行間より、アイを込めて。
初めまして。わたくし、俗に「地の文」と呼ばれるものでございます。
我々「地の文」一族の歴史は長く、その起源は世に小説の誕生した時まで遡ることができます。
しかしどうしたことか、我々は今日に至るまで皆様方にはたいして意識されておらぬように感じます。いえ、皆様方にもっと意識していただきたい、というのではございません。それとはまた違う問題なのです。
やはり我々地の文は、同じ時期にこの世に生を受けた一族であっても「主人公」一族や「姫君」一家には華やかさでは敵いません。まあ、あれです。影が薄いのです。ですが、それは仕方のないことでございます。登場人物の方々より目立ちたがる地の文、というのは一族の間でも変人扱いされてしまいます。
そもそも地の文たるもの、書く人々の右腕として物語を仕切り、世に出でて後は読む人々に寄り添い水先案内をするのがお役目なのですから、そのためにはむしろ影が薄くなくてはなりません。
ではなぜ、わたくしが信念を枉げてまで表舞台に出て参ったのかと申しますと。どうにも、今回わたくしをお雇いになった方は地の文使いが荒くてかなわないのです。
元来、我々一族は働き者として知られております。地の文というのはなにも全てが客観的な視点に立つというわけではありません。例えば主人公殿の語りによって進む物語もございます。そういった場合、我々は一旦お役御免となりお休みを頂くことができます。しかし、中には魔王退治に忙しい主人公殿や姫君方との駆け引きに一生懸命な主人公殿もいらっしゃいます。多忙とはいえ進行を疎かにすると最悪物語が結末に辿り着かなくなってしまいます。そういった時は引き続き我々の出番でございます。我々は文句ひとつ言わずに多忙な主人公方の物語を代筆し、物語を魔王退治あるいは恋愛成就などの結末に導くのです。
最近ではミステリーの分野に”叙述トリック”というものがございます。この場合我々は謎解きの段階で単なる地の文から第○の人物に、といったように登場人物に変わり身を遂げることさえあるのです。
振り返れば思い出します。子どもたちの輝くひとみ、読者諸氏の驚いた顔。思い出したら頬が緩んでしまいます。嗚呼、輝かしき過去よ…。
はぁ。そしてどうでしょう、この、わたくし以外に登場人物のひとりもいないこの物語は!
そうです。わたくしの雇い主です。あの方のひと使い地の文使いの荒さには目を見張るものがある、というのは先ほど申し上げた通りでございます。その結果、今回登場予定だった主人公殿、姫君方、その他大勢の登場人物の皆様は敵味方を超越して一致団結、ストライキに入ってしまわれました。
それならば物語を白紙に戻せばよいものを、あの方は登場人物組合未加入のため片隅に残ったわたくしに目をつけ、お前が単独で物語を紡げとこうおっしゃるのです。
地の文として生まれ、これまで幾つかの物語を仕切ってまいりましたが登場人物のいない物語は初めてでございます。早急に先輩方のご指導を仰がなければなりません。
かつてパンドラの箱が開き多くの災いが飛び出した時、最後に残ったのは希望であったといいます。また、残り物には福があるともいいます。しかし、わたくしからすればとんでもない貧乏籤を引いてしまったものです。
おや、雇い主が呼んでおります。…労使交渉でしょうか。そろそろ行かなければなりません。
また、どこかでお会いするのを楽しみにしております。
行間より、アイを込めて。