高橋 一朗@水曜日 21:15
加藤達を発見したのは、住宅街の中で唯一ひっそりと開けている、駅前の広場だった。
星空を見上げている加藤と、携帯電話を耳に当てているチビが目に入る。カトウナツコは、チビの手を握り締めていた。真剣な面持ちでチビを見詰めているその瞳が、僕のことを拒絶している。近寄るなと言っている。
「加藤!」
長井が駆け足で、加藤の元へと向かった。僕も倣って急ごうかと思ったが、別段急ぐ必要もないことに気付いたので、そのままのペースでゆっくりと進んだ。
逃げるわけでも何でもない。話はゆっくり聞きゃあ良い。
「……どうした?」
当り前かもしれないが、不思議そうに加藤が尋ねて来る。僕は口を開こうと思ったが、その前に、カトウナツコに先を越されてしまった。
「兄貴の見舞いに来てくれたの。学校サボったりするから」
気のせいか、さっきまでより語気が鋭い。
「ね? 長井さん、高橋さん?」
笑顔にも妙なひきつりは見られない。長井の名前を先に呼んだのは少々気にはならなくもなかったが、近くにいる順に名前を呼んだに過ぎないだろう。いや、過ぎないと思っておこう。
「……あ? ああ、そうそう」
変な返しになっているけれど、仕方があるまい。
高校生が出歩くには少々遅い時間の住宅街は、予備校近くの繁華街と同じで、他人には無頓着だった。だから僕等が妙に神妙な顔をしていても、誰も気に留めない。
チビが言っている言葉も、僕たち以外は誰も気に留めない。
「……俺に、伝え損ねたこと?」
月明かりが照らし出すチビの青ざめた唇が意味するのは、寒さか、恐怖か。
「ああ」
断片的で一方的な会話では、全容が見えない。チビは誰と、何の話をしているのか。夜空を仰ぐ表情からは、何も伝わっては来なかった。
ただひとつ。加藤が探していた“何か”と関係があるのは、間違いなさそうだった。そうでなければ、今、このタイミングで電話をするとも思えない。
「……勘違い?」
チビが言葉を発す度に、カトウナツコが真剣な目をする。表面上、にこにこと愛想良く僕たちと会話をしているように見せてはいるが、耳に入っているのはチビの言葉だけ。
カトウナツコには、僕の言葉なんて届かない。
「ねえ、豊。友達、帰さなくて大丈夫なの?」
「ああ……」
カトウナツコにとって、僕たちはただの邪魔者でしかない。
「帰った方が良いですよ? もう遅いし、家の人だって心配してますよ?」
彼女が心配しているのは、僕たちのことではない。あのチビの、カトウナツコの大切な王子様のことだろう。
もしも今ここで、当り前の顔をして駅に向かったら、カトウナツコを安心させられるのだろうか。じゃあまた、なんて普通の挨拶をして、普通に帰宅して。それで、僕は良いのだろうか。納得が、できるだろうか。
僕は自分でも、わけの判らない感情に突き動かされている。どうすれば良いのか、判断が下せていない。感情の赴くままに流され、ここにこのまま留まるべきか。促されるまま帰宅するべきか。
そもそも、僕は何故、今日、加藤の家になんて行ってしまったのだろう。
「知ってんのか?」
語気を荒げるチビに、僕は思わず眼をやった。よれた薄手のジャージに、女物のジャンバー。裸足にサンダルという出で立ちが、置かれた状況の異常さを表わしていた。
「……どうせなら、会えねえか? 今から」
無理矢理押さえつけたようなチビの口調。加藤の一覧に表わされた何かが解れ、僕の足元に転がって来る。足に絡み付いた何かが、僕を帰宅させまいとしている。
だったら。感情の赴くままに行動をとろうか。
「あ、僕、加藤ん家に忘れ物したっぽいわ」
明日学校にもって行く、なんて言い出されたらお終いだ。一種の賭けにしても、余りにも杜撰。余りにも、幼稚。けれど今の僕には、それ以上の言葉が見付かりそうにない。
加藤の隣に立つ長井に目配せをする。理解しろよ。僕の言葉の、真意を。
「……あ、俺も。忘れたわ」
ナイス長井。さすが親友。こうなったら心の友と書いて心友に昇格だ、今から。
「何? 持ってくよ、明日。学校に」
予想通りの言葉を加藤が口にした。対処法は、ない。
何と答えれば不自然でなく居残れるか。僕はない知恵を、いや、受験用にシフトしきっていた知恵を振り絞り考えてみる。
完全に置いてきているものはあるが、とてもじゃないが口にできない。恋心。最低の答えしか頭に浮かんで来ない。本当に最低だ、僕。受験生としても男としても。
「……夏、俺、今から行って来る」
僕が考え込んでいる間に、チビが電話を終えていたらしい。飾り気のない携帯電話をジャージのポケットにしまい込み、闇に映える白い息を吐き出しながら宣言した。
「何処へ?」
ついていく気満々な様子で、カトウナツコが問い質す。
「肇の家」
電話の、相手の家だろうか。加藤兄妹はチビの言葉に気を取られ、僕たち部外者のことなど完全に忘れている。これはひょっとすると、チャンスかもしれない。
「私も行く。佐藤の身にもしものことがあったら、次は私が……」
「大丈夫、心配すんな。……肇は元気だ。死にゃしないよ」
俺らも大丈夫だ。死にやしない。
チビはそう言ったが、僕には意味が判らない。大丈夫? 死ぬ? 何のことだ? 加藤が集めたリストは、なにかとんでもないことの資料なのか?
確かに死んだ人間や行方不明の人間の名前だけが書き綴られていた。けれど、それは。
「じゃあ、ユタ兄」
チビが背を向け、奇妙な姿のまま駅とは反対方向に走り去る。声をかける間も与えない。宣言をした時点で、既に決めていた行動なのだろう。
誰が止めようがいくら止めようが、チビの行動を制御することなんてできやしない。きっと、カトウナツコにさえも。
「……あ、待って」
既に住宅街に紛れているチビを追い駆け、カトウナツコも闇に消えていく。
僕は黙って見送るしかなかった。僕たちは何処まで行っても蚊帳の外で、中の様子なんて確認することができなくて。
いつまで経っても、何処まで行っても、あいつらの追い駆けている“何か”の正体なんて掴めやしない。ピース。それが追い駆けているものだとしたら。
「ピースって、噂話だろ?」
そう、ただの噂話だ。
加藤のリスト。チビの言葉。カトウナツコの高校で頻発する事件。P。ピース。
幸せになれるんだか神隠しに会うんだかは判らない。僕が立ち聞きした話と他から聞いた話には、余りにも差があり過ぎて。どちらを信用すれば良いのか、僕には判断がつかない。
あいつらの追い駆けているものがもしも“ピース”だとしたら。それは余りにも無謀で、余りにも滑稽な。
「噂話だよ、ただの」
夜空を見上げながら、加藤が言葉をこぼす。久々に見上げた冬の夜空は煌いていて、流れ星なんかいなくても、願いを叶えてくれそうな気がする。
噂話。チビが漏らした『死』の意味。カトウナツコの高校の生徒の連続死。ピースの、噂。
駄目だ。頭が痛くなってきた。受験勉強の方がよっぽど楽だ。
「追い駆けなくて良いのか?」
追い駆けたって見付かる保証はない。けれどこのまま考えてみても、頭が痛くなる一方だ。ちっとも答えなんて見えて来ない。
「行こうぜ、加藤」
無謀なのは僕も同じ。あいつらと同じ。
同じ土俵に立てなくても、近くから観戦して、それなりの答えを掴みたい。僕は何かに追い立てられている。僕もピースに追い立てられている。
「……俺の見付けた答えは、答えじゃないのかもな」
星空を見上げたまま、加藤が呟く。
「上野公園で鳩の羽を見付けて、拾って。……でもそんなんじゃ答えになんてなってねえんだな」
僕は、自殺した山田なるみのことは知らない。殺された関口咲のことも知らない。あのリストに載っている全員のことを、僕は知らない。知らないから、いつまでも他人でいられる。今はまだ、他人でいられる。
首を突っ込んだ先に待っているものを、僕は知らない。けれど。
「いつまでもうじうじ言ってんなよ、加藤」
このまま立ち止まっていたら、あいつらには追いつけない。それどころか、二度と会えないんじゃないかって気さえする。
「行こうぜ! あいつら追いかけて」
チビ王子は別に良い。カトウナツコに会えなくなるのは。
「よし。こうなったら受験勉強の合間の息抜きに付き合ってやるぜ」
変な焦燥感に囚われている。何もおかしなことなどないはずなのに、因果関係を求めてしまう。ピースのせいだとは思っていない。だからといって、あいつらが追いかけているものを否定する気にもなれない。
――死が待っている。
そうとしか思えない。そんなはずはないのに、僕にはそうとしか思えなかった。
煮え切らない加藤の背中を押し、住宅街へと駆け戻る。大丈夫。僕は何も知らない。何も掴めていない。何も知らなければ、何も掴めていなければ。僕はいつまでも蚊帳の外にいられる。居続けられる。
ピースだか、殺人犯だか、ただの幻想だかは判らない。
あいつらの追いかけているものを。蚊帳の外からで良い。僕も、確認してやる。




