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第3話-1

 聖女が現れたからといって今までの生活習慣を変える理由にはならず、ジエットとの会話で気合が入ったせいかパティシエ監修の下作った本日のマドレーヌは今までの中でも最高の出来になった。


「今日も美味しそうだね」


 今日は遅刻することなく既に着席しているスファレに、対面に座るシンハライトが皿に盛りつけられたマドレーヌを見てそう感想をこぼした。


「なんか癖で作っちゃったんだけど、本当はやめておいた方が良かったと思う?」


 スファレはまだ来ぬ紅玉の席をちらりと見やる。


(ジエットと話してて盛り上がってつい力が入っちゃったけど、よくよく考えたらこれって貴族の娘っぽくないし……もしかしたら向こうの方がプロ顔負けのもの作ってくるかもしれないし?)


 元々夢で見た前世の聖女の模倣だったことを思い出し、スファレはさっと顔色を変える。


(聖女の生態? って良くわからないけど、でもそういう習慣があったとしたら、絶対に勝てなくない?!)


「どうして? あんたが気にすることじゃないでしょ。向こうが勝手に割り込んできたんだから、元々いた方が気にすることなんてないよ」


 スファレが一人で百面相をしていると、グランディディエは少し苛立ちを含んだ声でそう言い、目の前のマドレーヌをしばらく見つめた後小さく息を吐いた。


「……なんでこんなことになっちゃったんだか」


(グランディディエ……そうだよね。多分私がいなかったら聖女がそのまま婚約者になったんだもんね。それなのに、何か面倒なことになっちゃったって、思ってるよね)


「……ごめんね」


「え? なんであんたが謝るの?」


 しゅんとして謝罪の言葉を述べたスファレに、グランディディエは驚きで弾かれたように視線をスファレへと寄越した。戸惑うような顔をするグランディディエに、スファレは申し訳なさそうに口を開く。 


「だって、私がいなければ聖女とどっちかが婚約して丸く収まった話でしょ? それなのになんか課題とか出されてそれをクリアしなきゃいけなくなっちゃったし……二人とも教会との取り決めは知ってたんでしょ?」


(私には私の理由があるけど、それは二人には関係ないもんね……)


 あの時疑問の声を上げなかった二人に、たった今もすぐに否定をしないことに、スファレの予想は確信に変わる。シンハライトが小さく頭を振った。


「……確かに知っていたよ。王家に関わることは一通り聞いているからね。でも正直聖女の話なんて眉唾もので、あの時まで忘れていたよ」


「そうそう。あの時父さんも言ってたけど、いるかいないかわからない、まさに奇跡の存在っていう話だからね。関係ない、考える必要もない話だって思ってた。だからとんだ誤算だっていうの、こんなのは」


(え? 誤算?)


 グランディディエが苦々しそうに吐き出した言葉に、シンハライトも同調するように頷いた。


「それは僕も同意だね。こんなことになることが分かっていれば、僕がさっさとスファレと婚約しておけば良かったよ。ねえ?」


 シンハライトはテーブルの上に肘を立てて手を胸の前で組むと、そう言ってにっこりと笑ってスファレを見た。


「え?」


(シンハライトと、私が?)


「ちょっと。なんでそうなるわけ?」


 突然の話に目をパチパチと瞬くスファレを他所に、グランディディエの鋭い声が飛ぶ。


「なんで、って、それは僕が王太子だからだよ。普通家督は長男が継ぐものだろう?」


「うちは長子相続の流れは汲んでないけど?」


 すぐに否定の言葉を挟んだグランディディエに、シンハライトは愉快そうに深緑の瞳を細める。


「へえ、グランディディエ、きみがそんなにも王位にご執心だったとは知らなかったよ。だとしたら、いずれ結局争わなければならなかったんだから、やっぱり気にすることなんてないよ、スファレ。どうせ婚約者候補がきみ一人だったとしても、僕ら兄弟は争う運命だったんだ。そうだろう?」


「……」


 楽しそうに笑うシンハライトに、グランディディエは不機嫌そうに顔を歪めるだけだった。


(そっか。グランディディエもやっぱり王様になりたいんだ。まあ、そうだよね。そう思わないんだったら、王様たちもシンハライトに継がせるって言うもんね。だったら、やっぱり私って邪魔なんじゃないかなあ……?)


 スファレが弱気になり二人に気づかれないように小さく息を吐いたちょうどその時、コンコン、とドアがノックされる音がし、その場にいた全員がその音の方へと顔をやった。


「失礼します。まあ、もう皆さんお揃いでしたのね。時間通りに来たつもりでしたが、遅れてしまったのであれば申し訳なかったですわ」


 開けられたドアから現れたのは、このお茶会の主役最後の一人、この間紹介された聖女、紅玉だった。派手な色が好みなのか、今日もピンクのドレスに身を包み、手にしていた手土産を近くのメイドに渡すと、優雅な仕草で空いていた最後の椅子に腰掛けた。


(どうでもいいけど、ナチュラルに私のコンプレックスを刺激してくるなあ……)


 スファレはちらりと自分の若草色のドレスに視線を落とすと、バレないように小さく息を吐いた。


(私には似合わないもんね、ああいう色)

 

 無意識に、そっと自分の髪に触れる。 


「改めまして。紅玉と申します、本日はお招きいただきありがとうございます」


 紅玉は一度その場にいる全員をぐるりと見やると、そう言って小さく頭を下げ、にっこりと笑ってみせた。


「ようこそ、僕たちのお茶会へ。時間通りだから気にする必要はないよ」


 シンハライトの言葉を合図にグランディディエとスファレが会釈をすると、紅玉は申し訳なさそうに口元に手をあて視線を伏せた。


「でも、このお茶会は本来は皆さんのプライベートはお集りだったのでしょう? 私がご一緒させていただいてもよろしいのかしら? お邪魔してしまうようで気が引けますわ……」


「あの、別に公式のものでもないし、なんとなく集まってるだけだから、そんなに気にしなくても大丈夫っ、ですよ!」


 その姿が何だかいたたまれなくスファレが否定するように首を横に振ると、紅玉はほっとしたようにスファレに向け笑みを返した。


(本当は関わらないでほしいけど、きっとこの人だって急に言われてその通りにしてるだけだもんね。別にこの人が悪いわけじゃないから……)


「王からの命もありますので、気にしなくても大丈夫ですよ」


 グランディディエの聞こえによっては少し棘があるような言い方にスファレがぎょっとしてそちらを振り向いたその時、メイドたちによって紅玉が持ってきたお茶菓子が運ばれてきた。色とりどりのマカロンは見ているだけで少し気分が上がるような気がして、自然と口元に笑みが浮かぶ。


「すごく綺麗で美味しそうですねっ。これ、あなたが作ったんですか? すごい」


 スファレが無意識にそう賛美の言葉を並べ紅玉を見ると、紅玉の戸惑ったような紅い瞳と目が合った。どうしたんだろう? と小首をかしげたところで、スファレは自分の失言に気づいて思わず口を押える。


(しまったーーーーっ!! 普通、貴族の娘でもお菓子なんて手作りしないのに、聖女様がお菓子作ったりしないよねっ? いやでも、前の聖女は自分で作ってたから私はそれを真似してるんであって……)


「あの、私お菓子作りをした経験がありませんので、それは教会の職人に作っていただきましたの。もしかして、手作りでお持ちすべきでしたのかしら? でしたら、次の時には何かご用意できるようにしてまいりますわ」


「あ、あのっ、違いますっ! 大丈夫ですっ! それでっ!」


 自分の失態にパニックになっている頭でどうにか取り繕うようにスファレが慌てて手を振って否定すると、グランディディエが一つ小さく息を吐いてその会話を引き取る。


「別に私たちは手作りお菓子の品評会をしているわけじゃないので、そんなに気を使う必要はありませんよ。スファレはお菓子作りが好きで、私たちはそれを食べるのが好き、それだけですから」


(グランディディエ……)


 真っ直ぐに紅玉を見て言った言葉に、スファレは今の自分の失態が少し救われたような気がしてほっと小さく息を吐いた。


(……あれ? でもなんか言葉遣い……?)


「……そう、ですか。ではお言葉に甘えて私はご用意させていただいたものをお持ちさせていただきますわ」


「別にわざわざ持ってきていただかなくても、こちらで用意しますけど?」


「そうはいきませんわ。私も、教会からのいいつけがありますので」


「教会のいいつけ……ではまあ、仕方ないですね」


「ご理解、感謝いたしますわ」


 紅玉はグランディディエに向け綺麗に微笑んでみせると、静かに一口紅茶に口をつけた。


(やっぱり、なんか丁寧じゃない?)


 普段と違い丁寧な言葉で話すグランディディエになんとなく違和感を覚え、二人の会話を見守りながらなんとなく落ち着かない気分でスファレも一口紅茶に口をつけた。


「紅玉、きみは今教会に世話になっているんだよね?」


 一連の流れを傍観していたシンハライトが話の流れをぶった切るようにそう紅玉へと話しかける。


「ええ、そうですわ」


「じゃあ、教会へ来る前はどこで何をしていたの? ああ、こんなことを聞くことに気を悪くしないで欲しいな。でも、僕たち聖女という存在に初めてお目にかかるんだ。だから、それがどういうものか興味があるんだよ。それに、もしかしたら妃になるかもしれない人のことを知ろうとするのは、当然のことだよね?」


 シンハライトは笑顔でそう畳みかけた。顔は笑っているが遠慮のない質問に、スファレはその矛先が自分でなくて本当に良かった、と心の底から思いながらその矛先である紅玉を見た。


「ええ、おっしゃることはもっともだと思いますわ。ですから、どうぞお気遣いなくご質問くださいませ。私も、私のことを知ろうとしていただけるのは嬉しいことですもの。ええと、私が教会へ来る前にどこで何をしていたか、でしたかしら?……あの、こんなことを申し上げても信じていただけないかもしれないのですが、教会へ来る前の記憶が、ありませんの」


「え?」


 申し訳なさそうに視線を伏せる紅玉に、スファレの口から思わず声が漏れる。王子二人も驚いたような視線を紅玉へ向ける。


「記憶がないって、どういうこと?」


 その場の誰もが思った疑問を、グランディディエが口にした。あまりに驚きが強かったのか、先ほどまでの丁寧だった口調ではなく、普段のような口調に戻っていた。紅玉は赤い瞳をそちらへ向けると、悲しそうな表情をしてみせる。


「信じていただけないのは当然と思いますが、私は気づいたら教会の人たちに保護されておりました。教会の前で倒れていたそうですの。もしかしたら何かに巻き込まれたのかもしれませんが、それ以前の記憶は、何も覚えていませんでしたわ」


「……」


(記憶がないって、そんなこと、あるの?)


 にわかに信じがたい紅玉の話に、スファレだけでなくシンハライトとグランディディエも揃って難しい表情をしてみせた。その場にいる誰もが押し黙り少し空気が重くなったが、だが、それについてこれ以上紅玉が説明しなさそうな雰囲気を感じ取ると、シンハライトがその会話の端を拾う。


「……そう。それは大変だったね。困っている民を保護するのも立派な教会の務めだからね。我が国の教会が正常に機能していることが知れて良かったよ。それで、教会がきみを聖女だと認めたのは、どうして?」


 多少の同情はすれど決してそれに流されず、シンハライトは質問の手を緩めることなく、核心を突く問いを続ける。


「それは……目が覚めてしばらくした時、教会の人たちが私の前に濁った液体の入った杯を持ってみえましたの。そこに手をかざせと、言われた通りにいたしましたわ。そうしたら、その濁った液体が、綺麗な真水に変わりましたの」


「え? そんなことが、できるの?」


(そんな、魔法みたいなことが?)


 スファレが純粋な驚きに目を丸くすると、シンハライトが小さく頷いてみせた。


「……浄化は聖女が持つ力の一つだと言われているんだよ。紅玉、きみは本物の聖女なんだね」


「ええ。そうだと言われて、ここにおりますのよ」


「……」


 そう言ってにっこりと笑って見せた紅玉に、スファレはすっかり言葉を失ってしまった。


(聖女って、本当に特別な存在なんだ……それに、記憶もなくしてるって……それって、今どういう気持ちなんだろう? なんでそれでも、笑ってられるんだろう?)


 正直惨めさや憤りが先行して、前世の記憶はあれど聖女がどういう存在かは全く理解していなかったスファレには、たった今聞いた話は全てが驚きでしかなかった。スファレが同じ境遇にあったら、あんな風に笑えるのだろうか? と、目の前で笑みを絶やさない紅玉に何とも言えない気持ちが胸の奥から湧き上がる。


(ジエットの言う通りだわ。なんで私、聖女が現れないなんて思ってたんだろう? なんでちゃんと、争わなきゃいけない相手の事、知っておかなかったんだろう?)


 すっかり黙り込んでしまったスファレにシンハライトは一瞥をくれると、すぐにそれを紅玉へとやる。


「……さあ、じゃあなんとなく知りたかったことが知れたことだし、今日の本題のお茶会を始めようか。見た時から食べたいなって思っていたスファレのマドレーヌも待ちくたびれているようだからね。紅玉、きみも食べてみるといいよ。きっとファンになる」


「まあ。では、いただかせていただきますわ」


 仕切り直すようにそう言ったシンハライトの明るい声に、控えていたメイドたちが一斉に動き出した。呼びかけられた紅玉もマドレーヌを一口食し、スファレに向け美味しいと伝えるように微笑んで見せた。スファレはかろうじてそれに口角を上げて返すと、その後はカップに注がれる紅茶をただじっと見つめていた。


(私、この人に勝てるのかな?)


 ぽつりと胸中で零した問いかけには、もちろん誰も答えてくれることはなかった。

すいません。少し遅れました…

続きは週末中にあげる予定です。

よろしくお願いします。

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