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第6話3-2

 先ほど入って来たばかりの扉に手を掛けると、スファレはまた読書へと戻っていったシンハライトの邪魔をしないよう、音をたてないよう気を付けながらそっと扉を押した。


(……あれ? こんなに重かったっけ?)


 重厚な扉ではあるがこれほど重かっただろうか? と密かに首を傾げながら、スファレはなぜだか簡単には開かなくなってしまった扉にぐっと体重をかけて押す。


「?!」


 するとその瞬間、たった今びくとも動かなかった扉が、まるでそんな事実はなかったかのように、突然ふっと軽くなりあっさりと開いた。スファレはその反動で勢い余った体が空中に放り出され、思わずバランスを崩して前のめりに倒れそうになる。


「わっ……!!」


 そのまま床に倒れるかと覚悟を決めたところで、突然誰かに横から腕を引かれ、スファレの体は今度は右の方へとぐいと勢いよく引っ張られた。


「な……っ!!」


(なんなのっ?!)


 突然の出来事に大声を上げようとしたところで、まるでその声を塞ぐようにぐいと後頭部を引き寄せられ、スファレは誰だかわからぬその人物の胸元にまるで抱きしめられるような形でむぎゅっと押し込められてしまった。


(なにっ?! 誰っ?!)


 突然襲われた状況に瞬間でパニックに陥った脳が、ひっと小さく息を飲ませた。急激に上がる心拍数にスファレが得体のしれない恐怖を全身で感じ、条件反射的で両手でその人物を突っぱねようともがくと、


「スファレっ、大丈夫っ。俺だから、落ち着いて」



「…………グランディディエ?」


と、耳元で小さな声がそう告げた。聞きなれた声にスファレがじたばたともがいていた動きをぴたりと止めると、すぐに拘束されていた腕が静かに解かれた。自由になった体でゆっくりと顔をあげると、なんとも言えない表情をしたグランディディエの水色の瞳と目が合う。


「何やってるの? こんなところで……ていうか、すごいびっくりしたんだけど」


 困惑気に眉根を寄せて見上げると、今度はグランディディエがなぜだがバツが悪そうに顔をしかめた。


「驚かせたのは、ごめん。全然そういうつもりはなくて……あと、別に、盗み聞きしようとかっていう気はなかったから。ていうか、扉が分厚くて全然聞こえなかったから何話してたのほんとにわかってないからっ……」


「盗み聞き?」


 謝罪と共に早口でまくし立てたグランディディエの言葉に意味が分からずスファレがきょとんとした瞳を向けると、


「……」


グランディディエは少しの間だけ耐えるように視線を合わせていたが、苦しそうに目を細めると片手で顔を覆い、はあ、と大きな溜息を吐いた。


「……なに? どうしたの?」


 突然不機嫌そうな顔で黙り込んでしまったグランディディエに意味が分からずスファレが不安気に顔を覗き込むと、グランディディエは何かに納得いかず拗ねたように唇を噛み締めていたが、次の瞬間、スファレの視線から逃れるようにふいと顔をそむけた。


「……かっこ悪い」


「え?」


 ぼそりと零れた言葉の意味がわからずスファレが聞き返すと、グランディディエはちらりと視線だけをこちらへ寄越した後、何かに耐えるように唇にぐっと力を入れていたそれを、大きな溜息と共に解放した。


「……もう帰ったかと思ってたあんたの姿を見かけて、声を掛けようとしたら、図書室に入って行くのが見えて、この時間は兄さんがよくいることを思い出して、それで……」


「後をつけたってこと? だったら声を掛けてくれれば良かったのに……って、あ。盗み聞きって、そういうこと?」


 言い淀んだグランディディエの先を自分の言葉で繋ぎながら、スファレはなぜグランディディエがここにいたのかを理解した。


(出てくるまで待っててくれたのかな?)


「……はあ。なんでこういう時だけ察しがいいわけっ?!」


 なぜか半ば逆ギレのようにグランディディエはスファレを睨みつけてきたが、言葉と行動の裏腹さに全く威力のないそれにスファレは思わず笑みを零した。グランディディエはそれにもなんとなく面白くなさそうにじとりとこちらを見てきたが、諦めたのか一度目を瞑り小さく息を吐き出すと、真剣な眼差しをスファレへと向けた。その真剣な表情に、スファレも笑みを引っ込めて静かにその瞳を見返す。


「……ねえ、兄さんと何話してたの?」


「……」


 どこか切羽詰まったようなグランディディエの表情に、スファレは心臓がぎゅっと掴まれるような感覚を覚えた。どくん、と一度大きく跳ねると、それはすぐにドクドクと鼓動を早くし、スファレはその感覚に小さく息を飲んだ。


(え? あ、え?)


「……ああ、違う。今の忘れて。死ぬほどかっこ悪いっ」


見ないで、とグランディディエは左手で自分の口元を押さえて顔をそむけると、空いている右手をスファレから距離を取るようにこちらへと向けた。


「別にあんたの行動を詮索したいわけじゃなくて、兄さんと何話そうがあんたの勝手だし、俺には関係ないこともわかってるけどっ……」


 グランディディエはまるで言い訳するように早口でそう言うと、一度そこで言葉を切った。まだ自分の中の何かと折り合いがつかないのかまたぐっと唇に一度力を入れたが、本日何度目かの溜息と共にそれを放つ。


「……でも、気になって、気が付いたらここにいた……んだよね。はあ、ほんとにかっこ悪い。俺の名誉のために言っとくけど、いつもはこんなこと絶対しないからっ。それに、ここの扉分厚くて一言も聞こえてないから安心して」


 グランディディエは忌々しいとでも言わんばかりにそう吐き出すと、はあ、ともう一度大きな溜息を吐いた。口では気にしていないといいながらも、その表情は真逆のそれをしており、スファレは思わず笑ってしまった。


「……なに? なんで笑ってるの?」


「だって、ほんとはすごく気になってるんでしょ?」


「……」


 何か言いたげな表情のままそれでも黙っているグランディディエに、スファレは先程からドキドキの止まらない心臓に誘われるように微笑んだ。沈黙は肯定とはよく言ったもので、言葉にはしていないがグランディディエの本音は、沈黙と共にもたらされたその表情が雄弁に語っていた。


「……じゃあ、何話してたの?」


 自身の美意識との葛藤に抗うことを諦めたのか、グランディディエが率直な疑問を落とした。スファレはそれにぱちぱちと数度瞬くと、嬉しそうに口を開く。


「明日の話よ」


 そう言うと、ほらやっぱり、とグランディディエの表情が告げた。


(グランディディエって、普段の言動だと何考えてるのか良くわかんなかったけど、今は顔にすっごい出てる! もしかして、今までもそうだったのかしら?)


「シンハライトに、グランディディエを選ぶって言いに行ったの」


「……」


 端的に告げると、グランディディエは驚いたような、少し安堵したような表情をしてみせた。


(……本当にわかりやすいのかも?)


 スファレが初めて気づいた事実にきょとんとして首を傾げると、それを不審に思ったのか、グランディディエが、なに? と視線で問いてきた。


「シンハライトが私の望みを叶えてくれようとしたことは、嬉しかったから。だからちゃんと、伝えたかったの。明日の前に」


 前世の散々な記憶を持ちながらも、シンハライト達と良好な関係を築けたのは、間違いなく今のシンハライトのおかげだ。今までそんなことを考えたこともなかったが、今回の件で、スファレは初めてそのことに気づくことができた。


(それに、シンハライトがそう言ってくれたことで、なんだか前の私が少しだけ報われた気がしたんだよね)


 そのことばかりを考えて叶わずに死んでしまった前の自分が、少しだけ救われたような気がしたのだ。


「ふーん。じゃあ、兄さんの方が良かったんじゃないの?」


 思い出に浸っていたスファレの意識を、グランディディエの冷たい声音が引き戻した。釣られて視線を上げると拗ねた表情で睨みつける瞳とぶつかったが、その奥に隠れる色に気づくと、少しも怖くなかった。


「もう。なんでそういうこと言うの? 私は、グランディディエが良いの」


「……ふーん」


 素直な気持ちを告げると、たった今拗ねていた表情は瞳の奥に隠れていた色も含め、少しだけ照れたそれに変わった。


(本当にわかりやすいかも。どうして今まで気づかなかったんだろう?)


 本当にちゃんと見ていなかったんだな、とスファレは胸中で苦笑する。


(ふふ。でも、嬉しいな)



「ねえ、なんでさっきからずっと笑ってるわけ? 感じ悪いんだけど」


 自分の中に芽生えた気持ちに同調するようにスファレの頬に笑みが浮かぶと、グランディディエがむっとした顔でそう言った。以前だったら何を怒っているんだろう? と不安になったかもしれないその表情がなんだか愛おしく感じ、スファレは笑みを濃くする。


「だって、グランディディエが嫉妬してくれたから、嬉しくて。私も紅玉に嫉妬したから、一緒の気持ちなのって嬉しいなって、思ったら、なんだか顔がニヤけちゃって……」


 締まりのなくなった顔をどうにか制御しようとスファレがむにむにと両手で両頬を覆うと、グランディディエは今のスファレの言葉に何か言いたげな表情をしていたが、諦めたのかふいと視線を逸らした。


「……嫉妬なんていつもずっとしてるんだけど」


「え?」


 あまりにも小さな声でぼそりと零された言葉に反射的に瞳を向けると、グランディディエは小さく頭を振った。


「なんでもない」


 告げる気がないのかグランディディエは短くそう答えると、代わりに、ねえ、と問いかける。


「俺が、あんたを王妃にしてあげるんだから。忘れないでよね」


 グランディディエはスファレの瞳を真正面から捉えると、まるで念を押すようにそう告げ、両腕をスファレの背中へと回し優しく抱きしめた。先程の押し付けられた感触とは違いグランディディエの熱をその頬に感じると、スファレは嬉しそうに、


「うん」


と答え、そっと自身もグランディディエの背中を抱きしめ返すように優しく腕を回した。その時ようやく、スファレは改めて自分たちがこんなにも近い距離にいたことに気づいた。


少し遅くなりましたが前回の追加部分になります。

追記じゃなくて外に出してしまいました。。。


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