第7話-1
その瞬間は、あっさりと訪れた。
その場いる全員が、これが最後のお茶会であることを認識しながら、だが特に感傷を見せることもなくたわいのない会話をしながら最後の晩餐ならぬ最後のお茶会は静かに過ぎて行った。
そろそろお開きの頃だろうか? と誰もが意識したその時、まるでデジャヴのように、コンコン、と一瞬生まれた静寂の中にノックの音が響き渡った。
「……どうぞ」
シンハライトが代表してそれに応えると、四人の視線が自然と扉へと向かった。躊躇いもなく開けられたその向こうから、その場の全員が予想していた王と王妃の姿がすぐに現れる。それを合図に、スファレ達は全員席を立つと一礼をし二人を迎え入れた。
「ああ、そんなに畏まらなくて良い良い。サクっと聞いてサクっと帰るからの」
ホッホ、と王が緊張感なく笑うと、横で王妃が、コホン、と咎めるように咳払いをした。
「変な空気になるのは、あなたがいつも突然だからでしょ? ああ、ごめんなさいね、あなたたち。色々考えたんだけど、婚約者発表まではあくまでも内々の話なわけだから、そんなに大事にしないことにしたの。だからパートナー選びの件も、この場で聞こうってなったのよ。あなた達全員揃ってるから、都合がいいでしょ」
「大事にしない、とはどういう意味ですか?」
王の行動に呆れたように王妃が溜息を一つ零すと、シンハライトが確認するように王を見る。王はその視線を受けると、小さく肩をすくめてみせた。
「例えば、大々的に発表して行事のような形にする、とかじゃよ」
「は?」
王の軽率とも取れる言葉の内容にグランディディエが不機嫌な声を上げる。王はおっかないとでも言いたげな視線をグランディディエへと向けると、
「だから、例えばの話で実際はやらんといっておるじゃろ。大臣の中にはそうすることで国民の関心も高まってうんたらとか言う奴もおったが、王家の跡継ぎ問題を面白おかしくするのもどうかという声もあってな。最終的に、別に隠すことはしないが大事にはしない、となったんじゃ」
「誤解のないように言っておくけど、大々的にしようとした大臣も、別に見世物にしようとしたわけじゃないわよ。国民にもっと王家を身近に感じてもらおうとか、あなたたちがお供もそこそこで外に出ることになるから会った時に驚かないにしようとか、そういうことを考えての発言だったみたいよ。でもまあ、ぶっちゃけ公表する準備も面倒だし、なしにしたんだけど」
「いい加減な……」
フォローするように補足したこれまでのやりとりを想像させる王妃の言葉に、グランディディエは不機嫌な表情のまま二人を見据える。王はそれに小さく肩を竦めると、空気を切り替えるようにこほんと小さく咳払いをした。
「まあ、というわけで。明日、おまえたちは自由に動いてもらってかまわんが、途中で誰かに出会った時は、あまり騒ぎが起こらないようにしてくれ」
「それはまた、無茶を言いますね……」
責任転嫁した発言にシンハライトが呆れたように息を吐いて首を振った。
(突然王子と遭遇して騒ぐなって無理でしょ……それに、二人はイケメンだーって騒がれてるんだから、女の人が出会ったら静かにできるわけないし)
スファレは例えばジュディが出会った時の姿が容易に想像でき、ははは、と胸中で苦笑する。
「まあそう言うな。別に我が国はそれほど閉じた生活を送って来たわけじゃないし、なんとかなるじゃろ」
「ま、そいうことだから。出会ったら自分たちで対処してちょうだい」
「またそんな適当に……」
当事者でない為か軽く流す王と王妃にシンハライトが呆れ気味に声を漏らす。どうせ何を言っても覆されることなどないと今までの経験で学んでいるのか、グランディディエは諦めたかのように反応すら見せるのを止めてしまった。王妃は二人の王子の様子を気にした素振りもなくくるりと一同を見回して誰も意見しないのを確認すると、パチン、と仕切り直すように胸の前で両手を一つ打った。
「じゃあ、説明も終わったし。早速、明日のパートナーを決めるわよ」
「!」
あっさりと告げられた本日の主題に、スファレは反射的に背筋をピンと伸ばした。ここへ来た王達の目的は分かっていたはずだったが、いざ改めてそれを口にされることでスファレ達四人の間に独特の緊張が走った気がした。誰もあからさまにそれを表情に出すことはなかったが、少し空気が変わったのを肌で感じる。
(……結果はわかってるけど、いざとなるとやっぱり緊張する……)
紅玉がシンハライトを、スファレがグランディディエを、そう名前を口にするだけの事なのに、意識をするとそれがまるでとても難しいことのような気がしてスファレは小さく息を飲んだ。緩やかに心拍数を上げ始めた心臓にドレスの上から手を添えると、無表情のまま王達を見据えるグランディディエの顔をそっと盗み見る。
「……!」
その瞬間、瞬時に跳ね上がった心臓は、何もこの場の雰囲気に飲まれたことだけが理由ではない。
(みんなの前でグランディディエを指名するってことは、私がグランディディエのことを好きって言うのと同じなんだよね?……うう、それってすごく恥ずかしいんだけどっ!!)
だからと言って止めるわけにはいかないんだけど、とスファレが両手で顔を覆いたくなる衝動をどうにか胸中で自分に言い聞かせて止めていると、あの、と今まで一言も言葉を発しなかった紅玉が小さく挙手をしながら口を開いた。
「? どうしたの? 紅玉」
王妃が不思議そうに小首を傾げると、発言を許された紅玉は艶やかな紅い唇をゆっくりと開いた。
「差し支えなければ、私から先に言ってもよろしいでしょうか?」
(紅玉?)
思いもよらぬ言葉に、その場にいる全員の視線が紅玉へと集まる。紅玉はそれに何か応えることもなく、その視線の中綺麗な笑みを浮かべているだけだった。
(別に、どっちが先に言っても同じだと思うけど、なんでだろう?)
突然の申し入れの意図が分からずスファレが不思議そうに紅玉を見返していると、特に誰からも異論の上がらない状況に、王妃が口を開いた。
「スファレに異論がないなら、構わないわよ」
「あ、私は別に……」
(だって、紅玉はシンハライトを指名するんだもんね。だから先に言ってくれた方が気持ちを落ち着かせれるっていうか……)
未だドキドキが止まらない心臓をぎゅっと抑えると、スファレは小さく深呼吸をした。自分で決めたことだが、先頭を切って自分がグランディディエの名を告げるのはなんだか恥ずかしく、この期に及んで意気地なしと言われてしまいそうだが、まだ心の準備ができていなかったので、正直紅玉の申し入れはありがたいと思ってしまった。
(ちゃんと自分で言うって決めたけど、でも、紅玉がシンハライトって言ってくれた後の方が、なんとなく言いやすいし……)
「……そう。じゃあ、どうぞ」
王妃はスファレを一瞥すると、すぐにそれを紅玉へとやった。釣られるようにその場にいる全員がそちらを見たので、自然と紅玉へ皆の意識が集中する。紅玉はその注目の中、落ち着いた様子ですうっと息を吸い込むと、スファレの方へ向け小さく微笑んでみせた。
「グランディディエ様で」
「?!」
(……え?)
予想もしていなかった紅玉の一言で、その場にいた全員が凍り付いたように動きを止めた。スファレは聞き間違えたのかと思い紅玉をみつめたまま小さく首を傾げてみせたが、紅玉は先程と同じ笑みを浮かべたままこちらを見返してくるだけだった。
(え? なんで? なんでグランディディエなの? だって、私が選ぶって昨日言ったのに?)
スファレは混乱している頭の中で、昨日自分が告げた時の紅玉の様子を思い出そうとしていた。
(なんだっけ? 確か、私がシンハライトを選ぶって思ってて、そうじゃなくてグランディディエを選ぶって言って、それで……あ)
昨日少しだけ引っかかった違和感を思い出し、スファレは弾かれるように紅玉を見る。
(そういえば、グランディディエを選ぶって言った時、少しだけ様子がいつもと違った気が……)
小さな声ではあったが、普段は様をつけて呼んでいるグランディディエのことを呼び捨てにしていたことを思い出し、スファレは反射的にグランディディエの方へ振り返った。
(なんで? もしかして、紅玉もグランディディエを?)
当のグランディディエは何を考えているか分からなかったが、苦虫を潰したような顔で紅玉を睨みつけていた。スファレは視線の合わないグランディディエに一度不安そうな表情をすると、すぐにまた紅玉へと向き直った。
(どうして……?)
「あなたが選ぶのは、グランディディエなのね?」
今目の前で起こったことへの頭の整理が追いつかないスファレの耳に、王妃の凛とした声が割って入った。予想もしなかった紅玉の指名に緊張の走った空気を破るように冷静な声でそう確認すると、紅玉はしっかりと頷いてみせた。
「ええ。グランディディエ様で間違いありませんわ」
「どうしてっ?!」
冷静に告げた紅玉の肯定の言葉に、スファレの中で渦巻いていた感情が音になって溢れ出した。反射的に叫んだスファレの声に、紅玉を除く全員の視線が一斉にスファレへと集まった。紅玉は皆より一拍遅れてスファレの視線を汲み取ると、勿体ぶったように一度視線を伏せた後、スファレへと視線を合わせた。向けられた赤い瞳がまるで昨日スファレが言ったことなど聞いたこともなかったように今の状況に純粋な疑問を浮かべているように見え、スファレはそれが信じられなく、怒りで体中がカっと熱くなったのを感じた。
「なんで?……だって、私がグランディディエを選ぶって言ったのにっ!!」
スファレは苦しそうにそう声を絞り出すと、内から込み上げてくるさまざまな感情を制御しきれず、その勢いのまま勝手に進む足に連れられ紅玉の下へと歩みを進めると、躊躇わずに紅玉の腕を掴んだ。
「えっ?!」
ぐっと力を籠めて引っ張ると、突然のことに驚いたような声が紅玉から上がった。スファレはそんなことに構うことなく更に力を籠めて腕を引くと、そのまま扉目掛けて走り出す。
「スファレっ!!」
背後でグランディディエが呼ぶ声が聞こえたが、スファレは構わず廊下へと飛び出した。
(また、私は奪われるの?)
やっと克服できると思っていた過去の記憶が蘇り、スファレはぎゅっと唇を噛んだ。
短いですが、少しずつ上げていければと思っています。




