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カンパイ!  作者: 石野けい
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若者たちの夢と葛藤

楽しく生きようぜ!

もう故郷をはなれて10年目になろうとしている。高校を卒業し、

「俺、ぜってー役者になるからな」

と友達に言い残して、勢いよく電車に乗り込んでから、流れる月日の早いこと早いこと…。もはや、上京した理由さえ忘れることがある。俺は、寅さんみたいな国民的スターを目指して家を飛び出したんだった。当時決まっていた、地元の就職をわざわざ断ってまで。

 今俺は、いつも通りバイトに向かおうとしている。もう27歳だ。この間、地元の友達が結婚したって連絡が来た。ものすごい嬉しそうに。

「タケオ、俺結婚したぜ」

 知らねーよおまえが結婚しようがしまいが。そう言ってやりたかったが、ぐっと呑み込んで、

「おめでとう、やったな」

 と言った。本当は、他人の幸せなど祝ってる余裕はないのだが。

 結婚式の誘いは、さすがにオーディションを言い訳にして断った。まあ、その日はバイトしか予定がなかったので、行けたんだけど。ていうか俺、バイトばっかやってるな、最近。

 

 俺の本業はもちろん役者のつもりだ。まあ、食えてないから本業といえるのかは微妙だが。役者活動もやってはいる。オーディションとか、劇団での公演とか。映画にも出たことがある。通行人の役で…。セリフはなかったさ。いいことと言えば、芸能人に会えたのと、あとロケ弁が美味かったくらい。

 そんな俺だから、もちろん役者の稼ぎなどないに等しい。バイトしてなんとか食いつないでるというわけだ。

 バイトも、何個職をかえたか数知れず。20代前半は今考えると、まさに顔から火が出るほど恥ずかしいのだけど、やたらと血気盛んでよく喧嘩したものだ。いろんなバイト先の人たちと。1日でやめたこともあったな。

 あの頃は本当、全てがみじめで金もなくて、よくアパートの電気とか水道を止められて、真っ暗の部屋の中で1人、布団をかぶって夜が来るのを待った。なんて哀れなんだろうと、思ったものだ。

 

 25くらいになって、ようやくバイトを辞めなくなった。今のところは、もう3年くらい続いている。それまでの俺にしたら、快挙だ。というのも、もちろん電気とかを止められるようなミジメな思いは、さすがに二度としたくないってのが大きかった。と同時に職場での出会いが、当時廃人のような生活をしていた俺を再び蘇らせ、バイトを続ける大きな要因となった。

 その人はスギウラさん、32歳。俺の5コ上だ。もう、15年くらいお笑い芸人をやっているが、俺と同じく、食えてはいない。やっぱり、バイトして食いつないでるというわけ。

「売れねーなー、売れてーなー」

 がスギウラさんの口癖だ。いっつもバイト前とかバイトの休憩中に、一生懸命ネタを考えてる。そして周りの反応がいいとニコッと笑って、「これは使えるかもなぁ」と、つぶやく。逆にイマイチの反応だと「これは使えん」と却下にして、周りの反応から使えるネタとボツネタの判断をすることがよくある。なぜなら

「自己満足のために芸をやるのは素人」

 という持論が、スギウラさんにはあり、つまり

「お客さんが笑ってナンボだろ」

 ということだそうだ。だから、人の反応はとても大事にしている。周りの意見など気にすることなく、自分が面白いと思うことだけを追求するのが真のプロでは?という人もいるが、スギウラさんに言わせるとそれは「きれいごと」らしい。ちなみに、スギウラさんがもっとも尊敬する芸能人は「タモリ」。ちょっと純度100パーセントの芸人とは違うが、あのスタンスがカッコイイとのこと。まぁ、ちょっと分かるけど。この、スギウラさんとの出会いが、俺の人生に強い影響を与えることになった。


 午後7時。けたたましい目覚しの音がなる。この時間に起きるのは、いつもの通りだ。窓の外は既に暗い。もう、この夜型の生活にもすっかり慣れてしまった。25歳の時、求人広告で近所のラーメン屋が、夜8時〜早朝5時という時間帯で募集をかけていた。深夜なら時間も有効活用できるし、時給もいいし。そう思った俺は早速店に電話をかけ、その日のうちに面接に向かった。そして、店長がいきなりこう言った。

「明日から来れますか?」

「ハイ?…はい!」

 あまりの急な展開にビックリしてしまった。店が「急募」ということもあり、面接に行ったその足で、俺は合格し、収入源を得た。その日から夜型生活はスタートし、もう3年くらいになる。

 出勤時間の1時間前に起きるのも、すっかり習慣になった。この時間に起きるとテレビはもうゴールデンタイムだ。たまたまやってたくだらないバラエティ番組をかけて、まだ少しばかりねぼけまなこのまま、歯を磨いたりうんこしたりして、のんびりと出勤の準備を進める。テレビでは何処かで見たことのある芸人か誰かが、はしゃいでいた。俺はテレビのヴォリュームを絞った。いや、そりゃ分かるよ、あんたたちだって懸命に仕事してることくらい。けど、これから長〜い夜勤が待ってるから。少し静かにしてくれよ。特に理由はないがテレビに向かって悪態をついた。

 俺は週5回、バイトしている。深夜枠でわりと時給もいいから、とりあえず今は生活には困らない。たとえば劇団で公演があって、長期(ひと月とか)の休みをもらう時は、結構切り詰めた生活になるけど、それもまあしょうがない。


 ちなみにスギウラさんも週5でバイトを入れてる。もちろん、ライブとかお笑いの活動がある時は休む。ところで、俺とスギウラさんは週に3回、一緒に働く。スギウラさんと同じシフトだと、休憩中や客がいないときにいろんな話ができて楽しい。お互いの活動の話や女の話、時には、売れなかったらどうするかみたいな、ネガティヴな話も。でも忙しいときはそれなりに楽しい。もう、店のほとんどの業務をまかしてもらってるから、やりがいもある。

だから、役者という本業をたまに忘れてしまう。バイトが楽しくてイキイキしている自分に対して、

「俺はラーメン屋をやるために上京したんじゃねーだろ」

 と自問自答するのだ。

そんな時スギウラさんに相談すると、

「今出来ることを精一杯やるしかないのだよ。たとえばさ、このラーメン屋のバイトがタケオの役者の道に繋がらないとも限らない」

 と、まぁとりあえずは頑張れって意味だそうだ。

 んなわけで俺は、とりあえずラーメン屋のバイトを頑張ってやっている。今日はスギウラさんはいないけど、店にはいろんな個性ある面々がいて、退屈はしない。


 ちなみに、店には俺を入れて6人のスタッフがいる。まず、上田さん。正確な年齢は知らないけど、見た目は60歳近い。店の最年長だ。元々は銀行マンで、結構なエリートだったそうだが、50過ぎでリストラに遭い、今は家族を養うためにラーメン屋で働いている。銀行マンだったという話は人から聞いただけで、上田さんはそんな自慢など一切しない、謙虚な人だ。そんな上田さん、とてもいい人なのだが、若干酒癖が悪くて一緒に飲みに行くと、ちょっとオネエ言葉になる。まぁ、絡み酒よりは全然いいが60近いおっさんのオネエ言葉には、少したじろいでしまう。

「もう一軒行きましょうよ〜ん」

 などと言われると、次の日少し気まずくなる。まぁ、本人はまったく覚えてないようだが。ちなみに上田さんは正社員だ。

 それから、キョウくん。バイトでありながら、週に5〜6回は必ずいるツワモノ。日本人の父と中国人の母をもつ、ハーフだ。頭がよくて勉強家、休憩中にはいっつも何かしらの勉強をしている。日本の国立大学に入り、将来は世界を飛び回るビジネスマンになりたいそうだ。俺とは人種が違うし、話も合わなそうだが、ハーフだからなのかキョウくんの持つ性格そのものなのか、とても面白い。また、キョウくんには場を和ませる力というのが備わっている。たとえば店が忙しくてちょっとピリピリしてる時とか、キョウくんが「まあまあ」と言ってその場を穏やかにする。周りも、キョウくんが言うからいっかぁ、という感じになって、ピリピリムードは解決する。ちなみにキョウくんの場を和ませる力に俺らは何度も助けられてきて、そのうちに「キョウくんのまあまあ力」と呼ばれるようになった。若干20歳だ。にも関わらずなんというか、オーラがある。キョウ君と、あと上田さんと、それから後ほど紹介するが、うちの店長の坪田さんは主に日勤だ。

 店は、午前11時にはじまる。日勤の人たちは、店がはじまる時間帯から、夜勤の人と代わる8時くらいまでいる。夜勤の人間は、時々長期の休みをもらうことがあるので、店長の坪田さんや、社員の上田さんが代わりに入ってくれる。ありがたいことだ。


 店を仕切る、店長の坪田さんを紹介しようと思う。もう、40過ぎになるが、30代まではミュージシャンをやっていた人である。30を過ぎたころに、付き合っていた彼女から妊娠したとの報告を受け、目指していたミュージシャンの道をきっぱり辞め、当時一番好きで足繁く通っていたラーメン屋の店主に懇願して修行させてもらい、2年で自分の店を開いたそうだ。だから、俺とかスギウラさんとかが休みをもらうのを快く承諾してくれるのも、坪田さんが俺らの気持ちを理解してくれるからなのだ。

 

 あともう一人、店にはメンバーがいる。オオハシという奴で、俺と同じ年の27歳。夜勤で、週に3回くらい出てくる。このオオハシは、風呂なしトイレ共同のおんぼろアパートに住んでいる。この男は金がある程度貯まると、長期(ひと月〜ふた月)の休みを取って旅に出かける。オオハシいわく、30過ぎくらいまでは思いっきり旅がしたいそうだ。奴の住むおんぼろアパートは、冬場は隙間風が入ったりして死ぬほど寒いそうだ。だから旅を続けられるのもさすがに30くらいまでだと考えてるらしい。ちなみにオオハシは寅さんの大ファンで、旅に行く前には必ず店に立ち寄って、

「俺はこの柴又には2度と帰ってこないからな、あばよ!」(寅さんがよく言うセリフ。ちなみにここは柴又ではない)と言って去って行くのだが、休みが終わると「おはようございまーす」と、店へのみやげもの片手に、陽気に戻ってくる。変な男だ。


 以上が店の面々だ。スギウラさんにせよどのメンバーにせよ、みんな個性があって面白い。いっそこのままラーメン屋にしゅ…いかんいかん、俺の本業は、役者だった。


 さっきも言ったが役者といっても劇団の公演が大半を占める。あとはオーディションや映画の端役くらいで、当然稼ぎにはならない。スギウラさんもよくお笑いのライブに出ている。と言ってももちろん単独ではなく、総勢10組とか15組くらいの芸人が出演するようなライブに出る。こんな大勢の芸人が出るような舞台には正直何の期待もしてなかった。ところがスギウラさんと仲良くなって、彼のライブに足を運ぶようになると「なんでこいつらが食えてねーの?」と思うくらい面白い芸人が結構いた。あいつらは、どのあたりにいるんだろう。もう一歩のところまで来てるんだろうか?なんてことを思ったりしながら、スギウラさんが出演する日は、予定がなければなるべく行くようにしている。まぁ、スギウラさん(コンビで漫才とかコントとかをしている)は受けたり受けなかったりだが。少なくとも、スギウラさんたちがライブで一番笑いを取ってるところは、見たことがない。

 

 何度か、スギウラさんの家に行ったことがある。シンプルな部屋だ。4畳半で、何冊ものネタ帳が積み重ねられている。そしてそこには、部屋中に数え切れないほどの本が置いてある。小説から、ノンフィクション物まで。学者か、と突っ込みたくなるほどに。

「いや、本を読むのはさ、大好きだけど、書くのが苦手なんだよね。だって、高校の時の国語の成績、10段階で2だもんよ」

 2って、頭の悪かった俺より低い。だって俺、高3の国語の成績、確か4だったぞ。

「だから、たくさん本を読んで、国語力をつけてお笑いに活かしていきたいって思ってるのだよ」

 ふーん。スギウラさん本当は作家になりたかったのかもしれないな。文章で自分を表現したいって思った時もあったのかもな。表紙に自分の名前が載ったらなんて思った時もあったのかな。スギウラさんの部屋にある無数の本を眺めながら、俺はボンヤリとそんなことを思った。

 

 スギウラさんとはよく飲みにも行った。まぁ、店が閉まるのが早朝5時とか5時半で、その時間に空いてる飲み屋もほとんどないから、俺たちはいつも同じ店に入った。

 その店は、午前5時から昼くらいまでやってて、主に仕事終わりのタクシー運転手とかキャバ嬢とか、俺らみたいな深夜営業組を相手にしている。店の主人は、70近いおっさんで、よく運転手のグチに耳を傾けている。コの字型のカウンターで、8席ほどしかないが、酒も料理も安くて美味く、店は朝という時間帯にも関わらず、繁盛している。俺らはだいたい、店の奥のカウンターに座り、2〜3時間飲んでから帰る。時々オオハシを連れて行き、あいつの酒が止まらなくなると、5時間くらいいることもある。

 勘定は、必ずスギウラさんが払ってくれる。

「今日は俺が出しますよ」

 と言っても、スギウラさんは、

「じゃあ千円だけね」とか「小銭だけ」と言って、俺とかオオハシにはほとんど出させない。まったく、自分だってそんなに金があるわけじゃないのに。芸人の間で後輩には絶対金を出させないとか、暗黙の了解みたいのは、俺とオオハシには分からないけど、とりあえず俺たちはスギウラさんのことを「寅さん」と言わずにはいられなかった。金がなくても奢ろうとするその心意気こそ、まさに寅さんだった。俺もオオハシも寅さんファンなのでスギウラさんの男気にはいつも痺れている。

 

 今日はスギウラさんが休みの日で、俺とオオハシが、夜の担当だ。

夜は大体平日は2人、週末は3人でまわすのが基本だ。オオハシは、日本はもちろん、世界のいろんな国々を旅している。金の許す範囲で。そういうオオハシの、旅の話を聞くのは本当に楽しい。たとえば、

「あれ、鳥取だったかなあ。夏の暑い日の夜寝ようと思って公園のベンチで目をつむったんだよね。そしたらさあ、なんとなく気配がして目を開けたら、目の前におっさんがいんのよ。『ななな…なんすか?』って俺、すげえ動揺して聞いたのよ。そしたらそのおっさん、『わりい、タバコ1本くんない?』って、すげえ笑顔で聞いてくんの。なんか俺も一緒になって笑顔になってさ、しまいにゃ二人で一緒に吸ってんの。あんときのタバコの味忘れらんねえなあ」

 こんなエピソード、オオハシの旅の話のほんの一部に過ぎない。オオハシはたしかに貧しくて、普通の人には決して真似できないような人生を送っている。しかしこいつが旅先でいろんな人と出会い、また経験したことは、俺らじゃ絶対に出来ないことでもある。

「一番最近で、どこ旅したんだっけ?」

 俺がそう尋ねると、オオハシはすかさず「タイ」と答えた。そうかあ。じゃあ今日はオオハシにタイの旅の話を聞かせてもらおう。店が暇なときに、いっぱい。

 ところが今日はそうはいかなかった。「珍客」が多かったからだ。


 珍客とはいわゆる酔っ払ったサラリーマンや、やたらと絡んでくるにいちゃん、泥酔しきったスナックのママなど、まあつまり簡単に言うと「面倒臭い客」のことである。それら面倒な客をひっくるめて、珍客と俺らは呼んでいる。

「今日は珍客が多いな」

 俺はカウンターキッチンの中で、オオハシにぼそっとつぶやいた。店は、カウンター席が10と、奥に一つだけ4人掛けのテーブルがある。店が混んでる時や、集団の客は、テーブル席に座らせる。テーブルに座るのは主に3〜4人のサラリーマン風が多く、彼らをテーブルに通すと、大抵ラーメンを食う前にビールを飲む。大体、ジョッキで一人2〜3杯は注文するので、店も儲かるというわけだ。

今日はあいにく、テーブルは一度も使われなかった。代わりに、珍客の対応に忙しかった。俺やスギウラさんは、ある程度の珍客にはもう慣れたが、Aランクの珍客にはさすがにたじろいでしまう。Aランクの珍客とは、しつこいくらいに絡んでくるヤツや、カウンターに突っ伏したまま泥酔して死んだように眠ってるヤツとかで、いつも対処に困る。

 そんな時、Aランクの珍客の扱いがもっとも上手なのがオオハシだ。どんなにカウンターで爆睡して起きそうにない客もオオハシが、「お客さーん、ラーメン出来たよー。のびちゃうよー、俺、食っちゃうよー」

 そんなオドカシをかけると、それまで寝ていた客は急に起き出して、もくもくと麺をすすりだす。そして何事もなかったかのように帰っていく。客が無事帰ると、オオハシは俺の方を見て、一丁あがり、という感じで笑ってみせる。

 多分、オオハシは旅先でいろんな人と出会い、また接してきたのだろう。もちろん俺も、役者をやって来ていろんな出会いをしてきたし、また経験もしてきた。けど俺らが苦手とするAランクの珍客をオオハシがまるで普通の客が来たように対応しているのを見ると、俺は感心して脱帽せずにはいられない。


 早朝5時。店じまいも済んで帰り支度を始める。すると、一人の客が入ってきて、

「なんだあ。もうおしめえかあ」

 と言って、ちどり足で帰っていった。よくあることだ、早朝まで営業してると。着替えを済ませ、シャッターを閉める。空はもう、明るくなりはじめていた。夜から早朝まで働き、俺もオオハシもさすがに言葉少なになっていた。

「じゃあ、また今度な」

「おう、まったなー」

それぞれのアパートは、ラーメン屋を中心に別方向にある。俺らは自分の住む家に向けて自転車を漕いだ。


 けたたましいアラーム音、ではなく携帯の着信音で目を覚ました。

「ったくよお、今日はバイトも休みだし、役者の活動もないから遅くまで寝てようと思ったのにい」

 普通なら遅くまで寝てるというと、大体昼ごろをイメージするだろう。だが俺の場合、基本的に昼夜逆転してるから、夕方とか夜まで眠る。時計をみたら〈2時43分〉だった。

「チクショー、まだまだ寝れるじゃねーか」

そう思いながら、やむなく携帯を手にした俺の心は、驚きと喜びがわっと押し寄せて来て、電話を掴んだ。


〈祐介(地元)〉


 そう出ていた。間違いなくあの祐介からの電話だった。俺が役者になるって言って上京した時、東京の大学に行くという理由で、同じように故郷を出てきた祐介。ヤツとは小学校・中学校と一緒だった。頭のいい祐介は、地元で1番の進学校に行き、一方俺は、普通の高校に進んだ。

 祐介とは別々の高校に行ったが、高校に入ってからもその交流は途絶えることがなく、相変わらず付き合いは続いた。その祐介からの電話だった。俺がなぜ、祐介からの電話に驚きと喜びの感情が重なったかって言うと、それが5年振りのものだったからだ。祐介とは上京後も始めのころはよく遊んでいたが、歩む道の違いから必然的に疎遠になっていった。祐介は、東京の一流大学を出た後、大手の商社に勤め、今では結婚して子供もいる。


 俺と祐介が出会ったのは小学校1年生の時だ。俺らの地元はとてもイナカで、山々に囲まれた土地だった。俺は当時6歳で、地域に一つしかない小学校の入学式に出た後、たんぼ沿いの小さなドブ川の横を歩きながら帰路についていた。すると祐介が近づいてきて、唐突にこう言った。

「お前もウチに来て、一緒に昼飯食うか?」

 突然の誘いに最初は戸惑った俺だったが、

「いいね、いく!」

 と答えた。後で知ったのだが、祐介は入学式の時、俺の真後ろに立っていたらしい。

(こいつなんか面白そうだな。友だちになれそう)

 前にいる俺を見てそう思ったらしい。祐介は帰り道に話しかけるタイミングをうかがって俺を誘い、一緒に昼ごはんを食べた。以来、俺たちは友だちである。小1からだから、もう20年になる。幼馴染だ。

「もしもし」

「もしもし。久しぶりだな、タケオ」

「ああ。何年ぶりだ?もう5年くらいは会ってねーよな」

「元気かよ。相変わらず、売れない役者生活、やってんのか?」

「まあな。今は深夜でラーメン屋のバイトやってて結構時給もいいから食えてないってことはないけどな」

 そうだ、前に祐介に会った時は本当に金がなかったんだった。しかもバイトもしょっちゅう変えてたっけ。電気も、止められたっけ。

「タケオ、今の仕事どのくらいやってんだ?」

「今の仕事か?大体、3年くらい」

「そおかあ」

 祐介から、喜びとも安堵ともつかない感情が伝わってくるのを、俺は感じた。5年くらい前、俺が自堕落な生活を送ってた時、一方の祐介は会社に入って間もないくらいだった。小学校のころから仲がよくて、同じように遊んできたのに、どうしてこうも差がついたのかとやけになって、確か当時俺の方から疎遠になっていったんだよな。祐介はいつだって、俺のことを気にしてくれてる。口では「売れない役者」とか言いながらも。

「本当か!じゃあ、今は電気止められたりはしてねーんだな」

「してねーって」

「それを聞いて安心したよ。ああ、タケオの声、久しぶりに聞いたら飲みたくなったよ。近々飲まねーか?」

「いいねえ。約5年ぶりの再会といくか」

こうして俺らは、お互いの都合のいい日に会う約束をし、電話を切った。


 それから一週間ほど休みをもらった。劇団の公演やら、映画のオーディションが入っていたからだ。俺が所属する劇団は、いわゆる『大人計画』みたいなデカイ組織ではない。メンバー10人ちょっとの、小規模な劇団だ。3〜4年前に立ち上げ、それこそ当時は、

「『大人計画』みたいなでっかい劇団にしようぜ」

 と飲み屋などで熱く語っていたものだ。しかし現実はそう甘くはなく、公演の度のひどい空席や資金不足などで、立ち上げ当初8人いたメンバーも実家に帰るなどの理由で辞めていき、当初のメンバーは最年長のぐっさん(30)を筆頭に、27の俺が残った。だが俺は、去っていったメンバーを非難するつもりはない。彼らには彼らの事情というものがあって、それを俺らは素直に受け入れてきた。

 それ以降は張り紙やらネットやらで新規メンバーを募集した。募集をかけて入ってきたメンツはみんな20代前半で、少し年齢のギャップを感じてしまう。まあこんなからぶき屋根のように、今にも吹き飛んでしまいそうな劇団の門を叩いてくれただけでも、ありがたいと思っている。また、劇団員がいくら若かろうとも、バイトにいけばスギウラさんやオオハシがいて、彼らと一緒に働く安心感が、自分の拠り所になっていた。

 そして、公演とかで思いっきり声を出したり、演技をするのはやっぱり楽しい。だから俺は10年も売れないながらも続けてるんだと思う。しかし、よく練習後や公演の後に劇団のメンバーと飲みに行くんだけど、

「うちの劇団これからどんどん行くぜえ」

「おお!そのためには…」

 などと若い連中が熱い演劇論を交わしていると、ああ、俺にもあんな時代があったなあと思い、その会話に入っていくことは、もう出来ない。最年長のぐっさんに至ってはもはや飲み会にも参加しない。ぐっさんは同じ立ち上げメンバーの彼女と一緒に暮らしていて、劇団の活動が終わると真っ先に帰っていく。俺はとりあえず、飲み会には参加している。俺らも数年前までは熱い論議を朝方まで交わしてたくせに。だけど、12時を過ぎたあたりで、

「じゃ、俺はもう眠いからこの辺で」

 と言って、店を後にする。若い劇団員たちの、

「お疲れしたあ!」

 という声を背にしながら。もはや彼らについていく気力がない。もちろん勘定は最年長の俺がほとんど持つ。

どっと疲れが押し寄せる。

「飲み会に参加するのも、そろそろ潮時かな」

自分が歳取ってきたことを感じていた。いわゆる「若いノリ」にはもうついていけなかった。電車はまだあったが、俺は歩いて帰ることにした。飲み屋から家まで30分くらいかかるけど、昼と夜が逆転した生活を送っている俺は、全然眠くなかった。


 深夜歩いているといろんな面白いことに遭遇する。酔っ払いの集団や、彼氏とケンカして(もしくはふられて)やけ酒を飲み、「バカヤロー」という言葉を連呼するねえちゃん、千鳥足で歩いてるおっちゃん・・・。まあ大体が酔っ払ってるんだけど。あと、8割方奇声を発している。

「ふざけんなー」

 とか、

「フ××クー」

 とか、

「アイム、ハッピー」

などなど。まあ、どの言葉もこんな遅くに迷惑には違いないが。

 それからコンビニか深夜営業のスーパー帰りの人ともよくすれ違う。カップル、フリーターっぽい人、大学生(もしくは専門学校生)など、いろいろいるが、みんな袋を持っている。夜食の買い出しだろう。すれ違いざま時々その袋から、おでんなんかの匂いがプアーンとすると、自分が空腹なことに気づく。

「ああ飲みの時もっと食っときゃよかったな。人がいっぱいいる飲み会じゃ、あんま食えないよな」

 などとつぶやいて、歩いてる途中にコンビニを見つけたらすぐ入っておでんでも買うことに決めた。あとこれはよくあることなんだが、「ウォーキングハイ」みたいな症状になることだ。ウォーキングハイとは、俺が勝手につけた言葉で、まあ「ランナーズハイ」の散歩版だ。この状態になると、最初はトボトボ歩いてたのが、だんだんとテンションが上がって、歩くのに夢中になっている。汗をじんわりとかいてもマッタク気にならない。空腹のことも、全然気にならなくなる。よく、飲んだ帰りに歩きたくなって、気がつくとウォーキングハイになることがある。まあ、今はあのおでんの匂いで空腹になったから、見つけ次第コンビニに入ろうと思ってるけど。


 深夜のコンビニも注意してみると結構面白い。マンガ雑誌を読みふけってる人、エロ本コーナーで表紙をじっと眺めているおっさん、二つの弁当を手にとって必死に迷っている若者など、昼間よりも変わった客が来てんじゃないか。ウチの店も、夜間は変な客多いしな。とりあえず、俺は目的のおでんと、ホットコーヒーでも買おう。まだ寒い季節じゃないが、深夜に飲む熱いコーヒーはたまらなく美味しい。

 そんなこんなで、大体30〜40分かけて家に着いた。時刻は夜中1時ころ。いつもなら、ラーメン屋で働いてる時間。まだ全然眠くはない。あたりは当然真っ暗で、普通に働いてる人とかはもう寝てるだろうけど、これが俺の規則正しい生活というやつだ。夜空には、一個の星も見えなかった。変わりに、目の前に大きな電信柱があった。これが俺の地元なら満点の星空がのぞめたろうに。でも今そんなことを言ってもしょうがないので、さっさと家の中に入った。

 俺の部屋は1階のカドにある。カド部屋なので窓は部屋の両側にあって、さらに大きい。だが木造なので、音が響く。たまに深夜に大きな物音を立てると

「ドン!」

って上と横の両部屋から「うるせえ」という、圧力をかけられる。まあだいぶ慣れたが。いずれにせよ、夜遅く帰ってきた時はあまり大きな音は立てられない。

 自分の家のドアを静かに開け、静かにシャワーを浴びて静かに着替えなどを済ませた後、俺は久々に中学の卒業アルバムを見た。

「5年振りかあ」

 祐介とは中2の時に同じクラスだった。アルバムには祐介との写真が何枚もあった。当然だ。俺らはいつも、違うクラスの時も行動を共にし、さらには部活まで一緒だったんだから。そう、バスケ部だ。毎日走り回っていた。朝も、放課後も。

「村田先生、元気にしてっかな」

 村田先生とは、バスケ部の顧問の名前だ。厳しいが、とても心温かな方だった。当時俺らが入学した時確か40過ぎだったので、もう55くらいかな。初老じゃん。

 そう思いながらパラパラとアルバムをめくり、俺は「本来」の目的の人物を眺めていた。


「山本藍」


愛してるの愛ではなく藍染めの藍と書くそのコは、俺が中学校の3年間ずっと好きだった。彼女とは、高校は別だったが、高校の3年間も俺はずっと好きだった。なんか、「斉藤和義」の歌みたいだ。ちなみに、中学の時に3回、高校で2回告白したが、いずれもフラれた。いわゆる片想いで、「仲のいい友達」どまり。俺はその範疇を飛び超えれなかった。結局地元にいる間に恋が実ることはなかった。


 藍は高校卒業後、料理の専門学校に通うために、やはり上京した。その後、藍がパティシエになったのか、俺は知らない。なぜなら藍とは、上京してから一度も会っていないからだ。いずれにせよ、彼女とはものすごく会いたかった。俺の長いこと封印してた想いが、アルバムで顔を見たことによって、復活してしまった。

「藍も呼ばねえ?上京してから一度も会ってないし」

 俺は電話をし、なるべく平静をよそおい、祐介に言った。

「そんなこと言ってよ、おおかた卒業アルバムでも見たんだろ。で、藍を見たら会いたくてたまらなくなったんだろ」

 う、するどい。さすが長い付き合いのことだけある。

「いや、それもあるけどさ。実際藍が今どんな仕事してるか知りたいなーと思ってさ。ほら、俺らアイツと上京してから一回も会ってねーじゃん」

 俺は祐介のジャブをなんとかかわした。

「いいよ。ていうか俺も藍に久々に会いてえし。早速明日にでも連絡してみるよ」

 こういったフットワークの軽さが祐介のスゴイところだ。この身軽さは残念ながら、俺にはない。つい熟考してしまう。結果の成否に限らず。祐介は何事も物事の決断が早い。そのくらいじゃないと商社マンとしてやっていけないのかなあ。そう思いながらも、祐介のフットワークの軽さのおかげで久しぶりに藍と会えるかもしれないと思うと、胸が高鳴った。

 

 ところで、俺らの地元は以前にも述べた通りイナカにある。コンビニもファミレスもないような場所だったが、夏になると地域の祭りがあった。祭りと言っても岸和田だんじりとか、阿波踊りみたいなデカイものではなく、神社を使ってやる小規模のものだ。しかし祭りの日になると、小学生も中学生も高校生もみんなそわそわしたものだ。そしてあたりが暗くなって祭り囃子が聞こえてくると、

「祭りの始まり!」

 という感じで神社の階段を思いっきり駆け上がった記憶がある。いろんなお店や、普段は働いてるのに一生懸命踊っているおっちゃんたちなどが脳裏に焼き付いてる。けど、祭りで一番記憶に残ってるのはなんといっても中3だ。


 その夜、祐介と二人で祭りに行き、神社の階段を登りきった俺たちはまず、食べ物を物色した。店でフランクフルトを買い、それらを食べ、残った串をくわえながらプラプラと歩いていた。中学生とか高校生になると、盆踊りの輪に加わることはほとんどなくなる。大体は、大人や子供が額に汗して踊ってる。年頃になると踊るのがなんとなく気恥ずかしくなる。社会人くらいになると再び盆踊りの輪に加わる。盆踊りとは、なんとなくそういうものだ。

 俺らの世代が祭りに行って何をするかっていうと、同じ学校の、特に異性を見つけて何てこともない話題をずーっと話してたり、もしくは不良の先輩が来てると隠れながら歩いて、話しかけられることのないように注意をはらう。

 それで俺らは同じ学校の、特に女子を探してたというわけだ。もちろん、こわい先輩に遭遇してカツアゲでもされることのないよう気をつけながら。しばらく歩いてると、祐介が言った。

「あれ、ウチのガッコの女子じゃねえ?」

 前の方を見ると、浴衣姿の同年代と思われる女子が5〜6人いて、楽しそうにおしゃべりしていた。確かに見覚えのある顔がいて、彼女らはウチの学校のコらに違いなかった。あの中に藍がいるかも。彼女は背が小さいので、大きなコたちに囲まれてればその姿はまだ見えない。期待を胸に膨らませつつ近づいて行った。

「いた」

俺は思わず心の中でそう呟いた。藍は水色の浴衣を着て、楽しそうにしゃべっていた。

「藍、いたな。しかも浴衣姿。ククク」

 さすが祐介。俺の心の中をしっかり見抜いてやがる。しかしこういう時に持ち前のフットワークの軽さを見せるのが祐介だ。すぐに女子たちのところへ駆けて行って会話の輪に加わった。俺は祐介に早く来いと言われ、少し遅れて行った。

「なんで女子たちはみんな浴衣で来てんのに、男子はそんな格好なのー」

 と笑われた。俺らはTシャツに短パンというラフな服装だった。するとすかさず祐介が応戦した。

「バッカだな。この格好だといつでも戦闘体制に入れるんだよ。たとえば不良の先輩と戦う時とか、迷子の子ども抱いて親を探す時とか、あと君らがもし体調悪くなったりでもしたら、おぶって家に連れて帰ることも出来るだろ?」

 相変わらず口からでまかせばっか言ってんな。友達の俺は、もちろんそんな風に見ていたが、女子たちは祐介に口で絶対勝てないことは知っていたので、黙るしかなかった。なぜなら祐介は学校でも1、2番に頭が良く、でまかせであろうと妙な説得力を持っていた。オマケに祐介は空気を作るのがとても上手い。その祐介に導かれるようにして、俺らの輪はすぐに盛り上がっていった。


 俺はというと、完全に見とれていた。藍に。まあ俺が藍のことを好きなのはみんな知っていた。なぜか先生たちまで。その日の藍は夜のせいか、浴衣のせいか、学校とは違って少し大人に見えた。最初は祐介も女子たちもほっといてくれたのだが、俺があんまり長いこと藍に見とれてたら、女子の一人が、

「タケオ、藍に見とれすぎー」

 ってからかわれてしまった。

 とにかく、その中3の祭りの藍の姿は、今もよく覚えている。もちろん、学校での藍も覚えてはいるが。 

 その藍に久しぶりに会えるかも。いかん、心臓がバクバクする。俺は胸の鼓動を抑えきれず、とりあえず部屋の中をのたうちまわった。それから、バクバクが収まって来たところで水を一杯飲み、深呼吸をした。

「まあ、まだ藍が来るってハッキリ決まってないし。とりあえずは役者とかラーメン屋のバイトを頑張ろう」

 俺はそう思い直すことにした。しかも明日はいつも昼間に出ているハーフのキョウ君が大事な試験だそうで休みをもらっていて、俺が久々に昼間の時間帯に出ることになった。

 昼間の客層は夜とはだいぶ違う。昼間の客は、とにかく食事目的で来る。主に、12時台にわっと押し寄せる。スーツを着たサラリーマンやタオルを肩にかけたまんまの作業着の人、それから大学生や専門学生など。彼らはだいたい黙々と食事をして水を一杯飲んでスバヤク帰っていく。一番混む12時台は店にも行列ができる。だがなんといっても坪田店長や、最年長の上田さんという、二人の社員がいるので、俺はとにかく自分の仕事をこなしていればいい。どんどんとやってくる客、それに対し、次々とラーメンを作っていく俺ら。この時間帯は、まるで戦場のようだ。13時を過ぎるころには、客足も多少減って来る。俺らも少し余裕が出来、冷たい水などを飲む。

 このもっとも混む12時台が過ぎて13時台になると、仕事が長引いたらしく遅い昼食に来た客をさばく。そして14時台になると客足は完全に途絶える。そうするとようやく俺らが順番で休憩をとる。あとは晩御飯の時間の19時くらいまで店が混むことは滅多にない。


 ところで、飲食店で働くと、いわゆる「まかない」が食べられる。これは本当にありがたいことだ。店によっては、7ガケとかいうケチなところもあるが、うちは完全無料だ。しかも坪田店長は気前がよく、俺らがバイトしながら切り詰めてるのを知ってるので、一回の仕事で2食も食べさせてくれることもある。どういうことかというと、出勤してすぐ、

「腹減ってないか?じゃ、とりあえずラーメン食っとけよ」

 と言って、いきなり1食食べさせてくれる。そして仕事が終わってからまたもや、

「思いっきり働いて腹へったろ?」

 と言ってもう1食食べさせてくれるわけだ。なぜそこまでしてくれるかというと、もちろん坪田店長自身の気前の良さがなによりだが、その他の理由として、坪田店長の好きな言葉、

「腹が減ってはイクサもできぬ」

 が大いに関係している。よく俺がオーディションに行ったりスギウラさんがネタ見せなんかあったりすると坪田店長は、

「腹の減った状態でのぞむなよ!なんてったって『腹が減っては戦ができぬ』からな」

と言い、坪田店長は恰幅のいい腹をつきだす。



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