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第7話-2

 バタン、と少し乱暴に閉じた扉の音が背中で響く。勢いで手近な部屋へ飛び込んだスファレは、扉が閉まったことを確認するとその勢いのまま紅玉を振り返った。非難するように力を籠めた翡翠の瞳の先で、真っ赤な瞳は無表情のままスファレを見返した。小さく息を吸い込んで何を最初に言うべきかと唇を開きかけたその時、先に瞳と同じく真っ赤に彩られた紅玉の唇が静かに開かれた。


「……ねえ、放してくれないかしら?」

「え? あ、ごめんっ!!」


 苛立たし気に放たれた言葉にスファレは反射的に謝罪の言葉を告げると、すぐに紅玉の腕を掴んでいた手をパっと放した。紅玉は掴まれていた手首を大袈裟に反対の手でさすりながら、はあ、と溜息を吐く。


「……」


(なんか、今……?)

 その態度に勢いを削がれてしまったスファレはなんとなく覚えた違和感にじっと紅玉を見返したが、

今はそれよりもやるべきことがある、と出鼻をくじかれた本題に戻る為に小さく頭を振る。


(そんなことより、なんであんなこと言ったのか聞かないと)


「……ねえ、どうしてグランディディエを指名したの?」


 決意を込めて翡翠の瞳をブレることなく紅玉へ合わせると、スファレはきゅっと唇を結んだ。少し非難めいた口調になってしまったが、概ねそれは間違っていないので言い直すこともしなかった。


(だって、昨日私の気持ちは伝えたのにっ)


 紅玉はその言葉を受けると、無表情のままの赤い瞳がじっとスファレを見返した。スファレはその無機質な表情に思わずうっと怯みそうになったが、ここで引いたらいけないと視線を逸らさずに見つめ返した。


「どうして、とは、どういう意味なのかしら?」


 赤い瞳が困惑を告げるようにくるんと丸く表情を変えた。ことりと小首を傾げる様は、普段の紅玉と変わりなく、スファレはその様子にぱちりと瞬く。


(……やっぱり、さっきのは気のせいだったのかな?)


 スファレは先程一瞬覚えた違和感を飲み込むと、問われた真意を伝える為に口を開く。


「どういうって、そのままの意味だけど……だって、紅玉はシンハライトを指名するはずだったんでしょ? なのに、なんで……」


(グランディディエって言ったの?)


 非難するように眉根を寄せると、紅玉はますます不思議そうに目を丸くし、


「私、シンハライト様を指名するだなんて、一度でも言いましたかしら?」


と、きょとんとした表情で小首を傾げてみせたので、スファレは思わず絶句する。


「え?」


(……言ってなかったっけ?)


 紅玉の言葉に、スファレは昨日の紅玉との会話を思い出そうと記憶を手繰り寄せる。自分が一方的に告げたシーンはいくらでも浮かんでくるが、肝心の紅玉が告げたであろう場面は、確かに一向に浮かんでこなかった。


「それは、確かに、そうかもしれないけど……」


「……」


(確かに、紅玉はシンハライトを指名するって言ってないかもしれないけどっ)


 歯切れの悪くなるスファレに、紅玉は変わらずに無表情な瞳を向けていた。スファレはぎゅっと拳を握りしめると、紅玉を真正面に捉える。


「で、でもっ! 王妃にならなきゃいけないって言ってたじゃないっ!!」


(だったら、シンハライトを選ぶのが普通でしょうっ?!)


 普通に考えれば、王妃になりたければ王太子であるシンハライトを選ぶはずだ。それは、スファレ自身が一度は達した結論なのだから間違ってはいないはずだ。


(だから、昨日は言わなかったかもしれないけど、そういうことなんじゃないの?!)


 紅玉はスファレの言葉を変わらぬ表情のまま受けると、じっとスファレを凝視した後、はあ、と呆れたように息を吐きだした。


「……それを言うなら、あなただってずっと王妃になりたかったのではないのかしら? それでグランディディエ様を指名されたのであれば、私がグランディディエ様を指名しても、不思議はないと思いますけど? それとも、あなたはグランディディエ様には王になる資格がないとお思いですの?」


「そっ、そんなこと思ってないっ!!」


 グランディディエを馬鹿にされたような気がし思わず声を荒げてしまったスファレに、紅玉が満足げに微笑んだ。



「でしょう?」


「え?」


 その真意を想像するより前に同意するように投げられた言葉に、ソファレははっとして息を呑んだ。一瞬怯んでしまったスファレを構うことなく、紅玉は続ける。


「私も思っておりませんから、グランディディエ様を選びましたのよ」


「え?……なんで?」


(どうして、そうなるの?)


「? あなたが疑っていらっしゃらないのなら、私がそれに同意しても不思議はないのではないのかしら?」


 まるで納得しないスファレの方がおかしいとでも言わんばかりの紅玉に、スファレは小さく首を左右に振る。


「で、でもっ、私は、グランディディエのことが好きだから、グランディディエを選ぶって、言ったでしょ?」


「ええ、お聞きいたしましたわ」


「……だったら、なんで?」


 あっさりと肯定した紅玉に、スファレは信じられないものを見るような瞳を向ける。話の通じなさに、胸の辺りがざわざわと騒ぐ。


(それなのに、なんで、グランディディエを選ぶの?)


 意味が分からないという表情のスファレに、紅玉は自分の方が訳が分からないと言わんばかりに先程からずっと浮かべている不思議そうな表情のまま首を傾げる。


「先程からお聞きになる質問の意味が、私よくわからないのですけれど……確かに、スファレのグランディディエ様に対するお気持ちはお聞きいたしましたわ。でも、どうしてそれが課題のパートナーを選ぶことに関係があるとおっしゃるのかしら?」


「え……」


「スファレのお気持ちと、パートナー選びは関係のないことでしょう?」


 まるで理解ができないと言わんばかりに告げる紅玉に、今度はスファレの方が理解ができずに困惑で顔を歪める方だった。


「え? それ、本気で言ってるの? だって、普通、友達の好きな人を選んだりしないでしょ? だって、勝ったらそのパートナーと、結婚するんだもん……」


「ええ。わかっておりますわ。ですから、私はそういう意味でグランディディエ様を選びましたのよ」


「え?」


(わかってたのに、選んだの?)


 益々紅玉の言葉の意味が分からず表情の曇るスファレを気にすることなく紅玉は先を続ける。


「それに、お友達の好きな方だからグランディディエ様を選ばない、というのは……そういう意味では、今の状況は少しフェアじゃないと感じてしまいましたの」


「フェアじゃ、ない? どういうこと?」

 困惑に揺れる様子のスファレに、紅玉は一瞬躊躇うような仕草をし視線を伏せた。


「……スファレのお気持ちは聞かせていただきましたけど、私の気持ちはお聞きになられていないでしょう?」


(紅玉の、気持ち?)


 突然飛び出した言葉に嫌な予感がして、スファレの顔からさっと血の気が引く。


「え? 待って、それって、どういうっ……」


「私も、グランディディエ様のことを好きになってしまいましたの」


「……え?」


 スファレは弾かれるように視線を紅玉へと向ける。嫌な予感と共に煩くなった心臓が、どくりと一際大きな音を立てて跳ねる。無意識に、ごくりとつばを飲み込んだ。


「え? 嘘。なんで? だって、そんな感じ、なかったのにっ……?」


 大きく見開かれたスファレの翡翠の瞳の中で、紅玉が無垢な仕草で小さく首を横に振る。


「なんで、と言われましても、私こういう気持ちになったのが初めてで……説明しろと言われましても、どう答えたらいいのかわかりませんわ」


 紅玉は困ったように小さく頭を横に振ると、一度そこで言葉を切った。そして、真っ直ぐにスファレの瞳を覗き込む。


「スファレは、どうしてグランディディエ様のことをお好きだとお思いになられたのかしら?」


「え? どうしてって……」


 紅玉の質問にスファレは思わず言葉に詰まる。紅玉は真剣な表情でスファレの言葉を待っているようだった。


(どうしてって、そんなの……)


 自分でも説明のつかない気持ちが知らない間に自分の中で育っていたのだ。いざそれを説明しろと言われても、スファレには上手い言葉が思いつかなかった。人に導いてもらってようやく辿り着いたそれを想うと、はっとして紅玉を見返す。


(紅玉も、そういうことなの?)


 辿り着いた結論にスファレは思わず顔をしかめる。説明のつかない気持ちも、譲りたくない気持ちも、嫌というほど分かっている。だからこそ、グランディディエの名前を口にした紅玉を反射的に連れ出してその真意を問いただしたと言うのに。


(そんな……同じ気持ちだっていうの?)


 だとしたら、スファレは紅玉を責めることができないではないか。


「……」


(どうしよう。聖女様が指名したら、グランディディエだって気持ちが変わっちゃうかもしれない。だって、きっと私と同じように、紅玉はシンハライトを選ぶと思ってたと思うもの……どうしよう、私、また目の前で奪われちゃうの?)


 容易に脳に浮かんだ最悪の光景に絶望に濡れた瞳で紅玉を見返すと、スファレは何も言うことができなかった。バクバクと嫌な音を立てて騒ぐ心臓と冷たくなっていく指先に、この部屋に入って来た時の勢いなどどこにもなくなってしまったスファレは、翡翠の瞳をガラス玉の様に丸くして紅玉を見つめることしかできなかった。


(そんなの、絶対嫌なのにっ……!!)


「……ふふ」


(?)


 どれくらい時間が経ったか分からなかったが、沈黙につつまれていた室内に、ふいに小さな女の笑い声が響いた。それはまるで幼い少女のように可愛らしく、だからこそそこにある純粋な悪意のようなものを感じスファレはその違和感にはっと意識を取り戻した。


「あははははははっ」


「……紅玉?」


 続けて聞こえてきた大きな笑い声に思わずスファレがその声の主に問うと、紅い瞳がにやっと嫌な感じに三日月を描いた。


「ええ、紅玉ですわ。あなた、ほんと変わらな過ぎて思わず笑っちゃったわ」


「?!」


 紅玉はそう言うと、堪えきれないと言わんばかりに声を上げて更に笑い出した。


「え? どういうこと? え? 話し方、そんな感じだった?」


 突然人が変わってしまったみたいに笑い出した紅玉に、状況についていけずスファレは困惑気な表情のまま小さく頭を振って不安気な瞳で紅玉を見返した。


(なに? これって、どういうこと?!)


 先程の告白も消化できていない頭に突然態度の変わった紅玉の姿に、スファレの頭の中はただパニックになるだけだった。


「ええ。こんな感じでしたけど? でもまあ、ちょっと猫被ってたので疲れましたわね、って、ああ、口癖って中々直らないものなのね」


 紅玉は忌々しいと言わんばかりに顔をしかめて肩を竦めた。


「え? どういう、こと?」


 状況に全くついていけずスファレがそれをそのまま言葉に乗せると、紅玉はあからさまに馬鹿にしたような視線をスファレへとやる。


「さあ、どういうことでしょう? どうして今回は大丈夫って思っていたのに、あなたはまた王妃の座を奪われようとしてるのかしらね? スファレ」


「え? 今回はって?……!!」


 大袈裟に両手を天に向けて広げてみせた紅玉の謎かけのような言葉に、スファレはたった今胸中に浮かんだ嫌な予感に、弾かれるように視線を上げる。それを受け赤い瞳が、楽しそうに歪む。


「まさか、あなた……」


(紅玉も、覚えているの?)


 スファレの胸に浮かんだ一つの可能性に、紅玉が応えるようににっこりと笑みを浮かべた。


「ええ。覚えているわ。前世で私に王妃の座を奪われた憐れなスファレ・ハミルトン。ああ、今はサマセットだったわね」


「!!」


(前世の、ファミリーネーム……!!)


 紅玉の口から飛び出した、誰にも話したことのないスファレの前世のファミリーネームが決定打だった。冷え切った指先から更に血の気が引いた気がして、無意識にぎゅっと握る。


「そんなに驚いてるってことは、もしかして、前のことを覚えているのは自分だけだと思っていたのかしら? あなたって、本当におめでたいわね」


「……じゃあ、紅玉も?」


 自分の中に生まれた恐怖を確認するようにスファレが言葉を並べると、紅玉は楽しそうに口角を上げる。


「ええ。全部覚えてるわ」


「……」


 あっさりと肯定した紅玉の言葉にスファレは思わず絶句する。だが紅玉はそんなこと微塵も気にした様子もなく畳みかけるように口を開く。


「あなた、本当に変わってないのね。前も王妃の座を奪われたのに、今もまた奪われようとしてるなんて、何も学んでないのね」


ガッカリしたわ、と紅玉は小さく肩を竦めてみせた。


「そ、そんなことないわよっ! 私だって、あれから学んだから努力だってしたしっ」


 カっとなって反射的に声をあげると、冷ややかな紅玉の視線が刺さる。不思議そうに首を傾げた後、ああ、と芝居がかった仕草でぱちりと手を合わせてみせた。


「努力? って、ああ、もしかして、昔の私の真似でアップルパイ作ったことを言ってるの?」


「……そ、それも一つだけど……」


 図星を突かれて口ごもったスファレに紅玉は驚いたように一瞬目を丸くすると、弾かれるように笑い出した。


「あはははははっ! あれが学んだことなの?! あまり笑わせないでほしいわ」


「え?」


 紅玉はまた弾かれるように笑い出すと、笑いすぎて涙が出たのか細い指先が目尻を押さえた。


(なんで? だって、前世のシンハライトは喜んでたし、今の二人だって喜んで食べてくれたのに……)


「……すごいわね、その顔。本当にわからないまま、ただ真似してただけだなんて」


「……どういうこと?」


 困惑気な瞳をそのまま向けると、紅玉は呆れを通り越して馬鹿にしたような視線を寄越した。


「あれは、庶民の私が作った庶民の味、だったから、貴族社会に飽きていたシンハライトに響いたのよ。あなたみたいな貴族の娘が庶民の真似してつくったお菓子なんて、ただの美味しくないもの以外何でもないじゃない」


「そんなことっ……だって、二人は美味しいって食べてくれたものっ」


 紅玉の言い分が納得いかず反射的に反論を口にすると、紅玉は憐れむようにスファレを見た。


「それはあなたが、今回は幼馴染として一応関係を築き上げていたから、二人とも受け入れただけでしょ。別にそれであなたの価値が上がって、王妃にしたいと思わせる何かになるわけじゃないでしょう?」


「え?」


「……いやだ。あなた本当に前世で私が選ばれたのはお菓子作りができたからだとでも思ってたの?」

 信じられない、と紅玉は侮蔑の表情を向ける。


「そういうわけじゃないけど……でも、」


(だって、あんなに楽しそうなシンハライトの顔、見たことなかったもの。それで興味が湧いたんでしょ? それに、紅玉は……)


「ねえ、スファレ。どうして前世であなたは突然現れた私に王妃の座を奪われたと思う?」


「え? それは……」


 押し黙ってしまったスファレに構うことなく、紅玉は質問を重ねた。表情の無くなってしまった瞳で紅玉を見ると、赤い唇がまた動く。


「私が聖女だから?」


「え?」


 またも図星を突かれ、スファレはそのまま返す言葉を失った。


(だって、紅玉は聖女様だから。だから、あの時シンハライトは紅玉を選んだんでしょ? だって、聖女様は不思議な力を持っているから。娶れば国に栄華をもたらすって言われてるから……だから、もしかしたら、今回もっ……!!)


 最悪の結末を予想して、スファレはその絶望的な悲しみから逃げるように視線を伏せた。紅玉はじっとスファレを見つめていたが、すぐにつまらなさそうに大きな溜息を吐き宙を仰いだ。


「確かに、聖女っていう要素は選ばれるには十分なんだけど」


 紅玉は独り言のようにそう言うと、胸の前で腕組をして数歩スファレへと歩み寄った。その気配に思わず視線を上げると、あまりの近さにうっと上半身を引いてしまったスファレを追いかけるように紅玉が間合いを詰める。


「違うの? って顔してるわね。確かにそれは答えの内の一つだけど、それだけじゃないわ。わからないみたいだから、教えてあげる」


「……」


 すうっと息を吸い込んだ紅玉の赤い瞳に吸い込まれるようにスファレは息を呑んだ。自身の内側からは警鐘を鳴らすように心臓がドクドクと嫌な音を立てていたが、目を逸らすことはできなかった。


「あなたが馬鹿だからよ。あなたが思慮の浅い馬鹿だから、貴族の娘らしく外見と中身を磨いていればそのまま王妃が転がり込んでくるって思っていたから。だからそういうものに飽き飽きしていたシンハライトの気持ちに気づけず、天真爛漫に振舞った私にその座を奪われたのよ」


「!!」


 淡々とした口調で語られる紅玉の言葉に、スファレは大きく目を見開いた。


(なに? どういうこと?)


 驚きで言葉をなくしてしまったスファレをじっと見つめたまま、紅玉は続きを口にする。


「そして今回は、健気にも以前の私を真似して二人の王子に取り入って安心してたみたいだけど、また私が現れてその場所を脅かされてるのよ」


「……」


「ねえ、お菓子作りなんかじゃなくて、もっと他にやることがあったんじゃないの? 呑気に向こうから

言われるのを待っていないで、自分から早く婚約に持っていくとかできたんじゃないの? まさか、今回は聖女が現れないとでも思っていたの? 前だって、あなたは聖女が現れるだなんて思ってもいなかったのに奪われたんでしょう? ほら。それって全部あなたが私より馬鹿で愚かだから、すぐに欲しかったものが脅かされるのよ」


「……」


 突然ぶつけられた罵詈雑言に、スファレはショックで翡翠の瞳を大きく見開くだけで、何も言い返すことができなかった。紅玉はそんなスファレに目を細める。


「ねえ、何か言い返したりしないの? 好きな男を横取りしようとする女が現れても、何も言えないの? ほんとにつまんない女ね。暇つぶしにもならないじゃない」


「……暇、つぶし?」


「ええ。だって、そのまま王妃になったってつまらないでしょう?」


「つまら、ない?」


 震えるスファレの声に、紅玉は至極当然だと大きく頷く。


「だってそうでしょ? 私は聖女なんだから、選ばれて当然だもの。勝手に呼ばれて王妃になるだけなんて、退屈で死にそうだわ」


 辟易とした表情で紅玉は両手で天を仰いでみせた。だから、と紅玉は一言挟む。


「そう思って扉を開けた時、あなたを見て私とても嬉しく思いましたのよ」


 そう言って紅玉はスファレが今まで見ていた紅玉のような笑顔でにっこりと微笑んでみせた。


「……どうして?」


 震える声でスファレが問う。


「だって、あなた、私を見てとても悲痛な顔をしたでしょ? それで私は、ああ覚えてるんだ、って確信したの。だから知らないふりをして、あなたとお友達になることにしたのよ」


 楽しそうに語る紅玉とは裏腹に、スファレは紅玉の口から告げられる真実にぎゅっと胸の辺りが締め付けられるような痛みを感じた。絞り出すように、言葉を紡ぐ。


「なんで、そんなことを?」


「言ったでしょ? 暇つぶしだって。私のこと苦手なくせに友達になろうとするあなた、見ていて中々面白かったわ。それに、今回は二人の王子たちと友好な関係を結んでいたのも良かったわ。王と王妃もあなたの味方。すぐに手のひらを返して私を王妃にするなんて言わなかった。まさか課題を出されるなんて思ってもみなかったけど、今までになかったことだから予想外で面白かったわ」


「え?」


 スファレがずっと思い悩んでいる事に対して面白いと言ってのけた紅玉に、スファレは怪訝な瞳を向ける。赤い瞳が楽しそうに光る。


「だって、奪いがいがあるじゃない」


「!!」


 あっさりと言い放ちうっとりとしたように微笑んでみせた紅玉にスファレは表情を歪め言葉を失った。


「今度はどうやって奪ってやろうかしら? って思ってたんだけど、まさか片方の王子に恋してるからだなんて告げらると思ってなかったから、私も計画を変えざるをえなかったわ。しかも、グランディディエにだなんて」


「……」


 赤い唇から小さく息が漏れた。スファレは目の前で起こっている事をよく理解できないままただじっと紅玉を見つめることしかできなかった。紅玉は相変わらずスファレのことなど気にせずに赤い瞳で覗き込んでくる。


「シンハライトだと、また私に奪われると思ったから? 惨めな記憶が脳裏に焼き付いてずっと消えないから? だから、手軽に手に入りそうなグランディディエのことを好きになったの?」


「違うっ!! そんな気持ちで好きになったりなんてしてないっ!!」


 自分がようやく辿り着いた恋心を馬鹿にされた気がしてスファレは真正面から紅玉を睨みつけた。だが紅玉は眉一つ動かさず、またつまらなさそうな視線をスファレへとやる。


「……そう。グランディディエだと正直面倒くさいんだけど……でもまあどうでもいいわ、そんなこと。どうせあなたは私より先に課題クリアなんてできないでしょうしね」


 紅玉は小さく肩を竦めるとそう言い捨てた。もうスファレと話すことに飽きたのか詰めていた間合いを静かに離す。


「……ねえ、さっき言ったことは、嘘だったの?」


 スファレに背中を向けた紅玉に小さな声でそう投げかけると、紅玉が首だけで振り返った。


「さっきのって? どのことを言ってるのかわからないわ。大体本当のことしか言ってないけど」


「……グランディディエのこと」


 スファレが絞り出した声で付け加えると、紅玉の口がにやっと楽しそうに弧を描く。


「さあ、どうかしらね?」


「……じゃあ、私と友達になりたいって言ったことは?」


 震える声でスファレがそう切り出すと、紅玉は一度ぱちりと瞬きをした後、更に楽しそうに笑ってみせた。


「ああ、それは嘘よ。さっきも言ったでしょ? 暇つぶしをより楽しもうとしただけ」


「!!」


 あっさりと否定されたことに、スファレはドンっと心臓を直接突かれたような衝撃を受けた。あんなにも思い悩みながらも友達になれたと信じた気持ちは、幻だったということなのか。スファレの中で何かが弾けた気がして、ずっと我慢していた瞳にじわりと涙が滲む。


(ダメっ! こんなことで絶対泣いたりなんてしないっ!!……でも、こんな人に、私はまた奪われるだけで何もできないの?……)


「スファレっ!!」


 スファレの心が絶望に染められていったその時、突然バンっと乱暴に扉が開く音と共に、スファレを呼ぶ大きな声が飛びこんできた。反射的にそちらへ顔をやると、紅玉も小さく息を吐いて冷めた視線を入って来た人物へとやった。


「グランディディエ……」


 泣きそうな声でそう呼ぶと、グランディディエは険しい顔をしてスファレと紅玉の間に自分の体を割りいれた。


「スファレに何をした?」


 いつもは晴れた空の色をした瞳が、怒りにその色を濁らせていた。鋭い視線で睨みつけるグランディディエに、紅玉は口元に手をあてて優雅に笑ってみせる。


「別に。お話をしていただけですわ。ねえ、スファレ?」


「……」


 紅玉の声に、スファレはきゅっと無意識にグランディディエの上着の裾を掴んだ。グランディディエは気づかわし気にそれを一瞥すると、


「俺はおまえとは組まないよ、紅玉」


と、紅玉の赤い瞳を真正面から捉えて怯むことなくそう言い切った。紅玉は笑顔を崩さないまま、すっと目を細める。


「あら。そんな感情的なお答え、許されるのかしら? 私の意志はどこへいってしまうの?」


 わざとらしく芝居がかった風に紅玉がそう言って小首を傾げると、グランディディエは少しもそれを気にした様子もなく続ける。


「王も王妃も了承済みだ。これ以上おまえと話すことはない」


「……そう。では、仕方ないですわね。結構ですわ」


 これまた紅玉もグランディディエの答えを大して気にした様子もなく承諾すると、ちらりと視線をスファレへと移す。


「良かったですわね、スファレ。なんにもしなくても、王子様が助けに来てくださって」


「……」


「おい。口が過ぎるぞ」


 グランディディエが鋭い声を飛ばすと、紅玉はまたも大袈裟にそれを受け止めた風を装い、小さく頭を下げてみせた。少ししてそれを上げると、今度はスファレへ向け微笑む。


「……これは失礼いたしましたわ。グランディディエ様。それでは、また明日、スファレ」


「……」


 スファレの代わりにグランディディエは紅玉を睨みつけると、スファレの手を取り一直線に扉へと向かうと、バタンと乱暴に扉を閉めた。


 ※※※


「スファレ、あいつに何言われたの?」


 部屋から少しでも早く遠ざかるようにグランディディエに手を引かれながら足早に廊下を歩きながら、神妙な顔をしてグランディディエがそう尋ねてきた。意地で零さないようにしていた涙がグランディディエの掌のぬくもりに押し出されるように零れ落ちて、スファレはバレないように繋いでいない方の手の甲でそっと拭う。


「……」


 前世のことを話すわけにはいかず何と答えたものかとスファレが押し黙っていると、グランディディエはそれを別の意味に捉えたようで、悲しそうにその表情を歪めた。


「俺には言いたくない?」


「違うっ。そういうんじゃなくて……」


 悲しそうなグランディディエの声に慌てて顔をあげると、切なげに歪められた水色の瞳と目が合った。スファレはどうにかその顔を和らげようと口を開きかけたが、音を発する前にそれを噤む。


(なんて言って説明すればいいの? 前世の話なんてできないし……でもっ、グランディディエにそんな顔させたいわけじゃないのにっ)


 言葉に纏められない気持ちがもどかしく、スファレが思わず足を止めると、グランディディエも合わせて足を止めた。少し赤くなったスファレの目元を痛ましそうに顔をしかめながら、グランディディエの指先がなぞる。


「大丈夫。言いたくないなら言わなくてもいいよ、スファレ。ただ、紅玉に傷つけられたならそう言って。俺が絶対に許さないから」


 スファレの胸中を察したのか、グランディディエが表情を和らげて優しい声でそう言った。スファレは真正面からグランディディエの瞳を捉えると、その水色が優しく微笑む。


「大丈夫。明日は絶対に勝つから。信じて」


 繋いでいたスファレの手を取ると、グランディディエは誓うようにその甲に口づけた。スファレはつい今しがたまで凍っていた心臓がふわりと暖かくなった気がして、信じていると言う気持ちを込めてこくりと頷いた。


「うん。じゃあもう今日は今のことは忘れて、ゆっくり休んで」


 グランディディエはそう言うと、辿り着いた先の扉を開けた。釣られるように視線を室内へとやると、スファレの顔を見て眉間に皺を寄せたジエットの姿が目に入った。


「……まさかそれ、あなたが?」


 少し泣いたことで赤くなったスファレの目元を目ざとく見つけ、ジエットがグランディディエへ向け鋭い言葉を投げる。グランディディエは険しい表情でそれを受けると、は、と呆れたように息を吐いた。


「そんなわけないでしょ。なんで俺がスファレを泣かせるようなことをすると思ってるわけ? ていうか、俺は戻らなきゃいけないから、不本意だけどスファレのことはおまえに任せる。必要なものがあれば近くのメイドに言ってくれればなんでも用意するから、遠慮なく言ってスファレがゆっくり休めるようにしてあげて」


 グランディディエはジエットに向けそう言うと、心配げな眼差しをスファレへと向ける。


「スファレ、また明日」


 まだ繋いでいた手をもう一度口元へ持っていくと、グランディディエは後ろ髪引かれるように部屋を後にした。廊下の奥へ消えていくグランディディエの背中をぼんやりと視線で追っていると、ジエットの大きな溜息が部屋に響く。


「何があったんですか? 本当に王子に泣かされたわけではないんですね?」


 ジエットの声にゆっくりと振り返ると、スファレの顔を見てまた顔をしかめた。スファレは次に続く言葉が想像できそれを否定するように緩やかに首を横に振ると、グランディディエの消えた廊下へ名残惜し気な視線を一度投げ、パタリと静かに扉を閉めた。静かにジエットの方へと歩み寄ると、それに合わせて引かれた椅子へスファレは静かに腰を下ろした。


「……紅玉も、前世のことを覚えてたの」


 ぽつりと零したスファレの言葉にジエットは一度苦虫を潰したような表情をしてみせたが、


「まあ、想定の範囲内ですよ」


と言って小さく息を吐いた。



お久しぶりです。大分間が空いてしまいました。。。

あともう少しですので、お付き合いいただけると嬉しいです。

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