第3話-3
初めて来た客人をもてなすのと同じように、絵画や美術品が飾ってある主に見せる用の部屋をいくつか案内した後、シンハライトが帰りの近道として通った、一部が屋外に出ている中廊下の途中で、ふと紅玉が足を止めた。
「どうかしたのかい?」
隣を歩く気配が消えたことにシンハライトも続いて足を止めると、紅玉の視線が中廊下の先に広がる庭園へと向いていることに、ああ、と納得したように頷いた。薔薇が咲き誇る庭園に目を奪われたように立ち尽くす紅玉の隣に、シンハライトも静かに並び立つ。
「……王宮の中に、こんな場所があるんですのね。すごく、綺麗ですわ」
紅玉は自然と浮かんだ笑みを頬に浮かべ、シンハライトを仰ぎ見る。珍しく紅い瞳がどこか子供っぽい期待を含んだように煌めいていた。
「花が好きなのかい?」
「ええ。教会にもガーデンがあるのですが、時間を見つけては覗きに行くくらいには」
紅玉は少し恥ずかし気にはにかんだように笑ってみせると、そう、とシンハライトも笑顔でそれを受け止めた。
「じゃあ、母と気が合うかもしれないね」
「王妃様と?」
「うん。母がガーデニングが好きでね。ここの薔薇は母が嫁いできてから育て始めたらしいんだ。今では随分と立派になってしまって、さすがに自分で手入れをすることはできないから任せてあるんだけれど、やはり思い出深いのもあって今でも定期的に足を運んでここの花たちを愛でているんだよ」
「まあ、王妃様が?」
「うん。ああでも、気が合うかもとは言ったけど、王妃が花を育てていたなんて、これもきみにしてみれば普通じゃないのかもしれないね」
先程とは違う意味で驚いたように目を丸くした紅玉にシンハライトはすぐに自身の言葉を否定するようにそう言って、暗に先程のスファレのことを匂わせるような言い方をすると、紅玉は少し困ったように笑ってみせた。
「……確かに、私が存じ上げている王妃様像とは違うかもしれませんわね」
「うん。そうだよね」
シンハライトはいたく納得したように頷くと、そこで一度言葉を切った。
「でも僕たちにとってそれは普通で、スファレにとっても同じなんだ。だからもしきみがここへ嫁ぐ気なのだとしたら、もちろん強要することはないけれど、そういうものだと思っていてほしい」
言いながらシンハライトは虫食いを見つけた葉っぱを静かに手折った。
「まあ。手入れのし忘れなのかしら?」
シンハライトが指先でクルクルと回して遊んでいる葉を見ながら、紅玉が不思議そうに瞬いた。シンハライトは葉に視線を置いたまま、ふふ、と口元に笑みを浮かべる。
「ここはね、少し手が行き届いていない風になっているんだ。元々母が始めたと言っただろう? 母が自分で世話をするのが難しくなってきた時に、その雰囲気を残そうって話になったんだそうだよ。プロの庭師からしたら足りないであろう手入れも、味があって温かくて好きだって言ってね」
「まあ、それは素敵ですわね」
「うん。だから、手前のこの辺りはそうでもないけど、奥の方へ行くと随分と草木が生い茂っている場所もあってね。子供だと隠れられたりするんだよ」
そう言うとシンハライトは何かを思い出したかのように懐かしそうな視線を庭の奥へとやると、ふふ、とまた笑みを零す。
「幼い頃のスファレがいたくこの場所を気に入ってね、かくれんぼができるから秘密の花園だとか呼んでよくピクニックをせがまれたんだ。僕が二つ、グランディディエが一つ、スファレよりお兄ちゃんだから、頼まれればもちろんそれに付き合ったよ……つきあったって言い方は偉そうだな。僕たちも楽しんで遊んでいたんだ」
シンハライトはまるでその当時の気持ちに戻ったかのように、茂みに隠れた幼いスファレやグランディディエの姿を思い出し、普段よりも幼い顔で笑ってみせた。
「……本当に、仲がよろしいんですのね」
「うん。幼馴染みたいなものだからね。父と母がスファレのことを気に入っていたのもあってよく出入りしていたから、一緒に育ってきたようなものだよ」
「そうなんですのね……少し、羨ましいですわ」
草陰に走っていく幼いスファレの後姿の幻影を追っていたシンハライトの耳に少し寂し気な紅玉の声が届き、シンハライトは紅玉を振り返る。
「ああ、申し訳ないですわ。私にはそのような相手がおりませんので、楽しそうな思い出をお持ちで羨ましいと思ったことが、素直に口に出てしまったみたいですわ」
ごめんなさい、と少し恥ずかしそうに視線を伏せた紅玉にシンハライトは、ああ、と納得したように頷いた。
「そういえば、きみは記憶を失っているんだったね、紅玉」
「ええ。教会に保護していただく前のことは、覚えておりませんの」
紅玉はそう言って小さく首を横に振った。
「そう。じゃあ、もしかしたらきみにも幼馴染がいたかもしれないね。羨ましいという気持ちがあるのなら、そう考えてみるのはどうかな? その方がきっと楽しいよ」
「楽しい?」
シンハライトが悪戯っぽい笑みを向けると、紅玉はきょとんとした顔で小首を傾げた。
「記憶がないということを可哀そうだとは思うけど、だからと言って別に同情するつもりもないよ。きみもそれを望んではいないだろう?」
シンハライトの問いかけに、紅玉は静かに頷いてみせた。
「ええ。なくなってしまったことは仕方ありませんもの。覚えてもいないので、それを悲しむ気持ちも、不思議とあまり湧いてきませんのよ」
「そう。だったら、自分が望む形に想像してみた方が楽しいと思わないかい? 僕もたまに考えたりするんだよ。もしもこうだったら、って。それって、別に現実を変えたりはしないけれど、少しはなぐさみになるものだよ」
きっぱりと言い切った紅玉にシンハライトはそう言って笑ってみせた。
「……そうですわね。もしかしたら、とても不幸な過去があったかもしれませんもの。シンハライト様がおっしゃったみたいに、仲の良い幼馴染がいたかもしれないと想像した方が、幸せで楽しい気がしますわ」
そう言って気丈に笑ってみせた紅玉に、シンハライトは同意を示すように一度頷くと、すぐに少しだけ渋い表情をしてみせる。
「……でも、教会の道具にされることは? それは、記憶がないこととは関係のないことだよね」
今現在、こうしてシンハライトと並んで中庭に立っていることの理由に触れると、紅玉はまた静かに小さく首を横に振る。
「……教会の方々には良くしていただいていますわ。記憶がなく路頭に迷うところだった私を助けてくださいました。それに、王妃様になることは全女性の憧れですもの。その機会を得られるだなんて、光栄ですわ。聖女とは、そういうものだと理解しておりますわ。ですから、道具にされているだなんて、一度も思ったことはありませんのよ。お優しいんですのね、シンハライト様」
紅玉はシンハライトの目を見て微笑むと、視線を伏せて近くにあったオレンジ色の薔薇を愛でるように手を伸ばした。
「……シンハライト様こそ、私のようなものが現れて面倒だとお思いなのではないのですか?」
「それは、どういう意味?」
指先で花びらを遊ぶように触れながら言った紅玉の言葉に、シンハライトは目を瞠る。
「先ほどスファレ様との思い出をお話になられた時、とてもお優しい表情をされていましたもの。私が現れなければ、スファレ様と……」
申し訳なさそうに視線を伏せる紅玉に、シンハライトはすぐに小さく頭を振る。
「ああ、そういうことか。それこそ気を使いすぎだよ。確かに、僕かグランディディエのどちらかがスファレと結婚して後を継ぐとは思っていたけど……僕は、家督を継ぐということがどういうことか、聖女がどういう存在なのか、きちんと理解しているからね」
「……そうですか。それを聞いて、少し安心しましたわ」
紅玉がそうほっとしたように零した後、パキ、と何かが折れる音がしてシンハライトは釣られるようにその音がした方へと視線をやる。
「それ……」
視線の先の光景に、シンハライトは思わず眉間に皺を寄せた。
「……ああ、虫食いしていたようでしたので」
視線に気づいた紅玉が、緩やかにシンハライトの方へと体を向ける。
「私も、早速お手入れの真似をさせていただきましたわ。合っていましたかしら?」
紅玉はそう言うと、手折ったオレンジ色の薔薇の花をゆっくりと目線の高さに掲げてにっこりと笑ってみせた。
続き遅くなりました…
少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。
続きは、週末までに上げられれば。週末には上げます。




