245話 彼はのびやかに歌う
ー それは開演前のこと……
「エンウィディアどこだろ……?」
郁人は歌う前にどうしてもエンウィディアに
渡したいものがあった。
それを渡そうとエンウィディアを探して
郁人はキョロキョロと見渡す。
「うぜえ?」
準備を手伝っていたメパーン達が
それを不思議そうに眺めている。
〔それ描いてたって知られたら
あの俺様人魚に怒られない?
描いてないで歌に専念しろだとか……〕
心配したライコはつい話しかけてしまった。
肩に乗っているユーも心配そうだ。
郁人はそれに頷く。
(怒られるかもな。でも、どうしても
渡したかったんだ)
〔なるほど。怒られるのは承知の上なのね〕
(うん、承知の上でだ)
「おい、そこでなにボーっと突っ立って
やがる。そろそろ開演するんだぞ」
準備は出来てんのか? と眉間をしかめ
ながらエンウィディアがメパーンに
連れられてやってきた。
どうやら、気を利かせた1匹のメパーンが
呼んできたようだ。
「連れてきてくれてありがとう」
「うぜえ!」
郁人がお礼を言うと手を振って
メパーンは去っていった。
不機嫌そうなエンウィディアが尋ねる。
「テメェはなにか用があったのか?」
「ごめん。エンウィディア。
これをどうしても渡したかったから」
郁人はエンウィディアにあるものを
見せた。
「おととい、ここに連れて来てもらった
ことがきっかけなんだけどさ。
エンウィディアがこんな場所で
歌っているところを見たいなと
思ったから描いてみたんだ」
パール座を見て思い出したんだけど
と郁人はあるもの、描いたイラストを
持ちながら告げた。
「これはボツになった設定なんだけど。
エンウィディアが舞台を自分の魔力で
再現して、その舞台の上で攻撃する
やつがあったんだ」
「たしかに……そんなのあったな。
どれだけ魔力を消費するんだ、
俺の魔力量はどれだけあるんだ、
流石にそれはやりすぎだとか
いろいろと言われてたやつだな」
俺に勝てる可能性が確実に減るとか
妹に苦言されてたのだろ
とエンウィディアが呟いた。
「エンウィディアは知ってたんだな。
その舞台をここを見たら描きたくなって。
だから、これをエンウィディアにあげる」
郁人はイラストをエンウィディアに
押し付けた。
「おい」
「歌う前にどうしても渡したかったんだ。
俺のただの自己満足だけどさ。
じゃあ、いってくる」
渡せてよかったと郁人は舞台へと向かう。
(エンウィディアが気にいるかどうか
わからないけど……。どうしても渡した
かったんだよな。俺の自己満足だった
けど、本当に渡せてよかった)
満足したとその足取りを軽やかだった。
「……………」
舞台へと向かっていく郁人の背中を
エンウィディアはただ見ていた。
ーーーーーーーー
現在、無事に渡せた郁人は楽しんで
歌っている。
「〜〜〜♪〜〜〜〜♪♪」
伸びやかな歌声は聞く者の耳を奪うほど、
とても綺麗なものである。
澄んだ水のごとく、静かで心地よい、
心に染み入る歌声。
エンウィディアが率いるオーケストラの
演奏に乗り、その歌声はパール座に響く。
透き通った歌声と神秘的な衣装も相まって、
幻想的な空間を作り出している。
「……………」
「……………」
「……………」
チイトやジークス、篝は耳を澄ませて、
郁人の歌声に聞き入る。
(……そういえば)
その中で篝はふと思い出していた。
『お願い! 声楽部に入ってほしいの!』
『ごめんなさい。俺はもう入る部活を
決めてますので……』
『あなたは声楽部に入るべきなの!』
『ですから……俺はもう……』
中学の頃、郁人が声楽部の部長に
追いかけられていたことがあったのだ。
休み時間になるたびに追いかけられ、
郁人が困っていたのである。
『本当に声楽部に入って!!
あなたは声楽部に入るべき存在だから!
あなたの音楽はとても素晴らしいもの
なんだから! 神からの贈り物といっても
過言じゃないのよ!!』
『いや、俺はもう音楽には……』
『声楽部に入ってよ!! 本当に!!
一生のお願いだから!!』
どうしても入部してほしいと部長に
何度もお願いされて、郁人は断っていたが
全く聞いてくれなかった。
『おい。相手が嫌がっていることを
押し付けるのはよくないと思うが?』
あまりのしつこさに篝が助けに入ると、
部長が言ったのだ。
『もう1度だけでいいからあの歌声を
聞きたいの! あの歌声をもう1度……!』
と涙ながらに告げていた。
篝は首を傾げながら、だがしつこいのは
良くないと叱ったのだ。
(たしかに………これはもう1度聞きたく
なる歌声だな)
篝はかつての声楽部の部長に共感しながら
目を閉じて郁人の歌声に聞き入った。
ーーーーーーーー
「〜♪〜〜♪」
郁人は声高らかに、伸びやかに歌う。
舞台の上であることも忘れて、
緊張なども忘れて、心晴れやかに
歌を紡ぎ出す。
(歌ってとても心地良い……!!
本当にありがとう……!!
俺の音楽を好きでいてくれて!
この機会を俺にくれてありがとう!)
エンウィディアに感謝しながら、
自分の歌を好きでいてくれた者への
気持ちをこめて、郁人は歌う。
(歌うのってこんなに楽しかった
んだな……!)
郁人の脳裏に幼い頃の記憶が蘇ってきた。
『〜♪〜〜♪♪』
郁人がピアノを弾きながら歌っているのを
家族が嬉しそうに聞いている姿。
『お兄ちゃんすごい!! お兄ちゃん
とっても上手!! もう1回聞かせて!』
演奏が終わると拍手がおこり、
妹が笑顔で郁人に抱きついて
すごいすごい! とキラキラした目で
こちらを見てはしゃいでいた姿。
『まるで天使の歌声ね』
『聞いていると心が洗われるな。郁人は
音楽の神様に愛されているんだろう』
『そうね。郁人はとっても愛されている
んだわ』
顔をもう思い出すことは出来ないが、
母親と父親が2人を見て微笑ましそうに
見つめていたことは覚えている。
(そうだ……! 俺はあの空間が大好きで、
あの笑顔が大好きだったから……
だから、俺は歌っていたんだ!
もっとキラキラとした笑顔が見たいから!)
ふと座席を見れば、キラキラと目を
輝かせたチイトがこちらを見ており、
ジークスと篝は嬉しそうに聞いている。
舞台袖ではユーがこちらを見て尻尾を
振っており、ポンドは目を伏せて郁人の
歌に聞き入っている。
アマポセドも目を見開いたあと、
拍手する動作を見せ、メパーン達も
アマポセド同様、音を鳴らさないで
拍手している。
エンウィディアは指揮をしながら
こちらを見て、普段の不機嫌さが
嘘のように、眉間のシワがとれており
とても幸せそうだ。
“テメエの歌がこの空間をつくりあげ
たんだ。俺が聞き入るほどの音楽を表現
することが可能なんだよ、テメェはな”
とエンウィディアは誇らしげに
口角を上げている。
ー とても穏やかな空気が流れる、
郁人が作り出した心地よい空間だ。
(俺はこの空間を見たくて、味わいたくて
小さい頃は歌っていたんだ。
あの笑顔が見たいから。嬉しそうな顔が
見たいから。だから、歌っていたんだ。
これからも……歌ってみたいな)
イラストも描きながら歌うのも
楽しいかもと郁人が考えたとき
「え?」
その空間を壊すかのごとく、耳をつんざく
轟音が下から聞こえた。
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風魔王、錬金術師、黒狼は
郁人の歌に聞き入っている。
<親父殿の歌……はじめて聞いたが。
これは見事なものだ>
<父様……こんなに綺麗な歌声してたんだ!
聞いていると、心が穏やかになるというか、
綺麗な湖のほとりに立っている気分に
なるというか……>
風魔王と錬金術師は以心伝心で会話する。
<澄んだ水を飲んだときみたいに
沁み渡る感じがするよ。
父様、こんな特技を隠してたなんて……!!>
<これはエンウィディアも気にいるわけよ。
あ奴、身内だからといって評価などを
贔屓する輩ではないからな>
腕を組み、満足げにしていた風魔王だが
ふと気付く。
<外も警戒しておくかと術を施していたが……
どうやら、正解だったようだ。
親父の歌をこのまま聞いておきたいが……
出るぞ>
<わかったよ、兄様。
真っ黒くんの予想が当たっちゃったか>
あの子の予想は大半当たるよね……
と錬金術師は呟き、目を閉じ聞いていた
黒狼の肩を叩く。
「……あぁ、あんたらの弟の予想が
当たっちまったのか」
察した黒狼は席を立つ。
「余達は外の邪魔モノを排除する。
中のことは末弟達に託そう」
「真っ黒くんにエン兄様もいるから
父様の安全は確実だからね」
「うむ。あの2人がいるなら問題なかろう。
では、行くぞ」
風魔王が錬金術師と黒狼の腕を掴むと、
瞬間移動で向かった。




