺は思わず聞いた。

「あの、あなたは一体何者なんですか」

 すると男は振り返って答えた。

「私か、私は数年前まである大学の教授だった。だが現在は隠居して、1日中読書にふけったり旅行をしたり、妻と散歩に出かけたりしているよ」

 と言った後に俺らに向かって、

「若者たちよ、悔いのない人生を進みなさい」

 というキザな言葉を残し、ドアを開けて去っていった。そうか、彼は元大学教授だったのか。どおりで言葉の端々に威厳が感じられると思った。まあどんな仕事をしていようが立派な人間は立派だしバカはバカだろうが。しかし「悔いのない人生」か。難しいことではあるけれど、悔いの残らないようにしたいよな、出来るだけ。祐介も同じことを考えてるらしく、

「悔いの残らない人生かあ」

 などと俺と同じことをつぶやいてた。それでも後悔して後悔して、これでもかってくらい後悔を繰り返す。その世界を知らなきゃ良かったと思うほどに。じゃあその後悔を恐れ、籠城すればいいのかといえば違う。俺もハッキリとしたことは分からないが、ただ一つ言えるのは「やり続けるしかない」ということだろう。たとえ失敗しようとも。もっと若い頃はそんなことまったく考えなかった。最近になってからだ。こういうことを考えるのは。そう思うと自分も少しずつ大人になってきたのかなと感じる。「青二才」なりにだが。


 その後、終電時間が近づいてきたので店を出て、駅まで歩き出した。道中俺らは終始無言だった。酒を飲んだ帰り道はいつも陽気になって調子外れの歌なんかを歌う祐介も、今夜は色々と考えているのか黙って歩いていた。俺は俺で、さっきの元教授の言葉を反芻してみたりと、考え込んでいた。

「じゃあな」

 と、駅についた俺らは相変わらず大した言葉も交わさずに別れた。それから電車に乗り外の暗闇を見ながら何となく、考え事をした。今日のような出会いは面白い。偶然が重なって話しただけのこと。今夜俺らがあの店に行ってなければ、いや、もっと言えば隣同士になってなければ、あの人に話しかけられることはなかった。あの人だって別に誰かに話しかけたくて飲みに来たわけではないだろう。むしろ一人で飲みたくて来ただろう。それをたまたま隣で飲んでた俺らに対して一言述べたくなった、そんなところではないか。そういう偶然の出会いで人間同士は繋がってるんだろうな。俺と祐介にしたって、俺とスギウラさんにしたって。もちろんその出会いが全部いいものとは限らない。傷ついたり傷つけてしまうこともある。だけどそれを恐れてちゃ駄目だ。いや、恐れてもいい。しかしあきらめちゃ何も出来なくなる。だからこそ俺は、明日もドアを開け外へ出て行く。晴れでも曇りでも雨が降っていても。なんて、ナゼこんなに急に熱くなっているのか。多分あの元教授に会ったせいだろう。俺は電車を降りて帰宅した。それは12月始めのことで、季節も冬に移り街を歩く人々もコートやダウンなど防寒対策をしていた。  部屋に戻った俺は、お湯を沸かしてお茶を飲んでからそのまま布団に潜り込んだ。風呂に入ってないとか歯を磨かなかったとか思ったが、時すでに遅しであった。激しい睡魔と共に深い眠りの底に沈んでいった。


 眠ってる間、俺は夢を見た。それは、どうやら中学の時のようだ。祐介の姿がいる。そして俺らは体育館で、バスケの練習をしてる。リングに向けてシュートを放ったり、ドリブルをしたり。俺らは互いに汗だくになってそれぞれに練習をしてる。「オウ」とか「ソリャ」とか言いながら。そして、その様子を藍が見ていた。隅っこで体育座りしながら。藍が見ているのに気づくと、俺は俄然やる気を出して練習に打ち込んだ。そんな夢だった。そのあとの展開とか結末などはよく分からない。だって夢だから。俺らが体育館でバスケの練習をしていたことやそれを藍が見ていたというのも、曖昧な記憶だ。ただ目覚めた時にとても心地よかった。いい夢を見た後はいつもそうであるように、最高の気分だった。

 それからそのまま飛び起きて、シャワーを浴びたり歯磨きをしたりと、昨夜サボってしまったことを一気にやった。あと鏡で顔を見ると無精髭が結構生えてきていたのでそれも剃ることにした。クリームを塗りキレイに剃り落とした。ツルッツルになった自分の顔を、鏡でもう一度見た。やっぱこの方がいいなあ、と心の中でつぶやいた。特に整った顔立ちをしているわけではないが、髭を剃ったあとの自分の顔を見るのが好きだった。ガタガタの道をキレイに整地したあととか、荒れ放題だった農地にピシッと野菜が植えられてるとか、どんなたとえ方でもいいが、知らないうちに伸びている髭を剃り落とすのは一種の儀式のようであり、気持ち良かった。それにしても髭ってのはナゼ勝手に生えてくるのだろうか。俺は特別に濃い方ではないので3、4日に一度でいいが、本当に濃い人は朝剃っても夜にはうっすらと生えているなんてことを聞く。俺はそんな髭の濃い方たちに言いたい。ご苦労様です、と。そんな風に髭の濃い方の中には1日2〜3回、朝晩オノレの顔と格闘しているツワモノもいるとか。3、4日に一度でも面倒だなと思うことがよくあるのに、上には上がいると、その話を聞いた時に俺はただただ感心した。

 それから今夜はバイトが入ってるので、だいぶ早いが俺は簡単な支度を済ませた。その後目覚めの紅茶を入れた。まあ紅茶といっても洗い立ての湯のみ茶碗で飲んだので風情も何もありゃしないが、俺は目覚めの紅茶が大好物だった。自販機とか、カフェや喫茶店ではコーヒーを飲むことの方が多いけど目を覚ましてから最初に飲むものは断然紅茶だった。まあ俺の場合、昼夜逆転しているのでいわゆる「モーニングティー」ではないが。いずれにせよ紅茶を飲むことに変わりはない。それもストレートじゃなくミルクティーを午後の早い時間か夕方か起きる時間にもよるが、目覚めと共に一杯分のお湯を沸かす動作がもはや習慣になっている。この日は割と早く起きた。つまり午後の早い時間帯ということだ。紅茶を湯のみ茶碗で静かにゆったりと飲んで近所を歩くいつもの服装になり玄関のドアを開けた。まだ夕暮れに差し掛かってはおらず日光を浴びることが出来た。俺はプラプラと歩いて買い出しに出かけた。いつもの通り近場で買い物を済ませ、またいつもの喫茶店に入った。するとこの日もまた例の男がカウンターの奥の席にいた。俺は心の中で舌打ちを打ちつつ真ん中辺に座った。俺はいつものようにブレンドコーヒーを頼み、少しの間瞑想にふけった。店内は俺と奥の男の二人しかおらず、奥じゃなくても落ち着くことが出来た。基本的にこの店が混んでる様子を知らない。俺が入ると大抵客は2、3人である。ただスパゲティやカレーなどの食事も売りとしていて、俺が行かない昼時なんかは主婦層に人気があって満席なんてことになる時もあるらしい。この店が繁盛しているのはありがたいことだ。なぜなら東京に来てから、ここは自分の生活に密着した「憩いの場」であるからだ。そこが経営不振を理由に潰れてしまっては非常に困る。分からないけど多分大切なものが失われたような気持ちになるんだろう。だからどうかお願い、潰れないで。なんてことを考えながら、俺は運ばれてきたコーヒーを口にした。苦い。しかし口の中で苦味が広がっていく感じが好きでもある。ここ数年でやっとブラックのうまみもそれなりに分かってきた。味わい深いというかなんというか。だから最初の半分はブラックで飲む。後半は、ミルクと砂糖を投入しカフェオーレ状態の味になるが。本来はそっちの方が好きなんだからしょうがない。ミルクと砂糖入りの方が。しょうがないったらしょうがない。てなわけで、残り半分のコーヒーにミルクと砂糖を入れた。いつものことだがこの時に多少の罪悪感がともなう。黒っぽいコーヒーの色を変えるその瞬間が。おそらくコーヒーを丹精込めて入れてくれたから、本来ならばブラックで最後までと思うのだが、つい半ばで断念してしまう。素晴らしい絵を他人が絵の具で上から塗りたくるような感じと言うと大げさだろうか。まあそんな気持ちである。


 ところで、俺の指定席つまりは奥のカウンター席に今日もいるなんとなく「いけ好かない男」は神妙な面持ちで何度も「ハア〜」とか「フウ〜」と深いため息をついていた。珍しいな、いつもならキリマンジャロを飲んで悦にひたってる男が落ち込んでるように見える。まあさしずめ失恋でもしたのだろう。もしくは、仕事で失敗でもしたのだろう。どちらにせよ自分の家に帰って好きなだけ落ち込んでくれ。せっかくの憩いのひと時が、お前のため息で台無しじゃねーか。どーしてくれるんだ、バカやろう。などと俺が軽く憤慨していると男は静かに語り出した。

「いえね、実は俺フラれちゃって」

 やはり単なる失恋話かよ。だが内容は結構なものであった。

「この前ね、結婚式だったんですよ。俺と彼女はもう8年の付き合いでした。それで、俺ももう30だし、これ以上待たせちゃいけないと思って身を固めることにしたんです」

 会話を交わしたことがなかったのでもちろん知らなかったが、ヤツは俺より年上だったのだ。いつも気軽な格好の俺とは違い小ぎれいな印象だったのでもっと若いのかと思っていた。それから俺は自分よりも年上と知ったことで彼を「いけ好かない男」から「店でよく会う常連さん」へと格上げした。年上に対しての敬意だ。それに俺よりも若造が午後のひと時にコーヒーを飲むなんて生意気だ、などと勝手に思っていたが30を過ぎた男ならばそれも許せる、十分許せると判断して、俺は納得した。そんな分析はともかくとして、話は続いた。

「で、準備の方も順調でした。結婚式から披露宴まで、綿密な計画が立てられました。あと彼女の花嫁衣装ももちろん。彼女は幼い頃からウエディングドレスを着るのが夢だったんです」

 

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