9話 彼は目を丸くする
いい匂いが鼻孔をくすぐり、
郁人の意識がはっきりしだす。
「ん……朝か……」
体を起こし、引っ付きそうな目蓋を
こすりながら、匂いの先を辿れば、
部屋の中央にテーブルと2人分の椅子を
用意しているジークスがいた。
「おはようイクト」
起きたことに気づいた
ジークスが笑いかける。
「おはようジークス。
なんで俺の部屋に?」
「すまない。
2人で話したいことがあるため、
勝手に入らせてもらった」
「別にいいよ。
ジークスには合鍵渡してあるし」
郁人は以前、薬を飲み忘れた時に
大騒ぎになったのでライラックには勿論、
ジークスにも合鍵を渡してあるのだ。
〔あんた警戒心ないの?
合鍵を家族以外に渡してるとか……〕
あまりの警戒心の無さに、
ライコが思わず苦言を告げる。
(ジークスはほぼ毎日会うし、
信頼できるから)
ライコに心の中で告げていると、
口内に違和感を覚えた。
(まただ。
なんか……鉄の味がする)
口内に鉄の味が広がっており、
どこか傷があるのか舌で確認するも
どこにもない。
このようなことが続いているため、
郁人はさすがに不安を覚える。
(もしかして、歯周病とかなのか?
だとしたら、どこで聞けば
いいのだろう……)
かかりつけの先生ならいるのだが、
歯に関してもいけるのか分からない。
悩んでいると、ジークスが話しかけてくる。
「どうかしたのか?
もしやどこか具合でも……?!
すぐに診て」
「大丈夫だ!どこもしんどくない!!
むしろ、具合は良い方だから!!」
先生のもとへ行かねばと、
郁人を担ごうとするジークスを制止した。
口内の違和感を除けば体調は万全なのだ。
昨日、ギルドを去ったあと、
買い物でも一波乱あり疲れていたが、
その疲労感は全く無い。
朝もきちんと起きれて調子は万全だ。
「それなら良いのだが……
少しでも悪く感じたら教えてくれ」
「わかった。
ところで話って?」
「それは食べながら話すとしよう。
今日は迷宮に潜る為、
朝から重いかもしれないが、
俺がとった肉を使ったサンドイッチを
用意した」
ジークスは置いてあった盆を持ち、
郁人に見せる。
盆には、カツサンドにサラダなどの
朝食があり、鼻腔をくすぐっていた
匂いの正体が判明する。
美味しそうな匂いに郁人のお腹が
鳴るなかジークスは用意していた
塗れタオルを手渡す。
「これで顔を拭くといい。
拭いてから食べるとしよう」
「ありがとうジークス。
至れり尽くせりだ」
もらった塗れタオルで顔を拭う。
程よく温かいのでとても心地が良い。
〔英雄候補を小間使いにするとか……
恐れ入ったわ〕
(いや、小間使いじゃないから。
すごく世話焼きなんだよ、ジークスは)
2人が仲良くなってから、ジークスは
郁人に対し色々と世話を焼くように
なったのだ。
(危ないときは助けてくれるし…)
郁人は今までの世話好きエピソードを
思い浮かべる。
(少しでも疲れた様子があれば
抱えて運ぼうとしたり、高い所のものを
取ってくれたり、美味しいものを
見つけると買ってきてくれたり、
重いものを持ってたら持ってくれたり……
他にもあげたらキリがないくらいだ)
最初はそこまでしなくてもと
言ったのだが、ジークスの
捨てられた子犬のような様子に、
郁人はほどほどに甘受する事にしたのだ。
〔それ……恋人っぽくない?
もしくは……下僕?〕
(どちらでもないからな)
郁人が訂正していると、
ジークスが髪に触れる。
「寝癖がついているな。
アホ毛とやら以外にも髪がはねている。
君の髪は柔らかいからつきやすいの
だろうか?
すぐに直そう」
ジークスはどこからか櫛を取り出し、
髪を解こうとしたが、郁人はそれを止める。
「これぐらいは自分でするから大丈夫」
「……そうか」
「あの、俺早くご飯食べたいから……」
「テーブルの準備だな!
了解した!すぐに取りかかろう!」
断られ肩を落としていたジークスだったが
郁人の言葉を聞き、笑顔ですぐに
取りかかる。
〔……いつもこんな感じなの?〕
(だいたいはそうかな)
ライコの呆れた声を聞きながら、
ベッドから下りる。
壁にかけてある姿見の前に立ち、
身だしなみを整える。
〔大きな鏡ね。全身写るのは良いわ〕
(これ、母さんがくれたんだ。
俺が怪我しても気づかないから、
気づけるようにって)
〔なるほどね〕
整え終わった頃合いで、
ジークスから声がかかった。
「準備できたぞ。朝食にしよう」
テーブルには、野菜ジュースとサラダに
カツサンド。
デザートにフルーツが用意されていた。
郁人はテーブルに向かい、席につく。
「ジークスありがとう。
いただきます」
「イタダキマス」
ジークスと郁人は手を合わせ、
食べはじめる。
郁人が最初に手を伸ばしたのは
カツサンド。
カリっとした厚めの衣を噛むと、
香ばしい肉の甘さと肉汁が口の中に
広がる。
「美味しい!
この肉、いつも思うけど本当に美味しい!」
「そう言ってもらえてとても嬉しく思う」
「あれ?
ジークスはサンドイッチの種類が
違うんだな」
郁人はジークスのサンドイッチを見て
気づいた。
郁人のはどっしりした厚い肉のカツサンド。
ジークスのはBLTサンドだ。
「その肉は君専用だからな」
「いつも思うけど、とても美味しいから
ジークスも食べれば良いのに……」
「その肉は、君に食べられるのが本望だ。
俺が食すべきではない」
真面目な顔で答えるジークスに、
思わず頬をかいた。
ジークスはいつもこの様に答え、
自分の意思を曲げないのだ。
「こんな美味しいのに……
俺だけはもったいないと思うけど」
郁人は言いながら、再びかぶりつく。
肉汁が口いっぱいに広がる幸福を
味わう。
「話をしてもいいだろうか?」
「いいよ。話って?」
ジークスが伺い、それに了承し
郁人は続きを促す。
「話とは、ギルドに入った件についてだ。
君の意見も聞かず、ギルドに加入させて
しまい申し訳なかった」
そう言うと、ジークスは郁人に
頭を下げた。
「別に気にしてないから。
頭をあげてほしいな。
旅をするには身分証明書が必要なのは
事実だろう」
「確かに、身分証明書は必要だ。
だが、身分証明だけなら他でもいいんだ」
「そうなのか?」
〔そうね。
証明だけなら、街の役所でも出来るもの〕
郁人の疑問にライコが答えた。
「じゃあ、なんでギルドに加入を?」
「君を保護する為だ」
ジークスは真剣な声色で話す。
「君があの"歩く災厄“が唯一心を開き、
行動を抑えれるという事実が判明した今、
貴族や国が、君をどうにかしようと動く
可能性がある」
「チイトがトップに話をつけたと
言っていたけど……」
「それはこの国だけだ。
他国は了承していない
この国は貿易が盛ん故に、様々な国の者が
存在し、間者がどこにいても
不思議ではない。
君の存在が間者に知れれば、
いつ拉致されてもおかしくないのだ」
そんなことはないだろうと
郁人は口を開こうとしたが、
ジークスの態度を見て、事実なのだと
悟った。
〔英雄候補の言う通りよ。
あんたの存在はとても貴重なの。
だって、あの猫被りがあんたの言う事
なんでも聞きそうなんだから。
拉致だけならまだしも、監禁されたり、
あんたを操り人形にして思いのままに
しようとするかもしれないわ〕
ライコがジークスの発言に後押しした。
事実に息を呑む郁人に、ジークスは
続ける。
「だから、君をギルドに加入させねばと
俺は動いた。
ギルドというのは1種の独立機関であり、
国や貴族も手出しできない組織なんだ」
簡単に手出しできるような組織では
ないんだとジークスは話す。
「そこに君が属すれば、国や貴族も勿論、
他国も動きにくくなる。
後から言うと言い訳に聞こえるかも
しれないが、君を守りたかったんだ。
……本当にすまない」
ジークスは再び深々と頭を下げた。
テーブルに頭がつきそうなほどだ。
「頭を上げてくれ、ジークス」
「しかし……」
「上げてほしい」
郁人は正面に座るジークスに、
自分の気持ちを告げる。
「俺のことを思ってしてくれた行動に
感謝こそすれど、怒るなんてしないぞ。
それに、今まで言わなかったのは
チイトを刺激するかもしれないからだろ?
でも、今言ったのは現状を理解して
ほしかったから……違うか?」
「……言わずにいたら、
君を傷つけるかもしれないからな」
「そこまで俺を気遣ってくれた
親友に対して怒るとか。
俺……そんな恩知らずな奴に見えるのか?」
「イクト!君はそんな人では……!!!」
「よし、顔上げたな。
ありがとうジークス。
そこまで気を遣ってくれて」
ジークスの気遣いに心が温かくなる。
ここまで郁人のことを心配し、
気遣ってくれた友人はジークスぐらいだ。
「ここまで思ってくれる親友がいて、
俺は幸せ者だな」
「……君の親愛に応えたまでだ。
俺はたとえ、どんな状況に陥ろうとも
君を命にかえても守ってみせる」
「ありがとう。
でも、命は大事にして欲しいな」
ジークスは熱いまなざしを郁人に
向ける。
あまりの熱さに、視線から少し
逃げたくなるが、郁人は受け止める。
〔こいつ……あんたに対して色々と
重いわね。
どう過ごしたら約1年ちょいで
こうなるのよ〕
(さあ……俺にもさっぱり)
その様子にライコが思わず呟くも、
郁人にもわからないので返答ができない。
ジークスは郁人の状況に気づかないのか
食事を再開する。
「君を守るためにも、
しっかり食べておかないとな。
あの災厄がなにを仕出かすかわからない」
「いや、チイトは味方だから。
敵じゃないぞ」
郁人はジークスの態度に思わず
ため息を吐いた。
ーーーーーーーーーー
しばらく話をしながら食事をし、
郁人が最後の1口を含んだ瞬間、
勢いよく扉が開く音が響いた。
「パパおはよう!
……なぜ貴様がここにいる?
ここをパパの部屋と知ってのことか?」
「俺がどこにいようが、
君には関係ないと思うが」
チイトが笑顔で挨拶したが、ジークスが
視界に入ると目付きを鋭くさせる。
対抗し、ジークスの顔つきも険しくなり
言葉が刺々しいものに変貌する。
「はいそこ!険悪な雰囲気禁止!」
険悪な雰囲気になり始めたので、
郁人は席を立ち、間に入った。
「ギルドで言ったことを忘れたのか?
険悪なままだと俺1人で行くから!!」
「……わかった」
「すまない!」
チイトは耳が垂れた犬のようになり、
ジークスは慌て出す。
〔聞いたとき思ったけど……
どんな脅し文句よそれ?〕
(俺もどうかと思うけどな)
余程、郁人を1人で行かせたくない事が
分かっているから通用するものだ。
端から見ればおかしな光景だろう。
なんせ、チームのお荷物が抜けるのを
必死に阻止しているのだから。
「チイトはご飯食べたのか?」
「食べてきたよ。
パパも食べたみたいだね。
口の端にパンくずついてるし」
チイトが頬についていると
ジェスチャーし、拭きとる。
そして、何かに気づいたか鼻を近づけた。
「……食べたのって、カツサンド?
肉の匂いとソースの匂いがする」
「正解。
ジークスが取ってきたときに
いつもくれるんだ」
美味しさを思いだし、郁人は頬を緩める。
チイトは郁人とは対照的に、
眉をしかめた。
「そうなんだ。
……血の匂いもするし、もしかして」
最後の辺りは聞き取れなかったが、
チイトは考え込みながら唇を
ぎゅっと結ぶ。
「チイトどうかしたのか?」
「なんでもないよパパ。
それにしても……」
様子が気になった郁人は話しかけたが、
すぐに普段に戻り、チイトは甘える。
「パパの朝御飯作ったのに……
あいつのせいで」
不満そうにジークスをチイトは見るが、
見られている本人は素知らぬ顔で
片付けをしている。
「では、俺は洗い物をしてこよう」
「食べた分は自分で……」
「君は着替えることが先だ。
これは俺が洗う」
ジークスが譲るつもりは更々ないらしい。
態度にも表れている。
「わかった。ありがとう」
「礼には及ばないさ」
郁人を見て軽く口元を緩めると、
ジークスは部屋を去っていく。
「じゃあ俺も下に降りてるね。
せっかく作ったのになあ……」
肩を落としながら、部屋を出ようとする
チイトに郁人は声をかける。
「チイトが作ってきてくれたのは
お昼にいただくよ」
「ありがとうパパ……!
それと……これ、パパにあげる!!」
郁人の言葉を聞き、一気に上機嫌になった
チイトは綺麗にラッピングされた箱を
手渡した。
「今日、迷宮に行くから必要かと
思って……。
良かったら着てみてね。
いや、絶対着てね!!」
「プレゼントありがとう。
喜んで着させてもらうな」
「うん!」
喜色満面でチイトは部屋を出ていった。
〔あいつが作ったご飯……
すごく不安しかないんだけど〕
ライコは思わず呟いた。
〔胃薬は前に女の敵からもらった
駄賃で買ってたわよね。
念のためにも常備しときなさい〕
(女の敵……ローダンのことか。
買ってあるけど、使わなくていいと
思うぞ。
チイトは基本なんでもそつなくこなす
設定だから味とか大丈夫だと思うけど)
〔ご飯にキマイラとか使われてたら
どうするのよ?〕
「……持っていっとくか」
一応、胃薬をポケットに入れ、
郁人はラッピングされた箱を開けた。
「これは……」




