加藤 夏子@土曜日 16:40
見上げると夕空は美しく、立ち尽くす私を優しく包んでいた。時折吹く強い風に煽られ、満開の桜が宙を舞う。桜吹雪が儚く、美しく。別れの季節を演出している。
兄貴の大学の入学式までなら、この桜もどうにか残りそうな気がする。桜舞い散る入学式。出会いをも演出する桜吹雪。私も、来年は。
「……待たせたな、夏」
校舎の方から、まだあまり馴染まない坊主頭のタカが歩いてきた。入院中に染められないでいた髪を面倒だからと刈り上げてしまったタカは、まるで中学生みたいで。
「やっぱ似合ってない」
思わず、笑ってしまう。
「うるせえよ。……ああ、もう。何で補習なんてしてくれちゃってんだろうな」
春休みこそバイトをしようと思ってたのによ。タカはそう呟き、私の手を取った。
親友の自殺を食い止めようとしたという事実とは多少異なる美談が、タカの留年を食い止めるために働いていた。佐藤は、ひょっとしたら最初から。
「良いじゃん。ダブるよかマシでしょ?」
最初から、タカを連れて逝く気はなかったのだろうか。タカに幸せが似合わないと言っていたのは、背中を押して欲しかったというのは本心で。カッターで切りつけたのは、タカが被害者になるための計画で。
タカを、残された私たちを救う方法。佐藤は自ら終止符を打つことで。
「……まあそうだけど」
違う。佐藤の本心なんて、私たちには永遠に判るはずがない。時という残酷な支配者が記憶を捻じ曲げ、美化し、誤った答えに導いているだけなのかもしれない。
けれど。そうであって欲しいと、心のどこかで思っている。佐藤が幸せにこだわった理由が、そこに隠されているような気がするから。
「てかさ、何なんだよ連立方程式って」
私より少し背の高くなったタカを見上げながら、遠くに旅立ってしまった友人のことを思い出した。
遠くで、幸せになっていることを願う。
「教えてあげよっか?」
咲の事件は、今でも捜査が難航していた。大沢先輩に横恋慕していたストーカーが犯人ではないかと、まことしやかに囁かれている。本当のことは、誰も知らない。
「結構。夏の教え方って、スパルタ過ぎんだよ」
なるみの自殺は、今でも時々雑誌で見かけてしまうことがある。佐藤の件と一緒に『高校生連続自殺事件』なんて、名前ばかりセンセーショナルな記事になっていて。
「そんなことないと思うけど?」
嘘ばかりを塗り固めゴシップに彩られた記事が、私の心を締め付ける。
「あるっての。判んなかったら頭叩くとか、マジありえねえし」
佐藤の残した手紙のせいだ。けれどそのおかげで。
「だってタカ、全然覚えようとしないんだもん」
私たちは、いつも通りの生活に戻ることができた。佐藤がなるみの後追いで自殺したことに、世間ではなっているから。
本当のことを知っているのは、私と。
「良いんだよ必要ねえし」
タカの、二人だけ。
「あるって。タカは来年就職でしょ? 一般教養とか必要なんじゃないの?」
なるみの自殺の原因は、いつの間にか成績ということになっていた。けれどきっと、それで良い。
「面倒臭えなあ。ずっと高校生でいたいわ」
幸せになるため、なんて。きっと誰も信じない。
「……ねえ、タカ」
桜の花びらが、タカの髪に降り注ぐ。
「明日って、補習ないよね?」
淡く綺麗な色の小さな欠片を摘み取り、空へと解き放つ。
「ああ。ねえけど」
そのまま、他の花びらと一緒に。私の放ったピースも、桜吹雪の一部と化した。
「……会いに行こう」
明日、久々に。なるみと咲に、会いに行こう。
綺麗な花をたくさん持って、穏やかで暖かな春の日差しを浴びて。会いに行こう。
「そうだな」
幸せに、なれたかな。
幸せに、なれるかな。
「明日さ、うちでお祝いパーティするんだって兄貴が言ってたからさ」
「お祝い?」
「そ。高橋補欠合格記念とかって言ってたかな?」
夕焼け空に舞う、桜の花びらを見上げて、私は心に誓う。幸せになるよと、友に誓う。
ピースの欠片はそばにある。いつでも、きっと。近くに存在している。歪んだ形でなく、本来の、幸せの欠片は。
「家にいたらうるさいじゃん? だからさ」
幸せの欠片は、手の中にある。
「……大沢先輩のバンドのさ、デビューシングルも持って行こっか」
「ボーカルが違うから、関口さんあんま喜ばねえんじゃね?」
私の、隣に立っている。
「でもさ、うちの高校の卒業式での凱旋ライブ、結構格好良かったよ?」
「へー。夏ってああいうのが格好良いとか思うんだ」
いつまでもそばにいられるとは限らない。
「何それ? 嫉妬?」
「違えよ馬鹿」
「馬鹿とは何よ失礼な」
それでも。
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い」
私は今。
「馬鹿に馬鹿って言われたくないわよ馬鹿」
少なくともこの瞬間は。
「ああそうですか悪うござんした」
とても。
幸せです。




