第5話-1
花のある生活を送りたいという王妃の意志を尊重し、実質彼女の手を離れるようになってしまってからも中庭は一年中花が咲き誇るように手入れが施され、今日も美しい花々を見事に咲かせている。
「懐かしいでしょ?」
美しい花に目と心を奪われていたスファレの耳に届いた声に、ふいと視線を上げる。グランディディエの透き通るような水色の瞳が綺麗に弧を描き真っ直ぐにスファレを見ていたものだから、思わずドキリと跳ねた心臓を誤魔化すようにスファレは交わった視線をぱっと解いた。
「懐かしいって、この前ここでお茶したばかりでしょ」
(わ、我ながら可愛くない答え方っ……)
先日自覚した自分の気持ちを思わず意識してしまい反射的に出てしまった言葉に、スファレは心の中で密かに頭を抱えた。ジュディとの会話で気づいた無自覚に芽生えていた恋心はその後ジエットにからかわれながら、 あっという間にスファレの中で育っていった。その後お茶会で出会うことはあったが二人きりになることはなく、なんとなく自分の中で折り合いがつけれるようになってきたと思っていた矢先、本日お茶会が終わり帰ろうとしていたところを突然グランディディエに誘われたのだ。
(今までどうやってグランディディエと喋ってたんだっけ?)
スファレは気づかれないように今新たに生まれた困りごとにそっと眉根を寄せた。
「まあそうだけど。でも、この前は入り口で見たくらいで中には入ってないでしょ。そういえば中ってこんな風だったなあって懐かしくって。ほら、小さい時はここ迷路だって思ってたけど、全然そんなことなかった」
辿り着いた最奥の袋小路を背に、二つしかない分岐の生垣を指さし楽しそうに話すグランディディエに、スファレの中に先日の光景が甦る。あの時グランディディエに触れた紅玉の指先が、今でも脳裏に焼き付いて離れないのだ。同時に胸の奥に湧いた感情に、スファレは視線を伏せてぎゅっと胸の辺りのドレスを掴んだ。
(あの時はわからなかったけど、これって多分……)
「……グランディディエは聖女様と一緒に見たんでしょ」
(!!)
ボソリと口から零れ落ちてしまった言葉にハっとしてスファレは反射的に両手で口を押えた。心の中で呟いたつもりのそれは思ったよりも拗ねたように聞こえ、その声音に自分の耳すら疑った。だが時すでに遅く、一度発してしまった言葉は元に戻ることなくしっかりとグランディディエの耳にも届いていたようで、驚いたようにきょとんと瞳を丸くしていた。
「あ、えっと、違うのっ!……て、違わないけど」
(ああああああ、どうして心の中で言ったはずなのに口から出てるのっ?!)
スファレはバツが悪そうに語尾を濁らせてそう言うと、両手を胸の前で振り思わず言葉に乗ってしまった気持ちを否定するように静かに首を横に振った。
「何が?」
「……え?」
心なしか楽しそうに聞こえるグランディディエの声に視線を上げると、スファレは先程より近くにあったグランディディエの瞳にふっと息を飲み込んだ。真っ直ぐに向けられる視線がなんだか恥ずかしくて逃げるように後ずさると、すぐに背中が生垣に当たり逃げ道は塞がれてしまった。かさりという葉音が耳に届くと同時に、スファレの体を色とりどりの薔薇が包む。逃げ場のなくなった姿勢のままちらりと視線をグランディディエへとやると、スファレは自分を取り囲む薔薇の花の芳しい香りに、観念したように眉根を寄せて口を開く。
「……グランディディエは、この前見たから知ってたんでしょ」
「……まあね。紅玉の相手はしなくちゃいけないし、でもあんたと兄さんをずっと二人にしとくのも嫌だなあって思いながら適当に案内して終わろうって思ってたんだけど、そういえばあの小道あんた無理やり通ろうとしてたなあ、とか思い出して久しぶりに来たら懐かしくって」
そう言ってグランディディエは背中にある小道を親指で指しながら笑った。スファレもその言葉に当時の姿を思い出すと、不満そうに唇を尖らせる。
「あれは……本当に通れると思ってたんだもん」
「うん。そういう顔してたなあ、って、あんたとの思い出ばかり思い出したから一緒に来たかったんだけど、あんたは不満そうだね」
「不満って、別に……」
心と裏腹な台詞にスファレが視線を逸らすと、グランディディエは楽しそうにくつくつと笑う。
「他の女と来た所に二番目に連れてきて、って?」
「! そんなことっ!……」
「違うの?」
反射的に顔をあげたスファレを、グランディディエの瞳がまるでそれ以外の答えが存在するのか? とでも言わんばかりに不思議そうに覗き込んだので、その丸い瞳の前にスファレはそれ以上言葉を続けることができずむにむにと唇を噛む。込み上げてきた気恥ずかしさに視線を逸らすと、観念したように口を開く。
「ち、違わない、と思う、けどっ……面と向かって、そんなっ……」
「嫉妬してます、って?」
楽しそうな声音のままグランディディエが核心に触れる言葉を口にしたので、スファレは弾かれるように翡翠の瞳を瞬いてグランディディエを見る。
「嫉妬ってっ!…………確かに、そう、なのかもしれないけど……わざわざ言葉にしないでよ」
「なんで?」
「なんでって、だって……は、恥ずかしいでしょ?」
スファレは嫉妬していることを暗に認めると、赤くなってしまっているのではないだろうか? というくらい熱くなった頬を両手で押さえた。その様子にグランディディエは更に楽しそうにその頬に笑みを湛える。
「なにがそんなに恥ずかしいわけ?」
「なにがって、だって……」
(それじゃあ私がグランディディエのこと好きだって言ってるみたいじゃないっ!!)
好きなんだけどっ、と胸中で自分でツッコミを入れると、更に熱くなってきた頬を掌に感じたまま、スファレは答える代わりにグランディディエを上目遣いに睨み返した。グランディディエはそれを受けると一瞬驚いたように目を丸く見開いたが、すぐにそれを破顔させた。スファレはその表情に、ふと視線を留める。
(なんか、今日すごくよく笑う気がする)
「俺は嬉しいのに」
「え?」
普段よりも笑顔が多いグランディディエを無意識に見つめてしまったせいで、流れるように紡がれたグランディディエの言葉を思わず取りこぼしてしまうところだった。だが、受け取ったグランディディエの言葉の意味が分からずスファレが不思議そうに首を傾げると、グランディディエは笑顔のまま、だがスファレの言外の問いかけに答えをくれることはなかった。代わりに、おもむろにスファレの方へと手を伸ばしてきたので、腕を解いて思わず目を瞑る。
「!」
触れられるのかと思い反射的に目を瞑ってしまったが、しばらく経っても特に何も起きなかったのでスファレはゆっくりと目を開けた。今の反応をまたグランディディエにからかわれるかと身構えたが、見るとグランディディエはそんな様子もなく手折った一本の青い薔薇を手に、スファレが気づいた時には、それをポキリとちょうどいいサイズに折りそっとスファレの左耳の上へと飾った。
「うん。やっぱり良く似合う」
「!」
そう言って微笑んだグランディディエの表情が、今までに見たこともないような柔らかな表情で、その美しさにスファレは思わず息をするのを忘れてしまった。まるで愛しいものを見るようなその甘い瞳に耐えられず、スファレは突然煩くなった心臓を確認するように視線を伏せる。
「あ、ありがとう?」
(やっぱり、今日すごく機嫌が良さそうで調子狂う……)
左手で今飾られたばかりの薔薇を確認するように指先で触れながら、スファレは沸騰してるのではないか? というくらい熱くなった自分の頬を確認するように掌で触れた。何が何だか良く分からない混乱のままスファレが礼を告げると、グランディディエはそれに満足気に頷き、
「では、お手をどうぞ」
と言ってスファレへ向けて恭しく左手を差し出した。
「?!」
まるで踊りを誘うようなその仕草にどうしたらいいかわからず、スファレは翡翠の瞳を大きく見開いて思わず固まってしまう。
(こ、これっ、どうすればいいのっ?!)
グランディディエの突然の行動に理解が追いつかず、スファレは差し出されたグランディディエの手を一瞥した後、辿るようにしてグランディディエと視線を合わせた。視線が交わったその瞬間、グランディディエが笑顔のまま、ん? と問うように小首を傾げたので、スファレはその瞬間跳ねあがった心臓に驚いて、慌ててまた視線を伏せた。
(……手、を、繋ぐってこと、よね?)
胸中で誰に言うでもなく確認するように呟くと、スファレは上げられない視線の先にあるグランディディエの骨ばった指先に小さく息を飲んだ。
(手なんて、子供の時くらいしか、繋いだことないんだけど……)
幼い頃に遊んでいた時は、お互い何の意識もなく繋いでいたように思う。それがいつからか覚えてもいないうちに繋がなくなって、また今それがもう一度、今度は意志を持って目の前に差し出されている。
「……」
スファレは気づかれないように一度小さく深呼吸をすると、恐る恐る右手を動かした。ドキドキと煩い心臓に急かされるようにグランディディエの伸ばされた手へとそれを近づけると、あと数センチで指先が触れるというその時、スファレの脳裏にふと魔が差したようにある考えがよぎり、はたとその動きを止める。
(……聖女様にも、こうしたのかな?)
グランディディエは女性の扱いに慣れていると思う、と言ったシンハライトの言葉も追い打ちのようについでに思い出され、スファレは完全に動きを止めてしまった。
(……嫌だな、これも二番目だったら……)
先ほど庭園に入って来た時と同じ気持ちが胸中に蘇り、スファレはつい今しがたまでドキドキが止まらなかったのが嘘みたいになりを潜めた心臓の音に小さく唇を噛んだ。
「……どうしたの?」
突然湧いた不穏な考えに不自然な格好で止まってしまったスファレを不審に思ったのか、グランディディエから訝し気な声が上がる。
「あ……」
それでも手を取れずにいると、反射的に視線を上げたスファレの瞳に映るグランディディエの水色の瞳が、みるみる内に不機嫌そうに歪んでいくのが分かった。
「なに? 嫌なの?」
一瞬傷ついたように歪められた表情で差し出していた手を一瞥すると、グランディディエはふうと一つ息を吐いてそれを引っ込めた。代わりにそれを腰へと持っていくと、眉間に皺を寄せてスファレを見る。
「え? ちが……」
(もしかして、怒らせちゃった……?)
突然豹変してしまったグランディディエの態度に何が何だか分からずスファレは困惑気な表情をグランディディエへと向ける。先程とは打って変わって厳しい表情になってしまったグランディディエに戸惑いながらも、スファレは、
「……怒ってるの?」
と、伺うように上目遣いでその表情を覗き込んだ。
(さっきまで機嫌良さそうだったのに……)
突然変わったグランディディエの機嫌にスファレが困ったような表情でグランディディエの瞳を覗き込むと、グランディディエははっとしたように一度瞬くと、腰にやっていた手を今度は額へとあて、はあ、と大きな溜息を吐いた。
「……ごめん。怒ってない」
グランディディエはぼそりとそう呟くと、今度は両手を腰に当て、もう一度大きな溜息を吐いた後、俯いた姿勢のまま首を大きく横に振った。やはり訳が分からぬままスファレが様子を窺っていると、グランディディエはバツが悪そうな表情のまま、今度はおずおずと左手を差し出してきた。
「ねえ、手、繋いでもいい?」
「え?」
懇願するような響きを含んだ声に、スファレは弾けるように視線をグランディディエに合わせた。相変わらず難しい顔をしたままのグランディディエに、スファレはどうしたらいいものかとその手を凝視する。
(……聖女様にもこうしたのかな? 女性の扱いに慣れてるってシンハライトが言ってたし……だから、今まで断られたことなかったのに、私が戸惑ったから、怒っちゃったの?)
先程浮かんだ考えにもう一度直面し、スファレは伸ばしかけた右手をどうしたものかと指先を丸める。自分が上手にグランディディエの手を取れなかっただけで、紅玉は流れるように手を重ねたのかもしれない。誰かと手を繋ぐ行為にも、ましてやグランディディエのそんな態度にも慣れていなスファレは、この行為に意味を見出してしまい、嫉妬が行動の邪魔をする。
(一緒なんて、嫌だな……)
胸に浮かんだ嫉妬に動きの止まってしまったスファレに、グランディディエは今度は手を引っ込めることなくそのままの姿勢で、だがまだ難しい顔をしたまま言葉を紡ぐ。
「……あんたが何考えてるかわかんないけど、もし俺が今考えたことと同じだったとしたら、紅玉にはしてないよ。ていうか、他の誰にもしたことない。あんただけ」
スファレの胸中を読んだかのようなグランディディエの言葉に、スファレは反射的にパっと視線を上げる。
「え? ほんと?」
思わず漏れた本音に、グランディディエがむっとしたように口を曲げる。
「なにそれ。なんで俺そんなに信用無いわけ? なんかした?」
「だって、シンハライトが、グランディディエは女性の扱いに慣れてるって言ってたから……」
言葉にしなかったスファレの思いを言外に察知したのか、グランディディエは不満気な表情のまま大きな溜息を吐く。
「兄さん余計なことを……」
「……余計なことっていうことは、本当なの?」
疑うような響きになってしまった言葉と共に上目遣いでグランディディエの顔を覗き込むと、グランディディエの眉間に更に不満気な皺が刻まれる。
「あのねえ。社交の場での話でしょ? そりゃあ、ああいう場での振る舞いは一通り身についてるよ。だって義務でしょ、ああいうのは」
「……じゃあ、これは?」
吐き捨てるようなグランディディエの台詞に、スファレは確認するように自分に差し出されたままのグランディディエの手を指さす。
「……だからっ、誰にもしたことないって言ってるでしょ。義務じゃないに決まってる。あんただから、手を繋ぎたいの……って、言わせないでよ、こんなこと」
困ったように口をへの字に曲げ、グランディディエは少し恥ずかしそうにスファレを見返した。グランディディエは口にしたのが不服そうであったが、義務じゃない、という言葉に、今までスファレの胸の内を覆っていたモヤモヤが、嘘のように晴れていく。
(私だけ)
自分でも本当に単純だと思うが、グランディディエの台詞を意識した途端、まるで体中が心臓になったように跳ね上がった心音が体中に反響し、かあっと頬に熱が集まるのが分かる。
(私だけ、なんだ)
「で。繋ぐの? 繋がないの?」
「つ、つなぐっ!」
グランディディエの言葉を脳内で噛み締めるように反芻していると、しびれを切らしたようなグランディディエの声に、スファレは条件反射で頷いた。少し拗ねたように見える顔はどこか照れているようにも見え、その表情に、スファレは胸の中がぽかぽか温かくなっていくような気がして、その気持ちのままグランディディエを見返した。するとグランディディエはまたバツが悪そうな顔をしながら、左手をずいと前に出す。
「……じゃあ、はい」
「う、うん」
差し出されたままだったグランディディエの手を恐る恐る取ると、グランディディエの骨ばった長い指が優しく包み込むようにきゅっと握り返した。その動きに心臓がぎゅっと掴まれたような気がして弾かれるようにグランディディエを見ると、グランディディエは眉間に皺を寄せてまだ不満そうな顔をしていたので、スファレは不安になってその瞳を覗き込む。
「……ご、ごめん。なにか、違った?」
(手を繋ぐって、これ以外にあったっけ?!)
「違ってない……別に。ただ、かっこ悪すぎるなって思ってただけ。ただ手を繋ぐだけなのに……」
グランディディエはそう言うと繋がれた左手に視線を落として、はあ、と溜息を吐いた。スファレは繋がれた右手に一度視線をやると、真っ直ぐにグランディディエを見る。
「どうして? 私は嬉しかったけど……?」
グランディディエの瞳が、なんで? と言わんばかりにじっとスファレを見返す。
「だって、私だけ、なんでしょ? だったら、嬉しいし……それに、かっこいいとか悪いとか、今更これくらいのことで思わないし……」
(だって、私だけって、特別って感じがするから、それだけで嬉しいし。グランディディエなんて何したってかっこいいんだから、気にする必要なんてないのに……)
指先から伝わる熱が恥ずかしくて、スファレはそっと視線を伏せた。どうしてグランディディエがそんなことを気にしているのか分からなかったが、それよりも、紅玉にも誰にもしていないことをスファレにだけしてくれることの方が嬉しいのだ。
(でも、グランディディエさっきより笑わなくなっちゃった)
スファレの嬉しい気持ちと反するグランディディエの表情に、スファレは少し不満気にグランディディエを見た。
(グランディディエは、嬉しくないの?)
「……あんたがそれでいいならいいけど、最後の方はちょっと聞き捨てならない……」
グランディディエはなぜか納得いかな気に複雑そうな顔で唸ったが、スファレの視線に気づくと一度はっとしたように表情を崩し、何かを考えるような顔で空を仰いだ。だがすぐに小さく頭を振ると、スファレへ視線を流し、くいと繋いでいる手を軽く引っ張った。それを合図にグランディディエはゆっくりと歩みを進めたので、スファレもそれに伴って薔薇が見事に咲き誇る庭園の中を一歩歩き始める。
「……ごめん」
しばらく無言でゆっくりと歩いていた中、グランディディエがぽつりとそう呟いた。スファレは釣られるように視線を上げたが、グランディディエは地面をじっと見つめたまま、何かに不満気に唇を尖らせていた。
「何が?」
「何って、あんたのことを考えてなかったこと」
「私のこと?」
スファレが不思議そうに首を傾げると、グランディディエは大きく頷いた。
「うん。俺がスマートにあんたをエスコートできなくて自己嫌悪してるとか、あんたには関係ないことなのに、それを引きずってあんたにそんな顔させちゃった」
「そんな顔って?」
聞き返しながらスファレは最近ジエットに言われ続けている言葉を思い出してはっと顔色を変えた。
(そういえば、なんかずっと変な顔してるって言われてたんだったっ!!)
「も、もしかして、なんか変な顔してる?」
「変な顔?」
顔面蒼白でスファレが切羽詰まって問うと、今度はグランディディエが不思議そうに小首を傾げた。
「うん。最近ジエットによく言われるの。またそんな変な顔して、って。大体グランディディエのこと考えてる時に言われるから、もしかして今もそうなっちゃってる?」
空いている左手で頬を押さえながらスファレは恐る恐るそう言うと、
「その瞬間に自分の顔鏡で見ることができないからジエットが言ってることが良くわからなくて……もしかして、不細工な顔してる?」
と、泣きそうな顔でグランディディエに問う。グランディディエは目を丸くしてぽかんとした表情のままスファレを見つめ返すと、ぱちぱちと数回瞬いた後歩いていた足を止めた。スファレはその行動を不思議に思いながら同じように止まると、グランディディエの瞳が信じられないようなものを見るようにスファレを見ていた。
「……俺のこと、考えてるの?」
「え? うん」
「ふーん……」
(あれ? 私今、なんか……!!)
グランディディエのシンプルな問いにスファレが迷うことなく答えると、グランディディエはその答えが気に入ったのか、無表情だった頬にみるみる内に楽しそうな笑みが刻まれていき、スファレは思わず自分の発言を振り返る。
「あ、えっと、違うのっ!! 今言ったのは、そう言うことじゃなくってっ!!」
「…………ふっ、ふふっ、あはははっ」
「え?」
(あ、笑った)
スファレは今自分がした失言のことなどすっかり頭の隅に追いやって、グランディディエが笑ってくれたことが嬉しくて、自身もほっとしたように無意識にその頬に笑みを浮かべた。グランディディエは笑いすぎて涙でも出たのか、目じりを空いている方の指先で押さえながら、笑顔でスファレの方へと視線を寄越す。
「なんか、あんたってやっぱりすごいね。気にしてたのがバカらしくなってきちゃった」
「え?」
「あんたに少しでもかっこいいと思ってもらいたくてかっこつけたかったんだけど、上手くいかなくてイラついて、あんたに当たるみたいにするなんて本末転倒もいいとこなのに、怒りもしないなんて。普通だったら怒って帰られちゃっても仕方ないことしたって自覚はあるから……」
「……他の子だったら、怒ったりするの?」
無意識に口から出てしまったまたしても卑屈な言葉にスファレがはっとして口を噤む前に、グランディディエが呆れたように口を開いた。
「だーかーらっ、他の女なんて知らないって言ってるでしょ。それに、そいつらが機嫌悪くなっても、俺にとってはどうでもいいことなのっ」
「……そっか」
「そう。もうありもしない妄想と比べるの禁止ね。わかった?」
「うんっ」
「よろしい」
反射的に頷いたスファレにまるで教師のようにおどけて答えたグランディディエの言葉に二人は目を合わせて笑うと、どちらからともなくまた歩みを再開させた。
「……今日は、俺が勝手に懐かしんで来たかった所に連れてきて、あんたに嫌な思いもさせちゃってごめんね」
しばらく続いた沈黙の後、グランディディエがぽつりとそう零した。スファレが視線を上げると、気まずそうに視線を泳がせるグランディディエに答えるように、スファレはふるふると首を横に振りながらぎゅっと握る指先に少しだけ力を籠めた。
「嫌な思いって、そんなの、私が、勝手に嫉妬しちゃっただけだし……それよりも、誘ってくれたのも、昔のこと覚えてて一緒に見たいって思ってくれた方が嬉しかったよ?……ほんとだからね?」
反応を伺うようにスファレがグランディディエの顔を覗き込むと、ふふ、とグランディディエは綺麗な笑みを返す。
「うん。ありがと。だけど、次はあんたの好きな場所へ行こうね」
「次?」
(次があるんだ!)
次回を期待させる言葉に思わず弾んだ気持ちのまま表情を綻ばせると、グランディディエも嬉しそうに頷いた。
「どこ行きたい? ああ、あんたがいつも行ってる城下町の市場もいいかもね。俺行ったことないし。王子として、自分の国の街をちゃんと見とくのもいいことだと思うし」
名案かもしれない、と満足そうに呟くグランディディエを他所に、スファレはあの場所にグランディディエが降り立つことを想像して目をぱちぱちと瞬いた。
「ええっ?! グランディディエが行ったら騒ぎになっちゃうんじゃない? だって、王子様だし……」
(そうじゃなくても、グランディディエ目立つだろうし……)
スファレはグランディディエと対峙した時のジュディの様子が容易に想像できて思わず苦笑する。
(ジュディさん、グランディディエのこといい男って言ってたもんね)
「あんただって貴族の娘でしょ。あんたが行って大丈夫なら、なんとかなるでしょ。それに、行く時変装してるんでしょ? 俺もそうすれば、まあバレないと思うし……って、何、その顔。まさかそのまま行ってるとか言わないよね?」
「それはさすがにしてるけど……でも、それでも目立ちそう」
「まあ、俺の美しさは変装くらいじゃ隠れないもんね」
冗談とも本気とも取れない言葉を吐くと、グランディディエはおどけた調子だった眼差しを優しいものへと変えスファレの方へと寄越す。
「それに、あんたによくしてくれるって言う人にも会ってみたいし」
「ジュディさんのこと?」
ちょうど今考えていた人物を話題に出され、スファレはその名を口にした。
「多分、その人。名前聞いてたっけ? いつも美味しい素材をありがとうございますってお礼しなきゃね」
「ジュディさん、きっとグランディディエの顔ばっかり見て話聞いてないと思う」
「なにそれ。まあでも、それは仕方ないね」
当然のように頷いたグランディディエに、二人は視線を合わせるとくすくすと笑いながら生垣の間をゆっくりと歩く。
(あ、なんかいつもみたいになってきた)
最初心配していたのが嘘のように、いつも通りに運ぶ会話が嬉しくて、スファレは無意識に繋ぐ指先にぎゅっと少しだけ力を籠めた。グランディディエはその微かな動きに目ざとく気づくと、ちらりとスファレへと視線をやる。
「……そういえば。あんたさっき、手を繋ぐのに間違えたとかなんとか言ってなかった? あれってなに?」
「え?……あー。なんかグランディディエの様子がおかしかったから、私何か間違えちゃったのかなあ? って」
だからそれが何かって聞いてるんだけど、と視線が無言で告げていたので、スファレは慌てて次の言葉を紡ぐ。
「だからっ、誰かと手を繋ぐのなんて、子供の頃ぶりだから、もしかして何か間違えたのかな? って思ったの。それだけよ? でもよく考えたら、手を繋ぐのに間違いなんてないもんね」
「ふーん。間違いねえ」
自分の混乱を説明するようで少しだけ恥ずかしそうにスファレが告げると、グランディディエはまるでその答えを吟味するように呟いたかと思うと、なぜがにやりと笑った。
「例えば、こういうこと?」
グランディディエはそう言うと、繋いだままの手を器用に動かし始める。するするとスファレの指の間に自分の指を絡ませると、あっという間に先ほどよりも密になった繋ぎ方に、スファレは思わず自分の顔に熱が集まっていくのが分かった。
「!!」
真っ赤な顔のまま無言でグランディディエを見上げると、水色の瞳が楽しそうに弧を描く。
「確かに間違いだったかもね。じゃあ、次はこうやって回ろうか」
グランディディエにしては珍しくニヤニヤと笑いながらスファレの顔を覗き込んできたので、スファレはふいっと視線を逸らす。
「……グランディディエがそうしたいなら、私は、それでいいけどっ」
「うん。じゃあ俺はこうしたいから、決まりね」
グランディディエは楽しそうにクスクスと笑うと、スファレはからかわれたことに拗ねるように唇を尖らせたが、それすらもグランディディエの何かにハマったのか、先ほどとは打って変わって楽しそうな笑顔のままだ。
「うん。ねえ、だから俺を選んでね」
「え?」
流れるように紡がれた言葉に、スファレはどういう意味か問うように視線をグランディディエへと上げた。まるでそれを合図のようにグランディディエがぴたりと足を止めると、奇しくもいつの間にか庭園の入り口まで戻ってきていた。
「きっとそろそろ、課題が告げられるはずだから。そうしたら、あんたや紅玉にパートナーを選ぶ機会がやってくる」
グランディディエはそこで一度言葉を切ると、真剣な眼差しでスファレと向き合った。
「だから、その時はちゃんと俺を選んでよね、スファレ」
繋いだ手を口元へ持っていき、グランディディエはまるで懇願するようにスファレの手の甲に口づけを一つ落とした。スファレの脳はその行為を意識するよりも、たった今告げられた言葉によって、なんだか現実に引き戻されてしまったような、そんな感覚に陥っていた。
お久しぶりです。
前回の投稿から大分時間が経ってしまってすいません。。。
難産になってしまったので、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。




