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加藤 夏子@水曜日 18:10

 何だか良く判らない。豊が行方不明になっているらしいことと、豊の友人と家で留守番をしていた方が良いということだけは判っている。

 タカの行動だから、きっと、意味はある。

 なるみの自殺と、咲の他殺。タカの高校の後輩の行方不明。それと、兄貴の行動に関連があるということだろうか。

 私には、判らない。状況が目まぐるしく変化し過ぎていて、咲が殺されたと聞いても、本当は実感が沸いていない。確かに、いくら携帯に電話をしても出なかった。寂しがり屋の咲のことだから、元気にしていたらきっとすぐにでも、私の元に電話をかけて来るはずなのに。

 だから、何かあったんじゃないかとは思う。タカが言っていたように事件に巻き込まれたというのも、頭では理解できている。けれど。いくら泣こうが、感情が追いつかない。追いつきようがない。

 たった数日で、友人が立て続けに死んでいる。異常事態。まともじゃない。理解が及ばなくても不思議じゃない。

 タカはやたらと“ピース”と関連付けようとしていた。咲も“ピース”の影に怯えていた。兄貴は。

「ナツコちゃん、テレビ点けても良い?」

 兄貴の友達――確か長井さんという名前だったはず――が、訊いてきた。

「テレビはちょっと、すいません」

 もし。いや、タカが言っていたことだから絶対。咲の事件は起きている。だったら、やっぱり、テレビなどで情報を得たくはない。自分の中で事実として確認したくはない。

 今はまだ、私の感情が耐えられないから。

「……あ、何か飲物、入れますか?」

 当り前だけれど途切れ途切れになってしまう会話が、妙に居心地を悪くする。

「て、手伝うよ!」

 何故か床に座っている兄貴の友人が、変に張り切った様子で勢い良く立ち上がった。能天気というか何というか。普段の、いつものタカを見ているようで、妙に親近感が沸く。もっとも、タカはこんな風に手伝いなんて率先して口にすることはないんだけれど。

「大丈夫ですよ。座っててください」

 確か、高橋さんという名前だったはず。兄貴の友人にお断りをいれて、私はキッチンへと足を進めた。

 途中、何も音もかけていない部屋なので、どうしてもふたりの会話が耳に入って来る。聞き耳を立てているわけではない。聞こうと思っているわけでもない。ただ、状況として、耳へと届いてしまうのだ。

「……で、さ。あのチビは何処へ向かったわけ?」

 チビ、というのはタカのことだろう。

「あ、ああ。加藤を迎えに行って来るって言ってただろ? そのまんまの意味だよ」

「だから、加藤は何処にいるんだって」

 確かに。私もそれは気になっている。

 ココアを入れるためのカップを手に取りながら、私は、意識して二人の会話に聞き入った。

「蒲田。……と、大森の間?」

「何で?」

「……山田なるみって子が、自殺をした場所だってさ」

 なるみが、死んだ場所。豊は、何をしにそこへ向かったんだろう。

「高橋。ピースって話、知ってるか?」

 ピース。なるみが手掛りを見付けた相手。咲が怯えていた相手。

 カップを握る手が、かすかに震える。鳩の羽とピースと、なるみの自殺。ただの偶然。ただの噂話。それなのに、咲もタカも、私も。まるで実在しているかのように、それに踊らされている。

「ああ、一応。幸せになれるんだっけ? 見付けると。でも、行方不明にもなるんだよな」

 この人達は、何を言っている?

「何だ、知ってんのか。そう、それ。……でも、行方不明になるなんて、よく知ってたな」

「ああ。この間、偶然、聞いたんだ」

 偶然。ピースと、偶然。あまりにも多過ぎる。行方不明。ピース。

 豊は、兄貴は。タカの高校のタシロコノミと同じように、行方不明になっていると言いたいの? タカが連れ戻しに行かないと、もう二度と戻って来ないと言いたいの?

 ピースって、何なの?

 震える手を押さえながら、ココアをカップに注ぐ。かたかたと小さな音が鳴っているが、リビングにいるふたりには聞こえていないらしい。

 ピースは、ただの噂話。それなのに、何故、こんなにも関わっているのか。気にし過ぎ、かもしれない。私もタカも、噂話の掌の上で踊らされているに過ぎない。自ら出口のない迷宮に彷徨い込んでいるだけに過ぎない。

 けれど。咲は昨日、鳩の羽を拾ってしまった。タカは、その羽に触れてしまった。

 もしも、本当に。本当にピースが存在していて、欠片を得たものを不幸にするというのなら。次に不幸になるのは。私か、タカか。

「……でさ、さっき俺、加藤の部屋のパソコン弄ったじゃん?」

 タカが言っていた言葉。パソコン詳しいか。弄って貰えないか。兄貴の部屋のパソコンに、何か情報があるとでも言うんだろうか。

 豊は、ピースの話を詳しくは知らなかったと思う。私が前に冗談半分で『ピース見付けたら大学合格間違い無しだね』と言ったときに、少し話した程度だったはずだ。

「別にロックかかってたわけでもねえし、普通に起動したんだけどさ」

 少なくとも。もしピースが実在していたとしても。不幸になるにしても。豊は関係ない。関係のしようがない。

 ふいに、タシロコノミの話を思い出した。タカが言うには、彼女はピースを見付けた、と友人に連絡して以降、行方不明になっているという。

 兄貴が無意識にピースを手にしていたとしたら。

 あり得ない。違う。私は、纏まらない考えの中で、そのことを否定し続けた。

「デスクトップにさ、変なメモがあったんだわ」

「変なメモ?」

 ピースなんて存在しない。なるみが咲にした電話だって、きっと、からかうために違いない。そんなキャラじゃないけれど、学校であった日に『冗談だよ』と笑って済ませるつもりだったに違いない。

 この考えが破綻しているのは判っている。冗談だったら、なるみはあの日、自殺なんてしていない。鳩の羽。佐藤と別れてから、なるみは、何を見付けたんだろう。

「そ、変なの。場所と時間の一覧、みたいな感じでさ。何月何日何時に何処、って羅列してあったんだわ」

「一覧?」

 何の一覧だろう。小さく震える手を抑え、トレイにココアを載せた。二人の会話を邪魔しないよう、静かにリビングに向かう。

「俺もよく判んねえんだけどさ、あのタカオ君が言うには“手掛り”なんだってさ」

 手掛り。

「ふーん。あのチビが言うには、ねえ」

 震えが止まらない。かたかたと、トレイの上に置かれたカップが音を立てている。

 なるみが自殺した。咲が殺された。次は、豊に何かが起こる。手掛りを手にしたから、なるみは死んだ。咲は殺された。少なくとも、タカはそう考えている。

 ピースは、人を不幸にする存在。死に至らしめる存在。

 幸せになれるという噂とは、正反対の存在。

 だとしたら、関わってはいけない。豊が何を見付けたのかは判らない。タカが、肇という友人との電話を切った後、メールを見ていたことは知っている。豊からのメールだったらしいということも、何となくは感じていた。帰ってきたら話を聞かねえとな、と言っていたから、多分、豊からのメールで間違いない。

 けれど、豊は帰って来ない。手掛りを残して消えてしまった。

 タカの感じている不安。私の感じている恐怖。豊が直面しているであろう事態。そのすべてに、ピースが関わっている。

「大丈夫?」

 高橋さんが、私の持っていたトレイを支えた。何が起きたのか判らなかったが、おそらく、私はトレイを落としかけていた。

「あ、すみません」

 タカは、無意識に私に何かを隠している。私よりずっと、何かを掴んでいる。

「良いよ。気にしないで」

 トレイに乗ったカップを机に並べながら、高橋さんが口を開いた。

「なあ長井、一覧って、まだ見れる?」

 見たい、気がする。私はもう、事態の中にいるから。

「見れるけど、あんまり人のパソ弄るのも悪いしな」

 豊が作った一覧は、何を意味するものなの? タカは、何を掴んでいるの?

 鳩の羽。幸せ。ピース。ぐるぐると渦巻くこれらの事象に、終止符を打てる物なの?

 ――ピースに出会うと幸せになれる。

 私が初めて聞いたのは、咲からだった。咲は、誰から聞いたんだろう。誰が最初に言い出したんだろう。

「良いんじゃね? 別に、ちょっと覗くだけだし」

 佐藤は、なるみと別れる前に何かを掴んではいないだろうか。月曜に話したときには、何も知らなそうだった。それ以降は、見かけていない気がする。今日に至っては、学校自体に行っていないんだけれど。

 ピースの欠片を、無意識に手にしていたら。佐藤も、不幸になっている可能性がある。なるみと同じように。咲と同じように。もう既にこの世界からいなくなっている可能性もある。

 咲は、何故殺されなければいけなかったのか。情報を得ることを拒否し続けていては、前に進めない。

「……テレビ、点けますね」

 今なら、まだ、夕方のニュースをやっている。私の心が受け止めきれなくても。今はそばにいなくても、私には、タカがいる。タカがいれば、私は前に進める気がする。前に、進まなければいけないから。

「あ。横浜の事件の続報だって」

 何気なく、高橋さんが呟いた。私の友人の事件だということを、この人達は知らないらしい。悪気がないのは判っていても、無神経な口調が、私の心を切り付けていく。

 耳にしたくない。咲は、連絡が取れないだけで元気だと、信じていたい。信じて、いたかった。たとえそれが逃避でしかないとしても。

「凶器は、遺体の周辺に落ちていたガラス瓶、か。すごいな。無計画かよ、あれ」

 現場の様子がテレビに映る。横浜の、普段は鳩が一杯いる公園。鳩。ピース。鳩の羽を、咲は拾っていた。咲は、鳩を見付けようとしていたのかもしれない。ピースを見付けようとしていたのかもしれない。

 見付けてはいけないものを、見付けてしまったのかもしれない。

 私は、知らないことが多過ぎる。判らないことが多過ぎる。

 咲もタカも、私より何かを知っていた。すべてを偶然で片付けようとしていた私より、鳩の羽に怯えていた二人の方が、状況をよほど理解していた。間違いなく、ピースについて知っていた。

 なるみは、自殺。咲は、他殺。豊は、佐藤は無事だろうか。

 兄貴はタカが迎えに行った。佐藤は、連絡先も知らない。確認のしようがない。

「豊の、部屋」

 もう、逃げてばかりはいられない。

 私は駆け足で階段を登った。豊の部屋。そこに、何かしらの手掛りがある。手掛りを得たら、もう後には戻れない。けれど、タカは既にその位置に行っている。

 だったら。私も、同じ位置に立ちたい。タカにだけ辛いことを任せ続けるわけにはいかない。泣いてばかりはいられない。

 兄貴の部屋の扉に手を掛ける。けれど、緊張のせいか思ったようには手が動かない。がちゃがちゃと乱雑にドアノブを動かし、どうにか扉を開けた。

 埃っぽさもなく、整頓された兄貴の部屋。ベッド脇の机に、パソコンが置かれている。

 この電源を入れれば、手掛りが手に入る。なるみが手にしたものとは違う、豊が集めた手掛りが。

 緊張する手で、電源ボタンを押す。背後に、人の気配を感じた。振り返らなくても判る。兄貴の友人。私より更に状況を理解していない、蚊帳の外の他人達。

「……もう、関わらない方が良いですよ」

 見ない方が良いことを、私は確認しようとしている。知らない方が良いことに、私は手を伸ばしている。

 ピースなんて存在しない。存在しないことを、肯定してやる。惑わされ、踊らされ。ありもしない存在に脅かされ。

 なるみが死んだのも、咲が死んだのも。豊が帰って来ないのも。タカが、踊らされ続けているのも。

 すべて。私が、否定してやる。

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