114話 疲労困憊
太陽が沈み、提灯の明かりが
暗闇を照らす。
「………つ……かれ……た……」
和室の真ん中、畳の上で
郁人は真っ白に燃え尽きていた。
膨大な稽古で体力を使い、
細やかな礼儀作法等で精神を使い
女将さん達やフェイルート、
レイヴン、3人娘により
ビシバシ教育された郁人。
更に、慣れない着物や髪の重み、
ライコ指導のもと、綺麗になるならと
化粧以外に女性らしい仕草や
歩き方が加わったのだ。
「……こんな必死に頑張ったの
久しぶりだな……」
体力は勿論、精神もかなり
磨耗している。
〔……スパルタ過ぎたわね。
あんたの体力面とか考慮するの
忘れてたわ。ごめんなさい〕
真っ白な姿にライコは謝罪する。
(大丈夫……
俺の体力が無いだけだから)
気にしないでほしい
と郁人は伝えた。
(目標はあのタカオさんだからな。
あれくらいの人を目指すなら
これぐらいスパルタでいかないと
作戦を成功させるなんて不可能だ)
たおやかに微笑むタカオを思い浮かべ
郁人はハードルの高さを再確認する。
(稽古時間が全然足りないくらいだし
もっとスパルタでいかないと……!!)
拳を握りしめ、郁人は畳から
立ち上がる。
ー が
「……………体が動かない」
精神は問題なくても、
体がもう限界だった。
「少しでも……」
頑張って指先を動かそうにも
ピクリともしない。
「久々だな……
こんな状態になるの……」
体力は前よりついたつもり
だったんだけどな
と郁人は乾いた笑い声をあげる。
以前、フェランドラに受け身や
逃げ方などを教えてもらった際にも
こうなっていた。
郁人のあまりの体力の無さに
フェランドラは
『お前……その体力のなさでよく
これまで生きてこれたな』
と、呆れを通り越して感嘆された
記憶がある。
〔ちょ!?大丈夫なの!?〕
ライコの慌てふためく声が聞こえる。
「大丈………夫………だ……から……」
寝たら回復するからと、郁人は
目蓋の重みに身を任せた。
ーーーーーーーーーー
ー 肌を濡らす心地よい感覚、
体を全体包みこむ温かさ。
(なんなんだろ……?
覚えはあるような……)
不思議に思いながら、
郁人はゆっくり目蓋を開ける。
「ここは……?」
「起きたかイクト」
そこには柔和な笑みを浮かべる
ジークスがいた。
目をこすり、辺りを見渡すと
以前入ったことがある
露天風呂だとわかった。
ユーが前と同じように
露天風呂に勢いよく飛び込み
湯の感触を楽しんでいる。
「おはようイクト」
「おは……よう……
ジークス」
ジークスは男なら誰もが羨む
がっしりとした鍛え上げられた
肉体を惜しみ無く晒している。
どうやら郁人はあぐらをかく
ジークスの膝に座り、温泉に
浸かっていたようだ。
「君は疲労困憊で倒れていたんだ。
汗もかいていたので、前と同様
私が世話をさせてもらった」
「そうだったんだ」
フェランドラとのときも、
疲労で倒れて動けなくなった郁人を
ジークスが風呂に入れてくれた
とライラックから聞いた事がある。
手間をかけさせてしまい
申し訳なかった郁人は謝ったが
当のジークスは……
『謝ることはない。
私は君の力になれる事が
嬉しいんだ。
それに、気付いたんだが
君の世話をするのは私には
とても楽しいみたいだ。
だから、気にしないでくれ』
と、優しく微笑みながら告げた。
郁人は感謝の気持ちと
次からは放っておいても
大丈夫だと伝えると、
ジークスが捨てられた子犬の
ようになったので甘えることに
したのだ。
(汗をかいたまま寝たら
風邪を引いてしまうと
母さんが洗おうとしたのを、
ジークスが止めて代わりに
洗うようになったのが始まりと
聞いたな)
ライラックが教えてくれた
ジークスが洗ってくれた経緯を
思い出す。
(この歳で母さんとお風呂は
恥ずかしいし助かった。
親友に介護をさせているのも
恥ずかしいけど……)
落ち着かない郁人の顔を
ジークスが覗き込む。
「どうかしたのかイクト?
もしや具合でも……?!」
「いや! 大丈夫だぞ!
入れてくれてありがとな。
もう起きたしここからは自分で……」
郁人は心配するジークスの膝から
降りようとしたが体が思うように
動かない。
「うわっ?!」
「イクト大丈夫か?」
滑りかけた郁人だったが、
すぐにジークスが支えたので
助かった。
「大丈夫。
ありがとうジークス」
たくましい腕が無かったら
このまま落ちて溺れただろう。
動こうとした郁人を見て
察したジークスは尋ねる。
「もしや降りたいのか?
だが、まだ体は動かないようだな。
転けて頭を打ったりしたり、
その綺麗な長い髪を踏んだりしたら
大変だ。
しばらくは私の上で座っていた
ほうがいいだろう」
「………わかった。
ジークスよろしくな」
「あぁ。任せてくれ」
郁人の言葉にジークスの
頬骨は上がる。
「君の稽古中は邪魔をしては
いけないからと、俺や災厄、
ポンドは君と離されているからな。
これぐらいは協力させてほしい」
「そうだったんだ。
だから、姿が見えなかったんだ」
ジークスの話に郁人は納得した。
「正確には、邪魔ではなく
マスターを助けるからですな」
「パパが起きたんだ。
ジジイは今すぐ離れろ。
俺にパパを渡せ」
ガラリと引き戸が開く音と共に、
ポンドとチイトが
現れた。
「ポンド! チイト!」
「マスター、疲労で
倒れたとお聞きしました。
頑張るのも大切ですが、
頑張り過ぎると体が持ちませんよ」
「パパは頑張りすぎ!
自分を労らなきゃダメだよ!」
郁人を心配しながら湯に浸かると、
2人は郁人達もとへやって来る。
「ごめん。
もうちょっと自分には体力あると
過信してたよ。
次は気を付ける」
「気をつけてね、パパ。
……やっぱり俺がそばに居たほうが
良かったんじゃないか?
あいつらパパと俺を引き離しやがって」
「あいつら?」
チイトが眉間にシワを寄せ、
郁人は首を傾げる。
「フェイルート殿と
レイヴン殿です、マスター」
ポンドが郁人の疑問に答えた。
「私達、特にお2人はマスターに
対して過保護ですからな。
マスターには1人で乗り越えて
もらわなければ意味がないのと、
お2人はすぐ手助けしそうですので
と離されたのです」
姿が無かった理由をポンドは
説明した。
チイトは不満気に告げる。
「やっぱり、パパがいないと
つまんないや。
暇だったから街を歩いてみたけど、
五月蝿いのがわめくし、
付きまとってきてウザかった。
パパと一緒なら絶対楽しかったのに!!」
チイトはムッと頬を膨らませ、
ポンドが苦笑する。
「チイト殿の雰囲気が前より
和らいだらしく、見目もかなり
良いですからな」
前に比べると刃のようなオーラが
少し和らいだと聞きましたと
ポンドは話す。
「ですから、チイト殿と
お近づきになりたい女性が
多かったのです。
暴れる前に止めたので御安心を」
「パパに迷惑かかるって言われたし、
約束してるから殺さなかったよ!」
ふと、チイトがなにかに気付いたように
立ち上がる。
「ん? 待てよ?
パパに近づく可能性だってあるから
やっぱり隅々まで綺麗に
掃除したほうが……!!」
「その可能性は無いからなー。
問題無いぞチイト。
ゆっくり浸かろう。
ポンドもありがとな」
出ていこうとするチイトを制止し、
ポンドに礼を告げる。
「いえ、礼など不要ですよ」
「おい、貴様。
とっととパパを離せ」
「まだ彼は動けない。
だから、まだこの状態が良いんだ。
それに、今日は私の番だ。
君にとやかく言われる筋合いは無い」
声を低くし、目を尖らせるチイトに
気圧される事なくジークスは述べた。
「順番?」
郁人は頭上にはてなマークを
浮かべた。
「マスターの世話をする番
のことですな。
マスターが倒れられたのを発見した際、
誰が世話をするか揉めまして……。
もう一触即発手前でした」
あれは危なかったと
ポンドは頬をかく。
「そんな危ない状況を打破するべく
女将さんがアイデアを出したのです。
マスターの世話をする順番を決めては
どうかと」
「成る程。だから順番を」
「はい。
そして、女将さんと私で公正に
判断した結果、最初はマスターの世話に
慣れてらっしゃるジークス殿に
決まりましてな。
あとはジャンケンで決めまして、
チイト殿、レイヴン殿、
フェイルート殿となっております」
「そうなのか……」
一触即発手前の単語に
驚きながら郁人は考える。
(また俺も倒れるとは思うし、
迷惑かけないように体力も
つけないとな)
ポンドの説明を聞き、
郁人は気を引き締めた。
<迷惑じゃないからね、パパ>
チイトの悲しそうな声が頭に響いた。
<俺達はパパと一緒にいたいし、
助けになりたいから
してるだけだからね。
迷惑をかけてると思われたら……
辛いよ>
郁人がチイトを見ると、
濡れた虚ろな瞳のチイトが
こっちをじっと見ている。
(……ごめんチイト。
助けてくれてありがとう)
悲しげな表情に手を伸ばしたいが
体は動かない。
気持ちを伝えようと精一杯
表情筋を動かし、謝罪と感謝の念を
伝える。
<うん。許す。
まず、俺がパパの事で迷惑なんて
思う訳がないんだから>
チイトは郁人にすり寄り、
柔らかな笑みを浮かべた。
(よかった。
表情を曇らせてほしくないし。
悲しそうな顔を見るのは嫌だからな……)
表情を戻したチイトに
郁人はほっとした。
ー「ここかっ!
美を探求したい者がいるのは!!」
スパンッと勢いよく引き戸が
開けられる音ともに、
真っ直ぐと、まるで役者のように
よく通る声が露天風呂に響いた。
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