セオドアは本当は甘えたい
約束通り獣型でキヨラの部屋に顔を出せば、一目散に抱きついてきた。腹に顔を埋め、ぐりぐりと顔を擦りつける様は、まるでマーキングしているようだ。誘われて……いるわけじゃないんだよなぁ。
「お前、そのうち食われるぞ」
「クマゴロー、人食いじゃないって言った」
呆れを通り越してやるせなくなるようなキヨラの返しに、腕に抱えて寝台に連れて行く。寝台に腰をおろして膝の上に抱えてやると、案の定、対面座位でしがみついてきた。突っ込むぞ。
「お前さ、恋愛経験ないだろう」
キヨラは心底嫌そうに顔を歪めた後、「それがどうした」と詰め物がなくなって元通りになった薄い胸を張った。思わず溜息が出る。十六にもなって開き直っている場合じゃないだろう。
「寝るぞ。次の夜会は半月後だ」
「また央宮?」
「そう。今夜のは央太子主催。次回は央妃主催、次は央主催、最後が央家主催、全部中央だ」
説明しつつ、キヨラを抱えたまま寝台に寝転がると、何かを考え込んでいたキヨラが口を開く。
「央ってさ、何?」
「お前、そこからか?」
「私の知ってる央って、その国の代表者っていうか、指導者とか支配者みたいな感じなんだけど、一緒?」
「一緒だな」
なんの確認だ? 俺の疑問をよそに、キヨラは納得した顔で頷いている。一体何を納得したのやら。
そうだ、とキヨラが思い出したように話し始めた。どうやら家令たちの婚姻の儀に衣装を用意してやりたいらしい。侍女たちのドレスを仕立てていいものかを訊いてきた。
「ジムたちものか?」
「もちろん。今日のテディみたいな格好良さげなやつ」
「格好良かったのか?」
「格好良かったよ。なんか央子様みたいだった」
そうか、格好良かったのか。照れ隠しに鼻先をぐりぐりと押しつけ、その唇をぺろりと舐めてやれば、同じように鼻先を押しつけ、ぺろっと口を舐められる。こいつの無自覚はたちが悪い。
「……お前、たち悪いな」
思わず出た本音に、「ん? クマゴローは嬉しくない?」とけろりとした顔で言いやがった。お前いま誰と比べた!
驚くことに、キヨラはポンタという間抜けな名の黄色者を愛玩奴隷にしていたらしい。黄色者を奴隷とする国なんてあるのか? 衝撃の事実だ。黄を纏う者には口が裂けても言うなと強く言い聞かせると、「もしや」と首を傾げた。
「黄色って黄色者?」
「そうだ。黄色者の国がある」
「あれ? もしかして青色者の国が全ての国の頂点? だから聖職者?」
「よくわかったな」
褒められて嬉しかったのか、へへへ、と笑いながら照れている。「だからクマゴローって偉そうなの?」は余計だ。
「お前、人型の俺にも慣れろよ」
「努力する」
「普通は逆なんだがなぁ」
「だって、最初に会ったのが獣型だったんだもん」
「聖地には獣型じゃないとは入れないんだよ。だいたいお前どうやって入ったんだ? あんな奥まで。徒人のくせに」
「さあ。気付いたらあそこに居た」
「普通あんな奥までは入れないんだがなぁ」
「そうなの?」
「そうだぞ。だいたい聖地は位置を定めない。かげろうのようなものだ」
「なにそれ。そうなの?」
「ああ」
本当になんでだろうなぁ、人は際までしか入れないはずなんだがなぁ、やはり彼方人だからか。そもそも贄ってなんだろうなぁ、そんなことをつらつらと考えていたら、とろりとした目のキヨラが、へにょりと笑いながら、ゆっくりと目を閉じていった。
人型に戻ると、キヨラに昏薬を口移しで飲ませた。キヨラの寝息が深まった頃合いで、その寝間着を剥いでいく。意識を虚ろにする昏薬は睡薬よりも常習性が低い。
婆はひと月かけろと言っていた。婚姻の儀に間に合わせるには今からやるしかない。
初夜に情を交わせなければキヨラの身が危うい。聖職者である俺の伴侶ともなれば、初夜に情を交わせなかったとなれば、その日のうちに妾が用意される。鼻の利く聖職者たちに誤魔化しは利かない。俺はキヨラだけでいい。
俺はキヨラに二度と痛みを与えたくない。それが通過儀礼的なことであったとしても。
あれほどの痣ができていたキヨラは、どれほどの間、暴行を加えられていたのだろうか。どれほどの間、痛みを耐えていたのだろうか。一日や二日ではない。常習的に、残されていた痣を見るに最低でもひと月、すでに消えた痣があったとしたらそれ以上。
穢されていなかったことだけが救いだ。それすら時間の問題だったのかもしれない。
痣もすっかり消え、骨が浮き出るほどだったキヨラの体は、適度に肉が付き、細くしなやかに変わった。
時間をかけて丹念にキヨラの体をほぐす。キヨラはわずかに眉を寄せながらも、目覚めることはない。
そろそろ昏薬の効果が切れる。その前にマーキングを終える。徒人には嗅ぎ取れない匂いを聖職者は嗅ぎ取る。これは俺のものだ。
キヨラの体を清めるための湯を用意しようと寝台から降りる。
つい今し方、廊下を歩く侍女の足音が聞こえていた。キヨラの部屋の前で立ち止まり、しばらく衣擦れの音がしていたかと思ったら、あっさり立ち去っていった。
侍女の気配が廊下から消えるのを待ってから扉を開けると、湯壷と数枚の手布が用意されていた。侍女の抜かりのなさに舌を巻く。
キヨラの体を清めていると、手布の温かさが気持ちよかったのだろう、ほわんと表情を緩めている。
……最低なことをしている自覚があるだけに、安心しきった寝顔に罪悪感が湧く。
清め終わると寝間着を着せてやり、腕に抱えてそっと指先で頬を撫でる。
どんな夢を見ているのか。キヨラの目尻が微かに潤んでいた。柔らかな頬に手のひらを添えると、頬をすり寄せてくる。そっと指先で目尻の潤みを拭ってやり、額にかかった髪をどけてやる。その額に口づけ、目尻に口づけ、頬に口づけ、最後にその唇に口付けると、キヨラは全身で俺に擦り寄ってきた。
悪いな。たとえキヨラが俺を拒んでも、俺はもうお前を手放せない。
夜が明ける。
キヨラがもぞもぞと身動いで、ゆっくりと目蓋を開いていった。
寝ぼけ眼のままのキヨラは、いつものように窓布をめくって曙光を部屋に招き入れた。いつものようにしばらく朝の光を眺め、いつものように再度寝台に潜り込もうとして、ようやく人型の俺に気付いた。キヨラの目が大きく見開き、次の瞬間、その目が泳いだ。
「クマゴローはどこ行った」
「どっちも俺だ。ほら、もう一度寝るんだろ」
焦るキヨラに、笑いを堪えながら寝布をめくれば、顔を赤らめてあたふたしながら寝室を後にする。
俺を男として意識している様子に喜びと安堵を覚える。どうもあいつは獣型の俺を保護者か何かだと勘違いしている節がある。
隣の部屋で溜め息を吐いたり、息を詰めたり唸ったりしているキヨラの様子をしばらく窺い、落ち着いた頃を見計らって、迎えに行く。再び寝台に入れてやれば、顔を赤らめながらも俺の腕の中ですとんと眠りに落ちていった。
キヨラを抱えたまま、俺も眠っていたようだ。身じろぐキヨラが目覚めようとしている。抱きかかえたまま、その瞼が開いていくのを眺めていると、目が合った瞬間、一気に覚醒したのか顔を赤らめ、狼狽え、その身をよじりだした。誰が逃すか。
往生際の悪いキヨラはしばらくじたばたと足掻いていたものの、俺の腕から抜け出せないと悟ったのか、ぷはっと息を吐き出しながら顔を上げ、視線が絡むとただでさえ赤い顔をさらに赤く染めた。あまりに可愛いその動きと表情に、思わずいつものように鼻先を合わせて口付けた。
「どうした? びっくりした顔して」
あまりにも驚いた顔をしているキヨラに首を傾げる。
「今までもしていただろう?」
どうやらキヨラにとっては、獣型と人型ではその意味が違うらしい。俺にとっては同じ意味だが。
「いいか、どっちも俺だ」
言い聞かせるようにゆっくりとはっきりと言ってやる。うぅぅぅ、と可愛く唸るキヨラにもう一度口づけると、何に怒ったのか、げしげしと俺のスネを蹴り出した。もっと力を入れないと痛くないぞ。
軽いキヨラの体が、蹴り出す反動で寝台からずり落ちそうだ。と思った瞬間、尻からずり落ちていった。
「いひゃっ」
なんだよ、いひゃって。面白すぎるだろう。
寝台の下から「許すまじ」と、恨めし気な声が聞こえてくる。面白いから獣型に姿を変えて待ち構えていると、尻を押さえながらよろっと立ち上がったキヨラが、獣型の俺を目に入れた途端、その顔をくしゃりと歪めて飛び付いてきた。
「クマゴロー、テディが虐める」
どっちも俺だ。鼻先を押しつけてその唇をぺろりと舐めれば、キヨラも嬉しそうに鼻先を押しつけ、俺の口をぺろっと舐める。まったくこいつは……。
俺の胸にぐりぐりとその顔を擦り付けながら、キヨラは小声で「テディの野郎……」と俺の悪態をついている。俺の胸に顔を埋め、幸せそうに笑いながら、俺の悪態を吐くとは何事か。
これ見よがしに特大の溜息を吐き出してやった。