12話目
「年の瀬かぁ」
客の一人がポツリと言った。
「そっすねえ」
別の、おそらく俺くらいの年齢っぽい顔をしたヤツが答えていた。彼も多分普段の仕事中では「そうですね」とか「ワタクシもそう思います」みたいにきちんとした敬語を使ってるんだろうな。会社っていうのも大変なんだろうな。しがらみとか派閥とか、まあよく分からないけど本来の業務以外にも抱えなきゃならないストレスがたくさんあるんだろう。本当ご苦労様だよ。などと見知らぬ客にねぎらいの気持ちを抱いてるウチに人数分の料理を作った。俺らにかかれば一挙に大勢の客が押し寄せても早い。ほんの数分だ。それから客たちは締めのラーメンを平らげてから、
「終電時間が!」
などと言って一目散に帰って行った。酒をしこたま飲んだ後でもラーメンを食いたくなる。その魅力って一体なんだ?それから再び店内は静かになった。つい先ほどまで大勢の客がいたのに、今は店を後にした人たちの熱気だけが残っていた。仕事が暇になってからスギウラさんが、
「タケオ、お前がこの店に入ってどのくらいになるっけ」
と、イキナリ聞いてきたので、俺はいつもとは確実に様子が違うなと思いつつも、
「だいたい3年半くらいですかね」
と返事をした。スギウラさんは、
「そうかあ、もうそんなになるかあ」
と言い、昔を懐かしむような顔をした。俺はその表情を見て耐えきれなくなり、
「どうしたんすか、何かあったんすか」
と聞いた。するとようやくスギウラさんは、重い口を開いた。
「ウチから、連絡があったんだ」
と、スギウラさんは口にした。一言だけ。スギウラさんは、とても冷静な口調だった。
「ウチからって、実家ですか。実家から連絡があったんすか」
もはや聞いてる俺の方が興奮気味だ。
「ああ」
「いや、ああじゃなくて。スギウラさん、ほぼ勘当されて上京したって言ってましたよね。じゃあ何で突然連絡が来たんですか」
「俺も始めビックリしたよ。コッチ出てきてから一度も連絡なかったしな。詐欺か何かかと思ったぜ」
「でもご家族だったんすね」
「親父だったよ」
親父さん。あの、玄関先でスギウラさんを追い出したという。確かお笑いの知識にまったく疎いとか言ってた。それから会社の社長である親父さんは長男のスギウラさんを後継ぎにさせようと、東京行きを猛反対した、はずだった。その親父さんから突然の電話。
「で、話はなんだったんですか」
「まあ、結論から言うと戻って来いってさ」
とりあえず、ショックである。それがもう決定事項だとすれば。
「で、どうするんですか」
「実家に帰ることに決めたよ」
ショックだ。何も言えない。最近、いろんな人と離ればなれになるな。遠くに行ってしまう人を止める力を俺は持ってないけど、でもヤッパリ寂しい。ましてスギウラさん、この気持ちは他の人とは違う大きな喪失感が俺を襲った。だが、スギウラさんが実家に帰ると決めた思いは十分納得がいった。
「俺だってまだお笑いを続けたかったよ。15年もこの世界にいるんだ。もしかしたらでかい『チャンス』が訪れてよ、それをモノに出来るかもしれねえ。そんな話を親父にしたんだよ。そしたら親父『そうだな』とか言うんだぜ。あんだけ頑固だった男がだ。以前なら『お前の考えなどどうでもいいからさっさと帰ってこい』とかなんとか言われてたぞ。変わったと思ったな。それからな、穏やかな声で親父は語ったよ。『戻ってきて仕事を手伝って欲しい』ってな。そんな風に言ってたけどそれが本心じゃないってことはすぐに分かったよ。長い間会ってなくても親子だもん。単に帰ってきてほしいって心の中で言ってることはすぐに伝わったな。ていうかちょっとタイム。たくさんしゃべって喉が渇いた」
そう言ってスギウラさんはバスケなどのタイムの仕草をしてから、水をガブガブと飲んだ。俺も頭の中で出来る限り聞いた話を要約した。スギウラさんは、
「クー。喉乾いた時の水は特にうまいな。で、どこまで話したっけ?そうだ。親父だ。まあ親父からそういう電話があってもさ、35歳くらいまでは『お笑い』を頑張ろうって思ってたから断るつもりだったんだ」
「なのになんで帰ることになったんすか」
俺は訪ねた。今からでも遅くはないので発言を撤回してくれと淡ーい期待を込めて。だが、
「前に親父がお笑いにスゲー疎いって話はしたよな。だから俺もまあ相変わらずだろうと思ってたんだ。そしたら親父、メチャクチャ詳しくなっててさ。あまり名前の知られてない若手芸人とかも知っててさ」
「本当ですか」
「しかもそれだけじゃねえ。親父、何度か東京に出てきて俺のライブを見たらしい。大したもんだよ、まったく。息子のライブを見るためだけに来るだなんてさ。そんで一声もかけずに帰ってたなんて全然気がつかなかったよ。そんな話聞かされてみい、自分もこれまでお笑い頑張ってきたつもりだけど、親父の根気に『負けた』って思ったよ」
確かにスゴイ。お笑いにまったく興味なかった親父さんがそこまでやるとは。息子の目指すものを理解しようと必死になったんだろうな。もし俺がそういう、父親の立場になったらそこまでやれるだろうか。スギウラさんの親父さんみたいになれるだろうか。分かんない。自分は父親じゃないし、ましてや結婚もまだだ。
「で、帰ることにしたんですか」
「まあ、な」
親父さんにそこまでされちゃしょうがない。俺がスギウラさんの立場でも、きっとそういう決断を下しただろう。しかし、俺らの間には一つの決め事があった。それは、スギウラさんはお笑いを、俺は役者の道を歩んできたが、どんな理由があろうともどちらかが先に諦めたら「負け」だった。特に意味はないが互いに意地の張り合いのようなものがあり、目指す道は違えど両者ともに大きな刺激となっていた。何にせよこの勝負、俺の勝ちだ。元々勝負はしてなかったけど。察した様にスギウラさんは、
「分かってるって、タケオ。お前の勝ちだ」
それはともかくとして、
「じゃあ芸人の方は辞めちゃうんすか」
俺はそっちのことも気になっていた。スギウラさんが東京に出て、15年も続けてきたことだ。スギウラさんが今32歳だからおよそ人生の半分を捧げてきたもの。そんなお笑いの、芸人の世界に対しての思いは?
「そりゃ後悔もあるさ。例えば『あの時もっと笑いが取れたんじゃないか』とかさ。もちろん芸人の世界にも未練があるな。あと2、3年やれたとかね。まあそれはさっきも言ったけどな。とにかく!」
それからスギウラさんは宣言するような口調で言った。
「俺はお笑いを完全に辞める!そして地元に戻る」
「そうすかぁ。しかし寂しくなりますねえ」
「すまんな、タケオ」
「スギウラさんが謝ることないっすよ。けど坪田店長は残念でしょうねえ」
「ああ。最後まで引き止められた」
そこでようやく俺らは笑った。坪田店長は今の店を皮切りに、2店舗目を計画中だった。その店長候補にスギウラさんの名を挙げていた。給与面など、条件は良かった。そこは坪田店長の太っ腹な一面が出ており、スギウラさんも、
「このままラーメン屋もいいかもな」
と言っていた。その言葉がどこまで本音だったかは知らないが、とりあえず坪田店長はスギウラさんを心底信頼していた。その証拠に、スギウラさんの「店長候補」の話である。一応バイトなのに。そう思ったが坪田店長はそんな俺の気持ちとは裏腹に、
「もちろんお笑いで成功してくれることを願ってるよ、みんな。けどもし、もしだけどスギウラが芸人を諦めて就職しようとか言うんだったら、そん時は俺がシッカリ面倒見てやるからよお」
なんと頼りがいのある言葉だろう。まあその反面、
「早く芸人を辞めてウチの社員になってくれ」
という心の声が伝わってきたけど。だからスギウラさんが実家に帰ることを伝えた時、坪田店長は何度も電話をかけしつこく引き止めたそうだ。一度なんか高級な清酒を持って、スギウラさんの家まで来たとか。それでもスギウラさんの心が変わらないと分かると、
「よっしゃ分かった。応援するぜ」
と気持ちを切り替えた。そして今では長い間勤めてくれたお礼にと、スギウラさんの追い出し会(『お別れ会』というと後ろ向きなイメージだという理由らしい)を必死になって計画してる。坪田店長っぽく豪快な「追い出し会」になるんだろうな。
スギウラさんはいつまで東京にいるんだろうか。
「とりあえず年内はいるよ。まだ決めてないけど多分来年の三が日とかに帰るんじゃないか。どちらにしても冬休み中には戻らないとならないな。向こうでの新生活も始まるし」
そう言ったスギウラさんは、少し照れ笑いを浮かべた。「新生活」か。今の俺にはまだ関係ないが、その言葉の響きに少し憧れのような感情を抱いた。シンセイカツ。何だか、新しい世界に飛び込むような、そんなワクワクする言葉だな。もちろん実際はそんな生易しいモノではないだろうが。新生活か。芸人から一転、スギウラさんの新しい人生が始まるんだろうな。そこには当然だが芸人仲間や俺らの姿はないのか。寂しいがこれも現実だから、受け入れていかないとな。




