飯田 隆雄@水曜日 21:55
豊兄の掴んでいた情報。俺の推測。それらすべてを繋げても、俺には答えが出せそうにない。そう、思っていた。さっきの肇との電話がなければ、ずっと俺はそう思っていた。
伝え損ねたこと。勘違い。
最後の手掛りがそこにある。繋がらないかもしれねえ。それこそ俺の勘違いかもしれねえ。
しかし、現に。山田なるみは死んでいる。関口咲も死んでいる。
勘違いだとしたら、何でこんなに夏の、肇の周囲で人が死んでいるのか。偶然という言葉ではなく、答えを教えて欲しい。
吐き出す白い息のように掴みようのないものだとしても。答えが欲しい。夏も俺も大丈夫だという確信が欲しい。
「……タカ! 待って!」
俺を追う夏に振り返り、追いつくのを待つ。言ったって聞きやしないだろう。帰れ、という言葉にどんなに俺の願いを込めても、夏は受け容れてくれないだろう。わざとらしく聞き流して、いつものように強気で『何?』と言うのが目に見えている。
夏はいつだって、俺の本心を見抜いていた。見抜いた上で、自分を信じて行動していた。
今もそうだ。夏を守りたいという俺の願いは知っているくせに、それでもなお、行動を共にしようとしている。
「夏、帰れよ」
一緒にいた方が心強い。しかし、肇の握っているピースが何なのか判らない以上は。
「嫌。私も行く」
危険な目に合わせたくない。夏がいなくなるなんて、俺には耐えられそうにない。
「肇ん家に行くだけだし」
嘘を言っているわけではない。肇の家に行き、伝え損ねたこと、勘違いしていることを聞くだけだ。
「……こんな時間に女の子一人で歩かせる気?」
危険が伴っている、なんて。俺の勘違いに過ぎないんだろうか。曖昧で不確かで、欠片すら見付けられねえ存在に、怯えること自体が間違っているんだろうか。
「ああ、悪かったな。夏が女の子だってすっかり忘れてたよ」
「失礼ね」
こんな風に笑いあえる時間が永遠に失われるんじゃないかっていうのは、俺の思い過ごしだろうか。
腰に手をあて仁王立ちする夏の頬に、冷え切った手で触れた。優しい温もりが、俺のかちかちに固まった心を溶かしてくれる。
「……夏、一緒に行こう」
一緒に過ごす時間の大切さを、改めて感じた。
俺は頭も良くないし、特別何かができるというわけでもない。すぐにかっとなって喧嘩を始めたり、くだらねえ悪戯で停学を食らいそうになったり。はっきり言ってロクでもねえ男だ。
しかし不思議と。夏がそばにいるときだけ、夏のことを考えるときだけ。冷静さを取り戻せているような気がする。夏は俺の感情のブレーキであり、ストッパーであり。大事な、恋人でもあり。
気は強いしすぐに手が出るし、可愛げはないかもしれねえ。それでも、俺の行き過ぎた行動に平手を食らわしてくれるのは、夏だけだ。両親の平手より何倍も痛いのは、夏の泣きそうな怒った表情。声を聞くだけで、俺は、感情のコントロール方法を思い出すことができる。
今は冷静さが必要だ。感情を抑えて、冷静に話を聞く必要がある。危険なことが待っているわけではない。肇と、話をするだけだ。
たとえピースの実体が掴めたとしても、危険な目になんて会うわけがない。それにもし、何かがあったとしても。俺がどうにかすれば良い。
「当り前」
俺の冷え切った手を振り払いもせず、夏はいつものように言った。
「……手、冷たいんですけど」
嫌がる素振りも見せず、笑顔のままで。肇と話をすることに、何で俺は危険を感じていたのか。不確かな推測で、夏を危険に晒すかもしれないなんて。
笑顔の夏を見ていると、俺の思考が凝り固まっていたことが判る。
頬に添えた手を離し、夏の手を握る。冷たい俺の手に、夏の温もりが伝わってきた。
何でもないときに、こうやって星空の下を歩けたら良い。この先、どうなるのかは判らない。判らねえけど、繋いだ手を離す気にはなれそうにない。
「なあ、夏」
何があっても、俺は夏の盾になるから。
「……星、綺麗だな」
ピースに憑かれると死ぬというのなら、俺はもう。
「でも君の方がもっと綺麗だよ、なんてね? タカもそのくらい言えば良いのに」
実体を掴んでいなくても、虚像に脅かされている。
俺の隣で微笑む夏を、失いたくはない。完成し掛けたピースの虚像が、もしも俺を蝕むのなら。夏の分だけでも引き受けさせて欲しい。俺なんかが犠牲になることで夏を守れるなら、それで構わない。
ただ肇に会うだけ。肇と話をするだけ。それなのに俺は、何かに怯えている。恐怖している。失うことを恐れている。
「誰が言うかそんなこと」
俺の直感。豊兄の資料。これから判る、肇の言葉。
すべてが偶然かもしれない。積み重なった偶然が、幻を見せているだけかもしれない。
「良いじゃん、減るもんじゃないし」
しかし幻だとしたら。山田なるみはともかく、関口咲は何故殺された? 何故死んだ?
「減るわ」
他殺とされているが、あれはきっと。
「何が減るの?」
自殺だ。そうでなければ、辻褄が合わない。
「俺の心が磨り減るわ」
いや。無理矢理辻褄を合わせようとしているに過ぎない。何でもない。ただの偶然だということを、肇の言葉で証明してみせる。
「……タカのケチ」
しかし。本当に偶然か?
「ケチで悪かったな」
関口咲は、見えない影に怯えていた。俺は最初、それが鳩の羽だと思い込んでいた。思い込まされていた。でも違う。
「つまんないの。そのくらい、リップサービスしたって良いじゃん」
鳩の羽なんて関係ない。豊兄のリストに、鳩の羽なんて項目はなかった。豊兄が鳩の羽を見付けたことだって、ただの。
――偶然。
「リップサービスなんて俺に求めんなよ」
偶然。これも、偶然。
最初から。俺が知らなかっただけで、山田なるみは自殺する理由があった。関口咲はあんな殺され方をする理由があった。
そう考えた方が、辻褄が合うんじゃねえか?
「……タカ?」
違う。そんなはずはない。だったら俺は、何に怯えているっていうんだよ。
吐き出す息と同じように、俺の頭の中も白く靄がかかっていく。勝手に思い込んで、勝手に怯えて。勝手に何かのせいにしようとして。
ピースは幸せを運んでくれる。幸せの死者。こんなの、ただのこじ付けでしかなく。ただ積み重なっているに過ぎない偶然に、理由を求めたりなんかして。
「タカ、どうしたの?」
判らない。俺の持っている情報はあまりに曖昧で、具体性に欠けていて。
「何でもねえよ」
嘘。何でもないわけがない。
勝手に怯えて、勝手に操られて。自分で自分を深い闇に突き落としていただけなんじゃねえか。こんな時間に肇の家に行こうとしていることも、自分勝手な思い込みの産物のような気がする。
「嘘。私には判るんだから」
夏には何でもお見通しってわけか。
「……俺、とんでもない思い違いをしてんじゃないかって」
「思い違い?」
温もりを力強く握り締め、俺よりも深い暗闇に迷い込んでいるはずの夏に、疑問を投げかけた。
「ああ。ピースなんてものは存在してなくて、俺らはただ周辺で起きたことに惑わされていたに過ぎないんじゃないかって」
偶然が、偶然を呼んだに過ぎないんじゃないか。知人を失って俺の思考がまともじゃない状態にあったから、すべてを繋ぎ合わせて考えちまっただけなんじゃないか。
そう考えた方が、きっと。
「じゃあなんで、なるみは自殺なんてしたの?」
判らねえ。
「じゃあなんで、咲は殺されなきゃいけなかったの?」
判らねえ。
「じゃあなんで!」
張り詰めていた糸が切れたように、夏は声を詰まらせた。涙を蓄えた夏の瞳に、月明かりが眩しく反射する。
俺にとっては、山田なるみも関口咲も、夏というクッションを置いた知人だった。しかし夏にとっては、自分の親友とも呼べる存在。同じ高校だったから、俺以上に一緒に過ごす時間も多かったはずの、存在。
数日のうちに親友を立て続けに失うなんてのは、やはり。
「思い違いだったら、理由があるってことでしょ? 教えてよ」
夏の頬に一筋の明かりが線を引く。俺はそっと手を伸ばし、頬にこぼれた雫を拭った。
「……肇が言ってたんだ」
伝え損ねたこと。勘違い。
「ひょっとしたら、なんか判るかもしれねえ」
理由かもしれない。否定のしようがない事実を、否定できるだけの。
「私、ただの偶然だって、ピースは関係ないんだって。否定しようと思ってた。でも」
できなかった。俺の推測と豊兄のリスト。夏の周囲で起きた事件。肇の言う“勘違い”が、これらの隙間を埋めてくれるものであるならば、きっと。
「……行こう」
このパズルを埋め合わせる最後のひとかけら。肇の持つ情報を貰いに。
「ねえ、タカ」
鼻を赤くした夏が、俺の顔を覗き込む。
「離れないでね。そばにいてね」
「ああ」
保証なんてできない。この先どうなるかなんて判らない。偶然の、ピースのパズルが完成したとして、どうなるのかも判らない。夏とこのまま一緒に居続けられるのかも判らない。
けど今はまだ。俺の隣には夏がいる。暖かな手で俺を優しく包み込む存在を、できる限り守りたい。
「……らしくねえな、俺」
俺はいつだって良い加減でやる気がなくて。どうしようもなくて適当で。
「らしくない?」
「ああ」
らしくない。こんなに真面目に物事に取り組んだのなんて、おそらく高校入試以来だ。あのときだって『絶対落ちる』という夏の言葉がなかったら、頑張ろうなんて思わなかった。
夏がいなけりゃ、俺は何にもできやしないんだ。
「夏、聞き流してくれ」
だから。失う前にどうしても伝えたい言葉がある。
「……好きだ」
もしも願いが叶うなら。
永遠を。この幸せなときを失わずに済む方法を。俺に、下さい。




