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 むわりと押し寄せた臭気に、明は眉をひそめた。


 最上の指示で彼の部下が壊した壁は、ずいぶん分厚く造られていたようだった。奥にあった空間は畳一畳分ほどもない。


 独特の饐えた臭い。散らばる黄ばんだ白骨。その隅に、ぽつりとひとつ、蹲る影がある。


 がりがり、がりがりと壁を爪でかく微かな音。一歩、足を踏み出すと床板が軋み、勢い良く影が振り返った。


 ソレは、子どもの形をしていた。少なくとも、明にはそう見えた。


 本来顔があるべき場所には、ぽっかりと虚ろな闇が口を開いている。粗末な布で作られた袖も裾も短い着物は黒ずんでぼろぼろで、元の色が何であったのかもわからない。


 ハルちゃん。背後で亜紀が明を呼ぶ。彼にも見えているのだ。


「明君」


「下がっていてください」


 むしろ、下がっていてもらわなければ困る。


 影は怯えるように揺れている。明は後一歩分だけ距離を詰め、膝をついた。


『あ……う……』


「……言葉も、忘れたみたいね」


 無明の暗闇に押し込められて、ひとりきり。どれだけの時を過ごしていたのか。


 堪えず輪郭が曖昧になり、時に女児のように、時に性別がわからないほど小さく幼くなる影は、いくつもの霊の集合体のように見えた。


 ただ、それを影自身が知らない。死霊の数だけを考えれば、あちこちに散らばる人骨を見れば十指では足りないほどいるのは確かだが、それがたったひとつに融けあってしまったことで、数多の死霊がいるというのに彼らは皆孤独だった。


 ゆらりと明の気配が揺れる。背後で亜紀が小さく息を呑んだのがわかった。


「おいで」


 明は、純粋なヒトではない。


 本性が蛇の妖である母方の祖父の血を濃く受け継いだせいで、人間とも妖とも言えない存在。それが明だ。敢えて定義するならば半妖とでも呼ぶのだろうか。


 瞳孔がきゅうと縦に細まり、ざわりと背筋が粟立つ。


 この、普段は強いて抑えている妖の本性を解き放つ時の感覚を、明はあまり好んでいない。


 腹の底からわき上がる高揚感に似た感覚から意識を逸らして、明は怯えて縮こまる影に手を差し伸べた。


「おいで。そのまま消えたくないのなら」


 アヤカシになってでも、生きたいのなら。






 神野明にとって、術士や巫女、その他霊能力者とされる人間はよほどのことがない限り嫌悪の対象であった。


 それは、彼女の体に流れる妖の血がそうさせるのかもしれない。あるいは、限りなく妖に近い存在としての彼女を調伏せんと襲撃して来る者達のせいであったのかもしれない。もしくはその両方か。だがそれも、きっかけなどとうに忘れた今となってはどうでも良いこと。


 最上景司を「苦手」とするのも、そもそもはそのせいだった。


 彼の祖父は力ある術士である。生憎孫である最上にはその才はほとんど受け継がれなかったようだが、それでも彼がその身に宿す破魔の力に、明の持つ妖の部分がざわりと騒ぐ。努力すれば無視できるかもしれないが、その努力をしようと思うには明にとって最上の性格は受け付け難かった。最上も最上で本能的に明の異質さを感じているのだろう。生理的な嫌悪を感じるのはお互い様、というわけだ。


 同じような理由で、明は目の前で困ったように微笑む中年男性も大嫌いだった。出来ることなら同じ空間にいるどころか、視界に入れることすらしたくない。


 男の名を、明は知らない。術士にとっても人外のモノにとっても、名とは魂の端を掴まれることに等しい。明が知っているのは、男が国内でも有数の巫を生業とする一族の当主であるということだけだ。


 巫とは、神の寄り代となり神を降ろし、またその声を聞く者達のことである。また、古来から荒ぶる神を鎮め荒魂となったその身を和魂へと変じる神事を司る者のことをも指す。


 特に目の前の男が従える一族は、高い霊力、巫力を持つものは土着神や国津神は愚か時に天津神すらその身に降ろすことができる、人間でありながら同時に最も神に近づくことのできる一族だ。


 明の祖父伯達は時に土着の神として祀られたこともあるが、その性情は限りなく妖に近い。


 そも、神と妖の明確な区別などあってないようなもので、大和政権の時代に国家が認めた神々の眷族ではない、というだけの差異しかない。戦前は国教と定められた国家神道で言う国生み神生みの神々とは無縁の存在だ。


 だがそれも、国を生んだ神に言わせれば所詮は自分の創造物、とみなされる。


 当然無駄に気位も矜持も高い祖父が今では高天原とやらから下りてくることも滅多にない神々にそんなことを言われて黙っているわけもなく、両者の折り合いはすこぶる悪い。祖父が今はどうあれ、始まりはほとんど無理矢理に妻にした祖母、萩野千歳が殊更神々に愛された人間だったことも、彼らの怒りを買った。おかげで今や祖父と神々は絶縁状態だ。


 男の家がその神々の側の人間だということもあり、孫娘である明も本来ならこの場所を訪れることなどあり得ないのだが、その有り得ないことをしてほしいと懇願してきたのはこの目の前にいる男だ。


 一度冥府に下って、二度と戻って来なければいいのに。そんなことを考えうんざりした表情を隠さない明に、男は眉を下げる。


「相変わらず具合が悪そうで大変結構なことですね。このまま縁側にいて風邪でも引いて寝込めば願ったり叶ったりなんですが」


「そう意地悪を言わないでくれないか。強引に呼び立てたことは悪かったと思ってる」


「謝罪は結構。口先だけのことなら誰でも言えます」


 高い霊力と引き換えに丈夫な体というものを手放した男。明は彼を見るだけで苛々と気分がささくれだつのを自覚する。


 腕を組んで自制していないと、うっかり妖気をそこら中に撒き散らしそうだ、と思うくらいには現状に苛立っていたし、この男のことが嫌いなのだ。


「用件はなんです」


「簡潔な問いだね。少しくらいオレとの会話を楽しもうとは思えない?」


「戯言を。貴方が口を開くだけで、いえむしろ貴方を視界に入れるだけで不愉快なのを我慢しているんです。さっさと人を呼び付けた理由を言いなさい」


「……やれやれ」


 とりつく島もない明の返答に、男はため息を吐いた。


 この女性は昔からこうだった。たいして面識があるわけでもないのに、一方的に嫌われている。理由は初対面の時に言われた。男が巫の一族に属する人間だから、なのだそうだ。


 自分の地位だけを見て寄って来る者。嫌う者。彼女は数多くいるその者達の後者であり、けれどそうされても仕方ないと思ってしまう理由を持っている。


 昔、まだ男が当主の座につく前のこと。血気盛んな若手の術士の一団が、先祖返りの少女を襲う事件があった。


 術士の数は十を超えた。対して、少女はひとり。少女の祖父である蛇の妖の実力を知るが故、己の力を過信する者達も慎重になり、それほどの多勢で襲撃をしたのだろうと、これは後に推測されたことだ。各々の術士達の師のもとに届いた手紙には、ヒトの成り損ないを見逃す師や同業者への侮蔑と挑発の言葉が書き連ねてあったという。


 自分達は違う。妖の報復を恐れたかが子どもひとり始末できないお前達とは。指をくわえて見ているがいい、我らがあの化け物を退治する様を!


 後日帰って来た彼らは、人の形を留めていなかった。


 五体満足で戻った者はおらず、ただひとり、見せしめとして心を壊された者だけが生存者だった。


 激震が走ったのは、術士達だけでなく男の一族を始めとする巫達も同じだった。当時、襲われた少女は僅か十歳。独自に彼女を監視していた術士の一族ですら、人間としては異常だが妖ならばさしたる力などないと判じていた子ども。それが極限まで力を抑え込み封じていただけであったなど、誰が想像できただろう。


 それから、殺された仲間の復讐、報復、危険因子の排除と様々な名目の下少女に刺客が送られた。そして、ことごとく少女か彼女とともにいた従兄、その祖父などに返り討ちにあった。


 最初の襲撃者の内、心を壊されて帰ってきたただひとりの生存者は男の一族の人間だった。そして、その者に降ろされたのであろう神がひとり、冥府に下った。


 〈神喰み〉。少女には密かな忌み名がついた。


 最初に非道を行ったのは術士達だと、男は思う。たった十歳の少女が、大勢の人間に襲われて。如何に尋常でない力を有していたとしても、それはどれほどの恐怖だったのか。


 手加減できなかったのだろう。力を抑え込んでいたということは、使い慣れていないということだ。生命の危機において、まさに自分のそれを脅かそうとしている相手への配慮を求めるのはあまりに酷な話だ。


 その後の襲撃者達に最初ほど無残に殺された者がいないのは、力を抑え込むのをやめ、それを扱うことに馴れたからか。


 今や少女ではなくなった彼女、神野明は、術士たちを憎んではいない。疎んじ、嫌悪しているだけ。憎しみを向ける価値などない人種だと、蔑んでいる。常なら、いくら強引に呼んでも来るわけがない。


 それでも彼女がここにいるのは、最初の襲撃者達の宗家の中で唯一、男の一族だけは彼女に正式な謝罪をしていたからだろう。動いたのはものの数にもならぬ末端の巫だが、それでも一族の者に変わりはない。その卑劣な行為は、誇り高き巫の一族として許し難いと。彼女に人間を殺させてしまった、と。


 だから、彼女はこれ以上ないほど苛立ちながら、この場に立っている。頑なに屋敷に入ろうとせず、庭と縁側という距離であっても。男には、それで十分すぎるはずだった。けれどほんの少し、寂しい。


 感傷を振り払うように一度首を振って、男は表情を引き締める。


「我が家と懇意の神から聞いたんだけどね。君が、季風の社に巣食っていたモノを引き取って、祖父様の眷族に迎えてくれたって」


「耳が遅いですね。半月も前のことを、今聞くんですか」


「……半月、か」


 神と人。


 その違いは多々あれど、その最たるものが時間感覚であろうか。


 男がその話を聞いたのは三日前のこと。


 出雲へ向かう最後の神が、そういえばと世間話のついでに言い残していったこと。


『いつの間にか巣食っていたらしいが、アレは少々厄介な類。どんなモノか、知っておくだけでもすべきだろう』


 詳しくはあの娘にでも聞くがいい。神らしい尊大で気だるげな態度で去って行くのを引きとめる暇もなく。


 折しも時は神無月。神の力を借りることで力を振るう巫が、1年の内最も弱体化する季節。


 明に連絡をつけたのが二日前。そして今日、直接話が聞きたいからと彼女を呼びよせたのだ。


 明は見定めるように男を見つめる。


 瞳に感情はなく、どこまでも機械的だ。モノのように見られている。普通ならば不快に思って当然の彼女の態度だが、それでこそ、と男は思う。それでこそ神野明だ、と。


「ただの集合霊です。怨霊にもなれない、脆弱な」


「それが、オレに出せる情報の最大限?」


「………」


「わかった」


 不十分ではある。


 だが、彼女はそもそも男とは立場を異にする者。一方的な呼び出しに応じてもらえただけでも、過ぎるほどの譲歩なのだ。


 視線を外すことで、明は会話の終わりを示した。


 緊迫した空気が霧散し、秋の陽射しが戻ってくる。


 いつの間にか傾いていた太陽に男が瞳を細めるのと、明が身をひるがえしたのはほぼ同時だった。


「ありがとう」


 背中にかけた感謝の声に、彼女が振り返ることはなかった。






 妖には妖の道がある。


 常世道、あるいは常夜道と呼ばれる宵闇の空間。その入り口の前で、明は瞳を閉じ意識を集中していた。


 思い描くのは帰るべき場所。祖父の結界で守られた古式ゆかしい日本家屋。


 半月前。子どもの姿をした妖を連れて実家に戻った時のことを思い出す。


『また妙なモンを連れて来たのう』


 久しぶりに実家の門をくぐると、待ちかまえていたように玄関先に佇んでいた祖父がまずそう声をかけてきた。


 柿渋で染めた着流しを纏う背は曲がる気配もなく、皺の刻まれた顔立ちは若かりし頃の美男ぶりを偲ばせるもの。


 孫であるはずなのに、顔立ちは恐ろしいほど明の弟の智樹に似通っていた。


『脅さないでください』


 怯えて明の服を握る子どもの姿をした妖、祖父曰く「妙なモン」を庇うようにする孫娘に、祖父は愉快そうに瞳を煌めかせた。


『そう怯えずとも、なにもせぬよ』


『そうは見えないから怯えてるんでしょう』


 ただでさえ、悪役顔なんですから。


 弟そっくりの相手に言う言葉ではないが、美青年ならぬ美老人の祖父の容貌は、間違っても他者に親しみを抱かせるようなものではない。


 白髪だけならば年齢相応と見てとれるが、それが地面につきそうなほど長いとなれば異様である。加えて、光の加減で赤味がかって見える瞳は正直二次元に住んでいて欲しい人種だと明は思う。これで、正体は家一軒ほどもある白蛇だというのだから、我が事ながら眩暈を通り越して頭痛を感じる複雑な家庭事情である。


『眷族にしたのか』


『まあ、成り行きで』


『人の良いことじゃ』


 くつくつ。喉で笑う祖父に、明は隠しもせず嫌そうな表情をした。


『何だかんだ言いつつ結局手を出してしまうところは、儂にも千歳にも似なかったの』


『褒め言葉ですね、それは』


『そういうつれないところは千歳似じゃな』


 つれないどころか。明は胡乱な瞳で祖父を見た。祖母である千歳は、時々本気で祖父のことを疎ましく思っているのではないかと思えるくらい彼に対して辛辣であるというのに。


 それでも、祖母のことを離す祖父の表情は柔らかい。祖母も、あれで自分のやりたいようにやる人だ。夫婦として共に暮らしてもう何十年にもなるのだから、口で言うほど祖父のことを邪険にしているわけであもないのだろう。恐らく、ではあるが。


 よくわからない祖父母の関係と、総じて呑気な親世代に、明を始めとした孫世代。一族と呼ぶには少人数で、一家と呼ぶには大所帯な彼らが、明にとっての「家族」である。


 今頃きっと、巫の一族の呼び出しに応じることに最後まで反対していた祖父は、自室で年甲斐もなく拗ねていることだろう。祖母はそんな夫に呆れているか、気にせず台所に立っているか。母は祖母の手伝い、父は帰宅中。弟は……想像がつかないが、一応まだ学生の身分。勉強していることにしよう。従兄は趣味の手芸に勤しみ、従妹たちはどちらも真面目な子だから今日の復習と明日の予習に取り組んでいるに違いない。


 瞼の裏に浮かぶ愛しくかけがえのない日常に、知らず明の頬が緩む。


 この日常を。明は思う。このありふれた、平穏な日常を守るためなら、自分はどんなことでもするだろう。毛嫌いする人種があふれる場所にも来よう。余計なものとしか思えないこの力も揮おう。


『その力を使うたびに、お前は我らに近くなる。――そうしていずれ、お前の祖父すら凌ぐモノとなるだろう』


 かつて、祖父と同じで違うモノに言われた言葉。


(ああ、まったく……ままならない)


 最後に深いため息を吐いて。


 瞬きの後、その場には誰の姿も残っていなかった。






 縁側で柱に寄り掛かり眠る従妹の姿を見つけ、彰はため息を吐いた。


「帰ってきたなら帰ってきたと言え、明」


 彼女の足元に群がるぬいぐるみのような妖たちが、その声に反応してきゅーきゅーと啼く。


 起こすな、とでも言うのだろう。ころころと丸い彼らは力も名前もない弱い妖で本来なら生まれた直後に消滅していてもおかしくない存在なのだが、従妹の余剰分の妖気を与えられて生き延びているせいでやたらと彼女贔屓だ。常日頃から彼女に恩返ししようとその機会を虎視眈々と狙っている、健気なのか強かなのかわからないものたちである。


 すっかり秋の風になった月夜はじわりじわりと体の熱を奪っていく。このまま放っておいては風邪を引いてしまうのではないか。


 彰の懸念が伝わったのだろう。妖たちは一度互いの顔を合わせて頷くと、中空からぽこぽこと仲間を呼び寄せた。そして、わらわらと明の足から膝、腰のあたりまで群がる。一番大きい妖は両肩に掴まるようにしてへばりついた。毛布代わり、ということなのだろう。


 相変わらずどこかズレた妖の気遣いに苦笑して、明を見下ろす。


 身内の欲目を差し引いても中身はともかく外見だけならば麗しい彼の従妹は、こうして眠ってでもいなければたいそう面倒くさい人間だ。基本的に彼女はものぐさで淡泊な事なかれ主義者なのだが、肉親や友人など、いわゆる自分のテリトリーに入ることを許容した人間には甘い。彼ら二人よりさらに年下の二人の従妹たちと自身の弟が一番優先順位が高いらしく、彼らも明を慕っている。


 半月ほど前にあった件は、腐れ縁の尾上によって巻き込まれたとはいえ明もいろいろ尽力せざるを得ず、この前やっと事後処理を終えたばかり。加えて、今度はどこから騒ぎを聞きつけてきたのか、事情を聞きたいとある巫の一族に呼び出され。


(馴れないことをするから疲れるんだ)


 落ちた前髪をかき分けてやれば、いつもより疲労の色が濃い表情が露わになる。


 祖母を中心とするこの一家の中で、有事に対処するのは、これまでずっと彰の役目だった。


 純粋に力のみを問題とするならば祖父こそが適役だったのだが、生憎彼は人間でないがゆえに人間の常識というものが著しく欠如している。親たちの世代はどういうわけだか祖父の力をほとんど受け継いでおらず、十分な力を有していた人間の中で彰が最も年長だった。


 今回の件も、本来なら彰が解決すべき事柄だったのだが、ノウハウのない明が事後処理までしていたのは、手を出したなら最後まで、という祖母のひと言のせいだ。そのきっかけはどうあれ。


「彰兄、夜這い?」


「馬鹿。通りかかっただけだ」


 廊下の向こうからひょこりと顔をだした明の弟、智樹が叩く軽口に眉を寄せると、「冗談だって」とからからと笑われる。


「無防備な寝顔しちゃって。ほんっと、俺の姉ちゃんって可愛いよなあ」


「それは同意を求めてるのか、智樹」


「んー、どっちも? 彰兄の同意があってもなくても、俺が姉ちゃんを世界で一番可愛くて綺麗でイイ女って思ってるのは変わんないし」


「…………」


 形容が増えている。


「……相変わらずシスコンだな、お前は」


「そりゃ、これが俺のアイデンティティってやつだから」


 からりと笑う、外見だけは爽やかな好青年はほたほたと近づいてくると姉の顔を覗き込むようにしゃがみ込む。


 人好きのする笑みを絶やさない智樹と、どこか人を寄せ付けない雰囲気を持つ明と。造作は姉弟だけあって似通っているというのに、浮かべる表情が違うだけでずいぶんと相手に与える印象が異なる二人だが、そうして並んでいる姿は流石姉弟と言うべきか。


 間近で姉の顔を愛しそうに眺める智樹を見ていると、彰はたまに不安になる。


 シスコン、と先ほどは冗談のように口にしたが、智樹にとって姉への愛情は自己を確立するために不可欠のものであり、それを否定することはそのまま彼自身を否定することになる。


 彰から見て、智樹はあと一歩のところでかろうじて踏みとどまっているだけだ。この家の誰よりも妖に近い力を持っているのは明だが、性情が近いのは智樹だと彰は思っている。妖に血縁などあってないようなもの。なにかきっかけでもあれば、智樹は簡単に人であることをやめてしまうに違いない。


 明を最初に襲ってきた術士達を殺したのは、――明も、祖父も、誰も言わないが、きっと智樹だ。


 感情のままに嬲り、引き裂いて、原形すら残さない。いくら制御を失っても、明にそこまでの残虐性はない。逆を言えば、智樹にはある。


 弟の手綱を握っている自覚のない姉と、子供たちに全幅の信頼を置きすぎるその両親と。胃を痛めるのはいつだって自分だ。


 慈しみに溢れた瞳で姉に毛布をかけ、その頬にかかった髪をよける弟を見て、背筋に冷たいものが走るなど、できれば一生経験したくはなかった。


(ずいぶんと優しい……ああ、下心があるから、か)


 嫌なことに気づけるようになってしまった、と。


 にこにこと微笑みを崩さず姉の寝顔を眺め続ける智樹に、彰はいろいろなものがこめられたため息を吐いたのだった。


ひとまずここでひと区切り。次回からはまた別のエピソードになります。

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