《4》
──《 Another Root Online》へようこそ
……ここは、どこでしょうか…?
目を覚ますと、私はどこかの庭園にいました。
庭園と言っても、そこまで華美なものではありません。庭木が置かれていて、花も咲いてはいますが、ひっそりと咲き誇る程度のもの。
庭園の端から端へは、横断するかのように澄んだ川が流れており、庭園の中央には白石造りの東屋のような物が建てられています。
…ああいった造りの建物は、なんと呼ぶのが正しいのでしょうか…? 西洋に纏わる物には滅法弱い私のことです、皆目見当がつきません。
……困りました。綺麗ではあるのですが、全く名前が分からないではありませんか。
「ふむ…、そうですね…」
困ったからと言っても、何か不都合がある訳でもなし。放っておきましょう。
……ええ、それが一番です。
◇ ◇ ◇
優しい風が、私の髪を弄んで行く。
仮想世界ならではの、薄く桜に色付いた私の髪が、春風に散る桜花弁のように流れて行きます…。
日本の伝統色である桜色。多くの方は桃色に近いピンクを思い浮かべるかも知れませんが、本来その桜色は驚くほどに薄い色合いをしています。
遠くから見やれば白にも見間違えてしまいそうな桜色。それでも尚、確かに淡く色付くその綺麗な色が、私はとても好きです。
そんな桜に染まった私の髪を追いかけて、くるりと一回り、後ろへと振り向く。
そこには───
空が続いていました。
青い、蒼い、どこまでも澄んだ空です…。全てを呑み込み、果てには私でさえも呑み込まれてしまいそうな蒼穹は、私のすぐ後ろ、二歩程先の空間に広がっていました。
「………」
ゴクリ、と喉を鳴らし慌ててその場を離れる。
「え? …え?」
心臓が、ばくばくと激しく脈を打ち、背中には、まるで氷を入れられたかのように冷たいものが走る。
…感覚が研ぎ澄まされて行くのが分かります。
「……もう。なんでこんなに近くに空があるんですか? 私、もう少しで墜ちる所だったじゃありませんか…」
普段よりも高く鳴る心臓を抑え込み、緊張に声が震えないようにゆっくりと声を出す。
背筋が寒くなるとは、このようなことを言うのですね。
「心臓に悪いことは、止めて頂きたいです…」
改めて庭園を見やれば、それは本当に小さなもので。広がる空と比べてしまえば、それはより一層顕著になります。
今居る場所からでも、十分に全景を一望できてしまう程には小さいのです。
それでも、その美しさは現実では到底目にすることのできないものでもあり…。
「なによりも、空に浮いているのですから…」
宙に浮く空島。陸から離れ、重力の楔からも解き放たれた、この庭園。
それでも尚、確かに息づく草木の息吹。
雲の流れる、空という大海に浮かぶ孤島の庭園には、360度、どこを見回しても視界を遮る無粋なものなどありはしない。
現実では、ありえない光景。
穏やかな風が、頬を撫でていく。
川から落ちた水が宙を漂い、砕けていく。
優しく射す日の光は、私のことを包み込む…。
ふと、風の吹いてきた方向、つまり庭園の中央へと目を向けてみれば、そこには一つの人影が…。
影の形を見るに、どうやら女性のようです。
目が合うと、彼女は何事かを呟いた。
彼女と私との距離は、そこまで離れてはいません。あって精々、10メートル程の距離。
彼女の声は小さなものではありましたが、それでも、その声はとても良く聞こえました。
「《Another Root Online》へ、ようこそ」
そう囁いて、彼女はふわりと微笑むのでした。
◇ ◇ ◇
あれから少し。私は彼女――ミラさんに連れられて、中央の建物へとやって来ました。
「どうぞお座りください」
「これは、ご丁寧にありがとうございます」
勧められるがままに席につく。
建物やイスやテーブルに至るまで、全てが白石造りです。一つ一つ丁寧に植物のレリーフが彫られていて、細かな所まで手が込んでいます。
「私の名前はミラです。この世界のNPCでもあります」
ふむふむ…ミラさんはNPCなのですか…。私には、一人の人間のようにしか見えませんね。会話や意思の疎通には、なんの違和感もありません。
「ここはフリューレングスの庭園。私に与えられた庭の一つです」
与えられた庭の、一つですか…。
あれ? まさかの、ミラさんGM説浮上ですか?
「こんなに広いお庭を持っていて、ミラさんって凄いんですね…。正直、とても羨ましいです」
「ふふ…。貴女もその内、家を持つことができるようになりますよ。きっと」
「本当ですか?」
「はい」
……ふふふ。また新しい目標ができましたね。目指せ、マイハウス! です。
「コホン。では、話を戻しましょうか」
「あ、すいません…」
「いいえ、大丈夫ですよ…。 ここでは、ゲームを始めるにあたり、プレイヤーの皆様にステータスの最終確認を行って頂いています」
ミラさんは何者なのか…。そんな疑問を抱いていた私を、シャラン、という涼やかな音が現実へと引き戻してくれました。
鈴のような音色と共に現れたのは、私のステータスウィンドウ。その他にも、空中には私のアバターが投影され、細かな設定ウィンドウも各種展開されていきます。
─ ステータス ─
Name:アイリス
種族:ドワーフ
─装備スキル一覧
【鍛冶】【細工】【錬金】【調合】【武具精通】【潜伏】【発見】【MP上昇】【回復】【召喚】
…はい。間違いは無さそうですね。展開された各種ウィンドウの記述には、変な所は見つかりませんでした。
投影されたアバターの髪色は桜色で、瞳の色は菖蒲色…。こちらも間違いありません。
「ミラさん、これで宜しくお願いします」
「承りました」
若菜ちゃんや、一真さんを、大分待たせてしまいました…。大丈夫でしょうか…?
「それでは、これから貴女を第一の町へと転送します」
「はい。宜しくお願いします」
早いところ合流して、謝ってしまいましょう…。
「貴女の行く末が、輝かしいものでありますように。 …この世界を、楽しんでくださいね…♪」
彼女の微笑みを最後に、私は彼女の庭園を後にました。
◇ ◇ ◇
『お姉ちゃん、遅~いっ!?』
「ごめんなさ~い!」
私は今、町の中を全力疾走で駆け抜けています。
ボイスチャットの相手は、若菜ちゃん。「直ぐに向かうから」という約束でお風呂に入ったのに、約束の時間からは既に10分も遅れています。
……ピンチです!
はっ! そうです、こんな時はチャットの相手を変えてみましょう。なにか道が拓けるやもしれません。
ボイスチャットの相手を若菜ちゃんから、若菜ちゃんと一緒に待っていてくれているだろう一真さんへと繋ぎ……
あ、繋がりました。
「一真さん、助けてください。…ここは一体、何処なのでしょうか?」
『ぇ゛っ!? 菖蒲、もしかして迷ったの!?』
「迷ってなんかいませんよ? 進むべき道が分からないだけで…。」
『ああ、菖蒲…。それを迷ってるって言うんだろうに…』
一真さんに助けを求めるも、現状の回復は見込めず…。若菜ちゃんはまだ怒ってるでしょうし…。
どうしましょう…! どうしましょう…!?
「だ、誰かぁ~、助けてくださ~いぃ…!」