師範に誤解をされること。
真っ赤な色が散る。
封じの太刀で斬られた獣の、命の色彩だ。
「まったく。ぼんやりするのは布団の中でだけにしておいで」
そう力の強くない獣は、由良師範の太刀の一振りでこの世から切り離されてしまったらしい。
あかいあかい色が生臭さと共に大地に落ちきってしまうと、まるで乾いた砂の造形が風に吹かれて崩れていくように、さらさらと。獣の骸は崩れていった。
骸が崩れ去れば。
赤くぬかるんでいた大地さえ、乾いて――
真っ赤な三日月が嗤ってる。
『――あけいろ』
太刀に貫かれて、くずおれる身体。
軽く頭ひとつ分は大きい彼の身体も、ゆっくりと乾いて――
「日彩?」
耳元で聞こえたその声に、はっと息を飲めば。
不審そうな表情を色濃く宿す、由良師範の麗しい顔が間近にあった。
ひそめられた眉。くっきりとした二重の、切れ長の瞳。すっと通った鼻梁の下には、への字に曲げられても美しい唇がある。
「具合でも悪いのかえ?」
問うて、師範は私の額にぴたりと白い手をあてた。
手も手とて、繊手と呼ぶにふさわしい美しい手だ。
白く繊細で、なめらかで。傷一つない。
「な、なんでもないです」
蘇った夢の記憶も、師範の美貌の前には裸足で逃げていくようだ。
折りにふれ、私を悩ます生々しい記憶のカケラは、どんどん褪せて古びていく。そんな、気がした。
「師範てば、いつもお美しいなあと思って、見惚れていただけです」
「はぁ?」
「私だって一応女の端くれなのに、師範のお美しさの足元にも及ばないなぁと……」
ぼやくように言募れば、師範の柳眉はさらによった。
眉間にくっきり皺を寄せてさえ、整った容貌であれば、サマになる。
まるで詐欺のようだ。
師範と自分が同性だとか、はっきりいって認めたくない。
「当たり前のことをおいいでないよ。お前と私が一緒のことなんてのは、男ではないってことくらいじゃないか」
どうやら師範のほうでも。
私と同性であるとはあまり認めたくない事実だったらしい。
だとしても、世に性別は2つしかないのに。なにも同性であることをそんな遠まわしに言わなくてもいいじゃないか。
さりげなく傷つくぞ。
そんな私を尻目にして。
枯れた木々の合間を渡る乾いた風に溶けた髪を、無造作にかきあげた由良師範は深々とため息を付いた。
「そんなことを今更いいだすなんて、おまえやっぱり、おかしなものでも拾って食ったんだろう。寮に戻ったら薬を煎じてやるからね」
心配してくれるのは嬉しいが、何かが違う。
「けど、日彩。具合が良くないのに、狩りについてくるのは感心できないね。ぼんやりとして命を落としたら、元も子もありゃしない。いいかい、人間にはね、命はたったひとつっきりしかないんだよ。少しくらいは大事におし。いいね?」
でも、師範。
夢を見たからって、任務にでれないようじゃ、首になっちゃうじゃないですか。
しかも、実践を終えての初めての大事なお仕事。
せっかく訓練生を卒業できたのに、首になんかなりたくないです。
行くよ、とさっさと歩き出す由良師範の背中に向けて。
ほんのちょっぴり愚痴混じりのため息を吐き出してみる。
すると、木々の間を数本分先に歩いていた師範が、まるでそのぼやきが聞こえたようにくるりと振り返った。
ため息が聞こえたのだろうかと、反射的に息を詰める。
言いたいことを言わないで、これみよがしにため息をついたり物にあたったり。ふてくされてみたり。そういう行為を何より嫌う由良師範だ。
怒られる!と思ったのだが。
「まぁ、あれだよ、日彩。おまえは鼻だって低いし童顔だけど、そこそこのかわいい顔はしていると思うよ? 私と比べるから自信をなくすんだ。もっと身近で比べておいで」
早口でそれだけいうと。
師範はまた背を向けて、さっさと歩き出した。
とりあえず気を使ってくれたのは確かなようだけど……。
沈黙は、金。
とりあえず、私は。それについては何も言わないまま、師範の背中を追いかけることにしたのだった。




