110話 ハードスケジュール
明け方、蝶の夢の1室では
踏み出す足のつま先を内側に向け、
外側へと蹴り出すように八の字型に
歩く郁人、それを見守る女将(蔦)の
姿があった。
【頑張ってくださいイクト様!】
応援が書かれたフリップを持っている
女将の横には分刻みの過密なスケジュール表
が壁に貼られている。
内容は礼儀作法から茶道、琴、華道、
舞、三味線と様々だ。
実は、ここに読み書きや書道もあったが
郁人が義務教育を受けていたのと、
祖父から書道を教わっていたので
免除となった。
だが、それでもハードスケジュールに
かわりない。
郁人が変な歩き方をしているように
見えるが、よく見ると額に汗をかき、
緊張した面持ちだ。
足には15センチ程の黒塗りの高下駄を
履いている。
(頭にペットボトルを乗せてるイメージ!
背中に棒が刺さったように……!!)
部屋を1周するだけだというのに、
ここまで緊迫する者は郁人ぐらいだろう。
姿勢も正しくするのは当然。
下駄を転がして歩くのは大変な恥である
と女将から教わった為に、転がさない
ようにも気を配らないといけないので、
気が全く抜けないのである。
(あと少し……!!)
無事1周が出来る……!!
と気が緩んでしまった。
「あっ?!」
足がもつれて、視界がぐらり。
「………転けてしまった」
畳に思いっきり倒れてしまう。
【大丈夫ですか?!】
フリップを持った女将は郁人に
蔦を伸ばして起き上がるのを手伝う。
「ありがとうございます、女将さん。
…………また1からかあ」
〔先は長いわね……。
見守ることしか出来ないけど、
無理はしないようにね〕
(ありがとう。頑張るよ)
ライコが励ましの言葉をかけた。
【あと少しでしたイクト様!
さあ!もう1度頑張りましょう!
2週間で身に付けるべく
きちんと教えますので!】
「女将さん。
本当にありがとうございます」
女将の言葉に郁人は頷き、
高下駄を転ばせないように集中した。
ーーーーーーーーーー
「パパ、大丈夫?」
朝食時、チイトが心配そうに話しかけた。
疲労が顔に見えていたからだ。
「無理はしちゃ駄目だよ。
倒れたら本末転倒なんだから」
「心配してくれてありがとうな。
慣れてないだけだから。
慣れたら大丈夫」
チイトに笑いかけ、白味噌仕立ての
味噌汁に口をつける。
白味噌のほのかな甘味と
豊かに広がる風味。
火照るような心地よい熱さが
疲れた体にじんわりと染み渡る。
「美味しいなあ。ほっとするよ」
「そのお言葉をいただけて、
とても嬉しゅうございます」
美味しそうに味わう郁人を見て
レイヴンは頬を緩ませる。
「本来なら、食事の作法も女将に
指導してもらうところでしたが、
ぬし様はお婆様からきっちりと
教えていただいてたので、
その必要は無いでしょう。
見たところ、体に染み付いて
おられるようですから」
「……婆ちゃん本当にありがとう!!」
〔きっちり教えてもらっていて
良かったわね。
でないと、今ゆっくり食べれてないわよ〕
(そうだよな。
本当に感謝しないと)
祖母に感謝しながらゆっくり味噌汁を
味わった。
「食べ終わりましたら朝と同じ
“外八文字“の練習をいたしましょう。
あの歩き方をすんなり出来たという
設定のほうが有望株と思われますので」
「あれは道中の際の歩き方、
花魁になる者は出来て当然ですから」
有望株に見られるには必須です
とフェイルートは告げた。
「あの歩き方、難しいんだよな。
下駄を転がしたら駄目だし、
高さが15センチあるから
歩き辛さが増すし……」
練習風景を思い出しながら、
鮭をほぐし米の上に乗せ、口に入れる。
「美味しい……!!」
口の中で鮭の身がホロリと溶け、
米の甘さとマッチした幸福感を味わう。
「本当に美味しいよ!!
魚は運ぶのが大変らしいから、
滅多に味わえないんだよな」
珍しい魚料理に郁人の箸のスピードが
早くなる。
「ユーも気に入ったみたいだ」
隣でバクバク食べていたユーは
郁人の言葉に尻尾を指に変化させ
親指を立てた。
「ここの川から魚が捕れますから。
新鮮なまま御味わいいただけますよ?
なんなら、海の幸も捕れますから
夕食はそれを使ったものにしましょう」
「海の幸が食べれるのか?!
上から見た時、森ばかりで海は
近くになかったけど……」
上空から見た景色を思い出しながら
郁人は首を傾げる。
「じつは……海のある国に
立ち寄った際、色香大兄に惚れて
ある奴がついてきちまったんですよ。
海神様と呼ばれてる奴が」
「海神様?」
「……もしや、あの種族か?!」
ジークスはわかったのか、
前のめりに話し出す。
「“マリンリーガルズ“!!
数多の魚を従え、鱗から数々の魚を
産むから“海神様“、“海の女神“と
謳われ、音楽の国“プリグムジカ“の
女王でもあるあの種族か!?」
「ジークスの旦那、大正解!
そうです、そのマリンリーガルズ」
旦那は詳しいねえ
とレイヴンは笑いながら肯定した。
フェイルートはマリンリーガルズが
来た経緯を話す。
「私を海から見ていたそうで
側に居たいと押し掛けてきたのです。
海が無い上に遠いですので無理だと
伝えたのですが、川があるなら
問題無い。私についていくの
一点張りでして……」
彼女の意思は固かった
とフェイルートは述べた。
「帰路でしばらく陸地が続いても、
数少ない水と気力で夜の国まで
来たので迎え入れました」
「すごかったよな、あいつ。
自分の魔力で体を保湿して、
水を使いきらないよう工夫してまで
ついてきたからよお」
当時を思い出し、笑うレイヴン。
「今ではここの川はその者の領域。
いろんな魚を捕って味わう許可も
得ているので捕り放題なのです。
ですので、我が君。
食べたいものがあれば私に
遠慮なくおっしゃってください」
「あいつ、色香大兄と俺様にしか
魚を捕る許可出してないんですよ。
勝手に捕ろうとすると容赦しないんで」
「ありがとう」
郁人は2人に感謝しながら
マリンリーガルズについて考える。
(……どんな生き物なんだろう?
神様と呼ばれ、女王でもあるなんて
気になるな)
〔あたしも見たこと無いから
気になるわね〕
ライコは呟きながら、
マリンリーガルズについて調べる。
〔調べたけど、白銀の鱗は日に当たると
虹の輝きを放つ綺麗な魔物らしいわ。
その鱗はお守りにもなるそうよ。
しかも、姿を見れたら幸運になるって
言われる程の珍しい種族みたい。
……ってか、あいつのフェロモン
どんだけなのよ!?
種族とか関係無しか!!〕
そんな種族に惚れ込まれるとか
えげつないわ!!
とライコは声をあげた。
(もしかして……
パワーアップしてるのか?
フェロモンの効果はそこまで深く
設定してなかったし、植物とかにも
有効としたが、魚類とか細かく範囲を
設定してなかったからなあ)
ライコのツッコミに郁人は顎に
手をやった。
考える郁人の姿を見て、
レイヴンは尋ねる。
「ぬし様、気になりますか?
もしよろしければ、マリンリーガルズを
御覧になります?
作戦時に川下りみたいなの入れてるんで。
そのときにチラッと見る事が出来るかと」
「その方が話題性も出て、ますます
注目される可能性が高いな。
少し姿を見せるように伝えておこう」
フェイルートがそう言うと察したように
どこからか蝶が現れ、フェイルートの
指に止まる。
「彼女に伝言を頼めるかい?
“作戦中に少し姿を見せてくれないか“と」
フェイルートが伝えるとフワリと
蝶は去って行った。
「これで大丈夫でしょう。
当日を楽しみにしていてください」
「マリンリーガルズか……
見れるのを楽しみにしてる!」
「ではそれまで研鑽しましょうね、ぬし様。
女装にも気合いを入れますので」
「はあい……」
マリンリーガルズに目を輝かせていたが、
レイヴンの言葉で肩を落とす。
(女装か……学園祭とかでやらされた
以来だな。
俺が綺麗な着物を着ても、着物の価値を
下げるんじゃないか?)
<大丈夫だよパパ!>
不安がる郁人に大丈夫だと
チイトは断言する。
<あのときとっっても似合ってたから!
他の誰よりも似合ってたよ!
あまりに綺麗だったからアイツが
挙動不審になってたくらいだし!>
(見てたのかチイト……
そして、似合っても嬉しくないからな。
ん?アイツって誰?)
<そこは覚えてなくていいよ。
パパが知らなくていいことだから>
〔あっ、こいつ教える気はないわね。
顔に書いてあるわ〕
そう言われるとますます気になる
郁人は聞きたかったがチイトは
言うつもりはないようだ。
「マスター!」
ポンドは目をキラキラと輝かせながら
声をかけた。
「作戦時ということは、
私も近くで見られるのですな!
今から楽しみですな!」
「そうだな、ポンド」
金糸のように輝く髪に、
彫りの深い顔立ちから厳格な雰囲気が
漂うが表情は柔らかく、瞳は深い翡翠色。
仕草も洗練され、目を奪うにふさわしい。
全てが彫刻のように整い、柔らかく微笑む
姿はまさに芸術そのものだ。
「エスコートもお任せを。
大船に乗ったつもりでいてください、
マスター」
そう言って笑う姿に数多の女性達が
魅了されたのも頷ける。
〔そりゃ惚れるわね、こんな男前に
優しくされたら。
歯の浮く台詞も似合う訳だわ〕
(うん。本当にな。
男の俺も惚れ惚れするくらいに
カッコいいもん)
女神のライコも太鼓判を押す男前は、
郁人の従魔“スケルトン騎士“である。
ー そう、あの“ポンド“なのだ。
誰が見てもスケルトン騎士、ましてや
魔物とは微塵も疑わないだろう。
〔あんたのスキル凄いわね。
スケルトン騎士の肉付けをしちゃうの
だから〕
(まさか、あんな使い方があったとはな)
郁人は昨日の出来事を思い出した。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました!
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