第5話-2
本日何杯目になるかわからない紅茶が注がれる音を聞きながら、スファレはこちらも本日何度目となるかわからない大きな溜息を吐いた。その音に、ジエットが呆れたように目を細める。
「……鬱陶しいですね。あと、行儀が悪いですよ。テーブルの上に肘をついて頬杖なんて、他では絶対にしないでくださいね」
注ぎ終わったティーポットを静かに置くと、ジエットがこちらも何度目となるかわからない溜息を隠すことなく吐き、スファレの態度を咎めるように視線を強めた。スファレはその態度にムっとしたように唇を尖らせる。
「酷いっ!! なんでそんな冷たいのっ?! 優しくないっ!! それに、別に自分の部屋でくらいどんな格好したっていいでしょ? 言われなくったって他ではこんなことしないんだから!」
ここが自室でジエットしかいないこともあり、スファレは不満と非難を込めた言葉を八つ当たりのようにジエットへぶつけた。注意されたことを直そうともせず、不機嫌なままぷいと顔をそむけたスファレに、ジエットは、はあ、と鬱陶しそうに溜息を吐く。
「それっ、今までで一番失礼じゃないっ?!」
二人しかいない為静寂に包まれている室内に響いた大きな溜息の音にスファレは思わずテーブルに身を乗り出して抗議の声を上げると、呆れかえったジエットの黒い瞳と目が合った。スファレはしばらくの間じっとそのまま対峙していたが、ジエットが態度を改めないと悟ると悔しそうに唇をむにむにと動かしながらまたぷいとそっぽを向いて勢いよく座り直す。
「……なんでそんなに荒れてるんですか、あなた」
ジエットが小さく息を吐きながらスファレへそう声を掛けると、スファレはじとりとした目のままジエットを見返す。
「なんでって、だって、どうして「グランディディエは自分を選んでって言ったの?」」
「ですか?」
「?! なんでわかったのっ?!」
スファレの声にぴたりと合わさったジエットの声にスファレは驚いて翡翠の瞳を丸くすると、ジエットはまたも呆れたように息を吐いて肩をすくめた。
「そりゃあ、あれだけ同じ話を何度も聞かされていれば覚えもしますよ」
「うっ……だって……」
ジエットの台詞にスファレはここ最近の自分の言動を思い出し、その思い当たる節に思わず口ごもる。あの日、庭園デートの最後に告げられたグランディディエの言葉が浮ついていた気持ちを一気に現実に縛り付け、そこからずっと動けないでいるのだ。
「ずっと疑問だったんですが、グランディディエ様が自分を選んでくれと言ったことの、何がご不満なんですか?」
ジエットはそう言って不思議そうに首を傾げた。スファレはぼんやりとそれを見上げると、その表情を段々と曇らせる。
「不満って言うか、不安って言うか……」
「不安?」
語尾を上げて問うジエットに、スファレはこくりと頷く。
「だって、グランディディエはやっぱり王様になりたいから私を選んだのかなあって……」
(グランディディエも王様になりたいって言ってたもんね)
そうでない理由で自分を選んで欲しいという気持ちがどうしても押さえられず、スファレはあれ以降ずっとあの言葉に囚われている。
だが、そんなスファレの気持ちとは裏腹に、ジエットは、はあ、と今日一番大きな溜息を吐いた。
「だからそれやめてってばっ!」
自分の気持ちを理解してくれないジエットにイラついた気持ちをそのまま言葉に乗せると、ジエットはそんなことは少しも気にした様子もなく呆れた視線をスファレへと向ける。
「それはこちらの台詞ですよ。このくだり、前もやりましたよね?」
「前?」
何を言っているのか理解しないスファレに、今度はジエットが大きく頷く。
「グランディディエ様とこれからもお会いしたいなら、グランディディエ様を選んで王妃になるしかないと、理解したのではなかったんでしたっけ?」
ジエットの指摘に、スファレは自分の恋心に目覚めた時の会話を思い出す。
「ああ、うん。あれは理解したわ。王妃になったら、理由もないのに他の男の人と会っちゃいけないってやつでしょ?」
「そうです。では、グランディディエ様も同じことを理解していらっしゃるとどうしてお考えになれないのですか? 今度は市場に一緒に行こうなどと酔狂なことをおっしゃったんでしょう? そうする為には、必然的にあなたに選ばれる必要がある。それを分かってのお言葉としか私には思えませんが?」
王子が市場に現れるなんてバレたら大騒ぎですよまったく、とジエットはぼやいて肩をすくめてみせた。
「それはそうかもしれないけどっ、でもっ、王様になりたいだけかもしれないでしょう?!」
「……」
頭では理解していても気持ちが追いつかずスファレが思わず食い下がると、はあ、とジエットが面倒くさそうに息を漏らした。
「お言葉ですが、あなただって王妃になる為にお二人の王子を利用しようとしていたじゃないですか。仮に、万が一グランディディエ様がそのようなことをお考えになっていたとしても、あなたは責められないのではないですか?」
「うっ……で、でもっ! 私は前世からの屈辱を晴らしたいだけだものっ! て、確かに、そんな風に考えてたのは事実だけど……」
ジエットの正論の前に思わず口を噤むと、ジエットはその様子にちらりと視線をやりながらすっかり冷めてしまった紅茶をスファレの前から下げた。すぐに別の茶器で紅茶を用意すると、スファレは差し出されたそれにおずおずと手を伸ばす。こんがらがってしまった思考を流し込むように一口紅茶を飲むと、体の中を通る温かさに強張っていた顔の筋肉が緩むのが分かった。
「……他の方々は、あなたが言う前世の記憶はお持ちではないのですか?」
突然投げられた思いがけない質問にスファレはパチパチと瞬くと、真意を問うようにジエットを見上げる。
「え? どうなんだろう? 確かめたことないけど……多分ないんじゃないかしら? どうして?」
「なぜそう思われるんですか?」
スファレの問いかけは無視して疑問で返された言葉に、スファレは考えるように口元に手をやって眉根を寄せる。
「だって、もしあったら二人ともこんなに私に良くしてくれなかったと思うわ。自分で言うのもなんだけど、前の私って、才色兼備ではあったけど、王妃になることしか考えてなかった、なんか嫌な女だったし。近くにいても友達とかにはなりたくないタイプだったから……いくら有力貴族の娘だからって、そんな女を婚約者候補に選ばないと思うもの……って、なに? その顔」
「ご自分で才色兼備とおっしゃったことに感心している顔です」
前世の記憶を辿りながらなるべく客観的に描写したつもりであったが、ジエットに指摘されたことに思わず恥ずかしくなりスファレは顔をしかめる。
「わかってるわよっ!!……って、だから、多分あの二人には前世の記憶はないと思う」
(だって、もし記憶があったらグランディディエは……)
スファレは一度そこで言葉を切ると、
「それに、特にグランディディエは、前の記憶があったら、私にあんなに優しくしてくれないと思うし……」
と言って、視線を伏せた。
「どうしてですか?」
空気を読まずに純粋な疑問をぶつけてくるジエットに思わず苦笑すると、スファレは困ったように眉尻を下げた。
「……グランディディエのことって、正直そんなに記憶にないの。王妃になれなかったことを嘆いて、恨んで、それで流行り病にかかってすぐ死んじゃったから。夫婦なんて名ばかりで、一度も向き合ったことなんてなかったもの」
スファレはそこまで言うと、きゅっと唇を結んだ。そしてすぐにそれを解くと、弱弱しく笑ってみせる。
「だから、どっちかって言うと覚えてない方がいいな~って」
「どうしてですか?」
「だって、覚えてたらきっと私のことなんて好きになってくれないもの」
当時、次期国王からのお下がりとして当てがわれた相手と言うだけでも面白くなかったかもしれないのに、その当人は自分の立場も理解せずただ自分の果たせなかった野望を呪い本来の夫へ振り向きもしなかった。
(そんな嫌なこと覚えてたら、口だってききたくないって思うでしょ、普通)
記憶にはないが、あの時のグランディディエにきっと落ち度はなかったはずだ。
「そうでしょうか? だって、あなたは記憶があってもシンハライト様と友好な関係が結べているじゃないですか。本来であれば、一番憎むべき相手でしょう?」
「それはそうなんだけど……私の場合は、今あの時の私のことを考えると、やっぱり選ばれなかっただけのことはあるのかなあって思うもん。どうしたらいいかわからなかったから悔しかったけどとりあえずあの時選ばれた聖女様の真似をしてみたけど、今の方がずっと楽しいし、周りの人たちとも上手くやれてるもの。だから、悔しさは消えないけど、シンハライトが私を選ばなかったのも、なんとなく納得できるっていうか……」
スファレがそう言って複雑な表情で笑ってみせると、ジエットは感心したように目を丸くした。
「……あなた、変わりましたね」
「え?」
「いい意味で、ですよ。過去に囚われて王妃になりたいと言い続けていた頃より、ずっといいです」
「そうなの? 自分ではよくわからないけど……」
スファレはきょとんとした目をジエットへ向ける。
「ええ。ですが、王妃になる夢は諦めてはいないんですよね?」
「もちろんっ! それはやっぱり前世からの悲願だもの。ここで諦めたらまた後悔しちゃうかもしれないし……そしたら、またグランディディエに嫌な思いをさせちゃうことになるもの……」
(また私の勝手でグランディディエに嫌な思いはさせたくないし)
「ならよかったです。あなたが色ボケで最初の目的を忘れてしまったかと思いましたので」
「色ボケって、失礼ねっ……もちろん、前世からの悲願の王妃様になることは諦めてないわ。でも今回は、好きな人の王妃様になりたいの……だから」
(グランディディエが王様になりたいだけで私を選んだなら悲しいなって思っちゃうの)
黙ってしまったスファレに、ジエットは、あなたやっぱり馬鹿ですね、と言って笑った。
「グランディディエ様も同じ気持ちかもしれないですよ? あなたのことがお好きだから、あなたを王妃にさせてあげたい、そう思っているかもしれませんよ」
「え? そんな都合のいいことってある?」
スファレがパチパチと瞬くと、ジエットは、さあ? と肩をすくめてみせた。
「相手の気持ちなんて本人にしかわからないんですから、勝手に妄想して憂鬱になるくらいなら、そう考えていた方がいいと思いませんか?」
「確かにそうだけど……」
「グランディディエ様たちが何も覚えていなければ、心配することなんてないでしょう? 覚えているあなただって、わだかまりなく過ごせているんですから」
「うん、まあそうだけど……でも、やっぱり聖女様だけは身構えちゃうんだけどね」
スファレが乾いた笑いを浮かべると、
「女の敵は女って言いますもんね」
とジエットが呆れたように息を漏らしたその時。コンコン、と控えめなノックの音が聞こえ、スファレとジエットは一度視線を合わせると、すぐに二人ともその視線をドアの方へとやる。
「どうぞ」
ジエットが声を掛け入室を促すと、屋敷仕えのメイドが一人ペコリと頭を下げそそくさとジエットの方へと小走りで歩み寄った。その様子にジエットは訝し気な視線をやると、少しだけ眉間に皺を寄せる。
「どうしたんですか?」
「あの、実は……」
基本的に給仕中は特別な用事がない限り部屋を訪れることがないためスファレが不思議そうに見ていると、メイドは困ったような顔でジエットへそっと耳打ちをする。最初は無表情で聞いていたジエットだったが、話が進むにつれ段々とその表情は渋いものへと歪んでいった。
「あの、どうしたら……」
言伝終わったメイドが泣きそうな顔でオロオロとしながら助けを求めるようにジエットを見上げる。ジエットは苦虫を潰したような顔をしながらメイドを見ると、諦めたように大きな溜息を一つ吐いた。
「……わかりました。私が行きましょう」
「ありがとうございます!!」
渋々ではあるがジエットが了承の言葉を告げると、今にも泣きそうだったメイドはジエットとは対照
的にパアっとその表情を明るくした。
「何かあったの?」
今まで二人の様子を窺っていたスファレがタイミングを見計らってそう声を掛けると、メイドだけでなくジエットまでが変な間を作って一瞬止まった。メイドはハっとしてすぐにペコリと頭を下げると、あっという間に声もなく部屋から出て行ってしまった。ジエットはスファレの問いかけを無視してメイドの後を追うようにドアの方へと足を進めると、閉まりきらぬ扉に手をかけ半身を外へ出したところでぴたりと止まった。スファレは無視されていることを拗ねながらずっとその背中を視線で追っていると、突然くるりとジエットが顔だけこちらへ向けた。
「……最善は尽くしますが、最悪の事態になったら申し訳ございません。先に謝っておきます」
ジエットはそう言うと暗い面持ちのままパタンとドアを閉めて出て行ってしまった。
「え? ちょっとっ……いきなりなんなの?」
静かになった部屋の中に、取り残されたスファレの不思議そうな声だけが響いた。
アップしたくてなんとか上げましたが、途中です。次はここに追記?で繋がる予定です。中々進められなくてすいません。休み中にサクサク進めたいな。。。
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