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加藤 夏子@水曜日 21:00

 タカから貰った電話。

 ――ユタ兄連れてくから、駅まで迎えに来て。

 ひどく焦ったような、ひどく落ち着いたような声だった。私は、少し大きめのジャンバーをタカ用に持ち、駅までの道を駆け足で進んだ。

 着られないことはないと思う。タカの身長は、私とあまり変わらない。女物だから恥ずかしいかもしれないけれど、風邪をひくよりはマシなはずだ。あんな薄手のジャージでこの寒空の下を歩いて、風邪でもひかれたら困る。タカの取柄は、元気だから。

 なるみの件。咲の件。佐藤肇の話。

 タカには聞きたいことがたくさんある。私の考える結論を、伝える必要がある。

 否定はし切れなかった。かといって肯定もしたくない。鍵を握っている人物は、タカが連絡先を知っているはずだ。もちろん、他にも該当する人間なんて山ほどいるのかもしれない。

 けれど、ジグソーパズルの最後の一ピースは。

 すべてをぴったりとはめられる人間は。

「……夏!」

 駅の方からタカが走って来る。寒そうに両腕を前で抱きかかえながら。白い息を吐き出しながら。

「タカ!」

 後ろを走っている豊なんて目に入らない。私はタカの冷え切った手を握り、持ってきたジャンバーを背中に掛けた。

 きっとタカは気付いている。すべての繋がりに気付いている。実体がつかめていなくても。曖昧にしか判っていなくても。

 タカはいつだって、私より先を歩んでいるから。

 真っ白な息を吐きながら、タカが叫ぶ。周囲の目なんて気にしていない。駅から溢れる人々の誰よりも疲れた顔で、誰よりも力強く宣言する。

「夏! ピースは、幸せの死者だ」

 幸せの使者。幸せをもたらすもの。

 ピースに出会うと幸せになれる。私の知っている噂話と寸分の狂いもない。

 今更確認しても意味がない。けれど、タカの言葉にはきっと意味がある。私は黙って、タカに話の続きを促した。

「使いじゃない。死んだ者の方の」

 使者でなく、死者。幸せの、死者。

「……どういう意味?」

 なるみも咲も、幸せに死んだと言いたいの?

 少し袖の長さの足りないジャンバーを着込み、タカがゆっくりと口を開く。その言葉の意味を、私は、知っていたような気がする。気付いていて、無視を続けていたような気がする。

「ピースに出会うと幸せに、死ねる」

 あまりにもしっくりとき過ぎて、完成しかけのパズルの色が、暗く闇色に染まってしまう。否定のしようがない。なるみも咲も、ピースに触れたから死んだんだ。あのリストの人達も。

 そして、私も。タカも。

 まことしやかに囁かれている、ただの噂話。幸せになれる存在。ピースは。ピースが存在していることを、私は認めなければいけないのだろうか。

「でも……」

 意味はないのかもしれない。けれど、私はどうしても否定したかった。

「なるみも咲も死ぬ理由なんてなかったでしょ?」

 どうして? 口にしようとしたのに言葉が詰まる。寒さのせいか、動揺のせいか。私の口は、私の思い通りには動きそうにない。

「……夏子」

 兄貴がゆっくりと、自分のマフラーをタカの首に巻きつける。自分だって寒いはずなのに、タカを気遣って温もりを分け与えている。

「俺も、理由なんてないと思う」

 何かを諦めたような表情で、兄貴が呟く。

「色々調べて、噂を思い出して。……ピースが関係してるんじゃないか、とか。共通点はないか、とか。色々探ったんだ。……けど、共通点なんてねえんだよ」

 そこまで言うと、兄貴は遠くを見遣った。薄明るい住宅街。冬の夜は寒くて、家々の灯りなんかじゃ寒さをしのげない。冷え切った心に温もりを取り戻すことなんてできやしない。

「違う。……あるの。共通点」

 私が見付けたパズルのピース。私が見付けた手掛りが。

「共通点……?」

 兄貴が気付いていないはずはない。けれど、きっと。見落とさざるを得ないほど、陳腐過ぎる共通点が。

「私の、学校」

 中学も高校も。私の周囲で多発している。ただの偶然だと思う。でも、ただの偶然が積み重なっていけば、きっと。

「中学も高校も。私の」

 きっと。それは必然になる。

「私のいるときに、死んでるの」

 ピース。Piece。欠片、部品。初めから本体なんて存在していない。欠片しか手に入れることのできない存在。

 欠片しか、手掛りしか存在していないのなら。なるみが見付けたのはピースそのもの。咲が手にしたのもピースそのもの。私がやんわりと手にしているのも、多分。

「でもそれはただの偶然……」

 豊が呟く。偶然の意味を考えた方が良い。因果関係なんて初めから存在していない。存在していないからこそ、この偶然には意味がある。

 鳩の羽にも意味がある。噂の中にも真実が隠されている。

「タカ、佐藤の番号教えて」

 佐藤なら。佐藤肇なら。この事態に終止符を打てるような気がする。私と同じ、周囲で多発した事象について、私とは別の手掛りを掴んでいるかもしれない。私の握っているピースとは、違う形の欠片を手にしているかもしれない。

「佐藤?」

 なるみの死の当日に会っていた人物。

「佐藤、肇」

 咲の聞いた、手掛りの話を知っている人物。

「……肇?」

 私たちと同じ、いびつなパズルを手にしている人物。

「肇が、どうかした……」

 言いながら、何かに気付いたらしい。タカはそのまま、黙って考え込んでしまった。

 ポケットから煙草を取り出すと、タカはそのまま火を点ける。こんな街中で、周囲に人がいるにもかかわらず。こういう行動をとるタカを見るのは初めてで、普段通りではないのだと痛感させられた。

 薄灰色の煙を吐き出し、タカが眉間に皺を寄せた。睨みつけるように地面に視線を落とし、ぐちゃぐちゃになった紙束を握る。力一杯握られた豊の手掛りは、ただのゴミ屑のようにしか見えない。

「……なあ、夏」

 煙を吐き出しながら、タカが呟く。

「鳩の羽って、なんだと思う?」

 ピースの手掛り。なるみと咲の共通点。他の人達にも、きっと。

「手掛り、じゃないの?」

 兄貴の手掛りのPの文字。Pigeonの頭文字。鳩の意味。ピジョンの意味。

 私はタカの手の中で固まっているリストを奪い取り、Pの付いている人達を確認する。なるみ、咲。高校の先輩に、中学の後輩。タシロコノミと、同時期にいなくなった少女。

 共通点はP。共通点は、ピース。鳩。

「関係、ないとしたら?」

 関係ないとしたら、このPの意味は? ピジョンじゃないとしたら、手掛りじゃないとしたら。私たちは一体、何に怯えていたというの?

「でも、これ」

 リスト上のPの字を指差し、タカに問う。

「PはピジョンのPでしょ?」

「ピジョン?」

 タカは勉強ができない。一から十すら英単語でまともに書けない。だから、鳩とPが繋がらないのは、当然かもしれない。

 携帯灰皿で火を消しながら、不機嫌な顔で疑問を口にした。

「ピジョンって?」

「鳩のこと。英語でピジョンって言うの」

 何度も勉強を教えたのに、ちっとも身になっていない。教師になりたい私にとって、タカの唯一の弱点はここだと思っている。頭は悪くない気がするのに、使い方がなっていない。変なことばかり覚えている。

 小四のときの教育実習の先生のフルネームとか、中一のときの体育祭大乱闘事件の詳細とか。大喧嘩のきっかけになった些細な行き違いとか、私の作った不味いチョコレートの味だとか。

「……ぴじょん、ねえ」

 タカは不満そうな顔をして、兄貴の方を見上げる。吐き出す息は、既に水蒸気の色に変わっていた。

「P?」

 見上げられた兄貴がリストを覗き込み、半ば呆れたように解説を始める。

「PはPark。公園だよ。行方不明になっている人の分は、最後に目撃された場所」

 パーク。公園。咲が殺されていた現場は、横浜の公園だ。けれど、なるみは。

「……山田さんは、最後に立ち寄った場所」

 佐藤とのデートで行った場所。上野公園。何故、佐藤はわざわざ遠くの公園でなるみと待ち合わせをしたんだろう。動物園に行きたいのなら、もっと近くにもあるのに。なるみの家からも佐藤の家からも、上野はあまり近くないのに。

 なるみの名前を口にした兄貴の瞳が、かすかに煌く。それは涙のようでもあり、ただ月明かりを反射した現象のようでもあり。

 唇を噛み締める豊をじっと見る。星空を見上げる兄貴に、何故か、触れてはいけないような気がした。

「公園……」

 公園には、何がある? 公園には、何がいる? 公園には。

「……鳩」

 公園には鳩がいる。関係ないことなんてない。ピースの手掛りのひとつは、間違いなく鳩が握っている。少なくとも私には、そうとしか思えない。

「その考えが取り憑かれる理由なんだよ」

 タカが私の肩をがっしりと掴み、熱弁する。

「俺たちは最初から間違ってたんだ。ユタ兄の資料を見て気付いたんだよ。鳩は、ただの偶然なんだって」

 偶然が、偶然を呼ぶ。けれど、積み重なったこの資料だって、偶然の産物に過ぎないはずなのに。

 すべてが偶然なら、私の友人を二人も奪った存在は。

「鳩が関係してるのは山田なるみと関口咲だけだ。関口咲だって、本当に関係してるかは判らねえ」

 公園には鳩がいる。公園にはピースがいる。けれど、もし。鳩が関係ないとしたら。ピースが関係ないとしたら。

「だから」

 佐藤肇も関係ない?

「……佐藤の……佐藤肇の連絡先、教えて」

 最後のひとかけら。最後のピース。私に見付けられた、唯一の手掛り。

「リスト。私の学校。佐藤も」

 周囲で起きている事態。ピースの噂話。

「ああ。……これも、偶然だよな」

 佐藤も。

 真剣な面持ちで、タカが携帯電話を取り出した。

「佐藤肇って?」

 兄貴は知らない。これ以上、知らなくて良い。知る必要がない。今までもこれからも、この、ピースにまつわる偶然に、兄貴の居場所は存在していない。

「私のクラスメイト」

 それ以上は語らない。巻き込まない方が良い。存在の不確かな闇に、豊を連れて行きたくはない。

「高校の?」

 だからもう答えない。実在するのか、影に脅かされているだけなのか。なるみが死んだのも咲が殺されたのも、すべてが偶然か。すべてが必然か。

 夜の帳が私を包み込む。それでも、きっと。私は大丈夫。タカがいるから大丈夫。ようやく同じ位置に立てた。ようやく追いつけた。

 これからは、隣に立って歩き続けたい。例えその先に、暗闇が広がっていたとしても。タカと一緒なら、私は、堕ちても良い。

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