第4話-3
車窓から覗く空は雲一つなく青く晴れやかだが、スファレの心にはここのところずっと得体のしれない白いモヤがかかっているようで、その曇り空は一向に晴れないでいた。
「……」
「……あまり辛気臭い顔ばかりしているとブサイクになりますよ」
ふいに聞こえてきた悪口に視線をやると、目の前に座るジエットがスファレを一瞥してわざとらしく溜息を吐いた。スファレはその反応にじとりとした目を一度向けると、ふいとまたそれを窓の外へと戻す。
本日は大変珍しいことに、ジエットの方から、気分転換に市場に行かれてはいかがですか? と抜け出す全ての段取りを済ませた後にスファレに提案をしてきた。ここのところずっと気分が晴れなかったが自分から気分転換に出掛ける気力もなかった為大変ありがたい申し出だと感謝していたのに、出発して数分で気分を害してくるところはさすがだなとスファレは思う。
「……どーせ元々そんなに可愛くないし。金髪でもないし、ほっといてよっ!」
(しかも的確に人が気にしてるとこを突いてくるとかほんと性格悪いっ!!)
べえっと行儀が悪いと怒られること上等でスファレはジエットに向け短く舌を出すと、ジエットは一瞬驚いたように漆黒の瞳を丸くしたが、すぐに呆れたように憐れみのような視線を寄越す。
「……確かに自意識過剰すぎるのはアレですけど、自己評価が低すぎるのも時に嫌味に聞こえますからやめた方がいいですよ。私の前ではいいですけど、大勢の前で言えば品位に関わります。あと、金髪って今何か関係ありましたか?」
真正面からジエットの真っ当なお説教を浴び、スファレはその表情を目に見えて不機嫌なものへと変えていく。反射的に言い返したいことは沢山あるのに上手く言葉に纏められず、スファレは悔しそうにむにむにと唇を震わせる。
「……だって、どうせみんな金髪を綺麗だって思うんでしょ? だったら私なんて全然綺麗じゃないじゃない。髪なんて、こんなに鮮やかな橙色だし……」
スファレは拗ねたように唇を尖らせると、綺麗にブラッシングされた自身の髪を一撫でする。生まれつきの髪色は変えることはできないが、せめて美しくあるようにと幼い頃から手入れを欠かさないそれは、艶やか輝きを持ち本来なら恥ずべきところは一つもない。
(でも、そういうことじゃないんでしょ?)
昔味わった屈辱が、紅玉の金髪を見た瞬間に鮮明に蘇った。あの瞬間、容姿も作法も教養も、全て完璧に身に着けていたのに、生まれつき持たざるたった一つの物で全てを否定されたあの時の事が、悪夢のようにまたスファレの前に現れたと、そう思ったのだ。そしてまた結局そうなのか、と忌まわしい記憶がスファレの表情を曇らせる。
「あなたが言う、みんな、というのが誰を指すのかはわかりませんが、それは人それぞれの好みではないですか? 確かに、国によっては主に金髪が美しさの象徴という国もあるかとは思いますが、我が国はそういう風潮ではありません。国民もバラエティに富んだ髪色をしていますし、それは単なる個性として受け入れられていると思っていますが……逆にあなたは、なにをそんなに卑屈になっているんですか?」
ジエットが不可解だと言わんばかりに眉間に皺を寄せる。確かにジエットの言う通り、スファレの住む国には髪や肌の色での差別は知っている限りでは存在しない。だからスファレの不満が理解できないと言うジエットの言葉は理解できる。
(それはわかってるけど、でも……)
真っ直ぐに向けられる瞳から逃げることができず、スファレは観念したように口を開く。
「だって、お兄様だって……」
「? あなたのお兄様は昔からあなたのことを蝶よ花よと可愛い可愛いと溺愛していることで有名ではないですか?……まさか、私どもが知らないところで嫌がらせを受けていたと?」
不思議そうに首を傾げたジエットの目つきが段々と険しいものに代わり、その声がワントーン下がったところで異変を感じ、スファレは慌てて否定するように首を横に振る。
「違うちがうっ!! お兄様は優しいし、嫌がらせを受けるだなんてとんでもないわっ! 私のこの髪だって、お日様のようにキラキラして綺麗だって言ってくれてるしっ!」
「では、今おっしゃったのはどういう意味で?」
スファレの言葉を信用していないのか更なる追撃をしてくるジエットに、スファレは一瞬どう答えたものかと視線を泳がせたが、すぐにバツが悪そうに先を続ける。
「それはっ……前のお兄様、っていう意味で……」
「前の?」
「ほら、前世の……」
(前のお兄様は私のこの髪色をとても嫌っていたんだもん。自分が金髪だっていうのもあったと思うけど、公爵家にとって恥ずべきもの、みたいな感じで、私がどれだけ他で完璧にしていても、それだけで全てを否定するような目でいつも見てきたし……)
スファレがそう言うと、真剣味を帯びていたジエットの目があからさまに馬鹿にしたようなものへと変わった。わざとらしく額に手をやると、嘆かわしいと言わんばかりにまた大きな溜息を吐いた。
「またあの夢だか前世だかの話ですか? それが事実かどうかは私にはわかりかねますのでその議論はしませんが、今の事実から目を逸らして過去の事象で落ち込むって、そんな非生産的な事をして何になるんですか?」
まごうことのない正論に、スファレはぎゅっと唇を結んで下を向く。
(ほんっとに優しくないっ!! そんなこと言われなくてもわかってるもんっ!!)
「……そんなことっ、言われなくてもわかってるわよっ! でもっ……ジエットには言ってなかったかもしれないけど、登場人物みんな同じ名前で同じ顔をしてるのよ? だからっ、違うってわかってても、また同じかもしれないって思っちゃうのは、仕方ないでしょ?……だって、その顔で言われた言葉も、その時受けた気持ちも、ハッキリ覚えてるんだもの……」
悲痛に歪められたスファレの翡翠の瞳の前で、ジエットは何かを言いかけた口を一度閉じ、代わりに、はあ、と大きな溜息を吐いた。
「だとしても、ですよ。登場人物が同じだとしても、あなただってその時とは違うんでしょう? そして王子たちとの関係性も違うはずです。聖女が現れたからといってあなたを捨てて聖女を選ばなかったのがその証拠でしょう? だとしたら、何をそんな夢で見たことと比較して気持ちを塞いでいるんですか。そんな無駄なことに時間を割くなんて、正直私には意味がわかりませんよ」
「それはそうだけど、だって……」
(だって……)
「だって?」
ジエットの言葉に反論しようとしたスファレがその先を口ごもると、だがジエットはそれを許さずスファレの言葉を反復してその先を強要する。ちらりと視線を上げると真正面から向けられる瞳が逃がさないと言わんばかりにスファレに刺さり、仕方なく口を開く。
「だって、グランディディエが紅玉のことばかり構うから……」
「……は? シンハライト様ではなくて?」
スファレの口から出た言葉が予想外だったのか、ジエットは驚いたように目を丸くすると、彼には珍しく間抜けな声を上げた後パチパチと数回瞬いた。しばし考えるように視線を逸らすと、漆黒の瞳が確認するようにスファレを覗き込む。
「え? 違うけど。なんでシンハライトなの?……シンハライトは別に、普段通りよ?」
ジエットの反応が理解できず今度はスファレが不思議そうに瞳を丸くして首を傾げると、ジエットはまた何か考えるように視線を逸らした後、再度確認するように言葉を続ける。
「ですが、あなたの前世であなたを振ったのは、シンハライト様でしたよね?」
「そうだけど……いくら昔の事でも人の口から言われると傷つくからやめてよ」
「はあ。まあ、どうでもいいことなので二度と口にはしませんが……なのに、あなたは今グランディディエ様に不満があると?」
事実を確認するように言葉を繋げるジエットの瞳がなぜだか段々呆れた色を帯びていくような気がして不思議だったが、スファレはその質問に素直に頷いた。その反応に、ジエットが、はあ、と本日何度目になるか分からない溜息を吐く。
「だって、だって、あんなこと言ったくせにっ……」
(そうよ。グランディディエが悪いのよ)
拗ねたように唇を尖らせると、すっかり呆れ顔のジエットがなぜだかもうすっかり興味が失せたと言わんばかりの表情をしてそれを聞いていた。だが、それでも従者としての使命を辛うじて思い出したのか、スファレの不満を聞くべく相槌を打つ。
「……あんなことって、なんでしたっけ?」
「……王位継承に課題が出されることは話したでしょ? 私たちの4人でペアを作ってその課題に挑むんだって。それでその勝者がそのまま王位継承権を手に入れて、次期王と王妃になるの。まだ課題も、どういう風に行われるかも全く聞いてないからどんなものになるかはわからないんだけど、もし私にペアの相手を選ぶ権利があるのなら、自分を選んでくれって言ったの。それなのに……グランディディエはそれからずっと紅玉にべったりなのよ? それで、よくよく考えてみたらグランディディエがそれを言った時って、シンハライトと紅玉が二人で出て行った後だったから、きっと残ってた私にそう言っただけなのよ。だって、グランディディエは王位に就きたいみたいだし、だとしたらその時点じゃその相手って私しかいなかったからでしょ? だって、次に紅玉に誘われてからは、ずっと紅玉に気を配ってばかりだもの。だからやっぱり、どうせ選ぶなら金髪の方がいいんでしょ、って思ったのっ!」
スファレは今まで思っていたことを一息で吐き出し最後の方をヤケになったように言い切ると、ジエットがなぜか可哀そうなものを見るような目でこちらを見ていることに気づき、スファレは眉間に皺を寄せる。
「……なんでそんな目で見るの? 私間違ったこと言ってないでしょ?」
「……あなたの金髪コンプレックスが過去からの古傷だとしたらもうそれは忘れしまうべきですよ、としか言えないのですが、それ以前に、この件とあなたのそのコンプレックスは関係ないように私には思われますが……ああ、その表情だとあなた、ご自分が本当は何に悩んでいるのか、理解されていないみたいですねえ」
嘆かわしい、とジエットがわざとらしく溜息を吐くと、その態度にスファレが不満気に頬を膨らませる。
「さっきからなによ、その態度。人が真剣に悩んでるのにっ! 最近ずっとそのことばかり考えて気分が晴れないっていうのにっ!」
「へえ。最近、ずっと、お考えになってるんですか。それはまあ、お可哀そうに」
「全然気持ちがこもってないんだけど?!」
(なによ。ジエットってやっぱり意地悪っ!!)
ふい、とスファレが視線を逸らすと、ジエットが機嫌を損ねたことをさすがに悪いと思ったのか、先ほどの棒のような台詞回しよりかは幾分か血の通った声音で言葉を投げる。
「それで、聖女は金髪なんでしたっけ?」
「……そうよ。金髪の、綺麗な人よ」
スファレは紅玉に向けた賛辞の言葉を口にした瞬間またお腹の辺りがモヤっとした気がして窓の外に視線をやると、ぼんやりとこの間のお茶会のことを思い出した。
※※※
お茶会も終盤に差し掛かったころ、紅玉が本日何枚目かにもなるスファレの焼いたクッキーへと手を伸ばすと、上品にサクリと一口齧った。ここのところ気持ちが乗らずお菓子作りでさえ気乗りがしなかったが、だからといって何も持っていかないのは何となく自分的に受け入れられず、葛藤の末の妥協が本日のクッキーだった。だが、どうにも手抜き感が拭えずこのままお茶会が終わってしまえばいいと思っていたのに、今日に限って紅玉の手が進んでいるのがまたスファレの中に得体のしれないモヤモヤを生み出していた。
(こういう時に限ってなんでたくさん食べるんだろう……クッキがー好きなのかな?)
スファレがちらりと紅玉へ視線をやると、紅い瞳と視線が交わった。
「あ、えっと……クッキー、お好きなんですか?」
(人の顔をじっと見るなんて失礼よね……)
盗み見をしたのがバレてしまったことがなんとなく気まずく、スファレは自分の非礼を取り繕うようにそう声を掛けると、紅玉は最初その言葉の意味を理解していないように不思議そうな目をしていたが、すぐにはっとしたように目を丸くすると、なぜか少し照れたように口元を押さえた。
「私、無意識に夢中になって食べておりましたわ。食べ続けるなんて、はしたないですわよね……クッキーが、というよりは、スファレ様のお菓子が美味しくて、つい手が伸びてしまいましたの。これ、ご自分でお作りになられているんでしょう? 本当にすごいですわ」
ほう、と感嘆の溜息が聞こえてきそうな紅玉に、スファレは胸の前で両手を振って否定する。
「いいえ、そんなっ! 食べていただけるのは嬉しいですしっ……ただ、今日はちょっと時間がなかったので、簡単なクッキーになっちゃったから、そんな風に言ってもらえるようなものじゃないかなって……」
(だって、材料混ぜて焼いただけだし……)
「こんなに美味しいものが、そんなに簡単に作れるんですの?……では、私にも作ることができたりするのでしょうか?」
「え? それは、多分……」
思いもよらない紅玉の質問にスファレは不思議そうに目を丸くして答えると、グランディディエがなぜか警戒したような視線を紅玉へと向けた。紅玉はどちらの視線も気にした様子を見せず口元に手をあて思案するように小首を傾げると、何か名案が思い浮かんだと言わんばかりにパチンと両手を胸の前で合わせ、その頬に優美な笑顔を浮かべた。
「では、もしよろしければ今度作り方を教えていただけませんかしら? 私も一緒に作ってみたいですわ」
「え? 一緒に?」
突然の紅玉の申し入れにスファレは驚きで弾かれるように瞬いた。紅玉は笑顔のまま大きく頷く。
「だって、せっかくお友達になれたことですし、こちらでお会いするだけではなんだかもったいなくて……ですから、よろしければ今度お邪魔させていただいて、私にお菓子作りを教えていただけないかしら?」
「え? うちへ?」
畳みかけるような思いもしない紅玉の提案に、スファレは思わず間抜けな声を上げてしまった。だが紅玉はそんなことは気にもかけず、ニコニコとスファレの返事を待っている。
(正直、今まで親しい友達なんていなかったから友達がどうやって過ごすのが普通かわかんないけど……でも、これって、受けた方がいいんだよね?)
先日紅玉から一方的に申し込まれたことではあったが、友達になって欲しいなどと面と向かって言われたことが初めてだったスファレは、勢いに押されたのもあったが、あの時なし崩し的に頷いてしまった。その後ろでグランディディエが何とも言えない顔でこちらを見ていたような気がしたが、どうしてそんな顔をしていたのかは今でもスファレには分からなかった。
「はい。先日教会の方にスファレ様とお友達になったことを伝えましたら、お友達同士はお互いのお家を訪ねるものだと伺いましたの。教会へもぜひ、とおっしゃっていたので、スファレ様のお宅へお伺いさせていただきましたら、次は教会の方へもぜひいらしていただきたいですわ」
「え? えっと……そ」
「失礼ですが、それは無理かと思われます」
(え?)
どう答えたものかと戸惑いながらも承諾の返事を返そうと口を開いたその時、なぜかスファレの代わりにグランディディエが被せるようにそう答えていた。
「まあ、グランディディエ様。それはどうしてですの?」
紅玉はグランディディエから回答がなされたことには特に気に留めた様子もなく、ただその返答を悲しむような視線をグランディディエへと向けた。
「確かに、普通の友人同士であればお互いの自宅を訪ねるようなことがあるかもしれません。ですが、あなた方の立場は次期国王の婚約者候補。あなたを疑うわけではありませんが、何か良からぬことをしようとすればできる環境に身を置くようなことを、許すわけにはいかないのですよ。それに、サマセット家も、さすがにあなたを厨房にいれることは許可しないでしょう」
(え? うちが?)
グランディディエの言葉の意味が分からずスファレがきょとんとした瞳を向けると、紅玉は少し気分を害したかのように表情を曇らせた。
「それは、私が毒を盛るかもしれない、という心配ですの?」
「え」
突然紅玉の口から発せられた物騒な言葉に、スファレの口から思わず言葉が漏れる。
(ど、毒って!!)
「まあ、それは否定しませんが、誤解のないように申し上げますと、今私が言ったのはそういう意味ではありませんよ。まあ、毒を盛られるかもしれない、という心配は、貴族であれば常に注意を払っていることで、あなただけに限ったことではありません。ただ、貴族の子女がお菓子作りをする、というのは、スファレに限った特別な事です。ですので、サマセット公爵が客人であるあなたにそのようなことをさせるとは私には思えない、それだけのことですよ」
グランディディエが端的にそう説明すると、紅玉は先程の表情を解いて納得したように小さく頷いた。
「……確かに。いつもいただいておりましたから忘れておりましたけど、そうでしたわね」
紅玉はそう言うとクッキーを一枚取り、まじまじとそれを見た。
「ええ。スファレが特殊なんですよ。ですので、今回の申し出は収めていただけると助かります。その代わりに、こちらであなたのお気に召すお茶菓子を用意させますので」
「まあ。それはとても楽しみですわ」
グランディディエがそう言って綺麗に笑ってみせると、紅玉もそれに返すようににっこりと微笑んだ。
※※※
(なんか、すごいデレデレしてたなかった? あの時のグランディディエ。私といる時はあんなにニコニコしてばっかじゃないのに……それに、私のこと特殊って……美味しいって食べてたくせに)
なんとなく面白くないような気持ちが胸の奥から込み上げてスファレが顔をしかめると、ジエットが本日何度目になるかわからない溜息を隠すことなくまた吐いた。
「結局、あなたがくだらないことを言い出したのは、グランディディエ様が聖女のご機嫌取りをしたことが気に入らなかったから、ということですか?」
スファレとの会話を雑に纏めたジエットの言葉に、スファレはムっとして視線を前方へと投げる。
「気に入らないとか、そういうんじゃなくて……私にはそんな風じゃないのにって……」
「それを世間では気に入らないって言うんですよ。まあいいでしょう。では、グランディディエ様はやめて、シンハライト様とペアを組めばいいんじゃないですか? シンハライト様にも似たようなことを言われたんですよね? たしか」
ジエットが呆れたようにそう言うと、スファレは素直に頷く。
「では、シンハライト様でいいじゃないですか。シンハライト様は態度が分け隔てないのでしょう?」
スファレはまたこくりと頷く。
「じゃあ、そうしましょう。そうすれば、あなたもその悩みから解消されますよ」
「そうなの? でも、確かに今は別に聖女様を贔屓してるみたいには見えないけど……でも、シンハライトが紅玉を選んだのよ?」
「……それもまた、前世の話ですか?」
「そ、そうだけど……」
呆れた、というよりはそれを通り越して怒りすら感じるジエットの視線に少しだけ怯みながらそれでもスファレが頷くと、本日一大きな溜息をジエットが吐いた。
「一旦そのことは忘れて、事実だけを整理しましょう。あなたは王子二人からペアの相手に選んでくれと言われた。おまけに、シンハライト様はこの勝負でご自分の方に分があるような口ぶりだった。そうですよね?」
「ええ。王家の取り決めは長男の方が有利にできてるって言ってたわ」
「なるほど。それで、あなたの夢は王妃になること、それは変わっていませんね?」
「もちろんっ! だから今グランディディエが紅玉にばかり構って仲良くなっていってるのが気になってるんでしょ?」
「……そこが本当は繋がっていないんですが、あなたが混ぜるからややこしくなっているんですけどね」
「なに? なんか変なこと言った?」
グランディディエが辟易とした目を向けて早口で何事かを言ったようだったが、スファレの耳には上手く届かず、不安げな声で確認してみたが、ジエットはなんでもありませんよ、と緩く首を横に振るだけで言い直しはしてくれなかった。
「いえ。別に。では、やはりシンハライト様とペアを組むのが最善かと思いますね」
「でも、シンハライトは紅玉を選んだのよ? またそんなことになったら……」
またちらついた不安にスファレが口ごもると、ジエットは鋭い視線を持ってそれを一蹴した。
「それは今のお話ではないですよね? あなたとシンハライト様のご関係も違っていますし、何より、シンハライト様があなたを王妃にするとおっしゃったんでしょう? だとしたら、それが王妃になる一番の近道だと思いますよ。課題がどうであれ、聖女なしでも勝てる算段がおありでしょうからそうおっしゃったんでしょうしね。王妃になりたいだけであれば、それが最善の方法かと」
「……確かにそうかもしれないけど……でも、それだとまだこの胸のモヤモヤが晴れない気がするんだけど……なんでだろう?」
「まあ、晴れないでしょうねえ」
「え? ジエット、これの原因が何かわかるのっ?!」
不満気に尖らせていた唇をパっと驚きで広げると、スファレは大きな目を更に丸くしてジエットを見た。ジエットはその反応に、スファレとは真逆に疲れたように目を細める。
「……あなたって、本当に馬鹿ですよねえ。今まではそれも可愛らしく思えていましたが、今は面倒くさくて……おっと」
「だからっ、なんで弱ってるのに悪口ばっかり言うのっ?!」
若干泣きそうになりながらスファレがスカートの裾を両手でぎゅっと握りしめてそう叫ぶと、ジエットはやれやれと言った様子で肩をすくめた。
「悪口なんてとんでもな……まあ、少しは言っていますが、愛のある悪口ですよ。あなたの育て方をどこで間違えたのかという自責の念も込めております」
「愛のある悪口ってなによっ……それに、ジエットに育てられた覚えなんてないんだけどっ!」
「そうですね。私が育てたのであればこんなにも純粋で無知にはなっていませんでしたね。失礼いたしました」
「ねえ、また悪口言ってる?」
恭しく頭を下げたジエットを、スファレはじとりとした目で見返す。
「言ってませんよ。私はそれがあなたの美徳だと思っています。貴族社会の中でこんなにも心健やかにお育ちになり、サマセット家に仕えるものとしては誇らしく思っています。ですが、今あなたのおかれている状況では、それがあなたの弱みとなる。ですから、あまりしたくはありませんが、今からあなたに知恵を授けましょう」
「知恵?」
スファレが胡散臭げにジエットを見ると、だがジエットはしごく真面目な顔で頷いてみせた。
「あなたが信念を曲げず王妃になりたいという夢を叶えたいのであれば、シンハライト様をお選びください。そしたらあなたの夢は簡単に叶うことでしょう。サマセット家としては、あなたのお相手はどちらでも構いませんので、お家の為にもなりますしね。誰からも祝福されることでしょう」
「……グランディディエではなくて?」
今までとは打って変わって真面目な調子のジエットに、スファレは今名前の出なかった方の王子の名前を思わず口にする。
「ええ。シンハライト様はとても王族らしい方ですので、あなたの夢を叶えるとおっしゃったその言葉に嘘はないでしょう。グランディディエ様よりも確実だと思いますよ」
「……確かに。シンハライトは自分の勝算を誤るような人ではないものね……ねえ、そうしたら、私が抱えてるこのモヤモヤってなくなると思う?」
スファレの再度の問いに、ジエットは真剣な眼差しを向けたまま口を開く。
「王妃に選ばれれば、あなたの金髪コンプレックスは少なからずとも軽減するでしょうね。完全になくなるかはあなたの気の持ちようなのでわかりませんが、少なくとも過去の屈辱的な記憶は上書きされます。それで良しと納得されれば、考える頻度も減るでしょうね」
「……そっか」
(じゃあ、そうすればいいの? そうすれば、もう毎日こんなモヤモヤしたまま過ごさなくてもよくなるの? でも、やっぱりなんかいまいちスッキリしないんだけど、なんで?)
スファレが少しだけ納得しかけたその時、ジエットが唸るような咳ばらいをしたので、スファレは釣られるように視線を上げる。
「ですが、それがあなたが今抱えているモヤモヤを消し去るかと言うと、そうではないでしょうね」
まるでスファレの心の声が聞こえたかのように、ジエットがキッパリと否定してそう言った。
「え? そうなのっ?! どうして?」
「どうしてって……あなた、本当にまだわからないんですか?」
呆れかえったジエットの問いかけにスファレは躊躇いながらも小さく頷くと、また大きな溜息が返ってきた。
「だとしたら、あなたが持っている選択肢は二つです。今私がした提案を受け入れシンハライト様の申し入れを受けるか、過去のことを綺麗さっぱり忘れて、今のご自分の気持ちに向き合うか。ただし、場合よっては二つ目の選択肢はあなたの夢を叶えられないかもしれません。今ならまだ、どちらも選べますよ」
「……ジエットは、このモヤモヤの正体が何かわかってるの?」
スファレの目の前で長い指を二本伸ばし真剣な表情をしているジエットにそう問うと、ジエットは静かに頷いてみせた。
「ええ。おそらくあなたの話を聞けば、あなた以外の人間は誰でもわかると思いますけどね」
「ええっ?! そうなのっ?!……だったら、今すぐ教えてくれたらスッキリするのに……」
拗ねたように唇を尖らせると、ジエットは立てていた指を収め小さく首を横に振る。
「スファレ様。そういうことは人に聞いて理解するものではありません。人に聞かなければわからないのであれば、今すぐ考えるのをやめなさい。所詮はその程度のことであったのなら、現在進行形で頭を悩ませるそれは、ただの時間の無駄です」
「……ヒントもダメ?」
口調は柔らかであったが厳しく聞こえたジエットの言葉に、ダメ元ですがるようにスファレが上目遣いで覗き込むと、ジエットは呆れたように肩をすくめた。
「ヒントもなにも、答えはあなたの中にあるんですから、自分に聞いたらいいじゃないですか……さあ、着きましたよ」
これで話は打ち切りと言わんばかりにジエットは窓から外の様子を確認すると、その声に合わせて馬車がいつもの定位置で止まる。ジエットはそのまま先に降りてドアを開けると、スファレが降りやすいようにと手を差し伸べる。
「いってらっしゃいませ。私が手配した時間とはいえ、そんなに長くはありませんからね。市場のご婦人とお話でもして、気晴らししてきてください」
道中色々なことを言われたが、この時間はジエットがスファレを心配して作ってくれた時間であることは間違いないのだ。まだ色々と言いたいことはあったが、そう言って頭を下げられてしまっては何も言えず、スファレは送り出されるままに市場へと向かった。
休み、終わるの早い…
続きは多分週末になると思います。
よろしくお願いします。




