第1話ー2
濃紺のシンプルなドレスの裾を持ち上げながら、スファレは上品な絨毯の廊下を跳ねるように走り抜ける。
(あー、遅刻しちゃうっ!)
夢見が悪かったせいか、それにジエットの会話が追い打ちをかけたせいか、パティシエに見守られながらジュディに選んでもらった新鮮なリンゴで焼き上げたアップルパイは見事に失敗してしまった。急いで二回目に取り掛かりなんとか用意はできたものの、馬車を高速で走らせても約束の時間ギリギリになってしまった。
(廊下を走るなんてありえないっ! てバレたらグランディディエあたりに怒られそうだわ)
いくらスファレが女らしさに欠けると言っても、所作については最高の教師がつき、それはスファレの身についている。当然脳内に妄想グランディディエの声が響かなくとも、貴族の子女が人前で走るなんてはしたないことをしていいわけないのはわかっているので、廊下を曲がって現れた顔見知りのメイドに、アップルパイの入った袋を持った方の手の指を立てて黙ってて欲しいと伝える。すると子供の頃から知っているメイドは一瞬驚いたように目を丸くしたが、スファレを認識すると微笑ましそうに笑顔を向けたので、会釈をするメイドの横をすり抜けてスファレ目指すお茶会会場のドアの前へとたどり着いた。
「ごめんっ!! 遅れちゃったっ!!」
少し乱れた息もそのままに、スファレは真っ白な木製扉の金のノブを勢いよく押すと、その音にパっと四つの瞳がスファレを捉えた。
今日の目的であるお茶会の会場はすでに準備が整っており、真っ白な絹のテーブルクロスの掛けられたテーブルの上には上品な茶器が用意されていた。スファレを除いた主役の二人も既に着席しており、スファレの登場にそのうちの一人、月灯りを凝縮したような銀髪の青年が大きな溜息を吐いた。
「……ノックもしないとか、どういうこと?」
呆れたような声音と共に水色の瞳が歪められた。スファレが苦笑いをしながら後ろ手で扉を閉めると、その動作にもムっとしたように水色の瞳が閉められた扉を追う。
「えっと、それは……ちょっと、急いでたから……」
(あーあ、やっぱりグランディディエに怒られちゃった)
先ほど頭に浮かんだ理由とは違ったが、案の定苦言を呈してきたグランディディエにスファレは心の中で唇を尖らせた。
(そりゃあ、確かに私だって廊下を走るだなんてはしたないって思うけど……)
「急いでいたからって、間違っても貴族の子女が廊下なんて走るもんじゃないでしょ」
まるでスファレの心を読んだかのように言い訳の口を封じたグランディディエに、その場にいるもう一人の青年、シンハライトの新緑の瞳が楽しそうに弧を描いた。
「まあまあ、きっとスファレにも事情があるんだよ。ほら、そんな所にいつまでも立っていないでスファレもこっちへおいで」
シンハライトがそう言って微笑むと、少し長めの金髪が揺れた。スファレはその言葉にまだ自分が入り口に立ちっぱなしだったことにはっと気づくと、側に控えていた王家専属メイドに持ってきたアップルパイを渡し、いそいそと定位置である自分の席へとついた。
これでようやく本日のお茶会の主賓である、ルズブリッジ王国第一王子シンハライト、第二王子グランディディエ、スファレの三人が揃い、いつも通りのお茶会の開催となる。
「……なに? まだ文句が言い足りないの? 私だってちゃんと反省はしてるんだから」
スファレの右側に座るグランディディエから物言いたげな視線を感じスファレはそちらへ視線をやると、グランディディエは無表情のまま口を開く。
「……事情って? 何かあったの?」
「……え?」
予想外の言葉にスファレはパチパチと翡翠の瞳を瞬かせた。ちょうどその時、先ほどスファレが渡したアップルパイを綺麗に盛り付けたお皿をメイドが運んできた。丁寧な仕草でテーブルの上に置くと、切り分けられたそれを各々の皿へサーブしていく。
「アップルパイ……」
「え? うん。えっと、あ、そうそう! 事情って、アップルパイ失敗しちゃって焼き直したの。だから遅刻しちゃった。ごめんなさい」
見るなり、グランディディエがぽつりと呟いた。スファレは同意するように頷くと、そう言ってぺこりと二人に向け頭を下げた。
「それはお気遣いありがとう。スファレのアップルパイは美味しいから食べられるのは嬉しいよ。ていうか、別に公式のお茶会でもないただのいつもの集まりなんだから、遅刻とかそんなに気にすることはないのに」
適切な時間蒸らされた茶葉から入れられた紅茶の香りを楽しむようにティーカップをくゆらせながら、シンハライトが静かに一口紅茶を飲んだ。優雅なしぐさでカップをソーサーへと戻すと、言葉通り嬉しそうにアップルパイへフォークを入れる。
「うん。今日も美味しいね」
「……ありがとう」
「ん? どうしたの? なんだか浮かない顔をしているけど」
シンハライトはナプキンで口元を押さえると、不思議そうに目を丸めてスファレを見た。グランディディエはまだアップルパイに手を付けておらず、変わらずに無表情のままじっとアップルパイを見つめていた。
「んー……あのね、二人は、私がお菓子を作ること、どう思ってる?」
神妙な顔でそう告げると、二人の視線がスファレへと集まる。
「どう思ってる? って、どういうこと?」
シンハライトが更に不思議そうな顔をしてみせた。スファレは胸中のモヤモヤをどう口にしたものかと、唇をムニムニと動かす。
「どういうことって、割とそのまんまっていうか……あのね、普通は貴族の娘は自分でお菓子を作ったりしないでしょ? それで、やっぱり二人も変だって思ってるのかな? って」
その問いかけにシンハライトとグランディディエは一度ちらりと視線を交わすと、はあ、と盛大なため息がグランディディエから漏れた。
(……やっぱり、ジエットの言う通り本当は呆れてたの?!)
スファレが顔を青くしている横で、グランディディエがおもむろにアップルパイにフォークを入れると、そのまま口へと運ぶ。
「今更そんなこと考えて落ち込んでたわけ?」
綺麗に1ピース食べ終えたグランディディエは、心底呆れたようにスファレを見る。
「だって、ジエットが……」
「ジエット? ああ、あんたんとこの従者か。そいつがなんて言ったかなんて知らないけど、そんなこと本当に今更だし、別に気にすることでもないでしょ。あんたがお菓子を作りたいなら作ればいいし、食べるのだって俺達の自由なんだから、食べてる間は気にすることなくない? 食べたくなかったら食べないんだし……まさか、俺達が気を使って食べてるとでも思ってるの?」
「!」
最後の言葉と共に、ギロリと睨むような視線がスファレへと向く。スファレはそれに慌てて首を横にブンブンと振って否定してみせると、グランディディエはすぐにふいっと視線を外した。
「じゃあいい。金輪際、誰に何を言われてもそんなくだらないことで悩む必要なんてないよ……はあ。そんなことか。俺はてっきり……」
(てっきり?)
「綺麗な顔で睨むと怖いんだからやめなさい。まあでも僕もグランディディエに同意だよ。スファレが用意してくれるお菓子は僕も好きだからね。これからも気にせず作ってくれると嬉しいな」
シンハライトが笑顔で告げたその言葉に、グランディディエが言い淀んだ言葉は消されてしまった。スファレは気になってグランディディエを見たが、グランディディエはもうその先を言うつもりがないと言わんばかりに綺麗な姿勢で紅茶を飲んでいた。
(なんて言おうとしてたんだろう?)
気にはなりつつもどうせグランディディエの性格上素直に教えてはくれないだろうな、とスファレは小さく息を吐くと、それでも二人に否定されなかったことに安堵して自身も紅茶を一口飲んだ。
(あの夢を見ちゃったから、過敏になっちゃったのかなあ。やっぱり二人は気にしないって言ってくれてるし、だったら、間違ってないはずだし……)
スファレが未だ不安を拭いきれぬ気持を振り切るようにアップルパイにフォークを刺すと、ちょうどそのタイミングで、コンコン、とドアがノックされる音が響いた。
「……」
(なに?)
三人のお茶会は非公式で気楽なものとはいえ、王子と婚約者候補の逢瀬の時間と位置付けられている為、本人たちがお開きにしない限りそれを途中で邪魔してはいけない、という暗黙のルールが王家の中で布かれているはずだった。だが、そのルールを破ろうとする音が、たった今鳴り響いた。
「……」
初めての事態に三人は視線を合わせる。どうしたものかと逡巡していると、催促するようにもう一度コンコンとノックの音が三人の間に落ちた。
「……どうぞ。何かあったのかな?」
一つ小さく息を吐いた後に、シンハライトがドアへ向けそう声をかけた。スファレは何となく妙な胸騒ぎがして、手つかずのアップルパイをそのままお皿へ戻すと、自分を誤魔化すようにその手でぎゅっとスカートを握りしめた。
(なんだろう……なんか、胸がザワザワする……)
突如胸に湧いた言いようのない不安にスファレは表情を曇らせながら、静かにドアが開くのを待った。こんなに気になっているのは自分だけだろうか? とグランディディエにちらりと視線をやると、澄んだ湖面のような水色の瞳と目が合い、スファレは弾かれるように視線を元のドアへと戻した。
(え? 今、目が合った? あれ? 私を、見てたの?)
ドアを見ていると思っていた視線が思いもかけず自分に向いていたことにスファレが頭の中に疑問符をいっぱい浮かべていると、カチャリとドアの開く音がして今度こそ三人はその先から現れる人物へと集中した。
「王を待たせるとは何事だっ!!」
(王様……?)
ドアを開けて入って来たその人物、ルズブリッジ王国の国王は部屋に入るなり開口一番そう言った。父親であるとはいえそれ以前に国の主である王の言葉に、スファレだけでなく二人の王子の顔にも緊張が走る。
「……なんてな。おまえたち、邪魔をして悪いな」
が、すぐに王は表情を崩してそう言うと、人懐こい笑みと共にペロリと舌を出して見せた。それをきっかけに、二人の王子の表情がそれぞれに崩れる。
「父上。立場をわきまえて冗談を言ってください」
「笑えない冗談はやめてくれませんか? 父さん」
「まあまあそう言うな。たまにはちょっと威厳? みたいなの出してみたかったんじゃよ」
王はそう言って二人に笑いかけたが、二人の王子たちは二者二様の冷たい視線を容赦なく王へと向けていた。
「うう……息子たちが冷たいっ!! ちょっとした悪戯心じゃったんじゃよ。おまえたちばかりスファレとお茶会を開いてお喋りしおって、呼んでくれといってもちっとも呼んでくれんし……わしと王妃が一番最初にスファレを気に入ったというのにっ! おまえたちばかりがスファレを独占して、わしはスファレとゆっくり話す時間もない。だからちょっとした腹いせだったんじゃが……まあおまえたちの先程の顔で少しは気が晴れたものだ」
そう言うと王はふふんと笑って見せた。
「……そうですか。では、目的が果たせたのであればどうぞお引き取りください」
シンハライトは張り付けた完璧な笑みでそう言うと、立ち上がり王へと向け綺麗な一礼をしてみせた。
「お忙しいところ、ご足労いただきありがとうございました」
グランディディエも立ち上がると、100%外向けの笑みをその頬にたたえそう言って一礼した。
「ええっ?! 怖っ!! 自分の息子だけど怖っ!! スファレ、わしが薦めておいてあれじゃが、こんな冷たい息子たちに酷い目にあわされていないかい? もし何か嫌なことをされたらすぐにわしに言ってくれ。わしが決めたこととはいえ、スファレの気持ちはちゃんと大事にしたいと思っておるからな」
「え?」
突如目の前で繰り広げられた親子喧嘩もどきに呆気に取られていたスファレは、突然話題を自分に振られきょとんとしたように目をパチパチと瞬いた。
「もしこやつらに我慢ならんかったら……」
「スファレと父さんを同じ扱いにするわけないでしょ」
王が全てを言い終わる前に、その言葉を遮るようにグランディディエの鋭い声が飛んだ。スファレは反射的にそちらに振り向くと、何が気に障ったのか不機嫌に顔を歪めているグランディディエが視界に入る。
(……怒ってる?)
そういえば王への言葉も敬語が抜けていたな、とスファレは突然怒りを露わにしたグランディディエに不思議そうに首を傾げた。
「そうですよ。僕たちは楽しくお茶を飲んでいました。それに水を差されたのだから、こちらが多少面白くないことはご理解いただけますよね?」
シンハライトもやんわりとであるが不快を示す言葉を告げると、王はやれやれと言わんばかりに溜息を吐いて肩をすくめてみせた。
「だから冗談だといったじゃろうに……驚かせて悪かったね、スファレ」
「いえ、大丈夫です……」
スファレは否定するようにふるふると首を横に振って見せると、王は柔らかな笑みをスファレへと向けた。
(王様、なんて言おうとしたのかしら?)
取り合えず知った人物の登場に最初に感じた不安は少し鳴りを潜めたが、代わりに別の疑問が湧いてきた。だからと言って聞くわけにもいかず、先ほどのグランディディエの時と合わせて疑問は増えていくばかりだった。
「それで、何をしに来たんですか? わざわざ僕たちのお茶会を中断してまで伝えなければならないことがあったんですか?」
ちゃっかり着席していたシンハライトは、カップの紅茶を一口飲むと、冷めたなと言いたげな視線でカップを一瞥した。
「用がないならもう帰ってくれる?」
すっかり敬語を使うことを止めてしまったグランディディエは椅子に座って長い足を組むと、まだ怒りの冷めやら顔で王を見た。
「やれやれ。大した息子たちだ……わしだって王様なんじゃからそんなに暇ではないんじゃからな! ここへはある人を紹介しようと思って来たんじゃよ」
「え?」
王の言葉に、スファレはふいに胸の奥がザワリと動いたのが分かった。一瞬ではあるが安堵していた自分をあざ笑うように、嫌な予感が足元から猛スピードで這い上がって来るような感覚に、思わずぎゅっと拳を握る。
(大丈夫、大丈夫、だって、あれは夢だもん。そんな偶然、あるわけないし)
頭の中を占拠し始めた最悪の想像に、スファレは心臓の鼓動がドクドクとその速さを上げていくのが分かった。それとは裏腹に、握りしめた拳はまるで血の気が引いたかのように冷えていく。耳の裏で痛いほど心臓の音が跳ねる中、
「スファレ」
と、グランディディエに呼ばれたような気がしたが、
「おーい、入ってきてくれ」
とドアの向こうの人物へ呼びかける王の声に全神経を持っていかれてしまって応えることはしなかった。
カチャリ、と閉められていたドアがもう一度開けられた。
(!!)
握る拳に、グっと力がこもる。
「私を廊下に立たせたまま待たせるなんて、あんたたち大したもんね」
ドアが開くやいなやすぐに飛び込んできた聞きなれた女性の声に、スファレはドアが開いた瞬間にぎゅっと瞑ってしまった目を恐る恐る開く。
「……え?」
「……父さんの次は母さんなの?」
「お二人とも、暇を持て余されいるんですか?」
呆れた二人の王子の声に迎えられたのは、彼らの母であるこの国の王妃だった。
「なあに? その反応。反抗期? もうとっくに過ぎたと思ってたけど? って、ああっ!」
王妃は会話の途中で突然大声を上げると、見事なブルネットの髪を揺らしながらスファレ目掛けてまっ直ぐに駆け寄ってきた。
「スファレっ!! 久しぶりねっ、会いたかったわっ!!」
「!!」
王妃はそう言いながらスファレを思い切り抱きしめた。座ったままの位置的に王妃の豊満な胸に押しつぶされるように抱きしめられたスファレが苦しそうなうめき声をあげると、王妃は、ごめんなさいね、と言いながら少し体を離したので、ようやく息をつけるほどの隙間ができ、ふう、と小さく息を漏らした。
「ああ、相変わらず可愛らしいわねっ! もっとその可愛い顔を見せて頂戴。ほんと、うちの愚息じゃなくて叶うことなら私に嫁がせたいくらいだわっ!」
「え? ええっと……」
王妃は両手でスファレの顔を包み込むと、アンバーの大きな瞳がうっとりとスファレを捉えた。
(なんでかわからないけど、昔からおば様私のことすごく気に入ってくださってるのよね。でも、これ、どうしたらいいんだろう……)
王妃の手を振り払うこともできずスファレが固まってしまっていると、指の長い美しい手が王妃の手首を捉えた。
「ちょっと。スファレ嫌がってるでしょ?」
声に釣られるようにスファレが翡翠の瞳をそちらへ向けると、いつの間にか立ち上がっていたグランディディエが呆れたような顔で王妃を見下ろしていた。王妃は真顔でじっとグランディディエを見上げると、次の瞬間、面白い玩具を見つけたように楽しそうにその口角を上げた。
「ええー? あんたがやりたくてもできないから、代わりに私がやってあげたんだけど?」
「はあっ?! 誰がっ……!!」
からかうような王妃の声音にグランディディエが噛みつくように声を上げたちょうどその時。全ての茶番の終了を告げるように、パンパン、と仕切り直しの拍手が室内に響き渡った。
「最初に言ったと思うけど、今はスファレとのお茶会の時間だよ。王だろうが王妃だろうが、用もないのにこの時間を邪魔するのであれば、速やかに出て行ってくれないかな? すっかり紅茶が覚めてしまったよ」
シンハライトはそう言って自分の手の中のティーカップを見て嘆かわしそうに溜息を吐いた。こちらも相当怒っているのか、先ほどまで張り付けていた敬語がすっかり剥がれてしまっている。
(シンハライトが怒るなんて、珍しい)
スファレが不思議そうにシンハライトを見ていると、ふっと両頬が軽くなった。王妃はスファレにパチンと一つウィンクをすると、鮮やかなオレンジの色のドレスの裾を持って立ち上がった。
「ほんと、うちの息子たちは揃いも揃って短気ねえ。久しぶりに会ったスファレとのわずかな逢瀬の時間も許してくれないなんて、嫉妬深い男は器が小さいと思われて嫌われるわよ」
やだやだ、と王妃が両手を宙に向け嘆くと、その息子である王子二人はその言葉に無視を決め込んだ。
「それで? もしかして会わせたかった人って、母さんのことなの?!」
「違うわよ。母さんはスファレに会いたかった人、よ。会わせたい人はまだ外で待たせているわ」
苛立ちのこもったグランディディエの声を押さえるように王妃は先ほどふざけていた時とは打って変わった真剣な声でそう告げた。その言葉に何か思うところがあったのか、シンハライトは顎に指をかけて少し考えるようなそぶりをすると、神妙な顔で王妃へと向き直る。
「……それは、わざわざ僕たちのお茶会を中断してまでも、国王と王妃が揃って連れてくるような人、ということなのかな?」
「ああ。そういうことじゃ」
王妃の代わりに王の声がそれに答えた。王も先ほど入って来た時のふざけた感じはもう纏っておらず、複雑そうにも取れる表情を一瞬したかと思うと、自らドアの方へと歩いて行った。それと同時に王妃はもう一度膝を折ると、すっかり冷え切ったスファレの手を両手で抱き込むように握りしめた。
「スファレ。何があっても、私はスファレの味方よ」
(え?)
そう言って王妃は一瞬だけスファレを抱きしめると、すぐに立ち上がって訪問者を迎えるべく王の方へと歩いて行った。
(おばさま、待ってっ!! 今のはどういう意味っ?!)
スファレは声に出すことが叶わない言葉を胸中で思い切り叫んだ。先ほど足元から這い上がってきた不安があっという間に頭からスファレを飲み込み、息苦しさにひゅっと息を飲む。
「まだ一部の者しか知らないが、すぐに国中が知ることになる。たまたま今日だった、ということもあるが、その前にお前たちに会わせておいた方がいいと思ってな」
「?」
シンハライト、グランディディエ、スファレは疑問符の浮かんだ表情でお互いを見た。王子二人は本当に何もわからない、という顔をしていたが、スファレはずっと頭の中に浮かぶ最悪の想像がいよいよ現実になってしまうのではないか? という恐怖に泣き出しそうな気持でいっぱいだった。不安に脈打つ心臓の音が煩い。
(大丈夫、大丈夫、そんなこと絶対ないから)
自分を落ち着かせる為に胸中で言い聞かせるように紡ぐ言葉に、だが逆に掌にはどんどん爪が食い込んでいく。
「入っておいで」
王の呼びかけに、カチャリ、と本日何度目かのドアの開く音が響く。全員の視線が集まる中、静かに開いたドアの隙間から、まず赤い何かが見えた。
「!!」
(うそ……)
スファレは絶望にも似た気持ちで中に入って来た人物を見た。そんなスファレに異変を感じたのか、二人の王子が気づかわし気な視線を一瞬送ったが、スファレはそれに応えることなどできなかった。
完全に開いた扉の向こうから、ふわりと真っ赤なドレスが舞った。
「紹介しよう。こちら、最近発現した『聖女』じゃ」
「!」
聖女という言葉に、王子二人が弾かれるようにスファレを見た。スファレは無表情のまま、じっと目の前の聖女にだけ神経を集中させていた。
「お初にお目にかかります。紅玉と申します。以後、お見知りおきくださいませ」
紅玉と名乗った少女は丁寧にそう告げると、深々とお辞儀をしてみせた。サラリと垂れた見事な金髪に、スファレは思わず自分の顔が歪むのが分かった。
(ああ、なんで……)
お辞儀を起こして浮かべた笑みは、名前と同じ紅い瞳が綺麗な弧を描いていた。
続きは明日上げます。