13話目
劇団の公演の日、つまり12月20日が来た。俺は何度も舞台の経験があるが、若い連中は違う。中には今日が舞台初経験というヤツもいた。若いメンバーはどいつもこいつもみんな緊張していたので、俺は彼らに声をかけた。
「噛んだらどうしようとかセリフが飛んだらどうしようとか、そんな心配するなよー。いくら失敗したって構わないから、とにかく今日はとことん楽しめー」
そんな言葉をかけたら彼らの緊張も多少解けたらしい。軽口を言い合ってるヤツもいたので、とりあえず安心した。それから俺はぐっさんに小声で、
「いよいよ最終日っすね」
と言った。ぐっさんも感慨深げな表情をしている。きっと本来ならスギウラさんと同じく、もう少しこの世界で頑張ってみたかったのだろう。まあ、ぐっさんが自分で決めたことだ。その決断に俺がどうのこうの言うのはおかしい。
公演のテーマは「メシ」だ。食うことに困った経験のない人間には分からないだろうが、役者であれ芸人であれ、それからミュージシャンであれ小説家であれ何であれ、それで稼げなければバイトするしかない。または一杯のコーヒー代がないとか、交通費を浮かすために歩くとかそういった経験が1度や2度はあるだろう。そういう時は金がないから惨めだ。だからといって食わなきゃしょうがない。そういうものを主なテーマにした。もちろん、恋だの友情だの、それから憎悪とかいろんなものを織り交ぜて。我ながらいい出来だったと思う。これぞ「自画自賛」だな。
公演が始まった。先ほどまであれだけ緊張してた若いメンバーたちも、のびのびと楽しそうに自分の配役を演じているようだ。俺もやっぱり、舞台に立つのは楽しいと感じた。いろいろなことがあったり、何かと考えることの多い歳に差し掛かってきたなあと思ってたけど、こうして舞台の上で演じてると全て忘れることが出来る。少なくともその時に限っては。それからぐっさんにも、これで自分の役者人生に幕を下ろすんだという思いがヒシヒシ伝わって来た。まるで噛みしめるように、一つ一つ大事に演じていた。
会場は、最大収容人数が5〜60人だ。しかし100人入る劇場に客が10人も満たないなんてことはよくあったので、今回はもっと小さな場所を選んだ。100人の劇場でも十分小さいが、今回はもっと小規模にした。5〜60人の劇場なんて、知らない人にとってはどんだけ小さいのかと思われるかもしれない。だが実際は学校の教室よりもやや広く、また舞台上も演じるだけのスペースが設けられてる。まあ何千人も入る大きなホールなどに比べたら、まさしく「小劇場」という名前が相応しい。いずれにせよ、俺らはその小劇場で公演をおこなった。満席とはいかなかったが、30席くらいは埋まり、スギウラさんの姿もあった。
「相変わらず律儀な人だな」
と、俺は思った。俺らの公演に行くと言い、本当に来てくれる。口約束だけの人も多い中で、スギウラさんはいつも約束を守って来た。そんなスギウラさんとも、もうじきお別れだ。公演の方は誰一人トチることなく、さらに思いっきり楽しめた。終了後真っ先にスギウラさんのところに行き、挨拶をした。
「地元に帰る準備とかで忙しいだろうにワザワザ来てくれてありがとうございます」
「いや、まあ多少は忙しかったけどね。でも良かったよーマジで。途中で泣きそうになったもん。まあ、泣かなかったけどな」
そう言って二人は笑った。それから間もなくしてスギウラさんは、
「じゃあお疲れ」
と言ってそそくさと帰って行った。多分知らない劇団員に声をかけられるのが嫌だったんだろうな。俺との会話を終えた後は逃げるようにして出て行ったから。それから、客のいなくなった劇場の片付けをした。大きな劇団ならばともかく、俺らみたいな小劇団だったら後片付けからチケット配りまで全部当然のごとく自分たちでやる。俺はそれが文化祭の準備みたいで結構好きだ。だが若い連中の多くはそうした行為が嫌いである。特に後片付けを苦手とするヤツが多い。まあ気持ちは分かる。何かデカイことをした後の喪失感、という感じかな。そんなことを考えながら片付けをしていたらぐっさんが、
「みんな、片付けてるところわりーんだけどチョットいいか」
と言って視線を集めた。そうだった、ぐっさん最後に挨拶するんだった。しかしこのタイミングで?せめて片付けが終わってからにすればいいのに。そんな俺の気持ちなどおかまいなしに、
「実は俺、今日でこの劇団を辞めることになりましたー。で、結婚します」
と、ぐっさんは軽い口調で言った。ああ、そういうことか。このタイミングも軽い口調も全部照れ隠しなのだと、俺は気付いた。若いメンバーは戸惑いを隠せず、
「本当ですか?」
「嘘じゃないですよね」
などと思い思いのリアクションをしていた。だがそこはみんな若さゆえの柔軟性も持っている。すぐに明るい方向に切り替えた。そしてやはりメンバーの一人が、
「胴上げしようぜ」
と言い、一気に胴上げムードになった。いいな若いって。何か底知れぬエネルギーみたいなものが溢れ出てるもんな。ぐっさんも俺も世間からしたら十分若いけど、さすがに彼らのように振る舞えって言われても無理だな。もちろん俺は自分のパワーが衰えたなんて、思ってないけど。
それからぐっさんは若い連中に引きずられていった。はじめは抵抗してたぐっさんだったが若い力に観念したのか、
「おっしゃ、5回あげてくれや!」
と言って、若者たちに持ち上げられてた。もちろん俺は加わらずに、胴上げの様子を眺めていた。もうぐっさんは来ないのかなんて思いながら。
「駄目だった」
と、オオハシからメールがきた。つまりプロポーズに失敗したということだ。まあいくら何でも申し込むのが早すぎたんだろ。オオハシめ、だいぶ落ち込んでるだろうな。冷やかしがてら連絡するか。まあ、ヤツはフラれたらそっとしておいてくれって言ってたけど。でもスギウラさんのことも言いたいし。とりあえず俺は電話をかけた。
「……」
「もしもし。俺だ、タケオだ」
ツーッ、ツーッ、ツーッ。オオハシのヤツ、電話を切りやがった。これは相当落ち込んでるか、もしくは俺に茶化されると思ったのか。いずれにせよもう一度電話しても同じだと思ったので、スギウラさんが実家に帰ることや、追い出し会を30日の夜にやること、それから場所は店内を締め切って行なう旨をメールで報告した。もちろん、
「30日の夜には夜行バスに乗ってでも来い。みんな待ってる!」
という、押しの文面も添えた。
スギウラさんは久々に地元へ、それから実家へ戻るということで、こざっぱりさせて来た。ワリと長髪だった頭はどこかの美容院でカットしてきたらしく、短くなっていた。それから無精髭の生えがちだった顔もキレイに剃られている。あと、ラフだった格好もどこの服屋で見繕ったのかは知らないがキレイめになっていた。人は見た目でこうも変わるのかと俺が言ったら、
「バカヤロー!人は中身よりもまず外見で判断されるんだよ。久々に帰るのに汚らしい格好じゃ迎え入れてくれる人にも失礼だろ」
そういうもんかね。まあそうかもしれないな。俺がもしスギウラさんの立場なら、そうするだろうな。追い出し会の前日、スギウラさんはこの店での最終出勤となった。坪田店長が店を開いて最初のバイトがスギウラさんだったらしい。
「当時はまだヒョロッヒョロの若造だったのに、すっかりたくましくなったな」
「そりゃ、坪田店長が俺をたくましくさせたんでしょう。ここで10年くらい働いて、まかないもたらふく食わしてもらいましたから」
「そうっすよ」
三人で何気ない会話を交わしただけだが、何だかとてもいい気分だった。もちろん今日がスギウラさんの最後という切ない思いはあったけど。
この日は年内の最終開業日だからか、店はひっきりなしに客が入って来た。そのほとんどが酔っ払ってた気がする。いつものようにどこかの居酒屋で酒を飲んでから締めのラーメンを、という感じの客が大半なのだろう。夜には珍しく満席だった。しかも寒空の中、外に数人の列も作っていたようで、俺はつくづく「酒の後のラーメンは別腹」だなと思った。
「食後のスウィーツは別腹」とはよく言われるが、少なくともラーメンはスウィーツじゃないな。そんなことをボンヤリ考えながら、俺らはあうんの呼吸で作業を進めた。俺がこの店に入ってから何百回と夜の店でコンビを組んできたスギウラさん。そんなスギウラさんと一緒に働くのもあと数時間。俺はこの間のぐっさんじゃないけど、それこそ「噛みしめる」ように残りの時間を働いた。
結局客は最後まで途絶えることがなかった。夜にしては珍しいが、この日は大抵の会社が仕事納めらしく、朝まで客は入り続けた。そのため暇な時に俺らがする、どうでもいい話は出来なかったが、俺はスギウラさんとの最後のバイトを精一杯やった。スギウラさんも最後の作業に精を出していた。言葉には出さないが二人とも、
「今出来ることを懸命に」
やっていた。目の前の仕事に集中することも同じである。課題をクリアしていくことも同じである。だから俺らは必死にラーメンを作る。そして客に提供する。それだけだ。




