表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
封じの姫と地の獣  作者: rit.
二章:裏
31/33

かわらぬもの

 わたしは、黙っていたし。

 彼もまた、黙っていた。

 春の香りを含んだやわらかい風が、頬をなでて通り過ぎていく。


 時間はゆっくりと、けれど確実に流れていった。


 いつまでも、ここにいる訳にはいかない。

 去りがたい、快い時間。

 それを振り切るように、頭を振って息を吐けば。

 彼は痛ましいものでも見るかのように、こちらをじっと見つめていた。


「……帰る、わ」


 言葉にすれば、喉の奥が焼ける気がした。

 情けない、と自分を叱咤してみても。

 こみ上げそうになる嗚咽を、抑え切ることができずに、ぐうと変な声が漏れた。


「朱紅」


 伸ばされた手が、わたしの髪を、頬を撫でる。

 いたわるように、愛しむように。


「おまえが望むなら、おれはこの名にかけて、どんな望みでも叶えてやるのに」


 今まで、幾度も繰り返されたその言葉を。

 ことさらにゆっくりと、言い聞かせるように彼はもう一度口にした。


「この生命だって、くれてやる。おまえが望むのなら、世界だって滅ぼすのに」


 音織、という呟きは、声にはならなかった。

 彼の瞳が、いつになく昏く沈んでいる。

 悲しみ、怒り、行き場のないやるせなさ。


 ああ、彼は優しいから。

 妹のように想っているわたしの境遇を、哀れんでくれているのだと。

 すとんと言葉が胸に落ちた。


「……ありがとう」


 わたしのように、血筋だけの。

 狩りすら満足にできない、兄上のように聡明な頭脳も持たないわたしに。

 ここまで心を砕いて、優しくしてくれて。


 もう一度、いった御礼の言葉は。

 かすれてちゃんと響かなかった。


「この誓いは。おまえがどこにいっても変わらない。どれほどの距離と時間が、おれとおまえをどれだけへだてたとしても、だ」


 あけいろ、と彼は苦しそうな顔をした。

 わたしが、勝手に彼の庇護を離れていこうとしているのに、彼は兄との言葉を守れなかったことを、気に病んでいるのだろうか?

 わたしを護ると、兄上に言ったその言葉に、責任を感じて?


「おまえが幸せになれるなら、おまえはおれを忘れていい。けどもし、おまえが、苦しいのなら。今の場所から逃れたいと思うことがあるのなら、いつでもおれを思い出せ」


 頬に触れていた、彼の手が、名残惜しそうに離れていく。


「おれは。いつだっておまえを助けてやる。いつでも、おまえを見ている。いいな、おれを、よべよ?」


 ぱりん、とひどく乾いた音がした。

 空気が凍って、割れるような。


「……幸せになれ。おまえの幸せを、おれはいつだって祈っている」


 ぐらり、と空間が歪んだ気がした。

 足元が歪んで、大気が揺らいで。

 急に、視界が暗転した。

 最後に見たのは、彼の。

 月色をした、かなしい眼差しだけ――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ