男が後をついてくること。
「帰るのか」
帰るなと言われるのかと思いきや、男はのんびりとそう背後から声をかけてきただけだった。
帰る、と短く応えを返し、そのまま歩を進めると、男が後ろからついてくる気配があった。
男に連れられて、道順もわからないままここに来たとはいえ、都に住んで数日というわけでもない。境の地まで出てくるのは稀だとしても、都はすぐそこに見えているし、都まで戻れば朱色まで帰るのはそう難しい話でもない。
地理感はなんとなくある。
男の存在を無視したまま、境の地を抜け、都の周りを低く囲む塀に設けられた門を越え。
おそらく市場の裏通りにあたる細い通路を勘の赴くままに、曲がって進む。
男はやはり何も言わないまま、ゆっくりとした歩調でついてきているようだった。
なんなんだ。
振り向くのもなんとはなしに癪なので、絶対に振り向いてなんかやるものかという意気込みでずんずん進んでみたものの、男はやっぱり歩調を乱すことなくくっついてくる。
付かず離れずとはたぶん、この距離感のことを言うのだ。
なんていうのか、とてもいらいらする。
いっそ突然走りだして、撒いてしまおうか?
そんな誘惑に駆られないでもなかったが、走りだしても男は動じることなくついてきそうだし、振りきれなかった時のことを思えば少し腹が立つ。なによりも、意識していると思われることが嫌だった。
「……何か用なの?」
様々な場面を脳内で思い浮かべてから、私は結局立ち止まって男を睥睨してみるという、一番無難な選択を選ぶことにした。
「いや別に」
「じゃあ、何でついてくるの?」
これで、たまたま行き先が一緒だったとか言われた日には、無言でこの男をぶん殴ってやってもいいだろうか?
そんなベタすぎる展開があってたまるか。
「日彩がどこに行くのかなと思ってさ」
「だから、帰るのよ」
「どこに?」
悪びれたふうもなく、男はのほほんと聞いてくる。
「私は獣狩り師だもの。朱色に帰るのよ」
ため息混じりに答えを吐き出すと。
男は思案深げに少しばかり眉を上げた。
「そうか。獣狩り師なのか」
「そうよ」
いろいろごまかすことを考えなかったわけではないが。
嘘をつくのも面倒だし、呪を使う時のために嘘は極力控えるように普段から心がけているのだ。
呪は言霊の力を用いるものだから、偽りを口にすればするほど、言霊の力は衰え、結果、呪の威力が落ちてしまうのだという。
「じゃあ、日彩」
男は私の前に回りこんで、少し身をかがめると、私の目を覗きこんできた。
整った容貌が、心の準備をする暇さえなく近距離に迫り、私は思わず息を呑んだ。
月色の瞳が不思議な翳りを持って、私の視線を絡めとる。
「何かあったら、おれを呼べよ?」
柔らかく声が響いて、私の心臓が予告なく踊りだす。
何を言ってるんだという突っ込みは、言葉……いや、単語にすらなりはしなかった。
「いいな、日彩。困ったら、絶対におれの名を呼べよ」
わかったな、とさらに近づいてくるものだから、私はつい頷いてしまった。
うなずかなければよかったと、すぐに思ったけれど、言葉も動作も巻き戻しはできないのだ。




