高橋 一朗@水曜日 20:45
加藤の母親が帰ってきたので、さすがに結構な時間だということが判明した。けれど僕は、時計を見ることすらもしていない。見ていたのは、見続けていたのは、カトウナツコの背中だけ。そのカトウナツコも、今は自分の部屋に戻っている。
――もう、関わらない方が良いですよ。
カトウナツコが言っていた言葉を、頭の中で反芻してみる。しかしどうにも、意味が判らない。何に関わらない方が良いのか。どうして関わらない方が良いのか。
あのデータはどういう意味なのか。
「なあ、長井」
一覧といわれても、意味が判らない。誰、何時、何処。リストの頭に添えられたアルファベットも、僕の理解を超えている。
アルファベットは二種類。PとF。Pが付いているのは、リストの中に六人。Fは二人。一番上の“山田なるみ”と一番下の“関口咲”にだけ、Fの文字が付いていた。
「……このリストって、何だ?」
一番下の“関口咲”は、今朝の事件の被害者だ。僕が見かけた女子高生。横浜の公園で身体中を切り刻まれて殺されていたという、不幸な女子高生。
一番上の“山田なるみ”は日時からしておそらく、加藤の好きだった女だろう。あのチビが向かったのも、長井が言うにはこの場所だ。だから多分、間違いない。
この二人に共通していること。カトウナツコの高校の生徒。しかしこの他にも、リスト上には同じ高校の生徒がいる。
「タカオ君が言うには“手掛り”なんだとさ。ピースってヤツの」
ピース。幸せになれる。行方不明になる。このリストは、後者の方に近い気がする。
あのチビが言っていることを鵜呑みにする気はないが、かといって。
「……お家は大丈夫? 豊ったら、友達を置いてどこほっつき歩いてんだか」
いつの間にか、加藤の母親が廊下に立っている。びくっとした僕は、思わずキーボードに触れていた。
ひたすらに押され続けるスペースキー。リストの中途半端な位置に、空白が押し込まれていく。いびつなリストが、いびつさを増していく。
「ああ、大丈夫です。……何か急用ができたとかで、すぐに戻って来るって言ってたんっすけどね」
アドリブキングのマダムキラーが、口から出任せをすらすらと述べる。
「な、高橋?」
「お、おう」
長井が上手いこと話を作ってくれたお陰で、僕は頷くだけで済んだ。
考えてみたら、もう加藤家には母親がいるので、僕たちは帰っても良いはずだ。それなのに、何故、僕は帰ろうと思えないのか。長井は帰ろうと言い出さないのか。
加藤が心配だから。それはもちろんあるだろう。しかしそれ以上に、何が起こっているのかを確認したいという好奇心が、働いているのは間違いない。
ついでに僕には、カトウナツコのそばにいたい、という理由もなくはないが。
チビの言っていた『ピース』と、カトウナツコの言っていた『関わらない方が良い』という言葉。これ以上ピースに関わるな。首を突っ込むなと。そういう意味なのだろうか。
「ごめんなさいね、本当に」
加藤の母はそう言い残すと、階段の下に消えていった。残された僕は、どうすべきだろう。このまま帰るべきか。理由を問い質すべきか。それとも。
「なんで加藤は、こんなリストを作ったんだろうな」
ピースと自殺を結びつける理由。僕には、一番重要なはずの、その部分が判らない。他人には理由が見当たらない人間だって、死ぬ理由なんていくらでもある。僕だって、きっと。
いや。いくら出口のない想いに苛まれても、受験戦争の荒波に揉まれても。僕は死のうとは思わない。生きていれば良いことがある。僕はそう信じている。
「……何やってんだよ高橋」
呆れたように、長井が僕の手を退けた。大量に空白の入った一覧は、見事なまでに形が滅茶苦茶だ。上書き保存をしないよう閉じ、長井は疑問を口にした。
「加藤はさ、何を探してるんだ?」
判らないが、多分。
「ピース、じゃね?」
幸せになるのか行方不明になるのかは判らない。けれど、何かを変化させる存在であろう、ピース。
そのとき、扉を開く音が聞こえた。おそらく、カトウナツコの部屋からだ。僕は慌てて廊下に飛び出し、カトウナツコの背中に声をかける。何故か、声をかけなければならない気がしていた。
「何処、行くの?」
加藤の友人としてではなく、一人の、片思い中の男として。
「佐藤……」
惚れた女を放っては置けない。
「佐藤?」
カトウナツコは振り返り、僕の顔を見据える。その表情は、もう既に何かを決意しているかのようだった。
「何でもないです。……ちょっと、頭を冷やそうと思って」
言葉とは裏腹に、カトウナツコは冷静そのものに見える。
「危ないよ? こんな時間に外に出ちゃ」
僕が止めても無駄かもしれない。
「ええ。でも、兄貴達もそろそろ帰って来るはずですし」
僕の言葉なんかじゃ、カトウナツコに届かないかもしれない。
「僕らも一緒に行こうか?」
それでも。
「大丈夫ですよ。近所を散歩するだけですし」
役に立ちたい。踵を返し廊下を進む彼女の、彼女に見えているものを理解したい。
「チビに文句言われても困るから、付いてくよ」
加藤の作ったリスト。彼女の周囲で起きた事象。友人の自殺。すべてが、ピースに関係しているのだろうか。
「……大丈夫です。タカから電話があったんで」
チビからの電話。カトウナツコにとってそれは、僕の言葉なんかよりよほど。
「ちょっと迎えに行くだけです。兄貴も、連れて来ますから。高橋さん達は待っていて下さい」
僕が何を言っても届かない。カトウナツコに届くのは、あのチビの言葉だけなのだと。嫌でも痛感させられる。初めから判っていたはずだ。勝ち目なんて存在していないと、判っていたはずなのに。
それでも僕は、諦め切れない。
「長井、僕らも行こうぜ」
首を突っ込むなと言われても。届かないと判っていても。
「ああ。電源切ったら出発するか」
もう既に触れてしまっている。ここで逃げ出しても、後味の悪い思いをするだけだ。
加藤のパソコンの電源を切り、長井が振り返る。
「あの加藤が学校休むほどのことなんだから、気になるよな。やっぱ」
満面の笑みでそう言う長井に、僕は思わず苦笑いを浮かべていた。
「行こうぜ、マダムキラー」
「何だよそれ」
良いから良いから。僕は笑いながら、それでも少しの不安を感じつつ、階段を下る。階段を下りきったその先には、何が待っているのか。彼女の抱えているものが、何なのか。
僕には判らない。僕たちには、判りようがない。
「お邪魔しました」
玄関先でそう叫び、僕たちは走り出した。向かう先に何が待っているのかは、何が広がっているのかは。僕には、想像も付かない。




