5話 彼と体調の異変
「……す」
〔……て……イ……ト……なさい!!〕
男女の言い争う声が聞こえる。
郁人は目蓋を開けると
「貴様がなぜパパの部屋にいる?
物に化けて寝込みを襲う魂胆か……?
前みたいに内部から破裂させてやる」
〔ちょっ?!なんでわかるのよあんた?!
イクト起きてー!!起きなさい!!
お願いだからこの息子を
なんとかしなさーい!!!!〕
「パパを呼び捨ての挙げ句、
上から目線か……よほど死にたいらしいな」
〔なんで声まで聞こえてるのよー?!
彼にしか聞こえないように
してるのにー!!〕
いつものマント姿ではなく、黒い三角巾に
マスクをし、エプロン姿のチイトが、
郁人がいつも身に付けている
ヘッドホンを握り潰そうとしていた。
そのヘッドホンからは、必死なライコの
声が聞こえた。
ライコの分神が変化したものだと
郁人は直感する。
「チイ……やめ……!!」
チイトを止めようと声をあげようと
するが、うまく声が出ない。
体も石のように重く、言うことを
聞かない。
(やばい……!
昨日、飲む前に寝てしまった!)
こちらに来てから、郁人の体には
様々な異変が生じていた。
体力の衰えや病弱さ、痛覚の鈍さ、
表情がなくなってしまったこともあるが、
1番の問題は体温の低下だ。
まるで氷を思わせる冷たさに、
医者を驚かせたほどだ。
『極度の低体温が原因で、病弱になって
表情も動かないのかもしれないわ』
と医者に言われ、郁人は改善しようと
適度な運動やバランスのとれた食事を
続けている。
ライラックやジークスなどの協力もあり、
以前よりは体力もつき、病弱さも少しは
改善され、表情もほんの少しだが、
動くようになった。
しかし、いっこうに体温は上がらない。
そのため、体温を上昇させる薬を
処方してもらっている。
寝る前に飲まないと朝起きようとしても、
極度に体温が低いせいか、指1本も
動かせない。
(まさか忘れるなんて……?!)
昨日はいろいろあったため、飲むのを
すっかり忘れていたのだ。
「パパっ?!どうしたの!?」
郁人の異変に気付いたのだろう、
チイトが駆け寄る。
「……イト……く……り……を……」
「パパわからないよ……!!」
<これならいける?大丈夫パパ!>
郁人の声が出ないことに気づいた
チイトは以心伝心で話しかけた。
<なんとか大丈夫かな。
ベッド脇にある棚の中に小瓶がある。
そこから赤い錠剤を1つ取ってくれないか?
あと水も……>
郁人が伝えると、チイトはすぐに棚を開け、
小瓶に入った錠剤を取り、エプロンが蠢き、
水が出てきた。
<それを俺に飲ませ……>
<わかった!!>
郁人が伝えきる前に、チイトが郁人の口に
錠剤を放り込み水を飲ませた。
<少し待てば動けるようになるから。
ありがとうチイト>
感謝を伝えるが、チイトから返事がない。
視線をチイトに合わせると
<チイト……?>
ベッド脇の椅子に座るチイトの様子が
おかしい事に気づく。
濡れた虚ろな眼差しは郁人を
見つめている。
「俺が……もっと早く迎えに来てたら、
パパがいじめられることはもちろん、
こんな風にならなかったかもしれない……」
チイトはポツリポツリと心情を吐露していき
エプロンも心情に合わせて悲しそうに
蠢いている。
「パパが来てくれるのを待たずに
すぐ迎えに行ってたら、こんな……
こんな事には……!!
……そうだ!!
パパが安全に、幸せに暮らすには
病や、いじめる奴らが湧かないよう
元から断てばいいんだ!!
そうだ、それがいい!!
誰にも傷つけさせない、
触れさせない……!
視界にも入れさせてなるものか……!!
パパを苦しめる奴ら全員消す!
綺麗に全員掃除すればいい……!!
医者とかいなくても、俺がいれば
体調とかも判断して的確に対処
できるから問題無い!!
そうと決まれば、まずはここ1帯を
燃やして掃除し、殺菌消毒を……!!」
「チ……イト話を聞……落ち着けっ!!」
チイトは落ち着かない様子でぶつぶつと
呟き、しまいにはとんでもない事を
言い始めた。
放っておくと大変なことになる
と肌で感じる。
「チイ……ト……っ!!」
言葉がもう届きそうに無いチイトに対し
次第に動けるようになってきた郁人は
ゴツンと頭突きを決めた。
「……パパ?」
チイトは郁人の行動に目を見開き、
頭突きをされた額に手を当てている。
呆然としているチイトの両頬に手をあて
目を合わすため、自分に向けさせた。
「別にチイトのせいじゃないんだ。
そこまで気にすることないだろ?
考え過ぎだし、発想がぶっ飛びすぎだよ。
それに、断つとか燃やすとか大袈裟だ。
会話ができるんだから、
まずは話し合いをしよう。
俺と約束してほしい」
チイトの虚ろだった瞳が、
普段通りに戻っていく。
表情も明るくなり、首を縦に振る。
「……わかった。約束する。
殺す前にパパに相談するね」
「そういう問題じゃないんだがな」
物騒な発言とは対比し、無邪気な笑みを
浮かべるチイトに郁人は頬をかく。
(とりあえず、落ち着かせることに
成功したな。
それにしても……俺の体調に変化が
あっただけでここまで動揺するなんて……
気をつけないと)
その度に町1つ壊されては敵わないからな
と気を引き締めていると
「じゃあ、まずこれを壊すね」
〔ちょっ!?やめて!助けて!!〕
「チイトストップ!!壊すダメ絶対!!」
爽やかな笑みを浮かべながら、
ヘッドホン(ライコ)を握り潰そうと
しているチイトがいた。
郁人はあわてて止め、ヘッドホンを
無事救出した。
が、チイトはそれを睨み付ける。
「なんで助けるの?
ろくなものじゃないから、
絶対消したほうがいいよ」
「いや、これは大事なものなんだ。
だからダメ」
郁人をしばらく見て、チイトは深く
ため息を吐く。
「……わかった。
でも、変な行動を少しでもしたときは……
木っ端微塵にしてやる」
〔ヒイッ!!〕
背筋が凍るほどの眼差しに、悲鳴をあげる
ライコ。
郁人は庇うように、背中へと
ヘッドホンを隠し、流れを変える。
「それにしても、なんでここにいるんだ?
しかも、その格好……」
「片付けも済んだし、パパの部屋も
綺麗にしようと思って。
あっ!このエプロンとかは俺のマントが
変化しているんだ。
掃除するなら本格的にしないとね!」
チイトは胸を張りながら説明する。
「どう?綺麗になったでしょ!!
床とかも全て拭いて、窓も指紋1つ許さず
隅から隅まで部屋中をピカピカにしたんだ!
あっ!パパの私物は触ってないから!
プライバシーは守ったよ!」
頬を紅潮させながら部屋を見渡し、
満足気にうなずくと、ちらちら郁人を
見つめる。
まるで、飼い主に褒めてもらいたい
犬のようだ。
「すごく綺麗になった。
ありがとな、チイト」
郁人が頭を撫でようとすると、
直接撫でてもらいたいのか
三角巾などが消滅した。
ついでに、エプロンも消えている。
「こうやって撫でてもらうの悪くないね」
チイトは撫でられる感触に目を細める。
〔この猫被り……〕
「なにか言ったか駄女神?」
〔だからなんで聞こえるって……
今、あたしのこと駄女神って
言ったわね?!〕
「れっきとした事実だ」
〔あんた、あたしが神ってわかってたの?!〕
「わかってたから内部破裂させ、
八つ裂きにしたが?」
〔普通敬うとかするでしょう?!
もうこいつ嫌あ!!〕
ヘッドホンから、しくしく聞こえる。
チイトは気にしておらず、
撫でてもらうことに夢中だ。
郁人はチイトを見て、ある異変に気付いた。
「チイト、その胸の跡はなんだ?
刺青?もしくは刻印か?」
チイトの胸元からヘソにあたるまでに
なにかの模様が刻まれていた。
その模様は、中央に穴があいた円から
下に向かって、まるでペンキをこぼしたように
広がっている。
「これ?
傷跡みたいなんだけど……
俺が来た頃にはもうあったんだ」
「そうか……痛くはないのか?」
「全然。
だけど……見てると心が痛む……
なんでだろ?」
傷跡らしきものに手を当て、
うつむくチイトの姿はとても痛ましい。
「……見なくていいから。
ほら、顔を上げて」
「心配してくれてありがとうパパ」
ふにゃりと笑う姿に、先ほどの
痛ましさはない。
(この跡はなんなんだろう……?
俺のアイデアでもないし……
俺みたいに、こっちに来た影響なのか?
もしかしたら、他の6人にもなにか
影響があるかも……)
郁人が考えていると扉を軽く叩く音が
聞こえる。
そして、扉は開いた。
「イクト起きているのか?
朝食の準備ができて……なぜここに?!」
ジークスが郁人を起こしに来たようだ。
が、チイトの姿を見て身構える。
「貴様に答える義理はない」
チイトもいつのまにかマントを装着し、
怪しく蠢いている。
2人の間に剣呑な空気が流れ始めた。
相手が少しでも動けば、ゴングの音が
響くだろう。
「朝から恐い空気を流すな!
チイト、ジークスは俺の大切な親友なんだ。
だから、そんな怖い顔しないでほしい。
ジークスも起こしに来てくれてありがとう。
チイトは掃除に来ただけだから、
身構えなくても大丈夫」
郁人は場をおさめようと、咄嗟に
2人の間に立つ。
「………」
「了解した」
チイトはしぶしぶと、ジークスは
納得した様子で戦闘態勢を崩した。
「イクト、今日の朝食には彼以外にも1人、
一緒に食べたい人がいる。
……彼もいたほうがいいかもしれないな」
「1人?」
「あぁ。君もよく知る人物だ。
君と話がしたいらしい」
(一体誰のことだ……?)
首をかしげるが想像がつかない。
「わかった。
着替えてから行くから、2人は
先に行っててくれるか?」
「了解した。女将さんにも伝えておく」
「……わかった。
パパ大丈夫?倒れたりしない?」
「大丈夫だ。
チイトは暴れたりしたらダメだからな」
「努力する」
ジークスとチイトは部屋を出ていった。
「早く着替えないと」
郁人は着替え始めると
〔乙女神の前で着替えるのは
どうかと思うのだけど!!
というかあたしのこと忘れるなあーー!!〕
ベッドの上に置き去りにされた
ヘッドホンから怒号が聞こえた。
「あっ、ごめん。
本気で忘れてた」
〔本気でとか言うなあーーーー!!〕
女神の機嫌とりに時間がかかり、
朝食に遅れることになった。
ーーーーーーーーーー
大きなスクリーンに映像が流れ、
それを見つめる人物は不満げだ。
「こいつ本気であたしのことを
忘れてたわね……!」
ライコは自室にて、付けていた
ヘッドマイクを外し、分神から
送られる映像を見て顔をしかめる。
「まったく、女神を忘れるとか
ホントに不届き者よね。
それにしても……」
チイトのあまりの態度の違いに、
ため息を吐く。
「あまりの猫被りにアゴが外れるかと
思ったし、鳥肌ものだわ」
思い出しただけで鳥肌が立ち、
ライコは肩をさする。
「ホントにあいつが好きなのね。
とんだファザコンだわ。
あまりの甘えたぶりに胃もたれ起こしそう」
ベッドに体を沈めながら、未来日誌を
取り出す。
「まっ!あいつが猫被りなおかげで、
街がなくならずに済んだわ」
それには本日の死亡報告が載っており、
以前は、街の住人全ての名前が
載っていた。
しかし、郁人がいたから街は
なくならずに済み、載っていた名前は
全て消えている。
「いじめの首謀者や協力者は
精神的に死んでるけど……
別にいいか。
街がなくならずに済んだし、
そいつらはいじめてたんだから
自業自得よね。
大体、なぜ女将さんが欲しいからって
いじめたのかしら?
大切な子供をいじめる奴らなんか
好きになる訳がないのに、
変な奴らよね」
日誌を放り投げ、映像を見つめる。
「街は1つ救われたわよ。
その調子で頑張ってね」