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高橋 一朗@水曜日 12:10

 今日の学校は、横浜で起きた殺人事件の話題で持ちきりだった。予備校もたくさんあるし、なにより通学時の乗換えで使うヤツも多い、身近な駅。その近くで殺人事件があったなんて聞いた日には、そりゃあちまたのおばさま達じゃなかろうと、話題に上らないわけがない。

 しかも僕は、死んだ男女を目撃している。昨日、予備校帰りに見かけた少女と、それを追いかけていた男。あのとき、文句を言いに追いかけていたらと思うと、何だか少し怖い気がした。

 まあ、巻き込まれたとは思わないけれど。

「……なあ、長井」

 気になるのは、加藤が学校に来ていないことだ。昨日の事件の被害者は、加藤の妹の高校の生徒。ひょっとしたら、カトウナツコの知り合いかもしれない。もっとも、そんなに立て続けに、誰か一人の周囲で事件が起こるはずもないが。

 単純に、インフルエンザが流行っているらしいので、加藤の休みはそっちの線が怪しい気がする。多分。

「何?」

「お前さ、昨日、予備校あった?」

 パンを片手に参考書に目を通している長井に、僕は話を振ってみることにした。

「なかったよ。俺は数学だけだから」

 お前はあったの? というような目をしていたので、僕は頷き、話を続ける。

「僕さ、昨日、予備校帰りにさ、見たんだよね」

 野次馬根性でわくわくするような。止められなかった罪の意識を感じるような。巻き込まれなかった安心を感じるような。複雑で明快な内容を口にした。

「殺人事件の被害者ふたり、どっちも見かけたんだ」

 興味本位で口にするのは、僕の知らない人間だからだ。カトウナツコと同じ学校の生徒だから、カトウナツコも知らない人間にカウントしたいから。そういう計算が、僕の中にあったのかもしれないけれど。

 長井は思いのほか、この話に食いついてきた。読んでいた数学の参考書を閉じると、僕の方に向き直る。

「……やっぱさ、三角関係のもつれとかそう言った感じなんかな?」

 知らない人間とはいえ、どこかですれ違っているかもしれない。生活範囲に存在する街で起こった事件だから、やはり気になるものなんだろう。

 気が付くと、僕の周囲にはちょっとした人だかりができていた。

「で、どんな感じだったの?」

「やっぱりさ、痴話喧嘩とかそういうの?」

「しっかし、怖えよな。あんな近所でさ」

 口々に、あの事件のことを語っている。目撃したと語った僕に、何か新しい情報はないかと迫って来る。

 正直、僕は困惑した。

「いや、さ。見かけただけだから。歩いてるとこ」

 そんなに詳しく知っているわけじゃない。ただ、誰かに話したかっただけなんだ。だから、被害者の一人が加藤の妹の高校の生徒だということも、言う気にはなれそうにない。

 長井はカトウナツコの制服を見ただけなので、横浜の事件の被害者が同じ高校の生徒とは気付いていないらしかった。

 僕だって、昨日見かけていなければ、多分、気付かなかったろう。

「どんな風に歩いてたん?」

「……うん。何かちょっと思いつめた感じだったかもしれないな」

 だから適当に話を合わせて、カトウナツコのことは忘れたい。

「女の方は制服着てたな、確か」

 制服を着ていたことは報道されている。被害者はどちらも未成年で、女の方は高校生だということも判っている。持っていた生徒手帳から、高校名も判明している。

 今朝のニュースでは、二人を殺した犯人は現在もなお逃走しているものとみられる、と言っていた。けれど僕が見かけたときは、被害者ふたりだけだった。あとから犯人が追いかけて、殺害したのだろうか。

 僕が見かけたふたりに、犯人が一人。他殺と思われる要員は、報道によると。

「……でもひでえよな。男も女も身体が切り刻まれてたって話じゃん」

 犯行現場となった公園の、外まで続く血痕。犯行があったと思われる時刻は夜中の十二時から三時の間。その間、あの公園の近くを通ったものはいない。

 実際に現場を見たわけではないので、僕にもあまり推測はできない。しかし、見かけたときの様子だと、特に誰かに追われているといった印象はなかった。

 僕には“逃走中の犯人”なんて存在しないように思われた。だからといって、被害者のどちらかが相手を殺した後、自分の身体を切り刻む、なんてことも考え難い話だけれど。

「大量の失血によるショック死、だっけ?」

 公園は血の海で、第一発見者の新聞配達員によると、まるで水溜りのように見えたらしい。予備校からも然程遠くない、ひっそりとした小さな公園。薄明るい時間に見かけたら、血液だってただの水に見えるだろう。そのくらい、激しい出血をしていたということかもしれない。

「……で、犯人らしき人間は見たのかよ?」

 僕の背後から、誰もが一番興味を持っているはずの質問をぶつけられた。

「見て、ない。……女が逃げて男が追っかけてるとこは見たけど、それ以上は知らないや」

 本当に判らない。男女の痴情のもつれが原因だとすれば、いくら近所に住んでいようとも、僕が被害者になる恐れはない。

 その考えは皆も同じようで、使えねえだの面白くないだのと散々罵られはしたが、それ以上は誰も興味を示さなかった。

 人だかりは簡単に解散し、いつも通りの昼休みに戻っていく。

「なあ、高橋」

 長井が、先程閉じた参考書を持ち直した。

「……何か気味悪いよな。知ってる場所でこういう事件が起こるってのは」

「確かに。……ああ、僕。今日も予備校だけど、さぼっちまおうかな」

 さぼったところでどうなるわけでもない。けれど、何となく行きたくない。僕とは無関係な男女が殺された。ただそれだけなのに、何となく、近付きたくないと思う。

 公園にも。予備校にも。

「……大丈夫かよ? 高橋、そんなに余裕もねえだろ? 俺と違って」

「余計なお世話じゃ」

 浪人だけはしたくない。かといって予備校に行く気にもなれない。じゃあ僕はどうしたら良い?

「長井は? 今日、あるん?」

「休みじゃ。俺は数学だけだから、週ニしか通ってないっての」

 あ、でも、自宅学習に励んでますよ。長井はそう付け加え、おかしそうに笑った。僕もつられて笑ってみるが、正直あまり面白くはない。

 家族さえうるさくなければ、家で勉強するのも悪くない。ああ、せめて。弟が騒がしくなければ良かったのに。この歳にもなって弟と同じ部屋を共有ってのは、やっぱりちょっと辞めて頂きたい。父上殿、母上殿。お願いでござる。せめて受験生の間だけでも、僕専用の勉強部屋って物を作っていただきたい所存でござんす。

「じゃあさ……」

 僕の考えを中断させるように、長井が最高で最低な提案をした。

「加藤の見舞いにでも行くか?」

「……ああ」

 断るのもおかしい。かといって、心の底から行きたいとは思えない。

「やっぱさ、昨日の今日で休みだから、ちょっと心配じゃん?」

 長井、お前は良い友人だよ。親友の心配をし、僕の受験を無意識に邪魔するなんて。

 カトウナツコにもう一度会う。そうしたら僕は、この、何とも言いようのない感情を捨て去ることができるのだろうか。増幅させてしまうのだろうか。

 答えは。今の僕には、判らない。

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