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夢見心地ステイルメイト  作者: にとーへん
3/6

悪魔二人 (2)

 朝陽が眩しかった。

 妹が病で亡くなり、ぼくはすでに看病をするために学校を休む必要はなくなった。しかし、どういうことか、学校へ行こうという気にはなれなかった。

「ちょっと、休みすぎたかな……」

 これじゃ、本当に引きこもりみたいだ……。

 勉強用具を入れたバッグを片手に持ち、玄関を出たところで、ぼくは思わず佇んでしまった。

「あれ、日射病かな。なんか、くらくらする」

「気のせいだ」

 前を見やると、青田が「ヨッ」と挨拶してきた。

「やあ、青田君。ぼくは今日、病欠することにしたから、先生にそう言っといて」

「自分で言えよ。ていうか、俺は別にお前の友達じゃねえ。友達面すんな」

「そういうこと言ってるから、君はクラスで浮くんだよ」

「お前は一か月も学校を休むから、学校に行きにくくなるんだよ」

 ぼくたちは呼吸を合わせた様に「ハア……」と同時にため息を吐いた。

「芦川、とりあえず学校行こうぜ」

「そうだな」

 並んで歩き出してしばらくすると、青田がピタリと足を止めた。

「靴ずれでもしたの?」

 ぼくの問いに、青田は答えなかった。

 ただ黙って、静かに警戒した。

 青田が見据える方に目を向けると、一人の女の子が立っていた。

 初めは西園寺さんかと思ったが、どうやらそうではないらしい。彼女よりも身長が大分と低く、胸もあまりないようだった。そもそも、僕らと同じ高校の制服を着ているものの、高校生というよりは小学校の高学年とか中学生くらいに見える。

「んー、つい最近、どこかで見た覚えがあるな」

 ぼくは記憶を呼び起こそうと、斜め上の方角を見たが思い出せなかった。

「こいつは悪魔だ」

 青田は言う。

「悪魔憑きじゃなくて、悪魔そのもの」

「なるほど、それは危険そうだな」

 ぼくはようやく、青田が緊張している理由が分かった。

 彼女は僕らと同じ悪魔憑きではない。悪魔なのだ。

 しかし、悪魔というのに、彼女は随分と可愛らしい顔をしていると思った。というか、物凄く大人しそうな表情をしているし、今だって、ただ空揚げをもぐもぐと食べながらこちらを見ているだけだ。

 客観的に観察すれば、彼女よりもよほど青田の方が悪魔っぽい。

「なあ、彼女は本当に悪魔なのか?」

「こいつは俗に言うところの夢魔だ。顔がちょっと可愛いからって騙されるなよ、相棒」

「誰が相棒だ。お前と一緒にするな。……ん? 夢魔だって?」

 ぼくは電撃に打たれたように、とは言いすぎだが、ビビッと唐突に彼女について思い出した。

「ぼく、今日の夢で彼女をみたよ」

「マジか?」

 青田はかなり驚いたらしく、警戒の模様を解除してぼくに詰め寄ってきた。

「なあ、それはどんな夢だった? あいつはお前に、どんなことをしてきた? どんなプレイをしてきた? あいつ、夢の中でも可愛かったのか?」

「青田君、ちょっと気持ち悪いよ……」

「おっと、すまんな。つい夢魔というやつが見せる夢の内容が気になってしまってな。彼女には前々から、学術的興味を魅かれていたのだよ」

「性的興味の間違いでは……」

 ぼくの言葉に、青田は「悪魔憑きは悪魔に魅せられやすいんだよ」と、背中をバンバンと叩いてきた。

 ようするに、決して性的な興味で彼女のことを見てはいないと、彼は言いたいらしい。

「安心しろ。こいつは悪魔だが、人に危害を加えたところは見たことがないし、俺の夢に現れたこともない。こいつはきっと夢魔は夢魔でも、人の夢に現れないタイプの夢魔なんだよ」

 ぼくの夢には出てきたんですけど――。ていうか、人の夢に現れないタイプの夢魔って、もはやそれは夢魔とは言わないのでは?

 そう抗議しようと思ったが、察するに、この男は彼女がぼくにだけ夢を見させたということを認めたくないらしい。

 なんと器の小さなやつ。

「行こうぜ」

 青田は再び歩き出し、彼女の横を通り過ぎていった。

 ぼくは慌てて追いかけて、青田の横に並ぶ。

「いいのか、置いてって?」

「置いてくもなにも、あいつは俺の友達じゃねーよ。悪魔だ」

「悪魔を置いてくのだって問題だろ? もし、暴れ出したらどうするんだ」

「その時は、白雪がなんとかしてくれる」

「人任せな奴だな……」

 

 学校に到着すると、ぼくたちは大勢の学生たちから物珍し気に見られた。

 思うにそれは、学校を長く休んでいたぼくが原因なのではなく、高校生だというのに金髪で、さらにピアスまでしている青田のせいだと思う。

「しかし、不思議だよな」

 ぼくは青田に言った。

「なんでそんな姿なのに先生に怒られないんだ?」

「俺が知るかよ。あいつらに直接聞いてみろ」

 彼は不機嫌そうに顔を横に振った。

 きっと、この青田という男は大層危険なやつで、校内で暴力を振るうような奴なのだろうと、ぼくは考えた。

 しかし、昨日今日とこいつを観察しているが、言葉とファッションセンスの醜悪さを考慮に入れても、性格まで悪い奴とは思えない。

 青田の本性を探ろうとして、歩きながら横顔を凝視していると、

「じろじろ見るな」

 と、凄まれてしまった。



 授業はとても退屈だった。

 昨晩、青田や西園寺さんは、ぼくのことを不登校だとか引きこもりだとか言って嘲笑っていたが、ぼくだって馬鹿ではないのだから、妹の看病をしつつ病院で毎日勉強をしていた。

 今年から高校一年生になったわけだが、中学の時と比べて全教科の難易度が上がったと感じる。とりわけ、英語や古典はものすごく難しいと思う。

 難しいというか、面倒くさい。

 覚えなければいけない単語の数が、跳ね上がったのだ。

「お前、授業についていけてるか?」

 と、前の席に座っている青田が、授業中だというのにからかうような笑みを浮かべて尋ねてきた。が、ぼくはそれを無視した。

 授業中に会話するのはよくない。

 それに、授業を受けていれば次第に分かることだが、どうやら青田はぼくよりも勉強ができないように思える。

 数学の演習問題を解くときも、ぼくの二、三倍の時間をかけている。

「お前、不登校だったのになんで分かるんだ?」

 青田が後ろを振り向いてまた尋ねて来た。

 授業中だったので、ぼくは当然無視をした。

「後で覚えてろよ……」

 震える声で青田が言った。


 昼休みになると、青田に校舎裏へ呼び出されたが、「分かった。すぐ行く」とだけ返事をして、ぼくは屋上へと向かった。

 屋上へと続く階段は、古くなった机の山で封鎖されていたが、気にすることなくそのバリケードを突き破る。

 外に出るドアには通常、強固な施錠がされているらしいが、今はそれがなかった。

 錆びれたドアを開けると、突風が身体を襲う。

 視線の先には、今朝見たばかりの身体の小さな女の子が一人。

 黒色のショートヘアと制服のスカートを靡かせて屋上の中央に佇んでいる。

「ぼくに何か用?」

後ろ手にドアを閉めて、ぼくは大きめの声で言った。

 風が強いので、いつもの調子で喋ったのでは、聞こえにくいと思ったのだ。

「あ、来た」

 彼女はそう呟くと、くいくいと手を動かして、ぼくに近づいてくるように指示を出す。

 この距離では彼女の声も聞き取りずらいので、要求されたとおりに一歩ずつ距離を詰めてみる。

「私は悪魔」

「知ってる」

「私は戦う悪魔ちゃん」

「え……?」

 抑揚のない淡々とした口調と、眉一つ動かさない無表情でそんなことを言われると反応に困ってしまう。

 もし、彼女の台詞が冗談だとしたら「WOW! 戦う悪魔ちゃんブラボー!」とでも応対するのだが、もし、真面目な話だとしたら、相手が悪魔なだけに何をされるか分からない。

 昨夜の夢の中と同様に、襲われるかもしれない。

「ごほごほ……」

 わざとらしい咳ばらいを一つ。

「昨日も会ったよな? 夢の中で」

「会ったというより、私の方から会いに行った」

「こんなところに呼び出して何の用だ?」

「用はない。ただ会いたかっただけ」

「え……?」

 またもや反応に困ってしまう。

 これは冗談なのか? それとも、からかっているだけなのか?

 表情がないだけに、彼女の本心がさっぱりと読めない。

「今朝も会いに行った。だけど、無視された」

「いや……。無視したつもりはないんだが……」

 挨拶でもされたのならいざ知らず、空揚げを食しながらただジッと見つめられても反応の仕様がないだろう。

「私、悪魔だから不器用」

 そう言うと、つま先に重心をかけるようにして一歩踏み出し、ぼくの手を握った。

 ドクン――。

 心臓が大きく鼓動する。

 決して、女子に手を触られたことに、ドキドキしたのではない。その心臓の鼓動は酷く不快なもので、頭痛と共に吐き気までもが襲ってきた。

 とっさに口元を押さえる。

 ドクン――。

 背筋に冷汗が滑り落ちる。

 西園寺さんに命を狙われた時と同じ、魂を凍らされるような肌寒さが全身を覆った。

 今になって思えば、あの時の寒さは氷のせいだけではなかったのだ。

これは、悪魔によってもたらされる、格別の悪寒――。

「ダメみたい……。夢の中でならちゃんと話せると思ったけど、絶縁体も挟まったままだし、やっぱり、起きている人間の内部には入り込めない」

彼女は残念そうにそう呟くと、そっとぼくの手を放した。

「顔色悪いみたい。大丈夫?」

ちょこんと小首をかしげて心配してくれるのは素直に嬉しかったが、どうやら体調不良の原因が自分にあるとは気づいていないらしい。

こいつ、本当に悪魔なんだな――。

ぼくはそう思った。

「芦川君」

「ん、なに?」

「西園寺白雪とは友達?」

「違うよ」

 ぼくが否定の言葉を口にすると、彼女は無表情のままで、念を押すような真面目な声音で忠告した。

「西園寺白雪には気を付けて。彼女は別格」

「そういえば、青田もそんなこと言ってたな」

「彼女に憑りついている悪魔は、悪魔の医学士と呼ばれるS級の悪魔。私でも敵わない」

「ちなみに、君のランクは?」

「私はAA。西園寺さんはAAA。私よりも強い」

「へー、悪魔憑きも悪魔と同類の階級で扱われるんだな」

 ていうか、西園寺さんはその辺の悪魔よりも強いのか……。

 ぼくが頷くと、彼女は即座に言葉を返す。

「いいえ、それはない。一般に悪魔憑きは、真正の悪魔よりもかなり弱い。だから、同列には扱わない」

「そうよ」

 後方で声がした。

 振り向くと、いつの間に来たのか、そこには西園寺さんがいた。高く張り巡らせたフェンスの上に悠々と座っている。

「将棋でいうところの、プロとアマみたいなもの。悪魔と悪魔憑きの力の差はかなり大きい」

「だけど、西園寺さんは悪魔憑きでありながら、悪魔と同等の扱いを受けている。これが何を意味するか分かる?」

 ぼくが返答する時間も与えられずに、彼女は続けて言った。

「西園寺白雪は人間でもあり悪魔でもある。とても危険な存在。彼女は世界にとっての異物」

「好き勝ってなこと言ってくれるわね」

 西園寺さんは殺気を込めるように目を細めた。

 ざわ、と一陣の風が吹きぬける。

 また、あの時と同じ寒気がした。

「……ん?」

 西園寺さんが素っ頓狂な声を出しておもむろに下を見る。

 身体の冷えが収まった。

「青田君が校舎裏で何かやってる」

 フェンスに近づき、ぼくも下を見てみる。

 そこは校舎裏で、日の光はほとんど当たらない湿った場所だった。

 青田はそこで女子生徒四人に囲まれて何かを言い合っているようだ。

「何やってんだ、あいつ」

「私が知るわけないでしょ」

 西園寺さんは「ハア……」とため息を吐き、再び悪魔の方を見た。

「あいつの名前は睦月夢。自分が夢魔だから、夢って名前にしたそうよ。A級以上の悪魔はその力も強大で、ああやって人間の姿形をして生活をしていたりもする。その魔力を使えば、容易に人間を欺くことができて、こんなロリ悪魔でも高校生になれるってわけね」

「ロリ悪魔って……」

 今さらという感じだが、西園寺さんは結構毒舌な気がする。

 昨夜は暗くて見えなかったが、西園寺さんは明るい茶色に髪を染めていて、細く整えられた眉がよく似合っている。

「ねえねえ、悪魔さん。あなた、馬鹿っぽいから私がお勉強を教えてあげましょうか?」

「いいえ、その必要はない。推薦入試でこの高校に進学したあなたと違って、私は一般入試で入ったから。それに、前の定期テストでのあなたの順位は168位。私は3位。私の勝ち」

「テストの点数で勝ったらってなんだっていうの? ていうか、なんで私の個人情報を把握してる!?」

「私は戦う悪魔ちゃんだから」

「ダメだ……、意味分かんない……」

 西園寺さんは頭を抱えて下を向いた。

 心なしか、少しだけ悔しそうにも見える。

 夢さんが足音を立てずにこちらへと一歩ずつ近づいてきた。

「な、何よ……?」

 西園寺さんが身構えるようにして、上体を後方へとやる。

 ガチャリ――。

 夢さんはぼくの真横で足を止めると、彼女の背丈の2倍はあると思われる高いフェンスに触れた。そして、下方を見やる。

「青田君が危ない」

 彼女につられて下を見下ろすと、青田が先ほどの女子生徒4人と喧嘩をしているようだった。

 女子にしては背の高いリーダー格の女に、青田は掴みかかって今にも殴りかかろうとしている。その周りを囲むもう2人の女子生徒たちが、怒る青田をなだめるように手を上下に振り、あとの1人は怯えるようにして地面に尻もちをついていた。

「危ないって?」

 ぼくは疑問を口にする。

「危ないのは青田じゃなくて、女子生徒たちの方じゃ――」

 そう言った瞬間。

 ズドン!

 なにかを壊すような大きな音と共に、不意に身体が宙に浮いた。

「ヒロロ、出番」

「え……?」

 夢さんの声が頭上で聞こえる。

「ちょ! あんた!」

 西園寺さんは必死の形相でぼくに手を伸ばしたが、かすりはしたものの、ついにその掌を握ることはできなかった。

「うわあああああ!」

 重力に身を任せつつ、ぼくは屋上から勢いよく落下した。

 宙に浮いた瞬間は頭が真っ白になって気づくことができなかったが、どうやら、夢さんもとい戦う悪魔ちゃんがぼくの背中を押したらしい。

 ズドン! と鈍い音が聞こえたのは、ぼくの身体が張り巡らされたフェンスを突き破った音だ。

 そのまま落下して、頭の上から地面にぶつかる。

 今度は、ゴツン! というさらに鈍くて重い音が耳に届いた。

「な、なんだ……?」

 青田に襟首を掴まれている茶髪の女子生徒が、驚き呆気にとられた面相でこちらを見た。

「ア?」

 青田も不機嫌そうに振り向く。

「やっと来たか、芦川」

「痛ってて……。絶対、首の骨が折れたよ」

「本当に首の骨が折れてたら、そんなふざけた台詞なんて口にできねえよ、バーカ」

 後頭部をさすって痛みを緩和しようとしているぼくへの心配など一切なく、青田は貶すだけ貶しておいて、早々と掴み上げている女子生徒の方へと視線を戻した。

「本当に殺してやる」

「ふん! やれるもんならやってみなさいよ!」

「な、なんなんだ、この状況……」

 一見すると、恋人同士の千和喧嘩のようにもみえるが、青田の表情と語気から鑑みるに、どうやら本気で怒っているらしい。

 ただ、掴まれている女子だけが、へらへらと人を馬鹿にしたような笑みをたたえている。

「わたしを殺すんじゃなかったの?」

「黙れ」

「殺してみなさいよ」

「……黙れ」

 その女は、感情の揺れている青田の一瞬の隙を突き、ポケットからなにやら黒光りしたものを取り出し、それで青田の頭を思い切り殴った。

 ゴツン――。

 頭部からは一筋の血が流れ、それが瞼の上にかかる。

「……痛ってーな」

 そう言う青田の表情は先ほどと変わっておらず、あまり痛そうには見えないが、多分、本当はかなり痛いと思う。

「今の打撃。俺じゃなきゃ、死んでたかもしれ――」

 ゴツン――。

 二度目。

 ゴツン――。

 三度目。

 青田の金髪が赤く染まる。顔が雨に濡れた様にぐしょぐしょになる。制服からはポタポタと血液が滴った。

 四度、再び女の右手が振り上がる。

 ぼくはついにそれを止めようと、全力で走り出した。

 だが、間に合いそうにない。

 すると――。

 突如、西園寺さんの蹴りが、顔に炸裂した。

 蹴られた奴は、身体を捻じりながら飛んでいく。

 やがて、地面にぶつかり、何度かバウンドした後、音を立てながら止まった。

「痛ってえええええ!」

 バッタのように跳ね起きて、青田が吠えた。

「普通、頭から大量出血している奴を蹴るか!? お前は俺を殺す気か!? これ、絶対に首の骨が折れたと思うぜ!?」

「本当に首の骨が折れたのなら、今頃、私は幸せだったのになー」

「なんだ、その棒読みは……」

 二人のやり取りを聞いている限り、青田は西園寺さんに蹴り飛ばされたことをそれほど気に病んでいないようだったが、ぼくは釈然としない思いだった。

 この場合、暴力を振るわれるべきは殴った女子生徒の方であって、青田では決してないはずだ。

 西園寺さんは敵意を向けるぼくの視線を敏感に感じ取り、語感を強めて鋭く言い放った。

「今、青田を蹴らなければ、私は青田を殺さなければいけなくなっていた」

彼女の言葉の意味が分からず、茫然としていると、青田が説明を継ぎ足してくれた。

「俺はこの女に心底ムカついた。本気で殺してやりたいと思ってしまったし、何度も頭を殴られたことで、本気で殺されるかとも思ってしまった。――つまり、俺は悪魔に全身を支配される一歩手前だったわけだ。白雪に蹴られなければ、多分、俺はこいつを殺してた」

 青田は血に濡れたこぶし大の石を握りしめている女子生徒を指さした。

 その女は利き手を赤く染めたまま、狂気じみた表情で笑う。

「残念。青田君を殺せるかと思ったのに」

 そして、そんなことを呟くと、くるりと踵を返して校庭の方へと歩き出す。

 少し怯えるような顔をしながら、今までのやり取りをずっと黙ってみていた二人の女子生徒たちが、呼吸を合わせた様に同時に彼女を追って駆けていく。

 ぼくはそんな光景を、固唾を飲んで見守ることしかできなかった。

 異常だ、と思った。まるで悪魔のような女だ。そして、どういう心情なのかは全く見当がつかないが、そんな悪魔の背中を怯えながらも追っていく彼女たちにもまた狂気を感じた。

「悪魔の匂いがするわね」

 西園寺さんがぽつりと言った。

「青田! 倒れてないで早く起き上がりなさい。手当てしてあげるから」

「優しいこと言っているようで、結構、残酷だよね……。この出血量で立ち上がれって……、無理だからね……」

 そう言い残すと、彼は眠るようにしてその場に倒れた。

 身体と地面がぶつかる音だけが、日の当たらない湿った校舎裏に響く。

 やがて、残されたもう一人の女子生徒が「ひぃぃ……」と、今更のように恐怖の悲鳴を上げて走り出した。

 ずっと腰を抜かしたように座りこんでいた彼女のスカート裏にはいくらかの砂が付着している。その汚れたスカートがふりふりと揺れ動くのを、ぼくはただ茫然と見つめていた。

「変態……」

 西園寺さんがそんなぼくを見て眉間にしわを寄せる。

 そして、一呼吸ほどの間をあけて、

「ていうか、逃げられた!」

 悔しそうに唇の端を噛みながらそう叫んだ。

彼女はやれやれといった調子で、青田の腕を持ち上げて肩で抱える。

「私はこいつを知り合いのとこに預けてくる。先生には早退したって言っといて」

「いや、そんなこと言われても……。男女が二人そろって早退しましたって、どう解釈してもいかがわしい感じしかしないんだが……。そんな早退、先生が認めてくれるとは思えないよ」

「教師たちの説得を無視して、一か月間も不登校を決め込んでたあんたがそれを言う!? なんとしてでも認めさせなさい」

「――ま、やってみるよ」

 無理だと思うけど。

 ぼくはため息交じりにそう言った。

「じゃ、私は行くから。早くしないと、本当に死んじゃうかもだし」

 西園寺さんは地面を蹴ると、一瞬のうちに空へと消えた。

 彼女が離席したそのタイミングを見計ったように、夢さんがてくてくと場違いなほどに緊張感のない足音をたててぼくの背後から現れる。

「お前、ぼくを突き落としただろ?」

「ヒロロなら青田君を助けてくれると思ったから」

「いや、青田を助けようとするのはいいけど、ぼくのことも助けてくれよ。別に助けなくてもいいけど、せめて窮地に突き落とすのはやめてくれよ。屋上から突き落とすのだけは止めてくれよ。本気で死ぬかと思ったんだから」

「それも狙いの一つ」

「へ……?」

 予想外の言葉に、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

「あれは試験というか実験」

「実験?」

「そう。ヒロロの強度がどれくらいかっていう」

 相変わらずの無表情で夢さんはそんなことを言う。

 そして、少しだけ注意を促すように、含みを持って

「あの女子生徒、悪魔に憑りつかれてた。気を付けて」

 と、忠告してくれた。

「分かってるよ」

 ぼくは神妙に頷く。

 人を石で何度も殴るような奴が、人を殺せなくて残念なんて言う奴が、ぼくと同じ人間だなんて思えない。あいつは、間違いなく悪魔だ。


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