表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/25

第1話-1

 青い空には雲一つなく、秋晴れと呼ばれるに相応しい空だった。

 その青空の下、ルズブリッジ王国の中心部となる城下町に大規模な市場が開かれていた。この場所では日々小規模な市場が開かれているが、週末になると休日で訪れる観光客を取り込もうとその規模を一気に大きなものとしている。目論見通り本日も多くの人で溢れかえる賑やかな喧噪の中を、縫うようにして一人の少女が走り抜ける。


「おばさんっ! 新鮮なリンゴをちょうだいっ!!」


 少女は通いなれた店先に体を乗り出すと、元気よくそう声を掛けた。瑞々しい果物や新鮮な野菜がずらりと並んだ店先で、太陽の光を浴びてキラキラと輝く橙の髪はおさげに結われ、期待に満ちた翡翠の瞳が嬉しそうに瞬いた。おばさん、と呼ばれた少し恰幅の良い女性はその声に呆れたように少女を見ると、傍らにあった帽子を掴んで押さえつける様にしてその少女に目深に被らせた。


「スファレ様っ、何度言ったらわかるんですかっ! お供もつけずにまたこんなところに来てっ!」


 少女の耳元で店の女将はそう小声で説教を垂れると、スファレと呼ばれた少女は被せられた帽子を直しながら唇を尖らせる。


「えー、ジュディさんもう慣れたでしょう? それよりも毎回それ言うの飽きないの?」


「そう思われるならもう私にそんなこと言わせるようなことしないでください。貴族のお嬢様がお一人で街にくるなんて危ないことを」


 ひるむことのないジュディの瞳にスファレはやれやれと小さく肩をすくめると、少し離れた軒先を視線で指す。


「この前抜け出した時にバレちゃったの。だから一人ではないわ」


 ジュディがスファレの視線に促されるようにそちらへ視線をやると、少し離れたパン屋の店先に佇む黒髪の青年が小さく会釈を返した。


「バレても外出を許すだなんて、あんた、もしかして大事にされてないのかい?」


「あ、バレたのはジエットにだけだから。お父様に報告するって言われたんだけど、なんとか説得して出てこられるように交渉したの!」


 同情を浮かべた瞳に、スファレは慌てて首を振って否定してみせる。スファレは公爵家であるサマセット家の長女として生まれたが、三年先に生まれていた兄がいる。物心ついた時にはその兄からの溺愛を一身に受け、両親にも家の者にも優しくされて今まで生きてきた。あらぬ誤解からいらぬ噂が流れて家族や家の者、ましてや家柄に傷をつけるようなことはしたくないのだ。


「おやまあ。なんとも甘い従者だねぇ」


「優しいって言ってあげて!……て、実際は全然優しくないんだけどねぇ……」


「おや、そうなのかい?」


 不満そうに唇を尖らせるスファレにジュディは目を丸くして話を聞きながら、口ではなんだかんだ言いながらも、スファレのリクエスト通り色艶の良いリンゴを選びながら紙袋に入れてくれている。スファレはその優しさが嬉しくて思わずその頬が緩む。


(初めてここへ来た時はちょっと怖かったけど、本当は優しいのよね)


 初めて店を訪れた時、すぐにスファレの身分に気づいたジュディは何事かとぎょっと目をむいた後、真っ向からスファレに説教をしてきたのだ。


『貴族のお嬢様がこんなところに一人で来るなんて、何を考えてんだい? 確かにこの街は平和だけど、何があるかわからないよ。あんたはいるだけで価値を見出す奴もいるんだ。誘拐騒ぎにでもなったらどうすんだいっ』


 初めて人からまともに説教を食らい唖然として固まってしまったスファレを他所に、ジュディはそう言って今日と同じように近くにあった帽子を被せてスファレの顔を隠してくれたのだ。


「ほら。お望みのリンゴだよ」


 ジュディはそう言うと、色艶の良いリンゴがたっぷりと入った紙袋をスフィアへ手渡した。


「ありがとう。ジュディさんっ」


 スファレが嬉しそうに受け取ると、ジュディは呆れたように息を吐く。


「ほんと、変わったお嬢様だねえ。貴族は自分で料理をしたりなんかしないんだろう? それなのに自分でお茶会のお菓子を作って王子様たちにふるまってるだなんて」


「えー、ジュディさんだって言ってたじゃない。まずは胃袋を掴むのが大事だって。そうすれば大抵の男の人はイチコロなんでしょ?」


「それはあたしたち庶民の話だよ。ご飯の美味しい家には必ず帰ってくるからね」


「じゃあ私もそれと一緒よ。美味しいお菓子があったら、また私と一緒にお茶を飲もうって思うに決まっているわ」


 スファレはそう言って笑うと、感謝を込めて一礼し手の中のリンゴが零れ落ちないように紙袋を慎重に抱きながら、そろそろしびれを切らしそうなジエットの下へと駆けていった。


※※※


 隠すように止めてあった馬車へ急いで乗り込むと、居住まいをただすより前にジエットのわざとらしい大きな溜息が車内に響いた。


「リンゴを買ってくるだけじゃなかったんですか?」


 開口一番ジエットは棘のある声音でそう言うと、スファレはうんざりしたように肩をすくめる。


「見ての通りリンゴを買っただけよ。そのついでに知り合いと話していただけじゃない。同じ国に住む人と話すことの何がいけないの?」


 スファレはジュディに被せられた帽子を脱ぎながらそう言うと、正面に座るジエットにその帽子を渡す。緩く編んだみつあみも静かにほどくと、手櫛を入れて整える。


「この国へ嫁ぐおつもりなら、その前にむやみに街へ降りて民の前に姿を見せるのはあまり得策ではないと思いますよ。次期王妃候補は変わり者だ、とでも噂が流れたら縁談が流れることになるかもしれませんからね」


 ジエットは今までも耳にタコができるほど聞いた台詞を口にすると、髪色と同じ漆黒の瞳を細める。何度も聞くお小言にスファレが辟易とした表情を浮かべると、それすら咎めるようにジエットの瞳が更に厳しいものとなった。


「ジュディさんは良い人よ。今まで誰にも私のことを話したそぶりもないし、誰も私がサマセット家の娘だなんて思ってないでしょ。騒ぎになったことなんて一度もないんだもの。それに、街の人たちはともかくとして、当の本人たちは私が作ったお菓子を昔から美味しいって食べてるのよ? 今更変わり者だね、とか言い出さないと思うけど」


 反省のないスファレの口ぶりにジエットは厳しい表情を崩さないまま、渡された帽子をきれいに畳みながらため息を吐く。


「……それで? 一体いつまでこんなことを続けるおつもりですか。まだ胃袋を掴めていないのだとしたら、今までにお菓子を振る舞った回数から考えておそらくセンスがないと思われますので、もう諦めたらいかがですか?」


「……胃袋?」   


 ジエットのお小言に飽きて窓の外の景色を見ていたスファレは、思いがけない言葉に視線をジエットへと戻す。


「あなたが言っていたんでしょう? 好きな男を逃がさないためには胃袋を掴めと市場のご婦人から聞いたって。だから酔狂に菓子作りなんかを続けているんでしょう? 違うんですか?……そういえば。聞いたことありませんでしたけど、あなた、シンハライト様とグランディディエ様、どちらのことがお好きなんですか?」


「……好き?」


 先程の言葉の出どころに納得していたところへまたもや予測していなかった言葉が飛んできて、スファレはぱちぱちと翡翠の瞳を瞬いた。ジエットはスファレのそんな様子には構うことなく、同意を示すようにこくりと頷く。


「ええ。うちは代々サマセット家に仕える執事の家系ですから、私もまだ学生の頃から将来の勉強の為に出入りさせていただいておりましたのであなた方の事情を把握しているのはご存じだと思いますが」


「うん」


 ジエットの言葉に釣られて思わず幼い頃に戻ったように頷く。スファレが覚えている記憶の中で一番古いジエットは十年前。スファレがまだ八歳だった頃、学院の制服に身を包んだ少し幼さの残るジエットの姿だ。


「王子様たちと年頃が近いからと幼い頃から良く王宮に出入りしていたあなたのことを現国王と王妃が大層気に入り、貴族の娘たちが喉から手が出るほど欲しがる次期王妃の切符を、競わせることなくあなたに差し出したのは衝撃でした」


 言外に、しかもそれがあなたに、という言葉が聞こえた気がして、スファレはむっとして唇を尖らせる。

 

「どうせ、誰もが振り向く美人でもないし子供っぽくて女らしくもなくて~とか言うんでしょ? 悪かったわねっ!」


「……はあ? そんなこと言ってませんけど。見た目は、まあ好みはありますが悪くないですし、多少の子供っぽさは否定できませんが、あなた勉強も作法もサボることなくきちんとやっていたじゃないですか。だからまあ、あなたが次期王妃になるのは別に不思議ではないですし、サマセット家にとっては名誉なことなので何の問題もありませんが」


「……じゃあ、衝撃ってなに?」


 ジエットの口から誉め言葉とも取れる言葉がするりと出てきたことに、スファレは思わず照れてしまい少し口ごもるように先を促す。


「ああ。とはいえ。あなた以上に素晴らしい女性が現れる可能性が多分にある中、まだ幼い時にそれを決めてしまったのは英断と言えるのだろうか? とは思いましたので」


「ちょっとっ!! さっき私のこと誉めてなかった?!」


 上げた瞬間にすぐ落とされてスファレは不満げに声を上げると、ジエットは不思議そうに小首をかしげる。


「誉めましたっけ? ただ、国の為と考えるなら、王子様たちがしかるべき年齢になった時にその状況を見て判断するのが最適かと思っていましたので驚いた、とそういうことですよ。まあでも、国王はそういう基準で判断をするタイプではなさそうですけど」


「あー……国王様と王妃様、王族には珍しい恋愛結婚だもんね。だからさっき、どっちが好きか? って聞いたの?」


 ジエットの最後の言葉を聞いて、スファレは先ほどの問いの真意を理解する。現国王がお妃選びをしていた時期、有力な貴族の娘たちから様々な候補が上がっていたそうだ。もちろんどの娘も家柄器量共に申し分なかったそうだが、国王が選んだのは、遊学先で出会ったそれほど身分も高くない家柄の娘だった。当然当時の国王は苦言を呈し反対したが、現国王はその純愛を貫いてその娘を王妃として迎えたことは、全国民の知るところだ。


(でも、今でもとても仲睦まじくいらっしゃるから、それは正しかったんだと思うわ)


 スファレはいつ見ても楽しそうに笑いあう二人を思い浮かべて思わず口元に笑みを浮かべた。


「ええ。だから国王の決断が、あなた方の気持ちを汲み取って、だと思ったんですよ。だから普通であれば王太子が世継ぎになるところを、第二王子であるグランディディエ様にもその権利を与えたんだと。そうなってくると、次期国王の決定権はあなたの手中にあることになる。だから、どちらがお好きなのかな? と思ったんですよ」


 至極真面目な表情で説明を終えたジエットに、スファレはすっかり忘れていた質問の解に思わず呆れたようにため息を吐いた。


「ジエットって、時々優秀なのかどうかわからなくなるわね」


「……どういう意味ですか?」


 スファレの言葉にムっとしたように声音を低めたジエットの漆黒の瞳を、スファレは真正面から覗き込んだ。


「だって、あなたはどうして私が王妃になりたいか、その理由を知ってるじゃない」


「……」


「それなのに、どっちが好きなの? とか聞く意味がわからないわ」


 スファレがそう言って肩をすくめると、今度はジエットが小さく息を吐いた。


「……またあの夢の話ですか? あなたが前世で王妃の座を目の前で奪われたとかいう」


「ええ」


 胡散臭げな視線を投げて寄越したジエットに無視を決め込んで、身を投げるように座席に深く座りなおしたスファレは、窓の外へ視線を投げると何とも言えない表情を浮かべる。ジエットは手の中にあるリンゴを見やると、更に大きな溜息をもう一つ吐いた。


「大方今朝も見たんでしょう? だから慌てて買い物に来たんですね。本当にあなたは単純というか……」


「……だって、本当にすっごく惨めだったんだからっ! 『私』は完璧だったのに、突然現れた聖女に王妃の座を奪われ、別の男の所に嫁がされたのよっ?! それでその恨みと怒りを胸に抱いたまま流行り病で死んだだなんてっ、こんなの我慢できるわけないじゃないっ!!」


 図星を突かれ、ジエットの言葉に噛みつくように振り向いたスファレに、ジエットは完全に呆れた様子で肩をすくめた。


「……それで、その無念を晴らす為に王妃になりたいんでしたっけ? しかも、その時その座を奪った相手の模倣をして」


「……あからさまに馬鹿にしてるでしょ」


「べつに。そんなことありませんよ」


「嘘っ!! 絶対嘘吐いてる顔してるっ!!……ふん。ジエットがどう思おうが関係ないんだからっ! だって、これであの女は成功したんだもの」


 頭の中に今朝見た夢の光景が思い出される。あの夢を見るのは、別に今朝が初めてだったわけではない。幼い頃から何度も繰り返される、悪夢だ。


「……」


 一段と険しくなったスファレの表情に、ジエットは本日何度目となるかわからない溜息を吐く。


「それはあなたの夢だか前世だかの話でしょう?」


 まるで子供を諭すようなジエットの眼差しに、スファレはやるせない気持ちで唇を噛む。


「それはそうだけど、だって……」


 スファレは小声で何事かを言いかけて、ジエットの瞳を前にして口ごもる。何かを伝える代わりにふいと視線を窓の外へとやると、いつの間にか屋敷の近くまで帰ってきていたようで、見慣れた景色が視界に飛び込んできた。


「相手も一緒なんだもん」


 小さく呟いた言葉は、ジエットに届くことなく馬車の車輪の音にかき消された。


 夢の中でスファレを振った相手も、後の夫となった相手も、先ほどジエットがどちらが好きかと訊ねた二人の王子と、同じ形をしていた。



続きは本日22時に上げます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ