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第6話-3

 重厚な扉を開くと、紙独特の匂いがその隙間からぶわりと流れ出してきた。蔵書数を誇るこの王宮の図書室は、一部一般開放をしていて国民からの人気も高い。

 だが今スファレが開けた扉の奥は、限られた人間のみが入れるいわゆる関係者以外立ち入り禁止の区域だ。敷地の狭さとその割にぎゅうと詰められた蔵書の数に本の匂いが充満しているそこは、幼い頃から密かにお気に入りの場所だった。


「……おや? もうとっくに帰ったものだと思っていたよ」


 スファレが忍び込むように室内に体を滑り込ませると、それを目ざとく見つけた先住民から声が掛かった。それほど広くない部屋の中の読書スペースでなにやら書物に目を通していたシンハライトが、その手を止めて深緑の瞳をゆるやかにスファレへと向けた。


「あなたを探していたの、シンハライト」


 紅玉と別れた後近くにいたメイド達に尋ねた足取りは、あっさりと掴むことができた。


『シンハライト様はこの時間は図書室にいらっしゃるかもしれません』


 メイドのその言葉に、スファレは幼い日を思い出しながら懐かしい道筋を辿った。


(ちっちゃい頃からシンハライトは本を読むのが好きだったもんね)


 探していたとは少し大げさだったなとスファレが自分の言葉に肩をすくめると、シンハライトは驚いたように目を丸く見開き、すぐにそれを穏やかに細める。


「ふふ。言葉だけ聞くととても熱烈だけど、それは僕にとっていいことなのかな?」


 おどけたように笑うシンハライトに、スファレは曖昧に微笑む。


「そっちに行ってもいい?」


「もちろん。暇をつぶしていただけだからね」 


 シンハライトはそう言うと手にしていた本を静かに閉じ、立ち上がり自分の座っていた隣の椅子をスファレの為に引いた。スファレは静かにそちらへ歩みを進めると、勧められた椅子にちょこんと座る。普段より近い位置から見るシンハライトは物語から抜け出した王子様そのもので、場違いにも思わず見惚れてしまいそうだった。


(……って、今はそんな場合じゃないっ!!)


 気持ちを戻すようにスファレが小さく頭を横に振ると、シンハライトは不思議そうに目を丸くしたが、すぐに楽しそうに口元に笑みを浮かべた。


「さあ、何を話そうか? そういえば、二人で話す機会なんて今までもそんなになかったから、いざそうなってみると、何を話せばいいのかわからなくなってしまうね」


「……確かに。ずっと三人だったものね」


 穏やかな声で告げられた感想めいた言葉に無意識にぼつりと零れた音に、シンハライトが目を留める。


「……いつまでも子供でいられないことを喜ぶべきなのか悲しむべきなのかは、きみの次の言葉次第なのかな? スファレ」


 まるでスファレがこれから口にすることを分かっているかのようなシンハライトの言葉に、スファレは抗議するように眉を寄せる。


「いちいち言い方が大袈裟よ、シンハライト」



「大袈裟かな? 少なくとも、この国の未来を決めることには違いないだろう?」


「……だから、それが大袈裟なんだってば」


 大業な言い方をするシンハライトにスファレが唇を尖らせると、シンハライトは綺麗な相貌でクスクスと笑った。まるで光が零れ落ちるようなその笑顔は、今も昔も姿を見せる度に国民を魅了してやまなかった。


(前世の私は、この人の隣に立てることを何よりも誇りに思ってたんだっけ)


 まるで物語から出てきたような完璧な王子様然としたシンハライトの隣に王妃として立つことが、前世のスファレの全てだった。国民に愛される美しい王に選ばれた美しい王妃、そう呼ばれることだけが自分に価値を与え自尊心を満たすものだと信じていた。


(……我ながら、なんというか……いや、貴族の娘の野望としては正しいのかもしれないけど……)


「どうしたの? 何か話があるから僕を探していたんじゃなかったのかい?」


 黙り込んでしまったスファレを不思議そうにシンハライトが覗き込む。少し幼くも見える丸くなった瞳に、スファレは、ああそうか、と妙に納得して瞬く。


(なんでシンハライトのことは苦手じゃないのか聞かれた時、上手く説明できなかったけど)


 じっと真っ直ぐ見つめ視線を合わせると、シンハライトの瞳の中の疑問の色が濃くなった。普段外部から求められているものより随分と年相応なその反応は、前世のスファレは見たことのないものだ。


(前世でだってシンハライトと目が合うことは何度もあったけど、こんな顔を見た記憶はなかった。まあでも、あの時の私はシンハライトの外側が全てだと思ってたから、あれが余所行きのものだったなんて気づいてもいなかったけど……)


 あの時のスファレがもし恋に落ちていたのだとしたら、それは綺麗に着飾り完璧な笑顔を張り付けたシンハライトの張りぼてだ。だがあの時のスファレは、それは肉付き血が通っているものだと信じていた。


(ていうか、次期王様とか、そういうのが重要だったもんね。なんかほんと、薄っぺらいっていうか……私こそ、人をなんだと思っていたのよ……)


 そしてそれは、決して前世の自分に対してだけではないことに、スファレは薄々気づいていた。


「……もしかして僕に見惚れて言葉を忘れてしまったのかな? まあ、よくあることだから仕方ないね。だったら気が済むまで堪能していいよ」


 一向に言葉を発しないスファレにシンハライトは楽しそうに笑うと、スファレから遠い方の肘を机について枕のようにし、首を傾げるように頭を乗せた。さらりと流れた金糸が優雅に揺れ、図書室の淡い照明にもキラキラと輝く。


(シンハライト。あの時のあなたも、こんなに素敵な人だったのかしら?)


 今となっては分かることのない疑問を飲み込むと、スファレは誤魔化すように唇を尖らせた。


「……ある意味間違ってはないけど。ていうか、あなたたち兄弟ってほんと子供の頃から自分の容姿に疑いを持ってないわよね」


 少しだけ呆れたようにスファレが言うと、シンハライトはきょとんとした瞳をスファレへ向けた。


「まあね。母がずっと、私の綺麗な息子たち、って言いながら育てたっていうのもあるけど、でも実際嘘ではないだろう?」


 シンハライトは空いている方の手を同意を求めるようにスファレの方へと向ける。当然だというその態度に、スファレは思わず口元を綻ばせる。


「そうね。間違ってないわ。でも、シンハライトもそんな子供っぽいこと言うのね。グランディディエはたまに言ってるけど」


「ああ。あれは僕と違ってコンプレックス持ちだからね。たまに言って確認してるんだよ。可愛いよね」


「グランディディエが?!」


 いつだって自信の塊のようなグランディディエにそぐわない言葉にスファレが驚きの声をあげると、シンハライトは少しだけバツが悪そうな表情をした後、僕が言ったことは内緒にしておいて欲しいんだけど、と前置きをして口元に優しい笑みを浮かべた。


「金髪じゃないことを気にしているんだよ。僕が別の髪色で生まれてきていたらまた違ったのかもしれないけど、こればっかりはどうしようもないからね」


 シンハライトがつまらなさそうに空いている手で自分の髪の毛を摘むと、それは指の間をさらさらと流れた。紡ぎだされた最後の言葉はスファレの胸にも少なからず刺さり、美しさへの称賛よりも、それは曖昧な笑みへと変わった。


(確かにそれはそうかもしれないけど、どうしようもないからこそずっと考えちゃうのもわかる。でも……)


「グランディディエの銀髪もとても綺麗なのに」


 ぽつりと零れたスファレの言葉に、つまらなそうに自分の髪を見ていたシンハライトの深緑の瞳がぐるりと回ってスファレへを見た。スファレが驚いたようにそれを見返すと、シンハライトの瞳が一瞬嬉しそうに細められた気がした。


「だよね。髪の色なんてこの国では個性の一つでしかないんだから。月の光をぎゅっと凝縮したような淡い光の色でとても綺麗だと僕も思うんだけど、これも本人がどう思うかだからね。グランディディエも客観的にはわかっているようだけれど、最終的に自分と折り合いがついてないみたいだから」


 お手上げと言わんばかりにシンハライトは指先で遊んでいた髪の毛を空中へと放り出した。代わりに、悪戯を思いついたように口元に笑みを浮かべると、シンハライトはその手をおもむろにスファレの方へと伸ばす。


「!!」


「きみの髪だって、太陽の光を集めたみたいでとても綺麗だと思うんだけどね」


 一瞬だけ摘まれたスファレの髪は、あっという間にシンハライトの指先から零れ落ちた。暗にスファレのコンプレックスを理解しているような口ぶりに、スファレは弾かれるように瞬く。


(……シンハライトを苦手に思わなかったのは、ずっと一緒に過ごしてきて、こういう人だってわかったからだと思う。ちゃんと、グランディディエのことも、私のことも、先入観なく見てくれるから。前の私はシンハライトの表面に見えているものが全てだと思っていたから、結論を突き付けられた後、シンハライトを含めた全部のことを恨んでた。でも、もしかしたらあの時のシンハライトだってこういう一面があったかもしれないし、知っていたら、恨むこともなかったかもしれない。だって、紅玉のことだって、こんな風に見て決めたのかもしれないから……)


 あまり認めたくはなかったが、前世の自分の思慮の浅さは、今度こそ間違えないようにと過ごしてきた現在の時間で薄々気づいていた。あの頃は自分に非はないと信じて疑っていなかったが、今回のゴタゴタの中で過ごすうちに、気づくことはあった。


「……ありがとう、シンハライト」


「別にお礼を言われることじゃないよ。思ったままを口にしただけだからね……でも、きみは僕が気にしないと言っても、僕を選ばないんだよね?」


 肘をついた手に頭を預けたままの姿勢で穏やかな口調でそう言った言葉に、スファレは驚きで言葉を失った。シンハライトはその様子に満足そうに目を細めると、


「明日の話をしに来たんだろう?」


と、真意の読めぬ笑みを浮かべ、頭をゆるりと振りながら姿勢を元に戻した。


「……シンハライト、私の心が読めるの?」


 スファレがスローモーションのようにゆっくりと大きく目を見開くと、シンハライトは穏やかな表情のまま口を開く。


「きみの性格から考えて、パートナー決定の前に会いに来るのならそういう理由だろうなって思っただけだよ。律儀なきみは、僕が以前言ったことの回答を持ってきてくれたんだろう? ただ残念だったのは、今言ったことが図星だったことかな」


「え? ああっ、そうだっ! ごめんなさいっ!!」


「そこで謝られちゃうとそれこそ……って、まあ、それがスファレだったね」


 シンハライトが苦笑しながら小さく息を吐きだすと、スファレは不安げにシンハライトを覗き込んだ。 


「……もしかして、私何か間違えた?」


 自分の口からちゃんと伝えられなかったことや、その他諸々失敗点ばかり脳内に浮かび顔を青くしながら恐る恐るそれを言葉にすると、シンハライトが少し考えるように黙ってしまったので、スファレは心中の焦りをそのまま表情に乗せてしまった。シンハライトはちらりと視線を寄越してそれを見ると、ふっと思わず笑みを零した。


「間違ってないよ。というより、これに正解も間違いもないだろう? きみの意志なんだから。だから、僕を選ばないことを謝る必要なんてないよ……ただ、ということは、王妃になるのは諦めたのかい?」


 シンハライトは別段気分を害した様子もなく首を小さく横に振ると、だが最後に、純粋な疑問だと言わんばかりにそう口にし首を傾げた。スファレはその問いに、何とも言えない気持ちで眉間に皺を寄せる。


「……シンハライトは本人だから当然かもしれないけど、そんなにグランディディエって頼りなく思われてるの?」


 先ほど紅玉にも同じ質問をされたことを思い出し、スファレは思わず不満気に顔をしかめる。


(私はグランディディエのことそんな風に思ったことないけど、世間ではそういう風に見えてるのかしら?)


「え? グランディディエが頼りないというか、前にも言ったけど、僕は王太子だからね。王になるには有利だという話だよ。だから僕を選ばないと言うことは、王妃になるのを諦めたのかと思っただけだよ」


「……諦めてないわ。ていうか、別に何か一つを選んだら、もう一つは諦めなきゃいけないわけじゃな

いでしょ?」


「もちろん。ただ、王妃になる一番の近道を選ばなかった理由を、よかったら教えて欲しいな」


「一番の近道って……なんで自分のことをそんな風に言うの」


 ニコニコと笑いながら告げられたシンハライトの言葉選びに、スファレは自身を道具のように例えたそれに不満と悲しさを混ぜた咎めるような表情を向けると、シンハライトは、おや? とその言葉に目を瞠る。


「きみにおける僕の適切な立ち位置を表現したつもりだったんだけど、お気に召さなかったかな?」


「お気に召さないわよっ! だけど……でも、それってある意味正解だし、実際シンハライトにはそう見えてたってことなんでしょ?……」


 スファレは苦々しく顔をしかめると、きゅっと唇を結んで視線を下げた。言い方は気に食わないが、突き付けられた言葉に、思い当たらないことがないわけではないのだ。


(紅玉が現れてこんな風にバタバタしなければ、きっとシンハライトとグランディディエのことをそういう風に見てたままだったと思うもの)


 まだ短い人生ではあるが、スファレの人生のその大半は、前世で王妃になれなかった悔しさを晴らすことだけに占められていた。今度は失敗しないようにと、二人の王子に接する時も、自分を王妃にしてくれる相手、として接していなかったかと問われれば、否定はできなかった。


(確かに私にとっては理由があったことだし、ずっと苦しんできたことだったけど……でも、それって二人にすごく失礼だったんだよね……)


「別にそんなに落ち込むことじゃないよ、スファレ。それって、僕らみたいな立場にとってはごく普通のことじゃないか。王家に生まれたら王を継ぐのも、貴族の娘が王家に嫁ぐのも、自分の意志で行われていることは稀なんだから」


 シンハライトは優し気な声音でそう言うと、そこで一度言葉を切った。だから顔を上げて、と、一瞬だけ顎にかけられた指先を追うように視線を上げると、穏やかな深緑の瞳とぶつかった。言わんとすることは分かっていても感情的に受け入れ難さが強くなっているスファレは、苦し気に眉根を寄せてシンハライトを見返す。


「だから僕も、きみは僕を選ぶものだと思っていたんだ。紅玉が現れて状況が今までと変わってしまっても、合理的に考えればきみの夢を叶えられるのは僕の方が有利だったからね。だから、あの時そう提案したんだ。それが一番、定説通りの王子と婚約者にふさわしい方法だったからね。それに……少し前までのきみだったら、迷いもなくそれを選んでいたと思うんだけど」


 シンハライトの瞳が楽し気に細められた。スファレの心情や目の前にある予想を裏切った現実を楽しむようなその瞳に、スファレは情けない表情のままきゅっと唇を結ぶ。


「でも、結果は違った。それって多分、きみが……きみの中の意識が変わったからだと思うのだけれど。それが何だったのか、興味があるんだ」


教えてくれるかな? と、前世のスファレでは見ることが叶わなかったであろう穏やかな笑顔で言われては、スファレは頷くことしかできなかった。


「……確かに、シンハライトの言う通りだと思うわ。本当に失礼な話だけど、二人の事、ちゃんと見てなかったんだと思う。ううん、意識してなかったの。あまりにも一緒にいられることが当たり前で、いつか私はそのままどちらかの王妃になって、二人との関係も、ずっとそれが続くと思ってたから」


(その環境が安全で安心できる場所だったから、それが崩れることなんて疑ったこともなかった。前世の聖女様の真似ごとをして、自分が築いた場所だって勘違いしてたから)


でも、とスファレは一旦そこで言葉を切った。


「聖女様が現れて、王妃にもなれないかもしれない可能性が出てきて……ううん、もう私が王妃になるのは絶望的だなって思った。なんでこんなことになったんだろう、って、私は、私のことだけしか考えてなかったの」


 あの時は、それすらも疑問に思っていなかった。どうしたら王妃になれるのか? その方法だけをずっと考えていた。


「……どうしてそんな辛そうな顔をしているんだい? そんなの当然のことじゃないか。誰だって、突然信じていたものが目の前で崩れてしまったら、他の事なんて考えられないと思うよ。あれは突然聖女を連れてきて大事にした父上たちが悪いんだよ。スファレが悪いわけじゃない」


 シンハライトのスファレを肯定する言葉に、スファレは否定するように大きく首を横に振った。


「……どうせ皆聖女様が王妃様になった方がいいんだろうなって思ったの。特別な力がある聖女様が王妃様になった方が皆嬉しいに決まってるって、絶対そうなんだって思ってたの」


 もしかしたらそれは、前世で嬉しそうに聖女を紹介したシンハライトの笑顔がずっと頭にこびりついていたせいかもしれない。ずっと見続けた悪夢の刷り込みのせいかもしれない。でも、本当はそれは。


(結局私が見てたのは表面だけだったから、あの時も表面に見えてたものに飲み込まれちゃったんだよね……)


 前世の記憶を反面教師に今度は上手く生きているつもりだったが、結局同じ失敗をしていただけだったのだ。


「……だから、私は絶対に選ばれないと思ってたの。二人とも、聖女様がいいに決まってるってきめつけて……でも、そしたらグランディディエが、私を王妃にしてくれるって言ったの。聖女様を選ばないって言ったの。そんなことあると思ってなかったから、すごく驚いて……それで、言い方おかしいしすごく失礼だってわかってるんだけど、初めてちゃんとグランディディエを見た気がしたの」


 本当に失礼な話だが、あの瞬間、王位継承者のグランディディエから、ただのグランディディエにスファレの中で変わっていたのだと、今になって思う。


(まあ、気づくのに色んな人に迷惑かけたけど……)


「……ああ、僕が紅玉を案内していた時か。ほんと、我が弟ながら本当に抜け目ないね」


 それまでじっとスファレの言葉に耳を傾けていたシンハライトが記憶を辿るように呟くと、瞳に楽し気な色を乗せてスファレの翡翠の瞳を覗き込んだ。


「それで、グランディディエのことを好きになったのかい?」


「?!」


 反射的にシンハライトへ瞳を向けると、楽しそうなシンハライトの瞳と目が合った。


「ええっ?! な、なんでっ?! 今そういう話してなかったでしょっ?!」


(いきなり何言うのっ?!)


 脈絡のないシンハライトの発言にスファレはここが図書館だと言うことも忘れ思わず大声を上げると、静寂な室内にスファレの焦った声が響き渡った。シンハライトはそれに楽しそうに笑うと、スファレは先程の発言の恥ずかしさも相まってかっと熱くなった頬を両手で押さえ、ぷいとシンハライトから顔をそむけた。


「なにをそんなに焦っているんだい? だって、それくらいしかないだろう? 僕が選ばれない理由なんて。でも、きみがグランディディエに惹かれた理由が個の認識を変えたことなんだとしたら、もし僕があの時紅玉の誘いを断ってあの場に残っていたら、明日きみに選ばれるのは僕だったのかもしれないのかな?」


「……え?」


(私が、シンハライトを?)


 楽し気に紡がれた言葉にスファレがきょとんとした表情で視線を戻すと、シンハライトがふっと優し気な笑みを浮かべ小さく首を振った。


「……なんてね。まあ、そういうものじゃあないんだろうね。僕も良くわからないから、先に知ったきみに教えてもらおうと思ったんだけど、どうやらスファレもわかってないみたいだね」


 シンハライトはわざとらしく腕を組んで首を傾げてみせると、小さく肩をすくめてスファレへ視線を寄越した。スファレはその仕草に今の発言が冗談だったと知ると、一瞬考えてしまった自分を恥じるように唇を尖らせた。


「……なんかいっぱい喋っちゃったけど、ほんとは気づくのにすごく時間がかかったの。だから、今でもこの気持ちがそうなのかは良くわからないんだけど、でも、そうだと信じて、大事にしたいの」

 うっかり口を滑って出てきた自分の言葉たちを改めて意識してしまうと、スファレは顔が熱くなるのを止められなかった。きっと真っ赤になっているであろう頬を両手で押さえながら恥ずかしさに耐えていると、その様子を見ていたシンハライトの瞳が、綺麗に弧を描く。


「うん。たぶんきっと、そういうものなんだろうね。僕も……もう少しでわかったのかもしれなかったのかな?」


「え?」


 最後小さく呟くように吐き出された言葉が聞き取れずスファレがシンハライトへ視線をやると、シンハライトはなんでもないと言わんばかりに静かに首を横に振った。


「ううん。なんでもないよ……スファレ。僕個人としてはきみのことを応援するけれど、王太子としてはきみとは敵同士になる。付き合いが長いからといって手を抜くつもりはないから、そういう期待はしないで欲しい」


 すう、と短く息を吸い込んでから吐き出された言葉は、今までの和やかだった雰囲気が嘘のように、この図書室にふさわしい凛としたものへと空気を変えた。スファレもそれを感じ取ると、両頬を覆っていた手を外し、真っ直ぐにシンハライトと向き合う。


「もちろんよ。私もそんなこと望んでないわ。ちゃんと、正々堂々と勝負して、それで自分の望みを叶えるわ。もしダメだったとしても、きっとその方が後悔しないと思うもの」


 真っ直ぐに本心を告げると、シンハライトの表情が柔らかく変化する。


「ふふ。スファレらしいね」


 年相応な表情にまた戻ったシンハライトのその言葉が、だがこの短かい二人の時間の終わりを告げたことをスファレは理解した。促されることなく自発的に立ち上がると、だが、シンハライトは引き留めることをしなかった。


「……じゃあ、また明日ね」


「うん。おやすみ、スファレ。また明日」


 子守歌のように優しいシンハライトの声に背中を押されながら、スファレは振り向くこともなく先ほど入って来た扉へと歩いて行った。


お久しぶりです。前回から間が空いてしまいすみません。。。

このパート、あと少しだけ続くのですが、間に合わなかったので明日くらいにでも追記したいと思います。

少しでも楽しんでいただければ幸いです。

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