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夢見心地ステイルメイト  作者: にとーへん
2/6

悪魔二人 (1)

 人がすっかりと寝静まった深夜とはいえ、6月とは思えないほどに外の空気は寒かった。堂々と夜空に浮かぶ満月が妙に印象的で、風が全く吹いていないことがぼくには不気味だった。

「くそっ! 氷の壁が追ってきやがる」

 凍てついた津波と表現するのが適切だろうか。

 ぼくをめがけて、いく層にも重なったように見える分厚い氷の塊が迫って来る。

 波というよりは壁なのだ。

 堤防を駆け上ると、大きな橋が見えた。橋を渡る際も、それは絶え間なく進行してくる。

 橋の半ばに差し掛かかった時、バキッ! バキバキッ! と、嫌な音が足元から響いてきた。

「う、嘘だろ……」

 そう呟いた瞬間、あっという間にその橋は大きな音を立てて瓦解した。コンクリートの柱が、氷の重さに耐えきれず崩れてしまったのだろう。

「出鱈目だ……」

 バジャン! 

 身体が川に落ちると、何が起きたのかよく分からないうちに、全身が一気に水中へと沈んでいく。もがけばもがくほど、まるで糸にからめとられたように、身動きは不自由になった。

 追い打ちをかけるように、橋を形成していたコンクリートの塊が、続々と上から降ってくる。水中で試行錯誤してみるが、思うようにそこから抜け出すことが出来ない。

 ぼくは抵抗することをあきらめて、自然の摂理に任せて川の流れに身を任せることにした。

 しばらくすると、身体も水に馴れてきたようで、なんとか岸まで泳ぎつくことに成功する。運よく浅瀬付近まで流されたことが幸いしたのだ。

「ぷはっ! 死ぬかと思った」

 うつぶせの状態で、片手を乾いたコンクリートの上に置き、ようやく肺呼吸を許されたのも束の間。

「なかなかしぶといのね、青田君」

 知っている女が、己の背丈ほどの長さをもつ太刀を構えて、ぼくを見下ろしていた。

 その瞳からはぼくへの殺意が読み取れ、身動きが取れないほどに冷たい視線だった。

「優しく殺してあげる」

 彼女はそう言って微笑むと、片手で太刀を振るった。

「ちっ、本気かよ……」

 水から上がったばかりで、呼吸もままならないような状態だったが、ぎりぎりのところで刀を避けることができた。

 しかし、それは最初の一太刀だけ。

 次の一撃で、ぼくの眉間に剣先が突きつけられてしまい、完全に追い詰められてしまった。

 チェックというよりは、チェックメイトに近い。

「き、君はクラスメイトの西園寺さんだよね」

 ぼくは特に意味もなく時間を稼ごうと会話を試みる。

「な、なんでぼくの命を狙うのかな?」

「悪魔に憑かれたからよ」

「あ、悪魔……?」

「そう、悪魔。しかし、驚いたわ。あなたが私の名前を憶えているなんてね」

「クラスメイトだからな」

「クラスメイト?」

 西園寺さんは「ぷっ」と噴出した。

「5月から家に引きこもって学校に一度も来なかった不登校がよく言うわね」

「別に家に引きこもってたわけじゃねーよ。病院に引きこもってたんだ」

「へー、入院してたんだ」

「妹がな。ぼくは妹の世話をしてたんだ」

「え、妹の看病をするためにずっと学校を休んでたの? もしかして、シスコン?」

「シスコンじゃねーよ。妹は好きだけど、姉貴は嫌いだからな」

「ふーん」

 西園寺さんは興味なさげに鼻を鳴らし、再び目に殺気を帯びさせた。

「で、悪いけど、死んでもらうから。今夜、化けて出てこないでよ」

「もし、幽霊になったら、毎日お前の家の浴槽を覗いてやるよ」

 ぼくのつまらない冗談を切り裂くように、目に見えないような速さで剣が振るわれる。

 この瞬間、なんでぼくは殺されなきゃいけないんだろう? 悪魔に憑かれたってなんだろう? さっきまでぼくを追いかけて来た氷の壁はなんだったんだろう? ていうか、西園寺さんって何者?

 などなど、走馬燈というよりは、数々の疑問が頭の中に湧き上がってきた。

 不思議とつい先日死んだばかりの妹のことは脳裏をかすめなかった。きっと、死んだ人間のことを考えても何の意味もないと、死ぬ間際になってもそんな論理を組み立てて諦めていたせいだろう。

「おい」

 男の声が聞こえる。

「おい、聞いてるのか」

 切られるとばかり思っていたぼくは、無意識のうちに目をつむっていたらしい。目だけでなく耳もほとんど聞こえていなかったようだ。

「知り合いの奴に、美少女が悪魔から追われてるから助けに行けと言われて来てみれば、引きこもりが美少女から追われてるってどーいうことだ。おい、聞いてるのか不登校!」

「その呼び方止めてくれないかな……。まじで」

 ぼくに振るわれた太刀は、彼の素手によって受け止められていた。手からはポタポタと真っ赤な鮮血が垂れ落ちる。

「だ、大丈夫か?」

 思わず、ぼくはそう尋ねた。

「全然平気だ。俺は血が出るほど力が強くなるからな」

「なるほど。よく分からんが大丈夫ならそれでいい。……ところで、君は誰だ? なんでぼくの名前を知ってる?」

「ハ?」

 男の顔が歪んだ。

その怒気を孕んだ表情が「殺してやろうか?」と叫んでいるように見える。

「ふっふっ……。さすがはぼっち君。クラスメイトからは恐れられ、不登校君には認識すらされていないなんて、どれだけ友達いないのよ」

 くすくすと西園寺さんが腹を抱えて笑い出した。

「白雪――。お前――」

 刀身を握る手に力を込めて、男は西園寺さんを睨みつけた。

「なあ、友達いない人」

「その呼び方を止めろ! 殺すぞ!」

 男はぼくを一瞥する。

「殺すとか容易く言うなよ。それより、助けてくれてありがたいんだけど、君は西園寺さんに勝てるのか?」

「なんであいつの名前は憶えてんだよ……。あいつだって学校じゃ友達いないぞ。俺より影薄いぞ」

 男は左手でポリポリと頭を掻きながら「うーん」と唸った。

「まあ、勝てるか勝てないかで言えば、勝てない確率が100%だな」

「なんとなく予想はしてたいけれど、勝てる確率は0%なんだな。おい、どーすんだよ」

「なんとなく予想はしてたってどういう意味だ。俺が弱そうに見えるってか?」

「逆だよ、逆。西園寺さんが強そうだって言ってるの」

 西園寺さんは刀を男の手を引き抜こうとしていたが、さすがに男性の腕力には敵わないらしくピクリとも動かない。

 そう見るや、彼女は辺り一面に氷の壁を築き上げ始めた。

 月夜に輝く真珠のような黒い瞳が徐々に色素を無くしていき、淡く儚げな色彩へと変化していく。白色というよりは、ほとんど無色だった。

「あいつは俺たち悪魔憑きの中でも別格なんだよ」

 刀身から手を放して、男は一歩後退した。

「腰を抜かしてる暇はないぜ。早く立て。逃げるぞ」

「逃げ切れるのか?」

「ふん。俺はあいつからすでに6回も逃げ切った実績がある。まかせときな」

「……随分と情けない自慢話だな」

「お前じゃあ、1回も逃げ切れないよ」

「ごもっともで」

 西園寺さんの攻撃は力強いだけでなく、素早く連携が取れていた。

「将棋で言うところの棒銀戦法だよ。単純だが破壊力は抜群」

 男はぼくにそう説明したが、口を動かす暇があるのならもっと速く足を動かしてほしい。

 氷の巨大な障壁がぼくらに迫り、それをやっとの思いで躱すと、軽快な身のこなしですかさず西園寺さんが切りかかって来る。

 押し寄せてくる氷ばかり注意を向けていると、その背後から虎視眈々と狙う西園寺さんに一刀両断されてしまうわけだ。

 だが、ぼくを守ってくれているこの男も無能というわけではなく、ぼくを片手で抱きかかえながら、幅二十メートルほどある川を軽々と飛び越えてしまった。西園寺さんの攻撃も、危うくはあるが、確実に見切って避けきっている。

「おい。そろそろぼくを下ろせ。今のままじゃ戦えない」

 ぼくの台詞に、男は「あ?」と眉間にしわを寄せた。

「お前、死にたいのか? 言っておくが、あいつの狙いはお前だぜ?」

「分かってる。だから、ぼくを囮にして、その隙に君が西園寺さんを倒せ」

「…………」

 男は驚いたように目を見開いて、ぼくの顔をじっと見つめた。

「お前、引きこもりのくせに積極的なんだな。てっきり、引きこもりになるような奴は、自分の身を守ることしか考えてないと思ってた。それが自ら囮にしろと言いだすとはな。……ほんの少しだけ気に入ったぜ」

「それじゃ、そういうことでぼくを下ろせ」

「だが、それは無理な話だな」

「……なぜ?」

「お前を囮にしたところで、俺はあいつには絶対に勝てないからだ」

「……君、弱すぎでしょ」

「川に叩き落すぞ」

 男は氷の波を躱しつつ、ずっと川の下流の方へと逃げていた。

 そんな単純な回避行動を続けた当然の結末として、西園寺さんは男の逃走経路を難なくと読み、逃げ道に巨大な氷の壁を出現させた。

「囲まれたぞ!」

 ぼくは叫んだ。

「お、必至がかかったな」

 男はそう言って、川の水に囲まれた小さな三角州にぼくを下ろした。

「俺は一人で逃げることにした。後は頑張れ」

 男はぼくの方を向いて笑顔でガッツポーズをする。

「お前、何しに来たんだよ……。状況を悪くしただけじゃないか」

「いや、冗談だよ。ていうか、お前。本当に緊張感がない顔してるな。はっきりと言っておくけれど、マジで命狙われてんだぜ?」

「死んだら死んだで、それで構わないからな」

「けっ! 助けてやろうとしたやつが、まさかの自暴自棄かよ。こんな奴を助けるのは、今日が始めてだ。見捨てとけばよかった」

 男は胸糞悪そうに「ペッ」と唾を川に向かって吐いた。その吐いた唾はたちまち凍り、次いで、川全体も流れを失い白く固まる。

「今からでも、見捨てればいいじゃない」

 ぼくは言った。

「……言っただろ。もう、ダメなんだって。あいつの次の攻撃を、回避する術も受ける手もないんだ」

「そう。これで詰み」

 四方八方を氷の高い壁で囲まれたところに、西園寺さんが空から悠々と降りて来た。

 逃げているときは気がつかなかったが、瞳だけではなく、髪の色素まで無くなっている。肌の色も、より透明感を増しているようだった。身体全体から冷気が溢れ、彼女の周囲がぼんやりと白く染まっている。そして、その白い冷気に押し上げられるようにして、長くて真っ直ぐな彼女の髪の毛が、風になびかれるようにして、宙を舞っていた。

「西園寺白雪。その姿、ひどく儚げだろ?」

 男は攻撃に備えて警戒しながらも、馬鹿にしたように少しだけ口元を吊り上げ、嘲笑めいた声音でそう言った。

「そうかな……。ぼくは美しいと思うけれど」

「ふん……。やっぱ、引きこもりの感性は理解できないな」

「だから、ぼくは別に引きこもりじゃないって」

「二人とも!」

 西園寺さんは太刀を地面に突き刺した。ビシッと氷の割ける音が響く。

 この時初めて気づいたのだが、ぼくたちの立っていた砂地までもが、すでに白く凍っていたのだ。

「遺言は何かある?」

 西園寺さんの質問に、ぼくは男を親指で指して簡潔に答えた。

「初対面の人間を引きこもり呼ばわりする、こいつの苦しむ顔を見てから死にたい。それがぼくの遺言です」

「ふざけんな! 初対面じゃない人間を、初対面扱いするお前が苦しんで死ね!」

「は? 君、ぼくと初対面でしょ?」

「お前、五月まで学校来てただろ! そして、俺はお前の目の前の席だっただろ! 初対面なわけあるか!」

「ごめん。目に入らなかったみたい」

「嘘を吐け! 前を見ないでどうやって授業を受けるんだよ!」

「授業中はずっと瞼の裏側を見てたんだ」

「ずっと寝てたのかよ! 授業くらい真面目に受けろ!」

「おっと。ぼくだけ責められるのは心外だな。君だって、よく机の上に顔を突っ伏して、寝てたじゃないか」

「あー、そうだったそうだった。四月は陽気な天気が続いて眠くてね……て、お前、起きてるじゃねーか! 俺のことバリバリ見てたじゃねーかよ!」

「ごめん、嘘ついてた。本当はぼくたち初対面じゃないよね。君の名前を知らないのは本当だけど」

「クラスメイトの名前くらい覚えろ! そんなんだからお前は、クラスに上手く溶け込めずに引きこもりになるんだ!」

「そんなこと、クラスに上手く溶け込めずにぼっちになる、あなたに言われてもねー」

 口元を押さえて、可笑しそうに笑う西園寺さん。

「うるせー! てめーら全員ぶっ殺してやる!」

「あら、やれるものならやってみなさいよ」

「そうだ。西園寺の姉さんに勝てるもんならやってみろ。このぼっち!」

「なんでお前はそっちサイドにいるんだよ! その西園寺さんに殺されそうになってるのは、俺というよりむしろお前だからね!」

「あー。そうだ、青田君」

 西園寺さんは、学校の教室で喋りかけるみたいに、陽気な調子で男に言った。

「あなたの下の名前ってなんだっけ?」

「……もういっそのこと、俺を殺してくれ」

「あ、青田君が自暴自棄になっちゃった。珍しー」

 西園寺さんはにこにこと、大層愉快そうに笑った。先ほどまでの、死と隣り合わせの逃走劇がまるで嘘のようである。あの時の殺気が、すでに彼女からは感じられない。

「今日は楽しかったから、特別に二人とも見逃してあげる」

「そんなんでいいのか? ぼくは、その、悪魔憑きとか悪魔とか、そんな感じの奴じゃないのかよ? この青田君と一緒に殺しておかなくていいのかよ?」

「そう、あなたは悪魔憑き。でも、私だってその同じ悪魔憑きだし、そこの青田なんとか君もそう。結局、私たちは仲間みたいなものなの」

「……なら、なんで殺そうとしたんだ? 君、割と本気だったでしょ」

「あなたを殺そうとするのは当たり前でしょ。悪魔って基本的に悪いものだから、そんな悪いものに取りつかれた人間が町にたくさん現れたら大変じゃない。この町だけ、犯罪件数が跳ね上がってしまうわ」

「ふーん」

「でも、安心した。芦川君はそんなに悪い人間じゃないみたいだし、そんなあなたに取りついた悪魔も比較的無害なものだと分かった」

「あの短時間でそんなことまで分かるのか? ろくに喋ってもいないのに」

「本来の悪魔なら、憑りついた人間が命の危機に迫ると本性を表して、そいつの身体を乗っ取り暴れ出す。でも、君の悪魔は、あなたに命の危険が迫ってもそうやって表に出てこなかたった。ずっとあなたの奥に引きこもって、無視を決め込んでいたの。さすが、引きこもりの悪魔ね。悪魔の引きこもりなんて聞いたことがない」

「だから、ぼくは引きこもりじゃないって……」

「じゃあ、そういうことで青田君をお願いね。私はもう帰る」

 そう言い残すと、西園寺さんは足音もなく、消えるようにしてどこかへ行ってしまった。

「さあ、ぼくらも帰るよ」

 ぼくは疲れ切った身体を動かし、青田の腕を引っ張った。

「――そうか」

 青田はぼそぼそとした小さな声で言った。

「俺はもう少し夜風に当たってから帰るよ」



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