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加藤 夏子@日曜日 16:05

 遅い。もうとっくに着いていても良い時間なのに、タカが来る気配が全くない。携帯電話を開いて確認してみても、連絡が来た形跡はない。

 さては、逃げやがったな。

 私が怒っていると思って、こっそり帰ったに違いない。奴はそういうところがある。優柔不断というか、逃げ腰というか。普段はちょっと悪そうな格好して、ちょっと強気の口調で、ちょっとだけヤンキー入っているのに。何というか、気が弱い。

「……電話しちゃる」

 履歴の一番上にある、タカの番号に電話をかけた。出たら、何て言おう。

 けれど呼び出し音が虚しく響くだけで、肝心のタカは出なかった。普段ならどんなに喧嘩していても電話に出るのに。まだ電車の中にいるのかもしれない。タカには、そういうところがある。

 あいつは変に真面目で。電車の中で通話はしないし、優先席には絶対に座らないし、携帯灰皿は持ち歩いている。そこじゃないだろう、とは思うけれど、そういうところがタカの長所でもあるわけで。

 一言で言うなら、ただの馬鹿。でも、そこが何より良いところなのも確かだ。

「……あ」

 改札を抜けてやって来る、妙に似合わない薄茶の髪。身長も低い。間違いない、タカだ。

「タカ、待ってたよ!」

 本当に。遊ぼうとかは全部ただの口実。バイトだってしないでくれた方が良い。一緒に、いたいから。けれど絶対に私の口からそんなことは言わない。口が裂けたって言うわけがない。

「夏?」

 一瞬、ぎょっとしたような表情を見せたのを見逃さない。何よそれ。私がいたら悪いわけ?

「今日寒いよね」

 タカの手を握りつつ、睨みを効かせてみる。手が冷たい。手袋とかは持っていないらしい。

「悪かったな、待たせて」

 ううん、待ってないよ。とか言えたら良かった。けれど。生憎私はそういうキャラじゃない。素直になれたら楽なのに。

「うん。すっごい待った。寒かったし」

 何でこういうことを言っちゃうんだろう。自分で自分が嫌になる。タカはこう見えても優しいから。だから、私はそれに甘えてしまう。

「……とりあえず、どっか入るか」

 そんなに気を使わなくて良いよ。

「当り前。私、ホットココア飲みたい」

 だから本当はそんな風に思っていないんだって。タカ、ごめん。私の我儘に付き合わせっぱなしで。疲れているって言っていたのに。

「じゃ、駅ビルの喫茶店にでも行くか」

 その前に、と言って、タカがひとけのない路地へと向かった。ああ、煙草か。止めれば良いのに。身長だって、今から伸びるかもしれないのに。

 そんな風に思っていても、私が伝えることはない。優しい、素直な言葉をかけることができない。タカと違って私は優しくない。素直じゃないのは、お互い様だけれど。

 路地はビル風のせいか、妙に風が強い。私はコートの裾を押さえながら、タカの嗜好品がなくなるのを待った。

「……止めれば良いのに」

「まあな。でも、ほれ、中毒ってヤツだから」

 煙草だけは頑として譲らない。別に私はタカの身長が低かろうが構わない。でもやっぱり。健康には気を使って欲しかったりする。

「……ピースって言うんだ、これ」

 タカの握る、紺色の煙草のケースを見た。鳩らしき絵とPeaceの文字。そういえば、最近流行っている噂の主も、ピースという名前だ。

「結構強いんだぜ?」

 だから何さ? 私は煙草の強さなんかに興味はない。

「ね、タカ。ピースって噂話、聞いたことない?」

 私の周辺でしか流行っていない話かもしれない。とりあえず、兄貴はピースを知らなかった。タカは別の高校だし、知らない可能性もある。

「ピース……?」

「そ。会うと幸せになれるとかって」

 タカは考え込むように煙を吐き出した。灰色の煙が宙を漂う。風に吹かれてばらばらになっても、タカの周囲には煙が残っている気がした。

 幸せ、か。私はタカとこうして過ごす時間があることが、何より幸せなんだけれど。タカにとっては、どうだろう。

「知らねえや。噂とか興味ねえし」

 短くなった嗜好品を揉み消しながら、タカが呟いた。

「……幸せなら、もうこれ以上いらねえし」

 タカはさらりと言ってのけたけれど、これって私、そういう意味で捉えちゃっても良いのかな。自意識過剰? でも、タカは現時点でもう幸せだってことだから。

「何よそれ」

 揚げ足を取るように言ってはみたものの、口元が綻んでしまう。これはヤバい。私、幸せかもしれない。

「……ま。行きますか」

 タカが後ろを向いてしまったので、顔を確認することができない。右手を伸ばして手を繋いでも、顔を覗き込むことはできない。

 でも。耳が真っ赤ですよ?

「ねえ、タカ。今度その箱、頂戴?」

 ピースの箱。タカと一緒にいられることが、私の幸せ。私のピース。

「良いけど。どうすんの、これ」

「内緒」

 ピースを持っていれば、ずっと幸せでいられる気がする。何とも乙女な願掛けだ。

「何だよそれ」

「良いの良いの」

 くすくすと笑う。ああ。タカと笑い合える時間が一番好き。やっぱり馬鹿でも気弱でも、タカが一番だと思う。

 意地っ張りでも素直じゃなくても、何故か心がお見通しになってしまう。だから私の今の気持ちも、タカには伝わっているんだろう。ちょっと恥ずかしい気もするけれど。

 路地を出て、駅ビルへ向かう。人影はまばらで、住宅しかない駅というのは、こういう中途半端な時間はあまり人がいないものだと、改めて実感させられた。

 休日の昼間。これから出掛けるには遅過ぎて、帰ってくるには早過ぎる時間。知り合いがいればすぐに目が行く。だからタカが急に立ち止まったのも、ちっとも不思議な話ではなくて。

 階段を上ろうとして立ち止まったタカは、別段気取った様子もなく知り合いらしき人物に声をかけていた。私からは、タカの背が邪魔で確認できない。誰だろう。中学時代の同級生なら、私の知り合いでもあるはずだ。少なくとも、一年生のときのクラスメイトなら。

「肇、久しぶり」

「……ああ。隆雄? どうしたん?」

 肇。誰だっけ? ああ。思い出せないな。

「彼女と喫茶店にでも行こうと思ってさ。肇は?」

「俺? 俺は今から帰るトコ」

「……そっか。じゃ、またそのうちな。今度、川本達も誘って遊ぼうぜ」

「おう」

 肇、という男は、そのまま階段を下っていった。顔を見ようとしたけれど、上手く確認できなくて。誰だっけ。声も、聞き覚えがある気がする。とはいえ、話題に出た川本君はタカの三年生のときのクラスメイトで、確か同じバスケ部員で。タカの部活の友達なら、私の知らない相手かもしれない。

 タカの手を力強く握り、考えてみる。肇、なんていたっけ? 男子の下の名前は覚えていない。フルネームで言えるのはタカだけだ。飯田隆雄。幼馴染だし、彼氏だし、言えないはずもないけれど。

「……そういえば、何でバスケ止めちゃったの?」

 誰だっけ? そんなストレートに聞くわけにもいかないので、私は遠回しに探りを入れてみることにした。

「身長、伸びねえし。百六十三センチじゃ、やっぱレギュラーなんて狙えねえからな」

 だったら煙草止めりゃあ良いのに。ボール捌きは天下一品に上手かったと思う。贔屓目は、かなりある。それでも、ゴール下での細かい動きはかなりのものだった。すごく格好良かったし、実際、三年になってからはレギュラーで試合に出ていたし。

「身長より性格じゃない?」

 けれどタカは、協調性がまるでない。言うことを聞かない。それでいて試合でちゃんと活躍するというのが、良く判らなかったりもする。

「ま。そうかもしれねえな」

 それと、体力、努力、根性。体育会系のタの字もない。煙草だってそう。ばれなかったから良かったけれど、ばれていたらうちの中学、大会に出場できていなかったかもしれない。

 他人に迷惑をかけない、がタカの信条らしいのに、やっぱりどこかずれている。

「のわりに、バスケ部仲間とはまだ仲良くやってるんだ?」

 本題。さっきのは、誰?

「ああ。まあ、時々な。肇と会ったのは、いつぶりだったっけっか」

 さっきのが誰だかは、結局判らずじまいに終わりそう。でも、部活仲間だということは判った。私の知らない、タカの友人。同じ中学校でも知らない人はいる。私は、帰宅部だったし。

 もちろん、タカの試合は見に行っていた。けれど私は、タカ以外の部員は目に入っていなかった。さっきの彼がレギュラーだったとしても、覚えていなくて当然で。

「……着いたぞ」

 ぼんやりと考え込んでいたらしい。タカに手を引かれ、私は正気に戻った。

 目の前には喫茶店。自動ドアを開き、手を繋いだまま中へと入る。いらっしゃいませ、というマニュアル通りの挨拶が店内に響いた。

 空調の効いている店内は、外と比べて暖かい。

「私、ホットココア」

「じゃあ俺は、ブレンドコーヒー。ミルクなしで」

 カウンターで注文し、私が先に席に向かう。急いで座る必要はないけれど。ほとんどが空席で、好きな場所に座れるような状態。何となく窓際の席を選び、コートを脱いで。

 カウンターで注文の品を受け取っている、タカの背中に目をやった。身長の割に大きな背中。背の高さは私とあまり変わらないのに、やっぱりタカは男子だ。本当は意外と頼りないのに、頼れる背中を持っている。

 不意にタカが振り向いた。手に持ったトレイには、コーヒーカップが二つ。

 ああ。やっぱりこういう店は注文の品が出て来るのが早いなあ。少し感心してしまった。

「はいよ。激甘が良いんだろ?」

 優しいタカは、私の好みを熟知している。自分は使わないのに、スティックシュガーを二本、手に持っている。

「その通り」

 何で私は、素直にありがとうが言えないんだろう。コーヒー用のスプーンでココアに砂糖を混ぜながら、タカの優しさに甘えている自分を、ひどく情けなく感じた。

 甘いものが好き。ココアは甘い方が良いし、甘やかしてくれるタカが好きだし。

「よくそんな甘いもん飲めるな」

「美味しいじゃん、甘い方が」

 タカはもう充分甘いから、甘いものがいらないのかもしれない。私はいくらでも甘やかされたいから、ココアだってもっともっと甘くて良い。

 もっと。砂糖漬けになるくらい。私はいくらでも、甘さに浸り続けたい。

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