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「それで、ハル姉が面倒見てるの?」



 店の隅で遊ぶ二人を見て、明の従妹、悠は痛ましげな表情をした。


 突然昔のおもちゃが残っていないかと明から電話がかかってきたのは昨夜のこと。ものを捨てられない悠の性格を知っているからかけてきたのだろう。軽く探しただけで大きめの紙袋にいっぱい出てきたのだから、もの持ちがいいというよりは片づけ下手なのかもしれないと自己認識を改めざるを得なかったことには苦笑した。



「学校帰りに呼び出してごめんね、悠」



「いいの、いいの、気にしないで。どうせ暇だったし、ハル姉にはいつもお世話になってるんだから」



 これとかね、と言って悠が取り出したお守り袋に、ふ、と明は息を吐いた。


 がたがたの縫い目で作られた、歪なお守り袋。重要なのはその中身に込めた明の力の残滓であって外側は関係ないとはいえ、もう少しどうにかならなかったのかと自嘲する程度には不格好なものだった。


 だが、そんなこと関係ないと言うように大切に扱われているのを見て、嬉しく思わないはずもない。



「勉強ははかどってる、受験生?」



「うわ。そういうこと聞きますか。はかどってるわけないじゃない、この暑さで」



「千歳さんのところに避難すればいいじゃない。涼しいよ、あそこ」



「お祖母ちゃんのところかあ……お祖父ちゃんが暑さに弱いから、確かに涼しくしてあったけど、賑やかすぎて勉強にはならなかったなあ」



「あら。もう試してはみたのね」



「試しましたとも……」



 カウンターの上にぐたりと体を投げ出す悠に、明は自分が受験生だった時を思い出した。


 祖父の体質を受け継いだのか、明も悠も暑さには弱い。夏バテにならない年はなく、かといって冷房の作る人工的な涼しさにも弱いという、どうしようもない体質なのだ。


 だから、田舎の比較的涼しいところにある祖母の家に避暑という名目で訪れた。だけど、それは受験生の身には大きな間違いだったのだ。


 確かに涼しいことは涼しかったが、やたらと孫を構いたがる祖父と愉快な仲間達に辟易させられて受験勉強どころではなかったなと、疲れた表情の従妹を眺めて思い出す。きっと彼女も自分と同じように祖父やその友人達に構われて勉強どころか休みにもならない状況だったのだろう。



「ハル姉のお店くらいがちょうどいいよ。涼しいって言うにはちょっと気温高めだけど、静かだし、紅茶は美味しいし、ハル姉のお店だし」



「最初の方はともかく、最後のはあんまり関係ないんじゃないかと思うんだけれど」



「一番大切なところなのにー」



 ぶらぶらと足を揺らす。カウンター席の椅子は、悠には少し高すぎるのだ。


 でも、と悠は思う。このカウンター越しに明と会話するのは結構好きだなと。


 悠は自身の従姉である明を無機質な人だと思っている。


 身体的に、というわけではない。というか、身体的に無機質だとしたら、彼女はひと足もふた足も先にサイボーグ化していることになってしまう。


 無機質だと思うのは、彼女の纏う空気のせいだ。


 祖父母がどちらも端整な顔立ちをしているせいか、父方の親族は誰も彼も皆美形なのだが、従姉もその例に洩れずたいそう綺麗な顔をしていると思う。


 綺麗な人間を表す時に人形のようだとたとえることがあるが、悠の従姉はまさにそれだ。


 ここに生きているという生々しさが希薄で、黙って座ってでもいれば等身大の人形のよう。


 そう言うと、従姉は必ず嫌な表情をするから言わないけれど、本当にそう思うのだ。



(特に、ハル姉自身のお店にいる時とか)



 カウンターの向こうで、コーヒーが落ちるのを待つ間椅子に腰かけ本のページをめくる手だとか、視線の動きだとか。そんな些細な一瞬一瞬が絵画や写真になっていてもおかしくないと、悠は本気で思う。


 悠はそんな従姉を眺めているのが好きで、従姉のお店が持つ雰囲気も好き。



「……なのに、どうしてここにいるんですか、杉田さん」


「ハルちゃんが寂しいって言うから、来ちゃった」


「そんなどうでもいいことで嘘つかないでよ、亜紀」


「ええー。そんなつれないこと言わないでよお」



 ……本当、なんでこの人がここにいるんだろう。悠は半目で隣を見やった。


 杉田亜紀。


 ぺっとりと子泣き爺のように明の背中に張り付いて、彼女の背中に頬を擦り付けている変態。もとい、明の友人。


 明とは大学時代に知り合ったらしく、最初に会った時は悠もずいぶん美人な友達だなあと思ったのだが、なんと杉田亜紀という人は彼女ではなく彼だったのだ。


 今は、どういう心境の変化か知らないけれど、白いシャツに黒のパンツというシンプルな格好をしているせいでやたらと綺麗な男の人にしかみえないけれど、普段はそこらの女性顔負けのバッチリメイクで決めたどこからどう見てもモデルみたいな美女なのだ。



「今日、お祖母ちゃんの結婚記念日でしょ。今年はここでやるんだって言われたから、ソッチ向けの料理をいっぱい作らなきゃいけなくて……亜紀はその手伝い」



 流石にひとりじゃキツいからね。


 そう言って野菜を切り続ける明。


 明は、自分の弟である智樹や年下の従妹である悠たちといる時、祖父母のことをお祖父ちゃん、お祖母ちゃんと呼ぶ。自分より年上の相手しかいない時に祖母のことを名前で呼んでいるのは、そうするように祖母直々に命令されたからだとか。


 多分、子どものいる夫婦が互いのことを「お父さん」やら「お母さん」などと呼ぶのと同じような理由だろうが、悠は明が「お祖母ちゃん」と言うのが好きだ。言葉の響きが、どことなく可愛らしく思えるのだ。


 彼女の言うソッチ、とは、祖父の知り合いのことだろう。祖父自身、ただの老人と見せかけて実は蛇の妖怪であるから、彼の知り合いと言えば当然そちらも人外である。


 人外向けの料理……想像したくない、と思ってしまうのは、仕方のないことだろう。材料は何だろうと好奇心が疼かないでもないけれど、藪をつついて蛇を出したくはない。


 げ、と思ったのが表情に出てしまっていたらしい。くすりと明が小さく笑った。



「ジビエとか精進料理とか、ちょっと珍しい料理ってだけの違いしかないから、大丈夫だよ」


「本当? 目玉の煮込みとか、人骨クッキーとか」


「そういう発想が出てくる悠ちゃんの方が怖いわあ」


「杉田さん。私とハル姉との会話に入ってこないでください」


「あらひどい、傷ついちゃった。ハルちゃん慰めてー」


「亜紀、重い」



 むう、と悠は唇を尖らせた。


 大好きな姉を横から取られた不愉快さ。自分が明のあれこれに口出しする権利はないのだとわかっているが、はっきり言って非常に面白くない。



(これは、ルイちゃんも召喚してふたりでお邪魔虫になるしかないかも)



 もうひとり。自分とは直接の地の繋がりはないけれど、明の父方の従妹であり同い年の涙とは、ハル姉大好き同盟を結んでいる仲である。メールすればすぐに駆けつけてくれるに違いない。


 すわ、と携帯電話を取り出しメール作成画面を開いたところで、ドアベルの軽やかな音色が響いた。


 だが、誰か来たのかと視線をそちらに転じても、誰もいない。


 首を傾げる悠をよそに、明は当たり前のように新しく珈琲を淹れて、悠の隣、誰も(・・)いない(・・・)はず(・・)の席に置いた。



「早かったんですね」


「うむ。何やら気が急いてな」


「うひゃあっ!?」



 瞬きの間に。


 無人だったはずの席に白髪の老爺が座っていて、悠はびくりと体を跳ねさせた。



「お、お、お、お祖父ちゃん!?」


「おう。三日ぶりじゃな、悠」



 いったいいつの間に。ぱくぱくと口を開閉する悠を見て、祖父はくつくつと喉を鳴らした。


 呆れた表情でそれを見やるのは明だ。またやってる。そう如実に語る瞳は、自分の数倍、数百倍は生きている祖父をまるで悪戯小僧のように見ている。



「千歳さんは一緒じゃないんですか」


「アレは朝から久しぶりに娘と一緒に買い物じゃと言って出ておるよ。万葉(かずは)百里(ゆり)の二人と後から来るはずじゃ」


「そういえば、そんなことをお母さんが言ってましたね」



 万葉は明の母、百里はこの場にいない、従兄の彰の母のことだ。どちらも祖母である千歳の実の娘である。


 祖父母の間には後ひとり。悠の父である十夜(とおや)という息子がいるのだが、そちらは仕事が終わり次第来ることになっている。


 悠は歳を重ねて皺を刻んでもなお端整な男ぶりがわかる横顔を見た。すると、すぐにその視線に気づいた祖父が流し目をくれる。



「どうした、悠」


「いやあ……」



 祖父、明、ついでに亜紀と。


 順繰りに視線を巡らせて、ため息。悠が噛みしめるのは歴然とした顔面格差だ。



「全員種類は違うけど、美形だよなあって思って」



 身内の贔屓目を差し引いても、悠の血縁者には整った顔立ちをしている者が多いと思う。目の前にいる二人はもちろん、この場にいない従兄ふたりも、叔母たちに自分の父でさえ。


 生憎悠は母親似だ。その母親は、もちろん娘の悠にとっては親しみもあるし愛嬌のある顔立ちをしていると思うのだが、身内の贔屓目込みでも美人であるとは言えない。同じような顔立ちをしている悠が思うのだ。あながち間違ってもいないだろう。


 明も祖父も、二人以外の身内も、容姿の善し悪しで態度を変える人達ではないし、そういう意味で贔屓されているだとか差別されていると感じたことはない。それでもふと思うのだ。美形一族だよなあ、と。自分と母以外は。



「なになに。ひょっとして悠ちゃん、誰かに恋でもしちゃってるのお?」


「な、なんでそんな話になるんですかっ?」


「だあって、思春期の女の子が、見た目を気にするっていったら、ねえ?」



 意味深に亜紀が笑う。隣にいる祖父は疑った様子もなく、ほうそうなのかと頷いているので、悠は憤然と抗議した。



「そういうの、偏見っていうんですよ! 差別です、男女差別!」


「否定されると、ますます疑っちゃうなあ」


「っく」



 にやにや。亜紀は意地悪く瞳を細めている。


 悠がぐっと唇を引き結んで睨み上げていると、「亜紀」と明が呆れた声で亜紀を窘めた。



「そういう、可愛がってる相手ほど苛めようとするの、やめたら? 嫌われてからじゃ遅いんだよ」


「あらん! ハルちゃんったら、妬きもち!? 妬きもちなのお!?」


「ああー! ちょ、なに明姉にくっついてんですか! 離れてください、セクハラですよ!」



 きゃーっ、と甲高い声を上げて、亜紀が再び明に抱きついた。


 その亜紀を引きはがそうと、悠は立ち上がってカウンターの向こうに腕を伸ばした。


 なんとか掴めたのは亜紀の服の裾だけで、当然、それくらいでは彼を明から引きはがすことなどできはしない。


 悔しげに顔を歪める悠に、祖父が愉快そうにカップを揺らした。



「明は本当に子どもが好きじゃな」


「いけませんか」


「いや。ただ面白いものだと思うてな」



 子ども。亜紀と悠は顔を見合わせた。


 これはもしや、自分達の行動を揶揄されているのか。それとも、純粋な意味か。


 わからなくて眉を下げる二人を置いて、明と祖父は淡々と言葉を続ける。



「幼きことが、何かの免罪符になることはないはずじゃがの」


「以前も言いましたけど、私はそこまで冷徹にはなれませんから」


「冷徹、のう。単に臆病なだけにも見えるが」


「否定はしません。お祖父さんのように生きるには、随分な無謀さが必要でしょうから」



 ……これで、喧嘩ではないのだから困る。亜紀と悠は再び目配せし合った。


 祖父の方は完全に面白がる姿勢で。明の方はどこまでも生真面目に。言葉を交わせば交わすほど、いっそお互いに嫌い合っているのではないかと思えるほど辛辣なやり取りになっていく。


 二人のやり取りを収めたのは店内の隅から響いた硬質な音だった。


 ぱっと四人全員がその音の方角を見る。そこでは明が持ってきた積木の玩具が、ばらばらと崩れて散らばっていた。


 真っ先に動いたのは明だった。カウンターを抜け、足早に積木の方角へ向かう。



「怪我は」


「あ……」


「ないみたいですね」



 茫然と自分を見上げる、幼い少女の瞳。目線を合わせるために膝を曲げた明から、年嵩の方の少女が俯いて顔をそらした。



「本当に、甘いことだ」



 ゆるりと、祖父の口角が上がった。

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