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封じの姫と地の獣  作者: rit.
一章:裏
16/33

鳴滝の主

 それとも、この男は。

 名で魂を絡めとるくらいに、呪を良くするもの、ということだろうか?


 人間に、そこまでの呪の使い手はほとんどいないと言われているのに。


 わたしが戸惑っていると、男は喉の奥でくくっと笑った。

 こちらへと一歩歩み寄り、兄上の後ろに隠れる立ち位置にいるわたしの正面にやってくる。

 覗きこむようにわたしをみつめ、手を伸ばして。

 わたしの頬の横に一房ずつ残している髪の一方をすくいとった。


「朱紅――」


 まるで、確かめるようにわたしの名を口にする。

 みずから差し出した名でなければ。

 どんなに呪をよくする者でも、魂を絡めとることなどできないというけれど。

 それでも、男の夜のような艶のある声で名を呼ばれれば。

 心の奥底に沈んでる何かが呼応するようにざわざわというさざめきがひどくなった気がした。


 月の色をした――薄い薄い金色のひとみ。

 どきどきする。

 わたしの中でさざめく何かを知っているように、わたしを見通すこの瞳に。


「私の妹をからかうな、鳴滝。まだ決めた相手もいない娘だ」

 

 兄上のうしろに隠れるように一歩後ずされば、呆れたような兄上の声が降ってきた。


「おれは別にからかっているわけではないさ。綺麗な色彩(いろ)の娘だと思って見てるだけだ」

「鳴滝――」

「怒るな、有朱。別に色彩が綺麗だから食ってみようかなんて少ししか思っちゃいねえよ」


「少しは思っているのであろうが」


 渋りきった様子で兄上がため息をつく。


「連れてきたのはおまえだ。味見をしないおれの自制心こそ褒めてほしいと思うぜ?」


 くくく、と喉の奥でまた笑った男は、もしかしたら堅物の兄上をからかって遊んでいるのかもしれない。

 綺麗であるはずもないわたしを、綺麗だと言って。

 兄上がたじろぐのを見て面白がっている。

 いいひと、なのではないだろうか。

 兄上が、わざわざこんな夜更けに、一族の目を盗んで会いに来るくらいには。


「あ、あの。はじめまして」


 勇気を振り絞って、男に声をかければ、少しは驚いたのかもしれない。

 大仰に目を見開いてぱちくりとしたあと、男は目を細めてにっと笑った。

 先ほどの酷薄さなど微塵もない、気持ちのいい笑顔だ。


「おれは鳴滝の主だ。音織(とおり)という」

「主?」


 鳴滝の地は、獣たちの聖域。

 そこに住んでいる、ということなのだろうか?

 それとも、一般の人間がしらない隠れ里でもあるということか?

 帝の不興を買った人々が、どうにかして人間の立ち入らないところに隠れ里を作るのは、時折聞く話ではある。この男も、そういう人々の長ということなのだろうか?


「おれはそっちよりも、おまえに名をやったことの方を気にして欲しいんだけどな? 有朱にだってくれてやったことがないんだぜ?」


 名を、やる?

 聞きなれない言葉に目を瞬いていると、男は幾分呆れたようにため息をついた。


「おい、有朱。この娘はちっともおれの名の重要性をわかっていないようだな?」

「我が一族の姫だからな。獣は狩っても、外部と触れ合うことはあまりない」


 兄上はどういうことかわかっているようだけれど。

 視線で問いかけてみても、優しげな笑が返ってくるだけだ。


「朱紅。おれの名を忘れるな。何かあれば呼べ。いつだって助けてやる」


 男はそう言って、わたしの頭をぽんと撫でた。

 まるで幼子にするように。


「悪いな、鳴滝」

「気にするな。名をくれてやるほどではなくても、おまえだって気に入ってるんだ。おまえの大事なものくらい護ってやるさ」


 男はわたしの頭から手を離すと兄上と向き合った。

 ようやく月色の瞳がわたしからはなれて、兄上に向かう。

 ほっとする反面、なぜだか少し落ち着かない気分になった。


 音織――


 心のなかで、そっと名前を確かめる。

 月色の瞳を持つ男にふさわしい、綺麗な名前。

 その瞬間男の視線がこちらをむいて、思わずびくっと身をすくめてしまった。

 まるで、心の声が聞こえたかのような――そんなこと、あるわけないのに。

 驚きすぎて、心臓が飛び跳ねている。

 

 男は、そんなわたしを見通すかのように、小さくくすりと笑って、また視線を兄上の方へと戻した。

 今のは、いったいなんだったのだろう?

 もう一度名を心で呟いて、偶然かどうかを試す勇気は、なかった。

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