Root.>> 【3】
「待たせてしまいましたか?」
昇降口。
そこには既に、片手に傘を携えた状態で、壁に凭れ掛かるようにして待っている悠希くんがいました。
「いんや、そんなに長い時間は待ってねぇよ」
「そこは、普通、『今来たところだよ』じゃないんですか?」
「いや知らないんですけど」
これ見よがしに、唇を尖らせて抗議してみましたが 、すげなく返されてしまいました。
「あれ、ちょっと怒ってます? やっぱり、遅くなってしまいましたか?」
「菖蒲が気にすることじゃねぇよ」
「そうですか? ……そんなこと言われてしまうと私、本当に気にしませんよ?」
「あぁ、気にしないでくれて構わない。それに、怒っている訳じゃあ、ない。……疲れてるだけだ…」
「……そうですか。 何だか良く分かりませんが、お疲れ様です」
「本当にな」
気のせいか、いつもより草臥れている感じがしますね。
本当に、何があったんでしょう。
「ちなみに、何があったのか聞いても?」
ふう、と溜め息を一つ吐いた悠希くん。
何処か遠い目をしながら教えてくれました。
「……お前の所の担任に、雑用押し付けられたんだよ…」
「あぁ、戌威先生ですか……」
あの人も、悪い先生では無いんですけどね。
口調は乱暴ですが、いつも生徒のことを考えてくれている、優しい先生ですし。
……同時に、謙虚さや遠慮という物を、何処か遠くにかなぐり捨てて来たような人でもありますが。
「何を頼まれたんですか?」
「大量のプリントを運ばされたんだよ…。そこそこデカいダンボール箱を、四つ分…」
「それはまた、なんとも……」
それで悠希くんは、いつもよりも少しだけ疲れた表情をしているんですか。
本当に、お疲れ様です。
肩をポンポンしておきましょう。
「で、終わった後に、『帰り道に、これで好きな飲み物でも買って帰れー』って千円札渡されたんだけどな…」
それはまた、なんとも……。
「─ってことで、帰り道にどっかコンビニ寄ろうぜ。奢るから」
「私、貰える物は貰っちゃいますよ?」
「おう」
「遠慮、しませんよ?」
「おう」
「……それじゃあ、少しだけ。 お言葉に甘えて、ご馳走になります」
ペコリ、とお辞儀を一つ、お礼を言いました。
「まぁそれも、若菜が来てからなんだけどな」
「……ふふっ。そうですね」
捕らぬ狸のなんとやら。
何だか可笑しくて、二人して笑ってしまいました。
それから少しして。
「おっまたせ~!」
最後に、若菜ちゃんがやって来ました。
「遅いぞ、若菜」
「あれっ? もしかしなくても、待ったー?」
「待った」
「違ーう!」
「ん?」
「そこは、『今来たばっかりだ』って言うところでしょー! 全くもう、分かってないなぁ、悠希さんはー」
「本当知らんがな」
……ふふふふっ。
姉妹揃って、同じことを言ってます。
「それじゃあ、三人で帰りましょうか?」
「そうだな、帰るか」
「オッケー! 帰ろう帰ろうー!」
ちなみに帰り道の途中でコンビニに寄ったんですが、私がミルクティーを、若菜ちゃんはサイダーを買って貰いました。
そして悠希くんは青汁を。
最近のマイブームなんだとか。
……偶に思うんですけど、彼、少し変わってますよねー。
悠希くんから一口だけ飲ませて貰いましたが、青汁は、そこそこ美味しかったです。
◆◆◆
「ただいま帰りました」
「たっだいま~!」
私の右手にある傘。
帰り道では、結局最後まで出番はありませんでした。
残念です。
傘に雨の雫が当たる音、私結構好きなんですけど、 ね。
「……お邪魔します」
「はい、いらっしゃいませ。ゆっくりしていってくださいね?」
「おう…」
声を掛けてきたのは、私の後ろにいる──丁度今、玄関を潜ってきた、悠希くん。
突然ですが、悠希くんが我が家へと遊びに来てくれました。
嬉しいです。
誘ったのは、私。
若菜ちゃんも快く賛成してくれたので、特に、これといった問題は無かったりします。
その結果、晴れてこの度、悠希くんを我が家へ招待する運びと相成ったのです。
「それじゃーお姉ちゃん! 私は先に、お風呂に入ってくるねー!」
「はーい。今日は雨が降っていましたから、よーく温まってきてくださいね」
「はーい!」
そう言って若菜ちゃんは、勢い良く階段を昇って行きます。
恐らくですが、荷物を置きにいったのと、着替えを取る為に、一旦、自分の部屋へと戻ったんだと思います。
「さて、それじゃあ、私はお夕飯の準備でもしてしまいしょうか」
「あ、菖蒲、流石に夕飯までご馳走ににるのは悪いよ」
カバンを手に持ったまま、所在なさげな悠希くん。
そこまで世話になる訳にはいかない、と思っているようですが……
「どうしたんですか、悠希くん。誰も、お夕飯をご馳走するなんて、言ってませんよ?」
「ぐふっ…!」
胸を押さえて、力無く崩折れる。
その身体からはどんよりとしたオーラが溢れ、その朱い顔は羞恥に染まり、その瞳からは懇願が見てとれるようです。
自惚れてましたか?
それとも、期待してましたか?
そういった、ちょっとイジワルな気持ちを瞳に乗せて、悠希くんへと視線をおくる。
興奮からか、頬は火照り、隠すように手を添えた唇は、無意識の内に弧を描いていくのが分かります。
顔だけ此方に向けた悠希くんも、心なしか、眉が下がり、目も潤んでいるような……
不思議とゾクゾクしてしまいます。
どうしましょう。
何だか、下腹部から、どうにも抑えがたい衝動が突き抜けてくるような……
「お姉ちゃーん! 今日のご飯は、何…………って、何してるの、二人とも……?」
びくぅっ!
まるで、そんな音が聞こえてきそうなほどに大きく肩を震わせる悠希くん。
……あら、私はいったい何をしていたのでしょうか?
「いえ、何でもありませんよ、若菜ちゃん。 ……そうですね、今日のお夕飯は……どうしましょう? 何か、食べたいものはありますか?」
「えー? じゃあ、ハンバーグ!スパゲッティ!親子丼!」
次々に好物を上げていく若菜ちゃん。
偏見になってしまいますが、どれもこれも、小さいこどもの好きそうな物ばかり。
若菜ちゃん、もしかしてこども舌なんでしょうか?
姉妹だけあって、列挙された料理は私も好きなものばかりではありますが。
「悠希くんは、何か食べたいものはありますか?」
「えっ?」
「あー! ひどーい、お姉ちゃん!」
何が酷いんでしょう?
お姉ちゃんは、こんなにも、若菜ちゃんのことを愛しているというのに。
「そういうことじゃないよ、お姉ちゃん!」
あら、そうなんですか?
「それでは、いったい何が酷いですか?」
「お姉ちゃんが、私の意見を無視して悠希さんを優先したことだよっ! 何が食べたいのかって、お姉ちゃんが私に聞いてきたのにー!」
「それは……」
「それは、何!? お姉ちゃん!」
「若菜ちゃんが食べたいものは、それ全部でしょう?」
「うんっ! 勿論だよー!」
「……はぁ、それではお姉ちゃん、困ってしまいます」
全部は作れても、そんなに沢山は食べきれません。
「私が食べきってみせるよ! お姉ちゃんの作ったご飯なら、全部!」
「駄目です。一つにしておいてください」
「ぶーぶー」
こら、女の子がそんなことしちゃいけません。
それに、若い内から暴飲暴食を繰り返していると年齢を重ねてからが大変なんですよ? まったく。
「あ、あのー、菖蒲さん……?」
「? どうしたんですか、悠希くん? 急に敬語なんて使って…」
「俺に食べたいものを聞くってことは……夕飯、ご馳走になっても良いってこと、なのかなぁ……なんて」
「? 勿論、良いに決まってるじゃないですか」
「え? でも、だってさっきは……」
さっき?
……あぁ。先程のことですか。
「ふふっ。まさか、先程の冗談を真に受けたんですか?」
「じょ、冗談……?」
「はい、冗談に決まってるじゃないですか」
ふふっ。まさか、真に受けてしまうとは思いませんでした。
それに、あんなに焦ってしまって。
……悠希くんも、あんなに可愛らしい部分があるんですね。
大発見です。
「私の方から招待させていただいたのです、今日は、ここを自分の家だと思ってゆっくりとしてくださいね?」
「わ、わかった」
ぎこちなく、カクカクと勢い良く首を縦に振る悠希くん。
まるでお人形さんみたいです。
今更ではありますが、もしかして自分の家ではないので緊張しているんでしょうか?
……ふふっ。
「一先ず、私はお夕飯を作ってしまいます。悠希くんは、リビングのソファにでも座って、楽にしていてくださいね」
「……………ふぅ」
一つ、大きく深呼吸をした悠希くん。
「いや、俺も夕飯の準備を手伝うよ。菖蒲に任せっぱなしってのも、何だか俺の性にも合わないしなぁ…」
深呼吸をしたあとの悠希くんは、いつもの悠希くんでした。
「そうですか? それでは、お願いしますね」
「おう、任せとけ」
戸惑う悠希くんも、緊張で固くなる悠希くんも中々に可愛かったので、もう見れなくなると思うと少し残念です。
まあ、いつかはまた、そんな彼の隠れた一面を見ることもできるでしょう。
そう考えて、私は、思考の海から現実へと意識を戻すのでした。
制服の袖を捲り、手を洗い始める。
悠希くんが手伝ってくれるとなると、お夕飯の準備も大分楽になることでしょう。
彼は、何でもそつなくこなしますからね。
手早く済ませて、ゆっくり三人で遊べる時間確保するとしましょうか。
そうと決まれば、即、実行です!
「それで、若菜ちゃんは早くお風呂に入って来ちゃいなさい。まだ、お風呂に入っていないんでしょう?」
「うん!」
そこは元気良く返事をするところではありません…
「今日は雨が降っていたんですから、早くしないと、風邪をひいちゃいますよー」
「はーい!それじゃあ、いってきまーす! 悠希さん、お姉ちゃんをよろしくね!」
「おぅ、いってらー」
「いってらっしゃい、若菜ちゃん」
「いってきまーす!」
ドタドタドタ、と音を響かせて、浴場へと突っ込んでいった若菜ちゃん。
家の中で、そんなに勢い良く走る必要はあるのでしょうか。
「……ふふっ。」
二人きりになった途端、私の笑い声に反応して、びくぅっと肩を震わせる悠希くん。
あら、まだ緊張はとれていなかったんでしょうか?
「それにしても、お風呂にいってらっしゃいって、何でしょうね?」
「……まぁ、確かに謎だな。外に行くでもあるまいし」
「……ふふっ。本当に、可笑しいですね」
それっきり、二人とも暫くは言葉を交わさずに、手分けして夕飯の準備を済ませていきます。
そうして、ただ静かな時間だけが過ぎていきました。