囚人街
ここは囚人街、数多くの罪人どもの巣食う暗黒街だ。
街を歩けば右も左も罪人だらけ、直ぐ様罪人どもは究極の監視システムに吸収されては囚人の巣へと…
人々は罪を犯して法の裁きを被った。それでも罪は絶えなかった、街にはみるみる人々の気配が消えていき…
法の重圧が街を逼迫させていた、法は威力を鎮めることはなかった、次々に追い討ちをかけて、次々に人々は罪人へ、囚人へと押しやられ堕とされ果てて行くばかりだった。また罪人が産まれていた、街が、法が、人々の本能が…止まらない暴走が毎日を穢し街は世界は朽ち果てるのである、この路地にももうひとり…
路地…新しい罪人は機動隊の群れに押さえ込まれていた、現行犯逮捕!罪名、睡眠罪。この街に産まれてこのかた一度も眠った事のなかった彼は生粋のこの街っ子であったのに…
産まれながらに寝ることを禁じられていた彼、子宮のような穏やかな布団の内部や、あくびを連発してしまいそうな退屈な会議中や、揺りかごのような助手席でのドライブや、趣味である楽園を彷彿とするリラクゼーションマッサージにおいてさえ一度たりとも眠ることがなかった彼が、こともあろうか人気の少ないヒリヒリとする深夜の危険な路地裏で、まさかの!徒歩中による一睡を許してしまおうとは…
彼。
この街の掟に忠実に従い続けた職人気質、典型的なこの街タイプの彼が!
この街に住民票を移した瞬間の掟だった、彼の場合、産まれたこの街がすなわち逃れられない住民票の在り処だったがために、新生児のその日にいきなり手渡された人生の出発点からして、ただの一睡すら引き寄せないでキープし続けた。
マイナンバー制…この街において、その最大の焦点は、住民になった暁に個々に手渡される、たった一つのそれぞれのタブーへの特定にあった。よって彼は産まれながらに純度百パーセントにて覚醒し続けねばならない運命を強制されているのだった。
歪んだ禁欲主義の横行…彼は極端な話、覚せい剤を使ってさえも、眠らなければオーケーで罪人とは見なされたかった、しかし、彼のポリシーはエベレスト山頂のように気高く、宇宙のように深遠かつ果てしないはずであったから、ドーピングの一切を寄せつけずに、彼の罪を犯さずにこれまで生き続けて来れた事は、ある種奇蹟であり、道徳を突き抜けた芸術級であったのだ。
それでも、不覚にも彼は眠ってしまったのだ。二十八年の不眠の日々…徹頭徹尾揺るぎなかったその幕は余りにあっけなく…閉じられてしまうのだった…
罪名、睡眠罪、彼、逮捕。そして収監…!
この街は狂っている…街には罪人が溢れていた…罪を犯さずにこの街でその天寿を全う出来る住民など、いるのだろうか…
街は閑散としている…刑務所は…囚人でパンパンに膨らんで、溢れ返っていた。まるで強引に注がれた水分に膨張したゴムまりのように…囚人どもを囲った硬く分厚い塀の厚みは、凄まじい囚人どものギュウギュウ詰めなる圧力に分散力に、ギリギリ耐えてはいるが、果てなる限界へと日を追うごとに近づいていくのだ。
うまそうにペットボトルを逆さにして、喉を潤す住民を横目に、すれ違い、今にも火を噴きそうな悩ましい表情を喉を口元をパクパク空しく動かすだけでまるで金魚みたいに、その天上世界の情景を見過ごす意外には選択の余地のない住人が煽情された本能の収める場所を持てなくて…
とうとう殴りかかって残りほんの僅かなペットボトルの残量を焼け石に注がれたひと粒の滴の要領で、パリパリと渇いた内膜へと吸い込まれて行くその有り様は…まるで砂漠の地中へとひっそり根ざされた、オアシス付近の地下水を求めてはるばる伸ばされた植物の根の計り知れない探求心と究極の本能同等の代物であった。仕事の関係上の逃れようのない原因で、誇り高く一匹の社畜を全うすべくこの街に住民票を移さざるを得なかった彼、一週間という短期間での…逮捕!罪名、水罪…!そして収監、彼、囚人へと…。
この街のマイナンバー制は、はっきり言ってイチかバチかの賭博のようだった。例えば、本能にかかわらないような、レギンス罪、なるもの、女性においてレギンスさえ履かなければ良い罪の名称である、しかし、女性が、例え罪を被ってさえ、レギンスを履きたいという欲望に、逆らうことが出来るのだろうか?欲望は更に本能を凌駕して。
秋口、この街には、レギンス罪で消されゆく女性の数々が聖地を訪れる巡礼のように刑務所目指し殺到していく現象は、恒例の風物詩となった。
ならば産まれながらにカレー罪を照準されたお子様はどうだろう?お子様がカレーを食さずに、大人の階段を登ることが果たして出来ようか?答えはノーだ、カレーを食さずに大人の階段を登ることが出来る人間など、この街には一人も居なかった、よって、この街の少年少女はみるみるカレー鍋でグツグツと長時間煮込まれた馬鈴薯のように消えていった。
老眼罪はどうだ?40を過ぎれば、彼らは皆、ムショ送りだ、ならばそれまでは罪人である必要はないのか?そうだ、彼らは極まってムショ送りにはならなかった、そして、40を過ぎたら、自ずとムショへと送られるのだ、そう、この街では40過ぎの老眼は、避けようのない人生の悲しい性であった。
ぷはぁ~と息を美味そうに吸っては吐き吸っては吐きしている。禁煙している人間の、喫煙所へと放り込まれた心境はこんな感覚なのだろうか…?難関を突破し超一流大学に受かって、この街に意気揚々と越してきた若者は、越してからの一週間呼吸するのを我慢し続けて来た…そんな矢先、彼の辛抱を知ってか知らずか態とらしく深呼吸に勤しむ太極拳サークルの老人たちの群れに遭遇して、彼は今にも気が狂いそうになっていた。超一流の人間を目指して、幼い頃からエリート街道を突っ走り続けていた負け知らずの彼が、そのただならぬ根性と、プライドに賭けて夢と理想の輝かしい未来へとたどり着くために、密閉して一切の呼吸すら止めてしまっていたその誇り高き崇高な永遠のように長かった一週間をぶち壊しては、瓦解することを禁じ得なかった太極拳サークルの伸びやかな流線型を止めど無く次々と開発していく老人どもとの悲運なる遭遇…
こういうわけで人々はいずれ刑務所へと消されていく…
軈て街からはただの一人さえ住民が消し去られてしまうことだろう…そしてパンパンとなったギュウギュウ詰めの刑務所には、増設の予算は一切割り当てられずに、物理的にも、芥子粒ほどの隙間も許さずに埋め尽くされてしまっている均衡状態であるというのに…それでも、尚も増殖し続ける囚人どもを、刑務官たちは必死の形相にて日夜無理矢理に押し込め続けて行くのであった。
それは、究極の禅問答、世にも難解なパズルのような作業であって、一触即発に膨らんだ、タンスの中身の整理整頓のように、一度全てを引っ張り出して洋服を綺麗に畳み直して、もう一度丹念に収納するのであれば、あら不思議どうにか追加の収納が成し遂げられていくことと同じで、絶体絶命に膨らんだ牢獄から、その時ばかりは囚人どもは一時解放されて一列に仮釈放、畳み直された洋服同様に、それぞれの囚人達が、まるで高度なカーマスートラの奥義のような組み合わさりのバリエーションを漲らせ、再び刑務所の塀の中へと折りたたまれゆくその様は、とても圧巻ものの見事だ。
そしていよいよ…街からは住人がただの一人として消し去られてしまった、何度となく出し入れされ続けた囚人どもの巨大な群れ群れはもはや分解収納の術や余地などはなかった、それでも、まるで真空圧縮袋の真性鬼畜の究極的選択によって、物理的な壁を解き放つかのようにまるで素粒子理論、ギュウギュウに、阿鼻叫喚圧縮され続けなければならぬ囚人どもの悲報と悲鳴…
のみならず、次から次へと、転出先の囚人街へと住民票を移す新たな住民達は例え絶えても絶えなかった。
一秒につき2人の囚人達がこの街に産まれている。そして囚人達は、一切余地のない檻の中へと、布団圧縮パックへとペッタンコペッタンコに折りたたまれながら、日夜押し込まれゆくその順番を待つのであった。