月色の瞳の男
ざわざわと心がさざめく。
月の色をそのまま切り取ったかのような、冷ややかなその眼差し。
その瞳に、わたしが映っている。
それは不思議な心地のするもので。
視線でも逸らせば、ざわめきが収まるかと思いつつも。
絡め取られたかのように、視線をその男から外すことさえ出来はしなかった。
ただ、ざわざわと。
ざわざわと心が騒ぐだけ。
それをひどく遠く感じながら、わたしはただ男を――その月色の双眸に映った自分の姿を見つめていた。
「おまえがここに、誰かを連れてくるとは珍しいな」
声が、夜にしみていく。
私に視線を据えたまま、男はゆっくりとそう言った。
「ああ、私の妹なのだ」
「妹?」
「何が起こるかわからぬ時勢だ。そなたに一度あわせておこうかと思ったのだ」
兄上の言葉に、男はうっすりと瞳を細めた。
「ほう、おれにか。――名は?」
背筋がぞくりと粟立つ。
獣めいたその瞳が、獲物を前にした肉食獣のようにきらめいた気がしたのは気のせいか。
兄上の様子から察するに、兄上とこの男はどうやら知り合いらしい。
ならば、わたしに害意など持つこともなかろうに、わたしの中の何かがざわざわとして、ひどく落ち着かない気分だった。
「わ、わたしは……」
「朱紅という」
男の問は、あきらかにわたしに向けられたものであったと思うのに。
わたしの言葉を遮って、答えたのは兄上だった。
「あに、うえ……?」
「むやみに自ら名を与えるものではない」
戸惑うわたしに、兄上はしかるような調子でそう告げる。
確かに、名は。
魂を縛るという点において、もっとも強い呪となりうる。
けれど、それは。
よほど呪をよく使う存在にたいしてであって。
一般的にはまるで無用の長物、ではあるのだけれど。




