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第4話-1

 

 カチャカチャと片付けられる茶器の音を聞きながら、スファレはじっと目の前で繰り広げられる光景を見ていた。


「グランディディエ様、よろしければこちらのお庭を案内していただけませんか? 見た目より奥が深いと聞きまして、どんなお庭なのか興味が湧きましたの」


 血色の良い真っ赤な唇を真っ白の絹のハンカチで押さえたところで、お茶会の終焉を紅玉が唐突に告げた。

 今日は先日シンハライトから案内された時にいたく気に入ったという紅玉のリクエストで、中庭にテーブルを持ち込んでのお茶会となった。幼い頃は毎日のように入り浸っていたお気に入りの場所だった為、三人以外の人物を連れてこの場所へ来ることを聞いた時にスファレは正直何とも言えない拒否感みたいなものが胸に湧いたが、もちろんスファレにそれを口にする権利はなく、決定事項に笑顔を作って頷くのが精一杯だった。それなのに。


(なんで、グランディディエに?)


 立ち去るわけではなく、まだこの場所に居座ろうとする紅玉にスファレはまたも胸中にモヤっとした何かが浮かんだ気がした。おまけに、どうして以前一緒に来たシンハライトではなくグランディディエを指名するのだろうか? と、頭の中には答えの出ない疑問ばかりが浮かんでいた。

 一方唐突に指名を受けたグランディディエは水色の瞳を一度瞬かせると、だがすぐににっこりと優美な微笑みをその頬に浮かべた。


「ええ、もちろん良いですよ。よろこんで」


「ありがとうございます。嬉しいですわ」


 紅玉は承諾の返事に紅い瞳を煌めかせ、グランディディエは先程の笑顔のままそれを受けると、


「では、早速参りましょうか?」


と静かに席を立ち紅玉の席まで行くと、席を引いて立ち上がるのをエスコートした。紅玉がそれを受けてゆっくりと立ち上がったその時。


(?!)


「!」


「……大丈夫ですか?」


 こともあろうか紅玉はスカートの裾を踏みつけてしまったらしく前のめりによろめいた。グランディディエが咄嗟に手を伸ばし紅玉を受け止めたので大事には至らなかったが、抱きとめるようなその形に、スファレは翡翠の瞳をこれでもかというくらい見開いてそれを凝視してしまった。


「……申し訳ございませんわ。私としたことが、無作法な真似を」


 紅玉は恥ずかしそうに視線を伏せてそう言いながらグランディディエから離れると、


「あなたに怪我がなかったなら良かったですよ」


と、グランディディエがまたも笑顔を紅玉へと向けたのが、数分前の出来事だ。


「……」


(俺を選んでって言ったくせに)


 スファレはその慣れないグランディディエの笑顔の残像に囚われたまま、もうすぐスファレの位置からは見えなくなってしまう茂みの奥へと入って行ってしまう二人の背中をじ っと目で追っていた。先日スファレの手を取って言ったグランディディエの台詞を思い出し、スファレは何とも言えない気持ちが自分の胸に浮かぶのを感じる。


(呼ばれたらあんな笑顔でついてくんだ)


 それが世間体の為だとはこの前の説明で分かっていても、なんとなく面白くないような気がして、スファレは二人の姿が見えなくなってしまってもそこから視線を外すことができなかった。


(なんなのかしら? この気持ち)


「置いて行かれて寂しいのかい? 酷いなあ、僕がいるのに」


 胸に湧いた何とも説明のできない気持ちに戸惑いを覚えていたスファレの耳に、おどけるようなシンハライトの声が届きはっと意識を戻すと、振り返った視線の先で笑顔のシンハライトの深緑の瞳と目が合った。


「ああ、ごめんなさい、シンハライト。ちょっとボーっとしてたかも」


「いいよ。冗談だからね。まあ、紅玉がグランディディエを指名したのは、単なる順番だよ。前回は僕だったろう? 親睦を深めようという狙いだから、順当じゃないかな。ん? グランディディエが連れていかれたのが気になったんじゃなかったのかい?」


 シンハライトの丁寧な状況説明と自分の中の気持ちとの整合性が上手くとれず眉間に皺を寄せるスファレに、シンハライトが不思議そうに目を丸くする。


「……うーん。多分、そういうんじゃなくて、なんか、やっぱりああいうグランディディエって慣れなくて……」


 スファレが複雑な表情を向けると、


「ああいう?」


と、シンハライトは首を傾げた。


「なんか、よそいきっていうか、なんか、王子様っぽいっていうか、そういうの。あ、わかってるのよ? 聖女様に粗相があっちゃいけないからきちんと対応してるっていうのは。でも、今まであんまりそういう姿を見たことなかったから」


 シンハライトはスファレの言葉を正面から受けると、視線を一度すいっと二人が消えていった茂みに泳がせ、またそれをスファレへと戻した。


「そうだったっけ? パーティーとかでは基本あんな感じだったと思うけれど」


「うー……私パーティーとかあんまり参加しないから」


「ああ。まあスファレは僕かグランディディエどちらかの婚約者候補だって決まっているからね。他の男にお披露目する必要ないから、パーティーへの露出も少ないのか。僕たちもそこについては同じだけど、まあ立場があるから出ないわけにもいかなくてね。だから特に違和感はなかったんだけど」


 シンハライトはそこで一度言葉を切ると、もう一度とっくの昔に姿の見えなくなった二人が消えた茂みの奥へとちらりと視線をやった。


「やっぱり、気になるのかい?」


 シンハライトは珍しく行儀悪くテーブルに両肘を立てて頬杖をつくと、悪戯っぽくにっこりと笑ってみせる。スファレはその姿を見ながら、やっぱり兄弟だなあ、と場違いにもしみじみと思う。


「気になるっていうか……ただ、ああいう姿を見ると、グランディディエも女性の扱いに慣れてるんだなあ、って思っただけ。だって、私にはあんな風に接したことってないでしょ? だから余計になのかもしれないけど。だって、シンハライトは聖女様に対してもいつも通りだったし、まあそうだからこそ、慣れてそうだなって思うけど。なんかグランディディエって、想像できなかったから……」


(だって、全然知らない顔なんだもん)


「そう? 僕は僕の弟は女性の扱いに長けていると思っていたけどね。いつもちゃんと上手にエスコートしているよ。おかげで僕ら兄弟のせいで王室の評判を落とすようなことにならなくてすんでいるから良かったよ。本来は、あれは僕よりも随分と感情的なんだけどね」


「ふーん……そうなんだ」


(私には一度もそんな風にしたことなかったのに、外ではあれが普通なんだ)


 シンハライトから告げられる自分の知らないグランディディエの姿に、スファレはさほど興味なさげに頷いた。同時に、先日一度だけ自分に跪いてみせた姿を思い出したが、それも社交の場で培った手慣れた動作の内の一つだったのだろうか? と思うと、何となく面白くなくて思わず顔をしかめてしまった。


「面白くなさそうだね。そんなに気になるなら、後を追いかけたらどうだい? 見えなくなったとはいえ所詮は庭だ。すぐに追いつくよ」


 シンハライトはやれやれと言わんばかりに肩をすくめると、ちょんちょん、と茂みの方を指さして見せた。


「……後を追いかける? どうして?」


 シンハライトの意図が分からずスファレが疑問を顔に浮かべたまま首を傾げると、シンハライトは驚いたようにぱちりと瞬いた。


(そういえばグランディディエもこの前シンハライトを追いかけなくていいのかって聞いてきたけど、どうしてそんなことを聞いたのか聞きそびれちゃってたわ。同じ質問するとか、そういうところも兄弟だから似てるのかしら?)


「どうしてって、スファレはグランディディエを紅玉に取られたと思って面白くないんだろう? だから、だったら取り返してくれば? って思ったんだけど。違うのかい?」


 シンハライトは困惑を浮かべた表情で珍妙なものを見るような目でスファレを見た。


「取られたって、そんな大袈裟な……お庭の案内をお願いしただけでしょ? って、お庭……あ、そっか」


「?」


 一人納得したように零したスファレの言葉に、シンハライトは先程と同じ表情のまま先を促すようにスファレを見た。スファレは今しがた気づいた自分の思いを口にするのを少しだけ躊躇うようにもにょもにょと唇を動かしたが、それでも諦めなさそうなシンハライトの視線に負けて仕方なく口を開く。


「あのね、今日、このお庭でお茶会をするって聞いた時、正直ね、嫌だなって思ったの」


「嫌?」


 スファレはこくりと頷く。


「だって、ここってシンハライトとグランディディエと私と、小さい時に三人で一緒に遊んだ思い出の場所でしょ? 覚えてる?」


「もちろん。覚えているよ」


 シンハライトが笑顔で頷くと、スファレは少しほっとしたように微笑んだ。


「だから、聖女様がここを気に入ったって、だからここでお茶会をしたいって聞いた時、なんか、そこに他人に入ってきてほしくないって思ったっていうか……だから、多分今のこのモヤモヤするのは、そういうことなんだと思うの」


「そういうこと?」


 まだ疑問符を浮かべた顔のままシンハライトがスファレに問う。


「今までずっと三人だったのに、突然もう一人増えたから……って言っても、聖女様は王妃様になるかもしれないんだから、私がそんな子供っぽいわがまま言っていいわけないんだけど……でもなんか、急すぎて気持ちが追いついて行ってないみたい。私たちの間に入ってこないで、って思っちゃったの。うん。だから多分、そんな感じなんだと思う。うん、きっとそうだわ……あー、なんか言ったらすっきりしたかも。聞いてくれてありがとう、シンハライト」


(そっか。突然横入りされたみたいな感じで嫌だったのかも。その嫌だなあって思う相手を丁寧に扱ってるから、それでモヤモヤしてたんだわ、きっと。我ながらなんか随分と子供っぽいけど)


 スファレが自己完結してシンハライトへ笑顔を向けると、シンハライトはまたも神妙な顔をして腕を組んで首を捻る。


「うーん……色々思うことはあるけれど。でもまあ、スファレがそれで納得しているなら僕はそれでいいけどね」


「?」


 シンハライトは苦笑しながらスファレを見たが、スファレはその言葉の意味が良くわからず、曖昧に頷いてみせた。


「……ところで。今紅玉が王妃になるかもしれない、って言っていたけれど、まさか王妃になるのはもう諦めたのかい? スファレ」


 シンハライトは気持ちを切り替えるようにコホンと一度わざとらしく咳払いすると、確認するようにスファレの瞳を覗き込んだ。スファレはその言葉にいち早く反応すると、ぶんぶんと首を横に振る。


「まさかっ! 諦めてないわっ!!」


「そう。それは良かった。子供の頃からの夢だもんね。でも、じゃあどうして紅玉が王妃になるかもしれないなんて言ったんだい?」


「え? だって、皆聖女様の方が良いんじゃないの? なんか不思議な力があるって言うし……」


 純粋に疑問だと言わんばかりに質問をするシンハライトに、スファレは困惑気に眉根を寄せる。


(だって、前世(まえ)は、あなたが聖女様が現れた途端に、運命だって、特別だって、言ったんじゃない)


 夢で見た光景を思い出し、スファレの表情に陰りが落ちる。ジエットが聞いたら、夢か前世か知らないですけど現実と混同するな、と呆れた顔で言われてしまいそうだが、同じ顔で同じ名前の相手となれば、根っこの部分は同じでまた同じことが繰り返されるのではないか? という不安がどうしても拭えないのだ。


「まあ、確かに不思議な力はあるのかもしれないけれど、別に今その力がうちの国に必要だとは思わないしね。特に興味はないかな?」


「……そうなの?」


(あれ? もしかして、聖女様ってここではそれほどすごい存在じゃなかったりするの?)


 予想に反したシンハライトのあまり興味なさげな反応と、この間のグランディディエの似たような反応を思い出し、スファレは拍子抜けして思わずぽかんとした表情を浮かべる。


「うん。まあ確かに、初めてお目にかかったということと、存在としては希少なのは事実だからその点では興味はあるけれど、だからと言って別にそれ以上のものはないかな? ふふ。なんだか安心した顔をしているね、スファレ」


「!」


 面白そうに図星を刺されて、スファレは思わず両手で両頬を覆った。確かめるようにぺたぺたと自分の顔を触っていると、ニコニコと微笑ましそうな目でこちらを見るシンハライトを目が合い、観念するようにスファレは小さく息を吐いた。


「……だって、聖女様って、特別な存在でしょ? だから、それだけで皆素晴らしいって言うから、きっとシンハライトたちもそうなんだって思ってたから……だから、そうじゃないんだって知れたのは正直ほっとしたし、嬉しかった」


(だって、やっぱりそんな特別な存在と比べられたら、勝ち目なんてないもの)


「……それは、僕が紅玉に興味がなさそうだって聞いて嬉しかったの? それとも、一般論として?」


「え?」


 シンハライトの問いの真意が分からずスファレがきょとんとした瞳を向けると、シンハライトはなぜか楽しそうにクスクスと笑うと、なんでもないよ、と小さく首を横に振った。


「ううん。スファレはそれでいいよ。それで、本題なのだけれど。スファレ、まだきみは王妃になりたいんだよね?」


「ええ、それはもちろんっ!」


「そう。じゃあ、僕と結婚しようか」


「え……?」


(それって、どういう意味?)


 まるで売り言葉に買い言葉のように確認された意志に前のめりで答えた後に流れるように繰り出された冗談のような求婚の言葉に、スファレは処理の追いつかない頭のままシンハライトを見た。シンハライトはそんなスファレの困惑を楽しんでいるかのように、深緑の瞳は先程から弧を描いたままだ。


「だって王妃になりたいんだろう? だったらそれが一番手っ取り早くて手堅い手だよ」


「でも、課題をクリアする必要があるんでしょう? だとしたら、それってやっぱり聖女様が有利なんじゃないの? 自分で言うのもあれだけど、私、お菓子作りくらいしかできることないし……」


(たとえペアになったって、勝てるかどうかもわからないのに……)


 シンハライトの言葉の意図が分からず沈黙してしまったスファレにシンハライトは一度驚いたように目を見開くと、苦笑いを浮かべながら小さく息を吐いた。


「うーん。さすがスファレというとこかな? 僕の初めての求婚だったんだけど、こんなにもスルーされるといっそ清々しいよね。まあいいや。それで、きみの心配事だけど、そんなものは心配する必要はないよ」


「……どうして?」


 先程からシンハライトの言うことが全く分からず、スファレはただ疑問の言葉を重ねていくばかりだ。


「聖女の件が教会との古くからの取り決めであるように、王家にも古くからの取り決めが色々あるんだよ。そしてそれは、全て長男を優遇するようにできているんだ」


「え?」


 更なる疑問の声をあげたスファレを無視し、シンハライトはよいしょと言いながら自分の椅子をスファレの方へと詰めた。それが簡単に触れ合えるほど近い距離だと気づいた時には、スファレの右手はあっさりとシンハライトの手中に収まっていた。驚いて反射的に引き抜こうとしたスファレの手を逃がさんとばかりに、シンハライトの長い指が捉えると、はっと上げた瞳の先に、今までにはなかった至近距離で、シンハライトの深緑の瞳が真剣さを帯びてそこにあった。


「だから、王妃になりたいのであれば、僕を選びなさい、スファレ。きみが今のままである限り、唯一僕が、きみを傷つけずに夢を叶えてあげられる存在だよ」


「え? それって、どういう……!!」


 謎かけのようなシンハライトの言葉の意味を訪ねようとしたちょうどその時。カサリ、という葉がすれる音がして、スファレははっとそちらへと顔を向ける。


「……もしかして、お邪魔だった?」


「グランディディエ……」


 振り向くと、グランディディエの水色の瞳が射貫くように真っ直ぐにこちらを見ていた。いつもより低い声は不機嫌そうな色を含んでおり、スファレにはまたそれが疑問として頭に残る。


(グランディディエ、怒っているの?)


「やれやれ、残念。タイムオーバーみたいだね。返事は今じゃなくていいから、考えておいてね、スファレ」


「!」


 シンハライトはグランディディエの登場に楽しそうに口角を上げると、そう言ってスファレの手の甲を一撫ですると、すぐに立ち上がってグランディディエの方へと歩いて行った。


「おかえり。久しぶりの庭の探索は楽しかったかい?」


 シンハライトの背中を追った視線の先で、グランディディエの睨むような視線をものともせずにシンハライトが楽しそうにそう声をかけていた。


(シンハライト、一体どういうつもりなのかしら?)


 その姿を見ながらスファレは先程までの一連の出来事を思い出していたが、


「グランディディエ様?」


と、遅れて庭から出てきた紅玉がそう名を呼んでグランディディエの腕に触れた姿を見た瞬間、今目に焼き付いたその場面の事であっという間に頭の中が埋まってしまった。


遅くなりました。。。続きは、理想は数日中ですが、遅くても週末には上げる予定です。

よろしくお願いします。

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