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歌姫と伯爵

作者: 桜 朱理

Twitterで流したツイノベを手直ししたものです。


これはとある世界の、とある国の有名な若い伯爵夫妻の話。


 妻は結婚する前、その純白の髪と藍色の瞳の美貌と天性の歌声で、『月下の歌姫』と呼ばれ、彼女の歌声は病すらも直すと言われるほどの評判の歌い手だった。


 夫は国王の信頼が厚い、若手の中でも出世頭と言われる近衛の騎士で、その剣術の腕前はこの世界一と讃えられるほどで、世界中の武術大会を総なめにした剣豪だった。


 そんな二人はある日、国王主催で開かれる夜会に、妻である少女が歌声を披露するために城下から招待されたことがきっかけで出会い、熱烈な恋をした。

それは、世界中の乙女たちが憧れる恋物語として世界中に語られるほど大恋愛だった。

 

 10歳の年の差も、貴族と歌劇場の歌姫という身分差も、周囲の反対も何もかもをぶち壊して、二人は結婚した。


 今、世間では、この若く美しい伯爵夫妻の結婚物語を題材にした恋物語が大流行し、うら若き乙女から熟年の夫人の心までも掴んで、人気を呼んでいる。


 これはそんな人気者の伯爵夫妻の、巷では語られることのないある日の、ある夜の真実の物語。




 ☆




 針を落としても聞こえそうな静かで痛いほどの沈黙が夫婦の居間に落ちた。


 夫である伯爵は緊張のあまりにまるで体が石になったように、身動き一つとることが出来なかった。

 どんな敵を前にしてもこんな緊張を覚えたことはないと伯爵は思った。


 最後の審判を待つ罪人のような気持ちで、伯爵は妻の美しい横顔を見つめた。


 彼を弱くするのも、強くするのも、いつだってこの10歳年下の、いまだに少女の面影を残す美し過ぎる妻だけだった。


「…………もう終わりにしましょう」


 紅を引かずとも赤い美しい唇から零れた言葉に伯爵は絶望に瞳を見開いた。

 まるで「今日の天気は雨ね……」と言うのと同じ口調で、妻は伯爵を絶望の淵に叩き落とした。

 月下に彼女の白い髪が輝き、まるでプラチナのように輝いて見えたのが、美しくてこんな時なのに、伯爵は見惚れずにはいられない。

 夜の闇に沈む庭の花々を見つめながら、妻はこちらを見ようともしない。


「………何故?」


 まだ、諦めたくない気持ちが、伯爵にその言葉を言わせた。


 絶望に詰まったようになった咽喉から無理やり出した声は酷く掠れて、伯爵らしくないひどく自信がなさそうで、小さなものだった。


 その声にも、彼女は振り向かない。


 やはり、ダメなのか……。


「……それはあなたが一番よく知っていると思っていましたけれど……」


 冷静な彼女の言葉に、黒い絶望が伯爵の胸の中を、ゆっくりと埋め尽くしていく。


 相変わらず、妻であるはずの少女はこちらを見向きもせずに、ただ静かに庭の花を眺めている。

 その姿に彼女の絶対的な拒絶を彼は感じ取る。


 もう無理なのか……。

 まだあきらめたくない……!

 なのに……!!


 告げられた終わりに伯爵は、身体から急激に体温が奪われていく気がした。

 立ち尽くして固まる彼に、ようやく彼女が振り返る。

 伯爵が愛してやまない藍色の眼差しが、氷の様な冷たさを宿して伯爵を見つめてくる。

 その眼差しに、彼の心は射抜かれた。

 束の間の沈黙の後、彼女がゆっくりと窓辺の椅子から立ち上がって伯爵の傍にやって来た。


「……いい加減、もう我慢の限界です……」


 彼女の紅を塗らずとも美しいピンク色の唇が動く。

 その美しい美貌の眉間に、深く、深く、皺が刻まれた。


 そして、次の瞬間。冷たい色を宿していた瞳に炎が宿った。

 その瞳の色に彼は彼女の我慢が限界を迎えていたことにようやく気付く。


「毎晩……。毎晩……!!!あなたの庭の花すらも枯らすような壊滅的な歌声を聞かされるこちらの身にもなってください!!!こちらの音感がおかしくなりそうです!!!もう、耐えられません!!!」


 窓を指さしながらぜーぜーと肩で息をしながら、妻が怒鳴り声を上げる。

 世界で最も美しいと称えられるほどの歌姫だった彼女の怒声が、静かだった屋敷中に轟いた。


「もう無理です!絶対に無理です!!あなたに歌は無理です!!!諦めてください!せっかく春に植えた庭の花を枯らすなんて御免です!!毎晩、あなたの歌声で失神する使用人も可哀想です!!これ以上、あなたの歌の練習に付き合わせる気なら離縁して下さい!!」


 普段は物静かで滅多に怒鳴ることなく、怒れば怒るほどに冷静になり、喧嘩のたびに冷たく伯爵をあしらうことの多い彼女の怒鳴り声に、彼は彼女の怒りの深さを思い知る。


 それと同時に伯爵はやっぱり自分に歌が歌えないのかと絶望する。


 子どもの頃から貴族のたしなみの一つとして、伯爵も楽器や、歌を習わされた。

 しかし、昔から貴族らしい優雅さを欠片も持っていなかった伯爵は、そう言った教養が大の苦手だった。

 その中でも特に歌が苦手で、何故か昔から伯爵が歌うと聞いていたものは皆、失神していった。


「彼の歌声に、花畑を見た……」

「……あの歌声はドラゴンすらも眠らせる」


 少年だった伯爵の歌声を一度でも聞いたことのある人々はそう言った。


 これは決して褒め言葉ではなかった。

 こう言った人々の顔は、ひどい悪夢に苦しめられているように真っ青になり、体は震えていた。

 もう2度と関わりたくないとその顔には書いていた。


 少年だった伯爵も、その評価と自分の歌声に人々が次々に泡を吹いて倒れる様が怖くなり、人前で歌を歌うことをやめた。


 長じてからは剣術に打ち込み、武者修行の名目で世界中の武術大会を渡り歩くようになり、ますます歌を披露する機会がなくなり、自分の歌声が壊滅的なものであることを忘れて行った。


 しかし……。


 この稀代の歌姫である妻と出会い、伯爵の中に欲が生まれた。


 彼女に指導してもらえば、自分の歌も少しはましになるのではないかと……。


 そうすれば、彼女と一緒に歌うこともできるのではないか……。


 いまだに、熱烈なファンの期待に答える為に時々、舞台で彼女が歌声を披露するたび、その相手役の男に嫉妬してきた。

 たとえ偽りであるとわかっていても、歌の中で彼女が他の男へ愛を語るのが許せなかった。


 だから……。


 妻に願った……。一緒に歌を歌えるようになりたいと……。

 妻である少女は最初、伯爵の願いに驚いた様子だったが、次の瞬間、恥じらう様に嬉しそうに笑うと、彼の願いに頷いた。


 そうして始まった夜の歌のレッスン……。


 初めて彼の歌声を聴いた瞬間に、妻の顔から血の気が引いた。

 強靭な精神力でもって泡を吹いて倒れることこそなかったが、歌姫である妻はあまりの歌声に顔から血の気が引いていた。愛のなせる業で、最後まで彼の歌声をなんとか聞こうとしてくれた。


 昔のように彼の歌声に妻が倒れなかった事に、伯爵は自分の歌声が大人になったことで少しはマシになったのではないかと勘違いし、ますますその歌声を張り切って披露した。


 しかし、たまたま廊下に通りかかった侍女が伯爵のその歌声に、悲鳴を上げて失神したため、騒ぎになり1日目の歌のレッスンは中止になった。


 そして、その日より伯爵家の周囲では原因不明の怪異が始まった。


 まず、庭で植えたばかりの花が、大量に萎れたことが庭師から報告された。

 何故、そんな怪異が起こったのかわからずに困惑する庭師に、新たに花を植えることと、怪異の原因究明を伯爵は命じた。


 だが、怪異は庭の花だけでは収まらなかった。


 2日目。3日目と庭の花々は植えた端からが枯れ始め、緑も勢いを無くした。使用人の多くが原因不明の眩暈や、ひきつけを起こし、朝になると館の庭に大量の鳥が泡を吹いて落ちいるのが発見されるようになった

 妻の美しい顔からどんどん、どんどん感情が抜け落ちて行き、昼間彼が仕事に行っている間、寝込むようになった。

 


 巷の人々は、稀代の歌姫を掻っ攫った伯爵が嫉妬され、男たちから呪いを掛けられたのではと噂した。


 そして、事件が起こる。

 夜に偶然、伯爵家の傍を通りかかったとある貴族の馬車を引いていた馬が突然失神し、馬を操っていた業者や、中に乗っていた貴族も気絶し、馬車が転倒するという事件が起こった。


 たまたま何故か外にいた伯爵家の優秀なる人材たちが、事故に気付いて早急に処置をしたため、馬も人も大きな怪我をすることなく済んだが、大騒ぎになった。


 事故の原因を伯爵が究明しようと、その貴族に事情を聞いた際、彼は真っ青な顔で「悪魔の歌声を聞いた……」と呟き、必死に神に祈りを捧げだした。

 無神論者で有名だったそのとある貴族のあまりの豹変振りに伯爵は唖然とした。


 そこまできてようやく伯爵は、この怪異の原因は自分ではないかと思い始めた。


 しかし……。


 信じたくなかった……。

 自分の歌声がそこまでの破壊力を持っていること等。


 だが、もう認めなければならないのだろう……。


 怒れる妻を目の前にして、伯爵は悄然とした。


 しかし、そんな伯爵にさらなる追い打ちがかけられる


「………あなたが剣術に明け暮れて、よく知りもしない使用人に領地の仕事を丸投げした挙句、公金横領されて蓄えがほとんどなくても、その最新の髪型だと言って一つに括った頭の下に、実は若禿を隠していても離縁しようとはこれっぽちも思いませんでしたが!!!」


 先程の終わりを告げられた時よりの衝撃が伯爵の心を襲う。


「ば……バレて……!!あ、あれはハゲじゃない!!」


 最愛の妻にハゲを知られていたことに心臓が止まりそうなほどのショックを受ける。

 国王陛下が愛妾にと望んだ歌姫を横から掻っ攫ったせいで、最近日々、国王にねちねち、ねちねちといじめられ、そのストレスでできた円形脱毛症を必死に隠していたのに!!


 せっかく必死の努力で髪をポニーテールに纏めることで、この禿を隠していたのに!!!!

(余談だか、実は彼が始めたポニーテールは騎士は髪が切ることが極端に忌まれるこの国では、現在、最新流行として流行っていたりする)


 誰だ!!

 彼女に密告したやつは!!!!


 アイツかっ!?アイツなのか!!?


 伯爵の円形脱毛症の原因で幼馴染の国王の顔を思い浮かべながら、伯爵は心の中で悲鳴を上げた!


 領地での失敗を妻に知られていた以上の、ショックだった。

 結婚する前から妻には散々、情けないところを見られている。だから、公金横領ぐらいで彼女が驚かないのはわかる。


 でも……。

 せめてこの禿だけは彼女には知られたくなかった……!!!

 愛するがゆえに、この禿だけは……!!!


 なのに……!!!


 ショックを受ける伯爵に構うことなく妻がまくしたてる。


「でも!!でもあなたの壊滅的な音痴だけは我慢できません!!!!私の美意識が、歌姫としての矜持が、これ以上あなたの歌声を聴くのに耐えられません!!!」


 ショックで口もきけない伯爵に向かって妻は、そこまで言うと一度言葉を切った。


 そして、伯爵が愛してやまない愛くるしい笑みを浮かべると言い放った。


「だから、だから、もう終わりにしましょう……例えあなたがツルっ禿げでも仕事が出来なくても私が、働いて養ってあげます……」


 妻の言葉にさらさらと伯爵の心が音を立てて崩れ始めた。


 彼の心と矜持を砕いたことも気づかずに妻であるはずの少女は甘く、甘く彼に最後通牒を突き付けた。


「お願いですから、もうあなたのドラゴンも裸足で逃げ出すようななあんな歌声を聴かせるのはやめてください……」


 背伸びをして伯爵に口づけながら、妻は言った。


 その時にはもう伯爵の心と矜持は粉々に砕け散り、再起不能となっていた……。

 

 こうして伯爵家の怪異は幕を閉じた。




 その後、伯爵が腑抜けのように使い物にならなくなり、いじめ過ぎたかと国王が反省したのは別の話。


 そして、国王からのいじめがなくなってめでたく伯爵の円形脱毛症が治ったとか、治らなかったとか……。



おしまい~w

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