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第5話-3

 一人で潰す時間に飽きてきた頃響いたノックの音に、スファレはその相手がジエットだと決めつけて確認もせずにすぐに入室を促した。


「いきなり出て行ったけどなにがあ」


「まあまあ、とても可愛らしいお部屋ですのねっ!」


(……え?)

 カチャリと開いたドアに向け拗ねた様子で何かあったのかと問いただそうとしたスファレの言葉は、最初に部屋に入って来た高い声にかき消されてしまった。


(え? なんで?)


「聖女、さま?」


 閉じるタイミングを忘れてしまいぽかんと開いた口の向こうに、今日も真っ赤なドレスに身を包んだ紅玉がなぜかスファレの部屋の中に立っていた。疑問を含んだ声音でどうにか声を絞り出すと、紅玉は胸の前でぱちんと両の掌を合わせスファレへ向け綺麗に微笑んでみせた。


「紅玉と呼んでくださいませ。私もスファレと呼ばせていただきますわ。だって、私たちお友達ですものね」


 人の話を聞いているのかいないのか良く分からない様子で紅玉は有無を言わせぬ口調でそう言うと、すぐにまたキョロキョロと物珍しそうに部屋の中に視線を走らせた。目の前で繰り広げられる全てに思考が追いつかずスファレがその様子をただ茫然と見つめていると、紅玉がふいにスファレへと視線を合わせ、ふふ、と笑ったので、思わずびくりと体を反応させてしまった。


(な、なに?)


「ピンクとか赤とか、お好きでしたのね」


「え?」


 嬉しそうにそう言った紅玉の言葉の意図が分からず言葉に詰まってしまったスファレを他所に、紅玉は迷いのない足取りでスファレのいるテーブルまで歩いて来ると、たった今お茶を飲んでいたスファレのティーカップを手に取った。


「あっ……」


 思わず漏れた声に、カップを愛でていた紅玉が視線を外しちらりとスファレへとそれをやった。スファレは視線の先で交わった赤い瞳に内心を見透かされそうな気がして思わずパっと視線を逸らす。


(なんでいきなりそんなこと言うの?!)


 バクバクと嫌な音を立てる心臓を押さえるように、スファレはぎゅっと胸の上で拳を握った。紅玉の指摘通り、ピンクをメインに赤い花がちりばめられゴールドで淵をあしらった茶器はスファレのお気に入りの一つだった。自分の橙の髪には似合わないからとドレスを着るのは避けていたが、本当は昔から明るい色が好きだったのだ。せめてもの楽しみと家の者以外は目にすることのない自室を好きな色で飾りそれで満足していたのだが、今この瞬間、なんとなく自分の内側を土足で荒らされたような気がして、スファレはきゅっと唇を結ぶ。


(この人にだけは知られたくなかったのに……)


「……」


「お会いする時いつも青系のドレスばかりでしたので、お嫌いかと思って少し心配しておりましたの。私、いつも赤系のドレスばかり着ているでしょう? もしかして不快な思いをさせてしまっていたのかしら? と気にしておりましたの」


(ほんとに? それにしては毎回そういう色しか着てこなかったくせに……)


 お茶会に行く度気にしていたことを本人の口から告げられ、スファレは密かに眉根を寄せた。自分には似合わない、この色は紅玉のような人が着るべきだと見せつけられているようで、コンプレックスが刺激されて実のところ毎回面白くなかったのだ。


(なに? もしかしてわざわざそんなこと言いに来たの?)


 段々と表情が曇っていくスファレの様子に気づいていないのか、でも、と紅玉は一旦言葉を切り伏せていた視線を上げると、にこりとスファレに向き直る。


「お好きなようでしたので、安心いたしましたわ」


 紅玉はそう言うとピンクのカップを手にしたままくるりと視線を部屋の中へ走らせた。紅玉の言う通り、スファレの私室の中には赤やピンクの小物が多く、誰が見ても好みであることが一目瞭然だった。これで嫌いといったところで、説得力も何もないのはスファレにも分かっている。


「……」


(……今、この部屋ごと燃やしてしまいたいっ!)


 赤やピンクが好きな人は世の中にたくさんいる。何も特別な事ではなく、そうですね、と相槌を打てばいいだけの簡単なことだというのはスファレももちろんわかってはいるが、そのコンプレックスの元凶ともいえる人物を前にしてその言葉は中々簡単には出てこなかった。それはまるで戦う前に負けを認めてしまうようで、なんとなく嫌だと思ったのだ。


(自分でも拗らせてると思うけど、でも、仕方ないじゃない……だって、聖女様の方が似合うんだもん……)


 何度も見た前世の夢の最後のシーンを思い出す。笑顔のまま小首を傾げてみせた紅玉の胸で揺れる金髪があの時と重なり、なんと言葉を返していいか分からず固まってしまったスファレの耳に、はあ、と小さく息の漏れる音が聞こえた。


「紅玉様。せめてお座りくださいませ。今お飲み物をご用意させていただきます」


 聞きなれた声にはっとしてスファレが意識をそちらへやると、ジエットがスファレの前の椅子を引き紅玉をエスコートしていた。紅玉は一瞬ジエットへ視線をやると、持っていたカップをジエットへと手渡し特に異論を唱えることなく静かにそれに従った。紅玉がドレスの裾を気にしながら着席している一瞬の間、ジエットがスファレの方へ向けなんとも言えない表情をしてみせたかと思うと、小さく頭を下げた。


(……ああ、これがさっき言ってた「最悪の事態」なんだ……確かに、そうかも……でも、別にジエットのせいじゃないし、よっぽどの理由もなく聖女様を断ることなんてできないだろうから仕方ないけど……でも、なんで突然来たの?)


 メイドによってすぐに運ばれてきた新しいお茶の用意を受け取り、紅玉とスファレへ新しい紅茶を用意しているジエットを見ながらスファレはぼんやりとそう思った。お茶会を通して何度も会ってはいるが、個人的に付き合うような仲ではない。訪問するにはそれなりの理由があるかと思うが、それが突然ともなると、スファレには全く見当もつかなかった。


(まさか、本当に嫌味を言いに来たわけじゃないわよね?!)


「あの……」


「ああ、お菓子作りをしたいとか、無茶なことを言いに来たのではないので安心していただきたいですわ」


 困惑気味に切り出したスファレに被せるように紅玉が慌ててそう言った。そういえばそんな話をしていたな、とスファレはぼんやりとあの時の事を思い出したが、あまり良い思い出ではなかったのですぐに頭の隅

に追いやった。


(でも、じゃあ……?)


「お話をしに来ましたの」


「……お話?」


(なんの?)


 スファレが言わんとしたことを察したのか、端的に告げた紅玉の言葉は確かにスファレの疑問に対する明確な回答ではあったが、それが何を指しているのかは全く見当もつかなかった。二人で話すことなどあっただろうか? とスファレが小首を傾げると、紅玉は綺麗な所作でお茶を一口飲んだ後、にっこりと笑ってみせた。


「ええ。お友達と言えば色々とお互いのことをお話するものでしょう? 私スファレとお友達になったのに、いつもお会いするのは四人でばかりでしたので、女同士のお話をする機会がなかったものですから、なんだかそれがさみしく感じてしまいましたの」


「え?」


(女同士の、話? って、なに?)


 いまいちピンときていないスファレを他所に、紅玉はそう言うと、右手を頬に添えて、はあ、と小さく息を漏らした。


「どうにか二人でお話をする機会はないかしら? と考えていましたところ、偶然近くを通りかかったものですから、嬉しくなって来てしまいましたの」


「そう、なんだ?」

(言ってることはわからないでもないけど、でも友達も突然来たりしなくない? って、あんまり友達とかいないからわからないけど……)


 戸惑いがちに相槌を打ったスファレとは正反対に、紅玉は大きく頷く。


「ええ。本当は少し強引かしらと思ったのですが、もうスファレの好みも知ることができましたから、私、本当に来てよかったと思っておりますのよ」


「好み?……あ」


 紅玉はそう言うとスファレとお揃いのティーカップをちょこんと掲げてみせる。


「私も好きなので、同じものが好きとわかって嬉しかったですわ」


(え……あれ、嫌味じゃなかったの?)


 嬉しそうに微笑む紅玉を前に、スファレはぽかんとした表情で紅玉を見返した。その瞬間、突如胸を襲った何とも言えない自責の念にスファレは思わず歪みそうになった表情をなんとかこらえ、複雑に渦巻いた胸中を隠すようになんとか笑い返して見せた。


(あー、また悪いクセが出ちゃった……)


 スファレが紅玉を苦手だと思う根拠は、ずばり前世の因縁だけだ。ジエットにも散々呆れた目で見られてきたが、無意識のうちにそうやって人を色眼鏡で見てしまっていたのか、とスファレは自分に向け小さく息を吐いた。


(確かに前世では嫌な思いをさせられたけど、それだって私が勝手に覚えてるだけで、今目の前にいる紅玉には関係ないことだもんね……同じ顔だから難しくてモヤモヤしちゃうけど、紅玉は何も覚えてないみたいだし……それなのに、勝手に人の気持ちを推測して、嫌がらせに来たかもしれないって思ったりして……)


「それで、友達同士はお互いのことを話したりするものでしょう? だから私、そういう話がしたくて今日は参りましたのよ」


「……そういう、話?」


 すっかり反省モードに入っていたスファレに構うことなくマイペースに続けられている紅玉の話にふと意識を戻すと、スファレは思ってもみなかった提案に思わず言葉を挟む。視線を上げると、紅玉はその赤い瞳で楽しそうに弧を描く。


(ていうか、そう言う話って、なに? そんな経験ないから全然わかんないんだけど……)


「ええ。例えば、聖女ってなんなのか、とかですわ」


「え?」


 突然振られた会話の糸口にスファレだけではなく、その場に同席していたジエットも思わず目を瞠った。全くもって想像もしていなかった流れに、スファレは真正面から紅玉を見返す。多分世間の友達同士のそういう話には、聖女とは? などという項目が含まれていないことくらい友達のいないスファレにだって分かる。


(それって、一体どういうこと?)


 返答に詰まるスファレの前で、しん、と静まり返った室内で紅玉だけが先程と変わらずにこにこと笑っている。


「ねえ、スファレ。あなたは、聖女ってなんだとお思いになられますの?」


※※※


 女同士の会話ですので、と言って紅玉がジエットを締め出してしまったので、部屋の中は文字通りスファレと紅玉の二人きりだった。もちろん会話の内容もではあろうが、聖女である紅玉と二人きりになるということを警戒したジエットが去り際に投げかけた視線を思い出し、スファレは小さく深呼吸をする。


(多分ジエットは扉のすぐそばにいるから、もし何かあればかけつけてくれるはず)


 聖女という存在がどういうものかはわからないが、不思議な力を持っているのは事実だ。先程からの態度を見るとスファレに対して敵意はなさそうではあるが、なぜ彼女自身の秘密に関わりそうなことをスファレに話そうとしているのか、その意図が分からない為思わず身構えてしまう。


(でも、本当に友達として話したいだけなのかもしれないし……)


 先ほどもうっかり先入観で疑うような態度で話を聞いてしまった為スファレが態度を決めかねていると、紅玉は少し寂し気に眉尻を下げた。


「そんなに緊張しないでくださいませ、スファレ。あまり人に知られて楽しい話ではないので彼には退席していただいただけで、あなたに危害を加えるようなことはありませんわ」


 訝し気な表情を無意識に浮かべてしまっていたのか、弁解するように告げる少し悲し気な紅玉の表情に、スファレははっとして瞬いた。


(……もしかして顔に出ちゃってたの?! あー、ジエットにもよく言われるからきっとそうなのかも……紅玉は多分本当に私と仲良くなろうとして来てくれてるのに、私が前世のことをひきずってどうにも煮え切らないから、また嫌な思いさせちゃったかも……)


スファレは自分の中にある考えを断ち切るように小さく首を振ると紅玉に向き直る。 


「あの、ごめんなさい。私、あんまり友達とかいないから、こういう時どうしたらいいかわからなくって……確かに、突然来たのはびっくりしたけど、せっかく遊びに来てくれたのに、嫌な思いさせちゃって……」


しゅんとした表情で謝罪を告げると、紅玉も同じような表情で小さく首を横に振る。


「いいえ。勝手にお邪魔したのは確かに非常識でしたわ。近くを通りがかったのでもしかしてお会いできるかしら? となんだか嬉しくなってしまったのですが……私こそ、突然お邪魔して申し訳ございませんでしたわ」


 すっかり肩を落としてしまった紅玉に、スファレは慌てて両手を胸の前で振って否定してみせる。


「ううんっ、そんなことないからっ! ほんと、ちょっと、驚いただけ。それよりも、せい……紅玉がそんな気持ちで会いに来てくれたっていうのが、嬉しいから」


「スファレ……」


 紅玉が赤い瞳を少し潤ませながらスファレを見たので、なんとなくいたたまれなくなりスファレは早口に言葉を紡ぐ。


「えっと、それで、聖女様がなんなのかって、どういうこと?」


 スファレを困惑させるもう一つの理由を口にすると、そのお題を投げかけた当の本人である紅玉が不思議そうにぱちりと瞬いたので、スファレは、え? と思わず紅玉を見返した。すると紅玉は思い出したようにぽんと両手を合わせた。


「ああ、先ほどの。そうでしたわ。私、それをお話に来ましたのに、舞い上がっておりましたわ……では、もう一度聞かせていただきますわね。ねえ、スファレ。あなたは、聖女って何だと思われますの?」


 自分から催促したくせに、真っ直ぐに向けられた赤い瞳に思わず怯んでしまった。紅玉が何を期待してそんなことを聞いているのか真意が分からず、スファレは困惑気な表情を浮かべたままぱちぱちと数回瞬きをする。


「え? 何って……聖女様は、特別な力を持った、特別な存在、でしょ?」


 ぼんやりと聞き伝えられている一般的な聖女のイメージを口にすると、自ら言葉にしたそれが思わぬ作用で自身へのダメージとなり、スファレはズキリと心臓が痛むのを感じた。


(なんか、自分で言ってて傷ついたかも……)


 何も持たない自分は本当にこの目の前の特別な存在と言われる相手に勝つことができるのだろうか? ふいに湧きあがった不安にスファレが表情を曇らせると、紅玉は手にしていたカップをソーサーの上に置いて、小さく息を吐いた。


「?」


「特別な力を持った特別な存在。確かに、あなた方にとってはそうかもしれませんわね」


 意味深な言い方に、スファレは思わず眉根を寄せる。


「え? あなた方にとって、って、どういうこと? でも、実際そうでしょう? あなたができること、きっと私にはできないもの」


 実際目にしたことはないが、聖女の力と聞いて思い浮かべるのはどれも不思議なものばかりで、とうていスファレが真似できるようなものではなかった。


(だからそれって、誰にとっても、ってことじゃないの?)


「……確かにそうかもしれませんわ。でも、私の隣の家に住んでいた瑠璃もお向かいの珊瑚も、国に住む誰もが私と同じことができましたのよ」


「え?……どういうこと?」


 言っている意味が分からず思わず首を捻るスファレに紅玉はすっと視線を合わせた。


「私が生まれた国では、国民全員、あなた方が聖女の力と呼ぶもの、いわゆる魔法が使えますのよ。ですから、私たちにとってはあなた方が聖女といってもてはやす力は特別な力などではなく、誰にでもある当たり前のものなのですわ」


「え?……ええっ?! そうなのっ?!」


 突然の告白に驚きで反射的に上げた声に、紅玉はこくりと頷いた。


「え、じゃあ、紅玉の生まれ故郷って、聖女の国なの?」


(そんな場所があるんだ……)


 頭に浮かんだ疑問をそのまま口にすると、紅玉はなんとも言えない表情で少し考えるように首を捻った。


「……難しい質問ですわね」


「難しいの?」


(だって、みんな特別な力があるってことは、みんな聖女様ってことでしょ?)


「ええ。私たちから見れば聖女の国ではないのですけれど、あなた方から見れば聖女の国と呼べるのかもしれませんもの」


「……どういうこと? ごめん。わからないんだけど」


 スファレが困ったように首を傾げると、紅玉がはっとした表情をした後小さく首を横に振った。


「つまり、その力を持っているのは、私が生まれた国の人間だけということなのですが、私たちからしてみれば誰でも持っている当たり前のものなので……」


「え? 紅玉の国の人だけが持っている力なの?」


「ええ。他に魔法が使える人間がいるという記録は見たことはございませんので、おそらく。そのことは先祖の代から私たちは知っておりましたので、外に漏れないようにひっそりと暮らしていたのですが……ある時、国の混乱をどうにか収められないかと試行錯誤していた教会の僧侶が、偶然私たちの内の一人を召喚することに成功してしまいましたの」


「え?」


(召喚? 召喚って、どういうこと?)


 突然飛び出した聞きなれない言葉にスファレの思考は釘付けにされてしまったが、紅玉はそんなことに気づく様子もなく先を続ける。


「彼らも最初は聖女を召喚しようとしていたわけではなかったみたいですのよ。ただ、自分たちを助けてくれる力を持った何か、を呼びたかったらしいですわ。それで、どうしてかはわかりませんが、その気持ちに共鳴したのか、私が住んでいた国の一人が呼ばれてしまったらしいんですの。そして彼女が持つ力によってその混乱が収められてしまいましたの。それが、あなた方の言う『聖女』誕生の謂われですのよ」


「……」


 紅玉はそこで一旦言葉を切ると、理解が追いつかず言葉を失っているスファレを一瞥しすぐにまた口を開いた。


「そのお話は瞬く間に教会の間で広まったらしいですわ。そして彼らは自分たちの力を守るために結束し、

その秘密を共有し外にバラさないことを誓いましたの。聖女はいつだって教会にしか誕生しませんでしょう? そうやって、自分たちに特別性を持たせたんですのよ。その後、教会に目をつけられた私たちの国は、教会が困った時に召喚と言う形で民が呼び出されるようになってしまった。それが、あなた方が呼ぶ、聖女、というわけですわ」


「そんな……」


(そんな勝手で酷いことってあるのっ?!)


 紅玉に聞かされた真実の残酷さに呆然としてしまったスファレに構うことなく、紅玉は自分のことをこう結論付けた。


「つまり、私が特別だというわけではなく、特別な力を持った国の民が違う特性の場所に呼ばれることで、自分の国では何者でもない私が聖女という特別な存在になる、ということですのよ。ですので、聖女の国という言い方は、一方で正しく、一方で正しくない、ということですわ」


「……」


 最後に最初の質問の答えを持ってくると、紅玉は少し悲し気に見える表情で微笑んでみせた。スファレはなんと言っていいのか分からず数回何かを言いかけて口を開けて閉じてを繰り返したが、何度目かの繰り返しの後、覚悟を決めてきゅっと膝の上で拳を握る。


「ねえ、召喚って、じゃあ、紅玉も、そうやって呼ばれたの? だって、教会の外で倒れていたのを助けられたって……」


「嘘ですわ」


 ためらいがちに告げたスファレの言葉に、紅玉はあっさりとそう言ってのけた。


「うそ……」


(なんで? どうしてそんな嘘を?)


 スファレはそこではっとして紅玉を見る。


「ていうか、紅玉、記憶、戻ったの?」


 話の内容には正直頭がついて行っていなかったが、それよりも、記憶をなくしたと言っていた紅玉が自分の故郷のことを話していることにスファレは驚いた。紅玉はその言葉を受けると、すまなそうに視線を伏せた。


「申し訳ございませんでしたわ。それも、嘘ですの」


「嘘……」


 スファレの呟くような言葉に、紅玉が小さく頷く。


「ええ。住んでいた国のことも、自分のことも、本当は、全部覚えていましたの」


「じゃあ、なんで……?」


(あの時嘘を吐いたの?)


 スファレが飲み込んだ言葉を察したのか、紅玉は一度小さく息を吸ってからスファレの瞳を真正面から捉えた。


「その方が、皆さんの同情を引けると思ったからですわ」


「同情を、引ける?」


(なんでそんなことがしたかったの?)


 躊躇うこともなく真っ直ぐに告げられた言葉に、スファレはまた疑問を抱くだけだった。なぜそんなことをしたのか全く理解できないといった様子で戸惑いを隠さないスファレに、紅玉はしっかりと頷いてみせた。


「ええ。あなたはご存じないようでしたけれど、シンハライト様とグランディディエ様は聖女がどうやって

現れるかをきっとご存じだと思いましたの。でしたら、そのせいで記憶がないと言った方が、私のことを憐れだと思い同情していただけると思ったからですわ」


「……憐れまれたかったの?」


なんとなくプライドが高そうなイメージを持っていた紅玉から出た意外な言葉に、スファレは思わず疑問を唱えた。紅玉が発する言葉のどれも意味が分からず、理解しようとする度にまた違う疑問で頭の中が覆われてしまいぐちゃぐちゃだった。紅玉が複雑そうな表情を浮かべる。 


「そう言われますと語弊があると言いたくなってしまいますが、憐れまれてでもお二人の興味と同情を買いたかったのは事実ですわ」


「どうして、そこまでして?」


 きっぱりと言い切った紅玉にスファレが更なる疑問の声を重ねると、紅玉は赤い瞳を少し苦し気に歪めてスファレを見た。


「……だって、私にはもう、これしか道がないんですもの」


「これしか、ない?」


 絞り出すような苦しげな声に、スファレはまた馬鹿みたいに疑問の言葉を重ねることしかできなかった。紅玉はスファレの声に反応することなく、その瞳は悲し気に伏せられた。


「……この世界のどこかで聖女と呼ばれている存在は全て、私と同郷の者しかおりませんわ。誰かが別の世界へ呼ばれたから特別な力を持つのではなく、あなた方が特別だと思われる力を持つ私たちが別の世界に呼ばれ、特別な存在に祭り上げられるんですの。ですが、私たちはあなた方のそんな勝手な行動から自分たちを守るすべが未だ見いだせないでおりますの。召喚が成功してしまえば、国民の誰かは連れていかれてしまいますが、戻って来た者の話は誰も聞いたことがありませんわ。ですから私たちは、呼ばれたら最後、戻ることは叶わないのだと暗黙の了解で知っておりますのよ」


「え? それって……」


(もう、家には帰れないってこと?)


 また疑問を口走りそうになり思わず口を噤んだスファレに、紅玉は少し悲し気に笑ってみせた。


「私たちは、召喚された先で生きていくしかないんですの」


「……」


(そんなっ……)


 鈍器で頭を殴られたような衝撃の事実に、スファレは言葉をなくし思わず口元を両手で覆った。何か声を掛けた方がいいのではと思いながらも何も思い浮かばず、ただ翡翠の瞳を大きく見開くことしかできなかった。


(じゃあ、さっき言ってた人たちにも、家族にも、もう会えないってこと?)


 一瞬自分の身に置き換えてみて、ゾっとしてしまった。


「聖女、と勝手に呼んであなた方はありがたがりますけれど、私には、ここがどこなのか、どれくらい自分が住んでいた場所と離れているのか、そもそも同じ時間に生きているのか、何もわからないんですの。もう戻ることはできないのですから、私たちは呼ばれた先で生きる術を探さなければならないんですの。ですから、私は王妃になるしかないんですのよ」


「……」


 意志の宿った紅玉の瞳の前で、スファレは何も言葉を発することができなかった。紅玉は更に続ける。


「私の身柄は教会が握っておりますもの。教会の意に添うようにすることが、呼ばれてしまった私の生きる術ですわ。それに、王妃になれば身の安全が確保されますし」


 そう言って紅玉が微笑んだ後、しばらくの間二人の間に沈黙が落ちた。スファレはたった今突き付けられた自分の知らなかった現実が飲み込めず、胸に渦巻いたモヤモヤに押しつぶされそうだった。


(私、この人に勝つことなんてできるのかしら?)


「……あの、どうして、私に話してくれたの?」


(こんなこと、聞かない方が良かったのに)


 胸に浮かんだ本音は言わず、スファレが思ったままの疑問を口にすると、紅玉は少し驚いたように目を丸くして、そして少しだけ申し訳なさそうに紅玉は眉尻を下げた。


「本当は、お話しない方が良いと思いましたのよ。すべきではなかったと今も少し後悔しておりますわ。現に、一度嘘をついてあなたにお話しするのをやめたのですから、そのまま黙っておくべきだとも思いましたわ。だって、こんなことをお聞きになったらスファレも私に同情するでしょう? 私たちはこれから勝負をするのに、そういうのはズルいのではないかしらと思いましたわ」


(確かに、紅玉の言う通り、こんな話を聞いたら、色々考えちゃうけど……)


「でも、それでも、せっかくお友達になれたんですもの、本当のことを知っていてほしいと思ってしまいましたの。誰かにこの秘密を共有してもらいたいと思ってしまいましたの。そうしたら、少し心が楽になるかもしれないと思ってしまいましたの……私の我儘で、ごめんなさい」


 紅玉は赤い瞳を悲し気に揺らしてそれでも笑顔を作ってみせた。スファレは小さく頭を横に振る。


(そっか。そうだよね……こんなこと、一人で抱えてるのなんて辛いもんね。誰かに聞いて欲しいって気持ちはわかる……私だって、だからジエットに前世の話を聞いてもらってるんだし……)


 スファレは自分の身に置き換えてみると、紅玉の行動になんとなく納得がいった気がした。自分だって前世の記憶を持つがために苦しくなることがたくさんあるが、それを共有できる人がいるだけで救われている部分は大きいのだ。


「ううん、そんなことないよ……紅玉は、少しでも楽になった?」


「ええ。なんだかスッキリした気持ちですわ」


「そっか……じゃあよかった。ありがとう。話してくれて」


(紅玉は、本当に友達になろうとしてくれてたんだ……それなのに私は前世に引きずられて、苦手意識ばっかり持って、嫌な風にばかり考えてた……もうそんな風に考えるのはやめよう。こんな大事なこと話してくれたんだから)


「こちらこそですわ……て、あら、もうこんな時間?」


 紅玉は調度品の一つとして置かれている時計をちらりと見ると、慌てたように声をあげた。


「突然お邪魔したのに申し訳ないのですが、教会の方に少し出てきますとしか伝えてないのでそろそろお暇させていただきますわ」


「あ、あのっ」


 既に立ち上がっていた紅玉を呼び止めるような形でスファレが思わず声をあげた。紅玉は珍しくきょとんとした瞳をスファレへと向けた。


「今度、また、お話してくれる?」


「……ええ、喜んで」


 紅玉は綺麗な笑みを向けて部屋から出て行った。


※※※


 紅玉が部屋を出て行ったのと入れ替わるようにしてジエットが室内へと入って来た。すぐにスファレに言葉をかけることなくテーブルの上を片付け始めたジエットに、スファレが独り言のようにぽつりと呟く。


「どうせ外で聞いてたんでしょ?」


「人聞きが悪い言い方ですね。あなたに危害が及ばないかと心配していたんですよ」


「危害って……別に何もされてないわよ」


 手持無沙汰にいじっていた空のティーカップをジエットに渡すと、ジエットが何とも言えない表情でスファレを見る。


「……職を失ってでも、やはり聖女を通すべきではありませんでした。申し訳ございません」


「え? いきなりなに言ってるの? 私何もされてないし、大丈夫よ?」


 突然らしくもなく深々と頭を下げたジエットに慌てるようにスファレはテーブルの上に身を起こした。ジエットは頭を上げると、怖いくらい冷静な瞳をスファレへと向ける。


「……でしたら、先ほど聞いたことは全て忘れてください。あなた、どうせ聖女に同情してますよね。すっかり向こうの思うつぼですよ、それ」


「どうせって、そりゃあ、あんな話聞いたら同情しちゃうでしょ? それに、思うつぼって、そんなつもりじゃないと思うけど……」


 ほら、という顔でジエットは大きな溜息を吐いた。スファレはそれを見なかったことにして構わず口を開く。


「……ジエットは知ってたの? 聖女様が、召喚されて現れるって……」


 先ほど聞いた一番の衝撃的な事実を口にすると、ジエットは小さく首を横に振る。


「いいえ。この国には随分と聖女という存在は現れておりませんし、先ほどのお話ですと教会にも箝口令がひかれていたようですからね。聖女は天から授けられた奇跡、と幼い頃に読んだ本に書かれていたようなものだと思っていましたよ」


「そうよね……私も、聖女様って生まれながらに特別でズルいなって思ってたわ。なのに、本当はあんな風に無理やり作り上げられてたなんて……」


(何も知らなかったから勝手に嫉妬してた)


 ぼんやりとした表情で無言になってしまったスファレに、ジエットが苦虫を潰したような表情をしてみせる。


「……ほら、言わんこっちゃないですね。すっかり同情してるじゃないですか。で、じゃああなたは王妃になるのは諦めて、あの方に譲って差し上げるんですか?」


「え? それは……」


 過ぎらなかったと言ったら嘘になる考えにスファレが言葉に詰まると、ジエットは厳しい目つきでスファレを見る。


「あなたが本当にそうされたいと言うのであれば、私は何も言いません。ですが、一度そう決めたのであれば、もう二度と前世の話も、グランディディエ様の話もしないでください。私は聞きませんので」


「え? なんでいきなりそんなこと言うの?」


 突然のジエットの宣言に戸惑ったようにスファレは視線を泳がせる。


「当然ですよ。私は今まであなたの話を聞いて、あなたの悔しさや恋心を十分に存じ上げております。ですから、それらが成就すればいいと心の底から思っております。ですが、あなたがそれを今聞いた話だけで投げ出してしまうとおっしゃるなら、それはそれまでの気持ちだったということに私の中でします。あなたが一度捨てたものを、私は拾って差し上げる気はありません」


「……」


 ぴしゃりと言い放たれたジエットの言葉に、スファレは翡翠の瞳を丸く見開いて固まった。ジエットは厳しい表情のままそれを崩すことなく、視線もスファレから外すことをしなかった。


「スファレ様。あなたの人生はあなたのものです。聖女の生い立ちとは別物なんです。あなたはお優しい方ですから、同情なさるのは仕方のないことだと思います。ですが、その一時の同情にあなたの人生をかけることは、私は違うと思いますよ」


 ふっと表情を緩めたジエットの言葉に、スファレはぱちりと一度瞬くと、動きを思い出したように大きく頷いた。


「……ありがとう、ジエット。大丈夫。確かに同情したのも、紅玉が王妃になった方がいいんじゃないかって思ったのも事実だけど、でも、それとこれとは別って考えないとダメなのは、私もわかってる……でも、やっぱりちょっと揺れちゃったから、きっぱり言ってくれてありがとう」


 スファレはそこで一度言葉を切ると、翡翠の瞳を真っ直ぐにジエットへと向ける。


「さっきね、紅玉と話してた時に思ったの。私も前世の話を一人で抱えてるのがしんどかったからジエットに話したし、ジエットが聞いてくれるから助かってたなあって。だから、これからも、紅玉の話し相手になれるといいなって思ったのよ。今までは勝手に苦手意識持ってたけど、それはもうやめようって」


「そうですか。まあ、私があなたの話を聞くのは置いておいていいんですが……急に聖女への態度を改めるのはどうなんですか? そこがあなたの良いところではあると思うのですが……」

 ジエットは何か言いたげな瞳をスファレへ向けたが、スファレはそれを振り切るように首を横に振る。


「でも、勝負はちゃんと別って考えるからっ! ちゃんと、グランディディエとペアになって王妃になるっ! これは諦めないから、ね?」


 スファレがそう言って胸の前で両手で拳を作ってみせると、ジエットは諦めたように何かを言いかけた口をそっと閉じた。





本当は分けるべきではないのですが、長くなってしまったので3にしました。

最後走ってっしまっています、すいません。全部書き終わったら全部手直ししたいです。。。

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