第8話-1
事前情報が何もない為、何事が起きてもいいようにとスファレはシンプルな濃紺のワンピースに身を包んで部屋を出た。今まで自分の髪色と喧嘩をしない色ばかり選んでいたが、気が付けばそれが好きな色になっていたことに、スファレは今朝ようやく気付いた。
「調子はどうですか?」
横に並び上等な絨毯の上を歩くジエットから掛けられた声に、スファレは見上げるように一度ちらりと視線をそちらへとやる。
「問題ないわ。昨日良く寝たし」
意志を示すようにスファレが小さく頷くと、ジエットは呆れたような安堵のような溜息を漏らした。
「それは良かったです。昨日あれだけ愚痴を聞いたのに、まだグダグダ言っていたらどうしようかと思いましたよ」
「……だから言い方っ!! だって、ずっと悩まされてた原因に私と同じ記憶があるって言われて、おまけに馬鹿にされたのよ? それに、向こうの方が上手みたいな言い方するし……そりゃあ、メンタルぐちゃぐちゃにもなるでしょうっ?!」
噛みつくようにスファレが顔をそちらに向けると、ジエットは別段気にした様子もなく小さく肩を竦めた。スファレはそれに少し不服そうに唇を尖らせると、
「……でも、言いたいこと全部吐き出したら大分スッキリした気がする。大丈夫。昨日よりは冷静だと思うし……だから、聞いてくれてありがとね、ジエット」
と付け加えた。ジエットは歩きながらそれを横目で受け取ると、
「どういたしまして」
と小さく頭を下げる真似をしてみせた。
「それに……グランディディエが、絶対に勝つって言ってくれたから。だから、それを信じる」
集合場所として案内された部屋の扉の前で、スファレは自分の気持ちを確認するようにしっかりと頷いた。
「前世のような悲劇は二度と起こさせない」
(関係する人たちが全員一緒だから、また同じことが繰り返されるのかってずっと怯えてたけど……でも、実際はグランディディエが従弟じゃなくて弟だったり違うところもあるし……それに、私だって、誰かが選んだ結果を受け入れるんじゃなくて、今度は自分で選んだんだから)
「だって、二回目なんだもん。私だって、学習してる……そうでしょう?」
スファレが最後気弱に語尾を弱めてジエットを仰ぎ見ると、ジエットはふっとその目元を和らげた。
「そこで弱気になってどうするんですか。あなたがそう言うのなら、そうなんでしょう。昔からグダグダ言ってばかりでしたけど、一度決めたことは最後までやり通しましたもんね。大丈夫ですよ。あなたはおバカさんですけど、一度した失敗を二度としないくらいには賢いことも知っていますからね」
「……もーっ! だから言い方っ!!」
スファレは不満げに一度頬を膨らませたが、すぐにふっと表情を和らげた。ジエットも口元に笑みを浮かべる。
「……では、いってらっしゃいませ」
ジエットはそう言うと綺麗に一礼し、スファレを見ることなく目の前の扉を二度ノックする。中から了承の言葉が聞こえると、ジエットは静かに扉を開けた。扉の向こうには既にスファレ以外の主要人物が全員揃っていたことに焦って目を丸くしたが、
「時間通りです。問題ないですよ」
という、スファレにしか聞こえないような小さな声でジエットが言った言葉に背中を押され、スファレは小さく息を吸い込むと、一歩部屋の中へと踏み込んだ。背中で、静かに扉の閉まる音が聞こえた。
「お待たせしてしまい申し訳ございません」
王と王妃の前に歩みを進めスファレがそう頭を下げると、
「全然遅くないわよ。まだ約束の時間まで少しあるもの。あなたが謝ることないわ」
と王妃が優しく微笑んだ。
「そうじゃ。わしらは少し話すことがあっての。その為に紅玉には少し早く来てもらったんじゃ」
続いた王の言葉に、スファレは既に部屋の中にいた紅玉へと視線をやった。紅玉はスファレと目が合うと、感情の読めない笑顔を返してきた。
「お話、ですか?」
「ああ。今日のパートナーの件じゃ」
(!!)
自分抜きでの本題に、スファレは弾かれるように目を丸くした。反射的にグランディディエの方へ視線をやると、グランディディエは小さく頷いてみせた。
「昨日、紅玉とスファレの指名はどちらもグランディディエで同じじゃった。だが、ペアを組めるのは一人しかおらんからのう。その件について紅玉に話しておったんじゃ」
王はそこで言葉を切ると、一度紅玉へと視線をやった。すぐにそれをスファレへと戻すと、小さく咳払いをする。
「結論から言うと、グランディディエとペアを組むのはおぬしじゃ、スファレ」
「!」
驚きで目を大きく見開くと、スファレは確認するように隣の王妃を見る。王妃は柔らかく微笑むと、ゆっくりと口を開いた
「なんで? って顔をしてるわね。簡単なことよ。グランディディエに意見を聞いたの」
「え?」
「……なんでそんなに驚いた顔をするの? 当然でしょう? 別に課題をクリアするだけなら誰だっていいけど、これにはその先があるんだから。結果の為には全員の合意が必要に決まってるわ。だから今朝、既に選んだ答えが叶っているあなた以外に確認したのよ」
王妃は当然でしょ、と少し呆れたようにスファレを見ると、すぐに他の三人へと視線を流した。
「まさか僕が誰にも選ばれないなんてことがあるなんて思ってもみなかったよ」
シンハライトが嘆かわしいと言わんばかりに両手を天に向けわざとらしく肩を竦めてみせた。スファレと目が合うと、ふふ、とシンハライトはいつも通りの笑みをその頬に浮かべ、
「まあでも、手を抜くつもりはないからね。どんな結果になっても恨みっこなしだよ、スファレ。その結果で、例えきみが王妃になれなかったとしても」
と楽しそうに笑った。スファレはシンハライトを一瞥した後、すぐにその視線を紅玉へとやる。
(シンハライトは立場で物を考えたりするからだと思うけど、でも、紅玉は?)
まるで待ち構えていたように赤い瞳はそれを迎え入れると、にっこりと弧を描いてみせた。
「私も選ばれないなんて思ってもみませんでしたが、仕方がありませんわ。先程王妃様が仰った通り、この課題にはその先がありますもの」
「そう。うちは聖女だからってことで贔屓はしないわ。例え聖女に様々な力があったとしても、個人の気持ちを大事にしたいのよ」
「そうじゃ。それこそ、わしが昔反発したことでもあるしな」
王はそう言うと隣の王妃の手をそっと取った。王妃は応えるように優しく微笑む。
「それに、今聖女の力に頼らなきゃいけないような問題もうちは抱えていないしね」
王妃がそう言って肩を竦めると、王も同意するように頷いた。
「……というわけで、おぬしはグランディディエと組んで課題に挑んでもらう。異論はないな?」
確認するような王の言葉に、スファレは反射的に何度も大きく頷いた。
「あ、ありませんっ!」
「勢い良すぎでしょ」
前のめりに返事をしたスファレにグランディディエが思わず苦笑を零すと、スファレは恥ずかしくなって唇を尖らせた。
「だって……」
(嬉しかったんだもん)
ちらりと紅玉の方を見ると、紅玉は変わらずに先ほどと同じ笑顔で微笑んでいた。
「では、この話はこれで終わりじゃな」
さて。と王は話題の転換を図る。
「皆揃ったことじゃし、さっそく本題に入るかの」
本題、という言葉にその場の空気にピリっと緊張が走った。自然と皆の視線が王に集中する。
「本日の課題の発表じゃ」
楽しそうな王の声音に、スファレは無意識に息を飲み込んだ。
「そんなに緊張することないわよ」
強張った表情に王妃が気づかい気に明るい声でウィンクを寄越した。
「課題と言っても、別に特別にこの為に用意されたものではない。民から最近同じ困り事を聞くようになってな。それを調べてきて欲しいんじゃ」
「困りごと?」
初耳だと言わんばかりにシンハライトが首を傾げる。
「そうじゃ。民が不安なく過ごせるような平和を提供するのも王の仕事じゃからな。今回の課題は、その手伝いをしてもらおうと思う……ここからそう遠くない場所に、スリアラ山という山があるのは知っておるじゃろ?」
「ええ。確か、キノコが良く取れるとかで人気の、それほど高くない山ですね」
シンハライトが思い出しながら相槌を打つ。スファレにも聞き馴染みのあるその名前は、確かに人々の中でも話題の山だった。
(市場でよく名前を聞いたかも)
「うむ。そこじゃそこじゃ。あそこのキノコはほんに旨いからのう」
「それで? その山が、どうかしたの?」
脱線しそうな王を制し、先を急かすようにグランディディエが問う。
「最近そこに、得体のしれない化け物が出るとか出ないとか噂があるらしくてな。それを調べてきて欲しいんじゃ」
「ば、化け物っ?!」
サラっと出された言葉の強さにスファレが驚いて思わず大きな声をあげると、グランディディエが視線でそれを汲み取り口を開く。
「化け物って……何かあったらどうするつもりなわけ?」
「言葉のあやじゃよ。そう表現する者もおると聞いてな。まあ、化け物は言いすぎだと思うんじゃが、ドラゴンには到底及ばない大きさらしいが、それっぽい何かがおるみたいなんじゃ。姿を見かけたものがおってな、一目散で逃げてきたんだそうだ。今のところ被害はないが、先ほどシンハライトが言ったように、民がよくキノコを採りに訪れるみたいでな。その際に、キラキラと鱗が光る何かを見たと少し騒ぎになっておるようじゃ。何か起こってからでは遅いからのう。だから、それが何か突き止め、対処してほしい」
「対処してほしいって、そんな得体のしれないものに対して簡単に……」
「先にそれを捉えられた方が、この課題の勝者とするわ」
グランディディエの抗議めいた声を無視して先を続けた王妃はそこで一度言葉を切ると、ちらりと紅玉へ一瞬視線をやる。
「ただし。殺してはダメよ。被害も出ていない以上、無駄な殺生はすべきでないわ。例え相手が得体のしれない何かでもね」
「わかりました。無暗な殺生はイメージも悪いですし、母上の言う通りだと思いますよ」
紅玉の代わりにパートナーとなったシンハライトが答えた。
「……まあ。まどろっこしいですわね」
小さく呟いた紅玉の声にスファレは目を瞠る。
(確かに、聖女様の力って、強いイメージがあるもんね。倒しちゃう方が簡単なのかも。だとしたら、王妃様が止めてくださって良かった)
「……それで? ほかに何か手掛かりは? まさか、それだけじゃないよね?」
グランディディエが紅玉を一瞥して小さく息を吐くと、そう言って王と王妃へと視線を向けた。
「これ以上は特にないのよ。ただ、鱗がキラキラ輝いてるって誰もが言ってたっていう話よ。そういう特徴を持つものって他に聞いたことがないから、見たらすぐにわかるのかもね?」
王妃は小さく肩を竦めて見せた。
「そんな適当な……」
「……鱗が、キラキラ光る?」
(……うーん、なんか、どこかで聞いたような気がするんだけど……)
グランディディエの呆れたような溜息を聞きながら、スファレは先程からどこか引っかかるその特徴を、なんとかそのイメージを固めようと記憶を辿る。
「遭遇したという者は何人かおって話を聞いたのじゃが、皆驚いて即座に逃げたらしくて詳細は覚えていないということじゃった。だが出くわした場所はあの山で間違いないみたいじゃからの、まあ行けばわかるじゃろ」
「はあっ?! そんないい加減な情報で俺達を危険な目に合わせようとしてるのっ?!」
「大丈夫よ。いざとなれば助けが入るように人を配備させるわ。私たちだって、王子をこんなことで失うわけにはいかないもの」
「こんなことって……そっちが決めたんでしょ」
「ふふ。私のせいで申し訳ありませんわ」
紅玉がそう言ってグランディディエへと微笑んでみせ、グランディディエは無言でそれを受け止めた。
「きみのせいじゃないよ。取り決めは絶対だということを僕たちは理解しているからね」
「……理解が早くて助かるわ。まあ、理由はどうであれ、今シンハライトが言った通り、課題はやるしかないのよ。わかった?」
「……それはわかってる。ただ、スファレを危ない目に合わせたくないだけ」
「それはあなたが守りなさいよ。好きな子一人守れないで、国が守れるっていうの?」
「はあ? 当然守れるに決まってるけど?」
「あら。じゃあ問題はないわね」
売り言葉に買い言葉で反射的に言い返したグランディディエの答えに王妃は楽しそうに笑ってみせると、王がやれやれと肩を竦めた。
「まあまあ、無駄に煽るでない。無論手出しはしないが、もしもの時は助けられる準備はしておるから安心してくれ。たまたま重なったから課題としがた、最終的に解決すれば、国としては問題ないからの」
「そういうことよ」
「……」
王妃の得意げな微笑みの前に、グランディディエはぐっと言葉を飲んで黙る。
(キラキラした、鱗……最近聞いた気がするんだけど、どこで聞いたんだっけ?)
「……スファレ、大丈夫?」
グランディディエの気づかわし気な声にはっと意識を戻すと、目の前で水色の瞳が心配げに揺れていた。考え事をしていただけだったが、どうやらスファレが怯えて言葉を失ってしまったと思ったようだ。いつもは晴れ渡る空のような瞳が、まるで雲がかかったように陰りを見せている。
「だいじょ……」
(あ。思い出した)
「スファレ?」
(そうだ。グランディディエの瞳の色みたいって、思ったんだった)
途中で言葉を切ったスファレに更に心配そうにグランディディエの眉間に皺が寄る。スファレはその瞳を真正面から捉えると、確信を持ってぱちりと一度瞬いた。
あと少しおつきあいください。




