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飯田 隆雄@水曜日 16:50

 夏の手を握りながら、俺は自分の非力さを痛感していた。伝えたらどうなるのか。そんなことは判っていた。それなのに、俺は言ってしまった。

 隠し事は嫌だという夏の主張は、判らなくはない。だが、その言葉の意味する内容を、俺は百パーセント理解していたのだろうか。守るための嘘なら、笑って許してくれただろうか。

 関口咲が死んだ。殺された、と夏には伝えたが、俺にはどうもそうは思えない。

 理由がない。多分、きっと。そんな気がする。

 身体中が切り刻まれていたから、自殺ではないだろう。そういう推測が立つのは理解できる。俺だって、もし警察の人間だったらそう言っているに違いない。だがそれでは、最初に報道を見たときの違和感を説明できない。俺にはどうしても、咲口咲が恋人を巻き込んで自殺をしたとしか、考えられない。

 いや、そんなのは考え過ぎに決まっている。山田なるみの件と絡めて“ピース”のせいにしようとしているだけだ。昨日見せられた鳩の羽。あいつのせいで、思考が上手く纏まらないだけだ。多分、きっと。

 俺の学校の後輩が行方不明になっているのも、ただの偶然に違いない。幸せになれる噂の主が、人を不幸に陥れるわけがない。

 だけど。そう言い切って、ピースのことを思考から除外しようとしても。

 こびり付いた手掛りが邪魔をする。集まりつつあった欠片が、絡みついて離れない。足掻いても足掻いても抜け出すことのできない沼の中に、俺はいる。

 思考すればするほど泥沼にはまり、かといって何もしないわけにもいかない現状。もしも本当に“ピース”の仕業なら、次に狙われるのは。

 畜生。そういうことが考えたいんじゃねえんだよ。関口咲の事件が、きちんと犯人が捕まった上で解決さえしてくれれば、それですべて終了する。それまでの辛抱だ。それまでの。

 夏の高校はきっと、このまま冬休みに突入せざるを得ないだろう。だったら俺も、このまま学校に行かなけりゃあ良い。単位は危ういが、何とかなるだろう。何ともならなかったとしても、高々一留だ。大事なものを失うより、社会に出るのが一年遅れるだけで済む方がよっぽど良い。

 くだらねえ覚悟を決め込み、俺は窓の外を見やった。腹立たしいほどの晴天。今は夕暮れで、雲ひとつない空が、気色悪い鮮やかな色に染まっている。

 俺は思わず、夏の手を握る力を強めていた。

「……タカ」

 夏が強く握り返して来る。俺は『大丈夫』という簡単でどうしようもない言葉を吐き、夏をなだめた。いや、俺自身をなだめていた。

 大丈夫。俺は誰かにそう言って貰いたかったのかもしれない。ピースなんて関係ない。鳩なんて関係ない。山田なるみの自殺も関口咲の事件もただの偶然だと、誰かに断言して欲しかったのかもしれない。

 ふいに、けたたましい電子音が鳴り響いた。購入時から変更をしていない、俺の携帯の着信音。朝、家を出るときにジャージのポケットに突っ込んだままにしていた、携帯電話が鳴っている。

 ポケットから取り出し、携帯電話の画面を見た。着信は、昨日電話しても繋がらなかった友人からのものだった。

 俺は出ようか迷ったが、夏の瞳が出るように訴えかけて来る。小さく頷き、俺の目を真っ直ぐに見詰める。

 夏の手を放さぬまま、俺は電話に出ることにした。昨日、ピースについて考えていたときに、必要な情報を得ようとしていたときに、掛けた電話だ。今はもう、必要がないはずの、電話だ。

「……隆雄? ごめんな、昨日。電話出らんなくて」

 能天気な友人の口調が、俺の現状を否定してくれる。考え過ぎだと教えてくれる。

「いや、良いんだ。俺こそ急に電話して悪かったな」

「良いって良いって。……で、どうした? 急に電話してきたりしてさ」

 山田なるみのことを聞こうと思っていたはずだ。ピースの噂について聞こうと思っていたはずだ。

 なのに、言葉が出て来ない。

 尋ねたら後戻りができなくなる。思考の沼から這い上がれなくなる。俺の思い過ごしが、思い過ごしではないと証明されてしまったら、俺はどうすれば良いのだろう。

「……なあ、肇」

 考えながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「お前の学校、ピースの話ってどん位広まってんの?」

「何? ピースの話?」

 呆れた口調で肇が続ける。俺はその間も、どこまで訊くべきか迷っていた。

「会うと幸せになれるってヤツ? 結構みんな知ってんじゃないかな」

「そっか」

 次の一言が思い浮かばない。手掛りを得たい。しかし、手掛りなんてものは初めから存在していないんじゃないかとも思う。

 俺の考え過ぎだ。たまたま、夏の周囲で人死が連続しただけで。片方は自殺、片方は殺人。関連付ける方がどうかしている。

 ピースの手掛りは偶然。鳩の羽も偶然。すべて偶然で片付けられる。片付けた方が良い。

「……で、隆雄はさ、見付けちゃったの?」

 ピースを。

「探してねえよ、んなもん」

 ピースを。探してなんかいねえ。見付けたくもねえ。関わりたくもねえ。

「……ふーん」

 意味深げに肇が呟く。

「その方が懸命だよ。隆雄には似合わねえし」

 確かに似合わねえ。こんな噂に振り回されるのも、こんな話に惑わされるのも。

 無理矢理関連付けようとするから、考えが纏まらなくなる。関係ない。ただ一言で済む話だ。まるで何かに取り憑かれたかのように、馬鹿みたいに“ピース”のせいにしようとして。

 らしくない。だが、その一言では割り切れない何かが残るのも確かだ。

「あーあ。俺も幸せになりてえなあ」

 深刻に考えることが馬鹿馬鹿しくなるような肇のぼやきに、俺は思わず苦笑した。

「……何だよ、それ」

「言葉通りの意味だよ。幸せになりてえなって」

 誰もが願うこと。幸せになりたい。ひどく曖昧で不確かで、だけど願って止まないこと。幸せ。

 ピースに出会えば、幸せになれる。

 欠片を手に入れると、不幸になる。

 相反する二つの事象。山田なるみは手掛りを手にしたから自殺した。関口咲は手掛りの存在を知ってしまったから殺された。幸せになれるはずのピースと関わって、ピースのせいで不幸になって。

 手掛りでなく、欠片でなく。本体を手に入れれば、幸せになれるのだろうか。

「肇は探してるん?」

 ピースを。

「探しちゃいねえよ。探してもしょーがねえし」

 ピースに。俺は取り憑かれているのかもしれない。すべての事象は“偶然”の二文字で解決できる。それなのに、ピースが関わっていると思い込んでいる。思い込みたいと、願っている。

「しょーがねえか。確かにな」

 だから言葉では納得していても、心の底からの納得はしていない。

「そ。隆雄もさ、ピースなんかに関わんない方が良いって」

 だからその忠告は、もう、手遅れだ。

「……肇はさ、手掛りとか知ってる?」

 俺はもう、関連がないとは思えない場所まで来ている。

「手掛り?」

 ゆっくりと、確実に、自分自身の首を締め上げている。

「そう、手掛り」

 世の中には知らない方が良いことがある。関わらない方が良いことがある。

 余計な興味と無闇な推測と、夏を守りたいという欲望。それらに導かれるまま、知らぬ間に俺は、足を踏み入れてはいけない場所に迷い込んでいた。

「……知ってどうすんの?」

 どうする気なのか。手掛りを手にいれて、ピースを見付けて。俺は幸せになりたいのか?

「判んねえ」

 山田なるみの自殺の原因を知りたいだけなのか? 関口咲が殺された原因を知りたいだけなのか?

 ピースを見付けると幸せになれる。

 頭の中を、ぐるぐると駆け巡る。幸せ。俺は、何がしたいんだ?

「……俺は、関口に聞いただけだから、内容は良く判んねえけど」

 何か、とてつもなく大事な何かを忘れている。もし本当に、ピースが関係しているのなら。

「山田が、手掛りを見付けたって」

 何故、肇がそのことを知っているのかを考えた方が良い。

「詳しいことは俺も知らねえよ。……加藤なら、知ってんじゃね?」

 関わらない方が良い。肇は、俺に忠告をしてくれていた。

「いるんだろ? 一緒に」

 肇が、俺の探していた人間ならば。

「聞いてみたら? 俺はそれ以上は判んねえからさ」

 一方的に電話を切られた理由を、考えた方が良い。

 ぐるぐると頭の中を渦巻く、断片的な事象。纏め上げる自信はない。肇が、佐藤肇が、山田なるみと最期に会っていた人間ならば。ピースの手掛りのことを知っているはずだと、俺は、思い込んでいた。

 何も解決なんてしやしない。行き止まりが、壁が、高く圧し掛かる。日曜に俺は肇と会っている。夕方、駅で偶然。

 偶然。ここでも、偶然が立ち塞がる。すべては偶然か。すべてが必然か。ピースは何ものか。俺は、取り憑かれているのか。

 昨日、鳩の羽を手にした瞬間から。俺はもう、逃れられない状況に追い込まれている。

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